二十六、母親

 リルは昔から俺の隣の家に住んでいる。家族は両親と妹。幼い頃に流行り病に母を連れて行かれ、親父とふたり暮らしの俺からするとそういうところはちょっぴりうらやましく思う。本当にたまにだけど。

「まあまあ! ずいぶんと久しぶりね、ソラくん!」

「あ、はい。お久しぶりです」

 出迎えてくれたのはリルの母親。明るく朗らかな人で、母を亡くした俺を何かと気遣ってくれる。ただしその代わりとしてなのか、俺がリルの面倒を見ることを当然視している気もするが。

「ちょっと待っててね、すぐに準備するから」

 ぱたぱたとせわしなく、しかし楽しそうに食事の用意にかかった。もちろん他の人は先に食べ終えているのだから料理自体はできている。用意といっても少し温めるくらいだ。

 俺とリルが向かい合うように座った食卓には、ほどなくして大きな皿が乗った。その隣にはやはりたくさんのパンが並べられた。

「多めに作っておいたけど足りないかしら。ソラくんよく食べるでしょう? 遠慮しないでね」

 山のように盛り付けられた食事を前に、俺は苦笑いを漏らした。食べ切れないということはないだろうが、絶対に少なくはない。

「いえ、ありがとうございます。大丈夫です」

 少し遅めの昼食は、先ほどまでの冒険がもたらした空腹を満たすのに申し分ないものとなった。というか十分すぎて夕食が入るかどうか心配になるほどだった。普段から昼食は軽めに済ますのが常だ。満腹になるほど食べたのはいつ以来だろう。

「ほら、頬に付いてるぞ」

 ほぼ同時に食べ終えたリルの、右の頬に跳ね飛んだそれを指で拭ってなめる。

「ん、ありがと」

 まったく、どうもリルといると世話を焼いてしまう。習慣化してしまった今となっては逃れられない定めとでも呼ぶべきか。

 食器を下げに来たリルの母が、そんな俺たちを見てくすりと笑った。

「いつもリルの面倒を見てくれて助かるわ~。本当、ソラくんは絶対いいお嫁さんになるわよ」

 その冗談に俺は吹き出した。それから盛大にむせて、あまりにも苦しそうだったのか心配されてしまった。

「お嫁さんも何も、俺たちには浮いた話ひとつないんだからそんな将来のことなんてわかりませんって」

 ようやく話せるようになって、俺はそう返した。いつもふたりで一緒にいるが、全然そういう話は聞かない。

「あらそうなの。でも人生はなるようになるものだから、きっとちゃんとした未来が用意されてるわよ」

 なんだか慰められたのか。いや逆に結婚できなくても大丈夫という意味か。そのどちらなのか、はかりかねて反応に困っているうちに行ってしまった。

「僕はソラがいれば別に結婚なんかしなくていいと思ってるけどね~」

 リル、冗談なのか本気なのかわからないし、笑えないからやめような。一生独り身とか想像しただけで寒気がする。

「んなこと言ってもいつまでも一緒にいられるわけじゃないだろ。もうすぐ卒業なんだし、そしたらもう別々じゃんか」

 リルが何の職に就くのかは知らないが、どんな職でも徒弟になれば住み込みだ。街のどこかにいるとはいえ出会う機会は激減するだろう。

「うーんそっか、そうだよね……」

 珍しく気落ちするリル。

「まあそうなっても親友であることには変わりないからさ、いつでも頼ってくれていいぞ」

「ねぇ、ソラはもう来年どうするか決めたの?」

「ああ、親父に弟子入りしようと思ってる」

「じゃあ僕もソラの親父さんのところに弟子入りすれば一緒にいられる……」

「いやリルが鍛冶屋なんて似合わないだろ」

 それに、そんな理由で徒弟になられたんじゃたまらない。親父も許さないだろう。

「リルにも俺から離れるときが来るのか。なんだか感慨深いものがあるな」

「えぇ、まだ頼りっぱなしでいたいのに」

「っ、お前なあ……」

 いくらなんでも本音をぶっちゃけすぎである。せっかくのしみじみした雰囲気が台無しだ。

「さてと、それじゃまたな」

 立ち上がって別れを告げる。腹ももう落ち着いてきたし、あんまり長居するのもよくない。

「そうだソラ、明日もダンジョンに行きたいんだけど」

「うぇえ、なんでそんなに熱心なんだよ」

 俺はリルに聞こえるか聞こえないかの微妙な大きさで悪態をついた。

「わかった。明日も同じように朝からなのか?」

「うん、午前中の方がすいてるからいいと思って」

 まあ一理あるな。浅い階層だと人が多すぎて魔物が出てこないことも珍しくない。するとせっかくダンジョンに潜ったのに手ぶらで戻ることになるのだ。

「じゃあ明日の朝、〈門〉の前に集合、だな」

 約束を取り決めて、俺はリルの家を出た。外に出ると、まだ空高い日がまぶしく光っている。

「ったく、さんざんな休暇だったな……」

 出会ったばかりの少年とともに〈主〉と戦ったり、生まれて初めて他の街に足を踏み入れたり。俺はただ平穏な日々を送りたかったのに、いったいどうしてこうなった。

「まあ、でも楽しくなかったって言えばうそになるかな」

 誰にも聞かれないように、俺は小さくひとりごちる。冒険者ってのも案外悪くない職かもしれない。なるつもりはないけど。

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