第18話;修学旅行

 修学旅行に旅立つ日を迎えた。遅めの午後に登校、目的地への移動は深夜に渡って行なわれ、翌朝の到着を目指す。

 体育館に集合し、出発前の準備や講習、注意事項の説明を受ける。今日の服装は学校ジャージの上に、各自で準備した防寒具だ。橋本は白の、ふかふかなジャケットを着ていた。白と言う色に少し戸惑う。白江の服装は誰でも着る、変哲もないジャンパーだ。これも意外だった。中にはホルスタイン柄のポンチョを着る、目立ちたがり屋の男子もいる。制服での学校生活では気付けない、それぞれの個性を垣間見た。いつも騒がしい集団行動だけど、今日は特に酷い。蝉の鳴き音でも聞くかのようだ。


「それでは一時解散!7時に運動場で集合だ。」


 全ての説明が終わり、夕食を取る為に解散した。大きな荷物は前以ってバスに預け、身軽な格好で1時間の自由時間を得る。学校食堂も、今日だけは遅い時間まで開いた。僕はその列に参加せず、買い置きしたオニギリで食事を済まそうとした。

 グラウンド脇に設置された、誰もいないベンチに移動する。季節柄、ここで食事する人なんていない。夕日が差す運動場は、懐かしさだけを運んでくれた。


「な~にやってんの?こんな所で。」

「?」


 背中から、僕を驚かせた声の主は橋本だった。


「う~、寒い!ベンチもカチカチだね。」


 隣に座り、カバンからコンビニ袋を取り出して食事を始める。見覚えがある袋だけど、中に入っている量が僕とは違う。


「井上君は、ご飯食べないの?」


 橋本の質問に、自分の袋を取り出す。


「まだ、お腹が空いていない…。」

「今食べなきゃ、タイミング見逃すよ?バスに乗ったら、トイレ休憩以外の自由がないよ?」

「…そうだね。」


 橋本の言葉に、袋の中を漁り始める。


 1人になりたい訳ではなかった。体育館で疲れた耳を癒したかった。橋本ぐらいなら邪魔にならないと思ったけど、彼女はそれを許さなかった。カツサンドを片手に、カバンの中から何かを取り出す。修学旅行のしおりだ。


「ここと…ここ…。そしてこの時間…ホテルから抜け出せないかな?後、ホテルに着いたら早速、このルート確認しよ?」

「………。」


 妖精探索に、かなりの意欲を持っている。6つ目のカツサンドを黙々と食べながら、様々な資料を見せつけた。宿泊先の外観写真、内部の構造、周辺の地図など…。何処で手に入れた?と言うほどの準備振りだ。カードの時もそうだったけど、彼女は仕切りたがり屋なのかも知れない。それとも…ただただ興味を持った事に夢中になってしまう性格なのかも…。そう考えるとぞっとする。僕の友人にも、同じような人がいる。彼の興味は魔術や呪術で、何かに、リミットレスで夢中になる姿は今の橋本と似ている。そして以前、こんな事を思った。『信じる人になろうとも、信じるものが何なのかが重要だ』と…。その成功例が橋本で、失敗例が友人である。だけど仮に橋本が、魔術に関心を持ったとしたら…?下手したら彼女は、その友人以上に恐ろしい存在になり得る。齢16歳にして、サタンとの対話に成功するかも知れない。


「話、聞いてる!?」

「はっ、はい!済みません。」


 集中出来ない僕を橋本が注意する。訓練の時以上に緊張した態度で話を聞く事にした。

 彼女の説明はこうだ。ホテルには団体客や修学旅行客を宿泊させる施設が、別館として設けられている。僕らが泊まる場所だ。そこはロビーや食堂、お土産屋などが設けられた1階と、部屋がある2階からで成り立っている。但し2階以上の階には中央部分に鉄の扉が設置されていて、行き来は出来ない。異性同士の交流を防ぐ為だ。

 だけど、見張りの先生は必ず就く。ホテルの構造が手伝い、1階でのみ不謹慎な男子を取り締まれば済むはずだけど、それだけに必ず見張りが就くはずだ。外に出る事は難しい。小さい体育館へと繋がる裏口もあるけど、そこにも見張りの先生が就くはずだ。そこで橋本は、非常口に着目した。そこからなら外に出て落ち合えると考えた。鍵が掛かっているかどうかを調べ、掛かっていたら好都合…見張りが就かないと考えたのだ。鍵は、無理からでも抉じ開ければ良いと言う。…段々、橋本が怖くなってくる。

 そして僕らは、4泊7日の旅に出る。1日目は深夜の移動。2日目の朝に到着し、朝と昼にスキーを楽しんでホテルに宿泊。それが都合で4日続くと、最後の晩に体育館でレクリエーションを行い、翌日は午前中だけ講習を行って夕方にはバスに乗り、次の日の早朝、学校へと戻って来る。彼女が考える、ホテルを抜け出せるタイミングとは就寝以降の時間だ。だけど最後の晩にはレクリエーションがあるのでチャンスは3回のみ…。


(………。)


 綿密な作戦会議を開き…いや、一方的に聞かされ、彼女の凝り性に怯えながらも考えた事が2つ。否定的な考えが2つ思い浮かんだ。1つ目は非常口だ。僕らが考える以上に、先生達は作戦を練っている。中央玄関が駄目でも、非常口を抜けた男子生徒は女子側の非常口から侵入出来る。きっと非常口にも見張りがいるとの見解を立てた。


「……!」


 橋本が、焦ったように即席の提案をする。夕食後、部屋には戻らずそのまま冒険に出ようと言うのだ。…良くない提案だ。冒険の帰り道、結局、見張りの先生に出会ってしまうだろう。


「!!!」


 橋本が、確実に焦った表情を作る。僕も反省した。出発前に、何らかの作戦を立てておくべきだった。話を聞いて、やっと現実的な問題にぶつかった。甘かった。


 そして2つ目の問題…。そもそも、妖精は何処にいるのか?…だ。脱出に成功したとして、何処を探せば妖精に会えるのかなんて考えもしなかった。挨拶の場所も分からない。橋本が腹を立てる。彼女は冒険に出た事もなければ、妖精がいそうな場所も知らないのだ。


(だけど、妖精がいる場所なんて…。)


 ホテル周辺には何もない。繁華街は歩いて行ける距離にはなく、妖精が住むには適した環境かも知れない。だけど雪の妖精の住処は検討もつかない。数多くの書物にも、雪の妖精の記述はなかったのだ。小百合ちゃんだって田舎にいた時は、妖精の挨拶を確認出来なかった。


「………。」

「………。」


 僕らの目的は修学旅行だ。スキーを楽しむ。しかし橋本のおかげで、妖精探しがメインになりかけた。一瞬だけ…。今は、火が灯った目的も消えてしまった。




 運動場に人が集まり、皆でバスへと移動する。車酔いが酷い僕は、前の座席に座らせてもらった。ふと後ろを向くと、白江と橋本が通路を挟んで隣同士だった。2人の接触を恐れた。やきもちではない。橋本が、魔術に興味を持ち始めたら最後、この世は終わりを迎えるかも知れないのだ。


 走り始めて数十分後、照明が消された。時間にして、夜8時前の出来事である。先生は寝るようにと促すけど…こんな時間に眠れるはずもない。外を覗き、ネオンサインを眺めた。


(………。)


 信号の点滅や車のライト、大きな立て看板を照らす照明が妖精の挨拶だったら…そんな思いに駆られた。スキーが上手になるか…?何て思いはなかった。バスに乗り込む前からずっと、頭の中にあるのは小百合ちゃんとの約束だけだった。


 バスは高速道路に入り、街の明かりが減り始めた。道路を照らす外灯だけになった時、それを眺めていた僕は知らずの内に眠りに就いた。この照明はいけない。催眠効果がある…。高速道路での居眠り運転は、照明にも問題があるはずだ。



「!!?」


 突然、誰かに起こされた。目の前には橋本がいた。周囲には誰もおらず、どうやらトイレ休憩に向かったようだ。時間にして早朝の4時…。


「トイレ大丈夫?じゃなくても、新鮮な空気吸いに行こうよ?」


 橋本が優しく、僕を外へと促す。


「……うん…。そうだね。…???」


 ここで、不可思議な事が1つ…。僕も目覚めが凄く悪い。3つの目覚まし時計を以ってしても僕には敵わない。母親の平手だけが、僕を眠りから呼び覚ますのだ。


(そんな僕を、どうやって起したんだろうか…?)


 答えは直ぐに分かった。立ち上がるや否や、右頬に激痛が走ったのだ。バスを降りる際、バックミラーで確認した。右頬が真っ赤に晴れ上がっている。叩かれたのか…思いっきり抓られたのか…。だけど橋本を責めはしない。責められる訳がない。彼女は移動中、ずっと白江の隣にいたのだ。


「うわっ…。空気が美味しい!…でもお腹空いた…。」


 空気は澄んでいて、冷たかった。どれだけ遠くに来たのかを実感した。


 女子トイレの前で橋本を待つ。


「お待たせ!」


 元気よく帰って来た橋本に比べ、僕の気持ちは落ち込んでいた。小百合ちゃんとの約束を思い出していた。


「大丈夫!何とかなるって!まだ、非常口が駄目って決まった訳じゃないし!」


 橋本が気持ちを察し、明るく振舞ってくれる。でも、頭にあるのはそっちではない。妖精の居場所や見つけ方が分からないのだ。


 バスに戻り、最後の移動が始まる。眠れなかった。妖精の事で頭がいっぱいになっていた。…いや、違う。右頬の痛みが引かないのが理由だ。橋本は一体、どんな手段で僕を起したのだろう…?



 そろそろ眠くなってきた、若しくは寝てしまって直後だ。バスが停車し、少し遠くに背が高い建物が見えた。見覚えがある。橋本が写真で見せてくれたものだ。そこに移動し、荷物を各自の部屋に運ぶ。男子はホテル左端の階段を利用し、女子は反対側の階段で部屋に向かった。

 踊り場に出ると、非常口が目に入った。地図を頭の中で広げる。この建物は、横一直線に長い。中央には大きな玄関とロビー、周囲には食堂やレジャー施設があり、裏口には通路があって、離れとして建てられた体育館と繋がっている。外へと脱出出来る入り口は4つ。正面玄関と裏口、そして僕らが目を付けた、両端の非常口だ。その非常口は両方とも階段の踊り場にあって、中央ロビーからは死角となる。ここに先生がいなければ、そして鍵が掛かっていなければ…脱出は可能だ。


 2階に上って中央ロビーの真上、つまり男女の間を引き裂く鉄の壁の側に僕らの部屋はあった。中に入ると奥に窓があって、それ以外には何もない部屋だ。

 荷物だけを置いて、再びロビーに向かう。朝食を取るのだ。今頃橋本は、狂喜乱舞しているはず…。

 食堂に入り、班毎に分かれて席に着く。がっかりした。準備された食事は、パンを主食とするメニューだった。食堂を見渡す。雰囲気が好きになれない。名前も気に入らない。ここの食堂…いや、レストラン風の食堂の名前は『シャモニー』だった。何処の国の、どんな意味を持つ単語か知らないけど、旅行の間は食べたくないメニューを食べ続けるのだと確信した。


 食事が終わり、先生からの説明が始まる。早速スキー実習を行うのだ。


「尚、体調不良の者は実習を控えるように。バスで寝付けなかった者、気分の悪い者もいるはずだから、そんな生徒は無理をしないように。…以上!それでは、修学旅行を有意義に楽しんで、良い思い出を作って下さい。」


 学年主任の先生の挨拶の後、席を立って部屋へ向かおうとした。


「ちょっと!」


 そこで橋本が腕を引っ張る。人の流れから外れ、こう提案してきた。


「午前の実習、サボらない?」

「………。」


 言葉の意味を一瞬で悟った。


「駄目だよ。実習はキチンと出なきゃ。橋本もスキーを楽しめよ。わざわざここまで来て、僕の為に時間潰すのは勿体ないよ。」


 橋本には駄目だと言ったものの、実は同じ事を考えていた。1人で冒険に出るつもりだったのだ。


「良いから!取り敢えず実習サボって?皆が外に出たら、部屋の窓から顔を出して!ねっ!?」


 人の流れが途切れる。これ以上話をしていると周囲に怪しまれる。橋本はそう言い残し、人の流れに戻った。

 それ以上、彼女を止める事が出来なかった。大魔女になり得る彼女に逆らえないのではなく、僕との会話を楽しんでいたからだ。彼女も夢中になると没頭する性格だ。もう、誰にも止められないギアが全回転しているのだ。(本当に、小百合ちゃんが大きくなったら彼女みたいな女性になるのだろう。)彼女の、強引な行動力には感服する。でも、実習を毎回サボる訳にもいかない。旅の目的はスキーなのだ。抜け出して冒険に出掛けるのは、今回だけにしたい。


 実習を休むなら、部屋の班長に伝えれば済んだ。彼はこの旅行の間、副班長と共に部屋の戸締り、荷物の点検、そして点呼も任されている。

 そして僕らの班長は…


「ひょっとして、妖精探しに行くの?」

「………。今回だけだよ。お前に迷惑掛けるつもりはない。今回だけは、実習サボらせてくれ。」


 白江だった。そんなはずはない。他のクラスメイトが選ばれたはずだ。


「榎田の奴…体調不良で旅行来てない。知らなかったのか?」

「……。」


 彼は、昨日の内に班長に任命された。担任の先生が決めたのだろうけど、いくら緊急とは言え、何故白江を…?先生の管理能力と責任能力を疑った。でも考えてみれば、都合が良い結果だ。彼なら何かと助けてもえる。


「でもお前…本当に体調悪いんじゃないの?」

「え?どうして?」

「顔が真っ青だぜ?…右の頬だけだけど…。」

「!!」


 慌てて頬を触る。鈍い痛みが走った。内出血でも起こしているのだ。


「………。」


 橋本は…一体どんな手段で僕を起したのだろうか…?




 部屋からクラスの皆が出て行く。白江が僕に、部屋の鍵を預ける。


「部屋から出る時は、鍵、閉めとけ。お前がいなくても、副班が持ってる鍵で開けるから。」


 彼が、今日ほど頼れると思った事はない。カードを奪い合った後も、友情を保った事は正解だった。

 辺りが静かになったので、部屋の窓を開ける。部屋はホテルの裏手に位置していた。スキー場はホテルの玄関側にあり、つまりこちらからは体育館が伺えた。体育館はホテルの裏口から通路で繋がっていて、30メートル程離れた場所にある。見た目がドーム型になっていてお洒落だった。恐らく、積雪を防ぐ為のデザインなのだろう。

 その体育館を眺めていると、右側から窓を開ける音が聞こえた。


「お、ま、た、せ!」


 橋本が顔を出す。距離にして5メートル。それでも真横に彼女の顔が伺えた。


「あれ!?橋本の部屋って、そこ?」

「そうみたい。非常口ばかりに目が行ってて、隣の部屋ってのに気付かなかった。まさかここに見張りの先生なんて、いないでしょ?」


 この距離を渡れる人間はいない。会話も、少し大きな声を出さなければならなかった。


「だからって何?それで外に出られる訳じゃないだろ。」


 目的は、橋本と会話する事ではない。ホテルから脱出する事なのだ。このままでは、延々と冒険前の作戦会議を開き続けるしかないのだ。


「し~た~見~て、下。」


 僕の言葉に橋本は笑いながら、人差し指を下に向けた。その先を追ってみる。


「………。」


 雪が…積もっている。


「橋本…まさか…。」


 作戦に勘付き、唖然とする。1階には窓がない。既に確認済みだ。落ちたところで気付く人もいないだろう。いや違う!それ以前の問題だ。怪我をするかも知れない。こんな手段を取る勇気なんて僕にはない。いや、僕はとにかく橋本には危険過ぎる。(いや、重さで言えば僕の方が危険だ。)体育館に繋がる通路の屋根を使い、2回に分けて飛び降りる事も考えたけど、飛び乗るには距離があり過ぎる。


「見ててね。」


 当惑する僕の隣で、橋本がそう言う。


「ちょっと待って!」


 止めようとするけど手が届かない。その距離5メートルだ。

 心配を他所に、橋本が窓から手を出す。僕は息を呑んだ。だけど彼女は飛び降りた訳ではなく、何かを見せてきた。朝食に出されたみかんだ。僕が確認すると橋本は手を放し、みかんは落下した。雪を貫き、深い穴が開く。


「ねっ?雪が硬くないからクッションになって、飛び降りても平気なの。」


 橋本が、したり顔でこちらを見る。…本気だ。


「駄目だって!みかんはみかん、僕らは僕らだろ?あんな軽いもの落としたって、何の安全確認にもなってないから!怪我するぞ!」


 必死で訴える。大体、飛び降りて無事だったとしても、戻って来る時に窓は使えない。玄関から入るか、非常口から入るかなのだ。そしてそこから戻って来られるなら、始めからそうすれば済む話なのだ。


「きゃっ!」


 短い悲鳴が聞こえ、続いて鈍い音も聞こえた。


「馬鹿!何やってんだよ!」


 本気で怒鳴った。…と同時に体のバランスを崩した。彼女を助けなければと思い、既に腰は窓から外に出ていた。一瞬で景色が暗くなり、顔に冷たさを感じる。


「井上君!大丈夫!?」


 橋本の声が遠くに聞こえる。体が、重力に逆らっている事に気付く。顔を雪の中から抜こうとしても、それが出来ない。腕も動かない。体は肩を通り越し、胸ぐらいの深さまで埋まっていた。



「信じられない!無茶するなって!」


 部屋と、そして雪からの脱出に成功した僕は、いの一番で彼女を叱った。

 

「しっ!周りに誰もいないからって、そんな大声出しちゃ気付かれるでしょ!?」


 普段は大声を出さない僕の姿に、彼女は驚いた。…のではなく、雪をぶつけてきた。大声を出す僕を逆に叱ったのだ。


「そんな問題じゃないだろ!?大体、はしもっ…!」

「黙って!もうちょっと、声の大きさ考えて!」


 それでも大声が止まらない僕の口を、彼女の手が封じる。180センチある巨漢の僕が、細身で色白の女性にペースを掴まれているのが不思議だった。

 冷静になる事を約束し、小さな声で抗議する。


「ここから飛び降りたって、帰る時はどうすんだよ?」

「その時は玄関から、堂々と帰れば良いのよ。昼間なんだよ?見張りの先生、いるはずないじゃん。」

「そうかも知れないけど、晩はどうするんだよ?晩はこの方法、使えないよ。」

「それは後で考える事!」

「…………。」


 橋本に、反省する気は全くない。…危険だ。『思いついたら即行動』…。このパターンに僕は、散々苦しめられている。そして橋本は、根本的な問題に気付いていない。修学旅行に浮かれ気味なのか?昨日今日の行動に不安を感じる。


「井上君…靴も履いていない…。」


 橋本が、僕を見て呟く。彼女の準備は万端だった。実習用のスキーウェアを着ていて、靴も履いていた。それに引き換え、僕は学校のジャージだけ。防寒具も着ていなければ、靴も履いていない。そりゃそうだ。僕は、窓から落ちただけなのだ。何の準備もしていない。


 もう1度橋本を叱る。理由は幾つもあった。先ずは、僕に準備の時間を与えるべきだった事。これに対して橋本は、勝手に飛び降りたと反論した。


(………。)


 確かに、勝手に落ちたのはこの僕だ。でもそれは、彼女を心配して起こった事故なのだ。この反論はやり切れない。

 次に、冒険に出るなら無茶をしない事。僕の怪我なら良いけど、彼女が怪我をする事は避けたい。これに対しては素直に頷き、『ありがとう』と言ってくれた。

 そして最後だ。それは窓から飛び降りた事。これは全く意味がない。帰りは玄関から戻れば良いと言うけど、そうするくらいなら出発も玄関を利用すれば良いのである。


「あっ…そっか…。へへへっ!」


 橋本が、初めて反省の色を示す。だけど白々しい。心配になる。彼女が持つ冷静さが、今日は見当たらない。


「………。着替えて来る。ちょっと待ってて。」


 溜め息交じりに立ち上がり、僕は正面玄関に向かった。



「お待たせ…。」


 数分後、万全の準備をして窓の下に向かう。この間、誰にみつかる事もなかった。


「非常口…。鍵、掛かってない。」


 ここに来る際、非常口が開閉可能かどうかを調べた。開いたので、そこから外に出てここに足を運んだ。問題は、晩に見張りの先生がいるかどうかだ。可能性は高い。


「で、どうするの?」


 痺れを切らした橋本が、冒険のスタートを催促する。…反省するつもりは、本当にないらしい。


「………。体育館の裏、探ってみる。」


 僕は拗ねていた。短い言葉で淡々と返事をし、口を尖らせていた。だけど橋本に反応はない。僕がどれだけ心配したか、分かってくれていない。


「なるほど…そうしよ!」


 元気過ぎる。訓練の時よりもテンションが高い。妖精に興味を持ち始めたのか、『冒険』と言う行動に舞い上がったのか、修学旅行にテンションが上がっているのか…。

 修学旅行のせいなら、今の橋本は間違っている。実習に参加せず冒険に出るのは、本末転倒な話である。他の理由だったなら…それは嬉しい。新しい仲間が出来た。そんな気がした。




「人気がいない場所にいて…そこで蒼い光を発しているのね…?」


 体育館の周辺には、白い帽子を被った木々が生い茂っていた。そこで妖精の挨拶を探す。木々の間を潜り抜ける度に枝が揺れ、橋本は、降ってもいない雪を頭に被っていた。


「………。」


 その姿を見て僕は、必ず妖精に出会える気がした。

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