二十三、家路

 ラトラに着いて四日目の昼前、朝から出かけていたポーラさんが戻って来て俺たちを呼んだ。今日で短い旅が終わるのだ。

「それじゃあリル、忘れ物はないか? しっかり確認するんだぞ?」

「そんなのわかってるって。子どもじゃないんだから」

「……リル、あれは?」

「あーっ! 僕の本! 忘れるところだった!」

 全く、相変わらずのおっちょこちょいである。毛布の陰に隠れた本を無事回収し、俺たちは部屋を出た。表で馬車を待たせているのだからのんびりしてはいられない。階段を下りるとちょうど店主と鉢合わせした。

「おっちゃん、ありがとうございました! また来れたらここに泊まりたいです!」

「おうよ。待ってるぜ」

 重たい荷物を抱えた店主が、口元に笑みを浮かべて答えてくれた。なかなかラトラに来る機会はないと思うけど、一体いつになるだろうか。

 宿屋の扉を開けて、俺たちは表へ飛び出した。太陽がまぶしいくらいに輝いている。

「リルくんソラくん、用意はいいかな? やり残したことがあっても今だったらまだ間に合うけど」

「いえ、大丈夫です。ほらリル、早く乗れ!」

「うーんそうか。わかった。それなら出発しよう」

 ポーラさんがゆっくりと馬車を発進させて、俺たちは三泊お世話になった「跳ねる蛙亭」を後にした。

「ラトラはどうだったかな? ふたりとも初めてなんだからいろいろと面白かったんじゃないか?」

「そうですね、街全体が市場みたいにいつも活気があって、それが一番面白かったですかね」

「僕は海が一番楽しかった! ソラと遊べて大満足!」

「ほほう、海にも行けたみたいだね」

「あ、はい。おとといはポルトまで行って、海を見て来ました」

「そうかそうか。驚いたかな?」

「はい、そりゃまあ、それなりに」

 ポーラさんは朝から晩まで買い付けだの売却だのでほとんど宿にはおらず、顔を会わせることすらほとんどなかった。

 だから滞在中のことを話せば話題は尽きない。俺はラトラで見たさまざまなものや出来事を話し、それについて教えてもらった。

 馬車は門をくぐり、来た道を戻り始めた。たった三泊だったが、段々と遠ざかっていく街を眺めるとなんだか胸に来るものがある。生まれ育った街を離れるという非日常は、振り返ってみればほんの一瞬でしかなかったようにさえ感じられた。

「ポーラさんは普段からこの区間を往復してるんですか?」

 ラトラが遠くにかすみ、俺たちの話題もラトラを離れた頃、俺はポーラさんにそう聞いた。

「いや、そうとも限らないね。どこで商売するかは季節とか状況によっても変わるから」

 例えばポルトで大漁なら、当然ながら値段は下がる。それを他に持っていって高く売れれば儲かったことになる。逆に不漁のときに高く買ってしまえば、それをさらに高く売るのは難しい。

「私たち商人は売りたい人と買いたい人をつないでいるんだ。どうやったらもっとうまくたくさんの要求に応えられるか、を追及するんだよ」

 商人とこんなに話すのは、おそらく人生初だろうと思う。だからだろうか、自分の中の商人に対する印象がずいぶんと書き換えられていくのを感じる。守銭奴とか旅好きとか、全然そういう単純なもんじゃなかった。

「ポーラさん、ポーラさんが商人でよかったと思うのはどんなときですか?」

 ポーラさんにとっては予想外の質問だったのか少しきょとんとしたが、おもむろに話し出した。

「……そうだなあ、私の運んだ商品が、街のあちこちへ売りさばかれていって、そしてその商品を手にした人の笑顔が見れたら、たぶん商人でよかったって思うんじゃないかな」

 ポーラさんは人当たりはいいけれど、どこか打算的で自分の利益にならないことには興味を湧かせないと思っていた。けれどポーラさんは真面目な顔でこんなことも言うのだ。意外っちゃあ意外だなと思った。

 爽やかな風が吹いてきた。ぽつんぽつんと生えた木々が揺れる。

「そうだ。そろそろ報酬を渡さないとな」

 ポーラさんが思い立ったように言った。それから懐をごそごそと漁り、銀貨を取り出す。

「報酬の二十五枚から宿代の十二枚を引いて、十三枚」

 差し出された銀貨をリルが両手で受け取った。リルはそのうちの七枚を俺に分けた。あれ、折半じゃないのか?

「ラトラにいた間の出費が、ソラの方が多かったからさ」

 ためらっているとリルがそう説明し、ああそういうことかと俺は一応納得した。そういえばいくつか奢ったものがあったな。

 当然ながら復路も往路と同じくらいの時間がかかって、辺りが暗くなった頃にようやく俺たちはエルトにたどり着いた。

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