二十二、昔話

 老爺の家は海岸からすぐ近くの、ポルトの外れにある粗末な小屋だった。

「さてと、水じゃ。少し先の貯水槽からの汲み置きだがね。水道ができてずいぶん楽になったが、昔は長いことかけて水を汲みに行ったもんじゃのう」

 老爺は俺たちに椀を差し出し、水を勧めた。

「ありがとうございます。失礼ですが、あなたは誰なのですか?」

「わしか? わしはただの年老いた漁師で、大層な者じゃあない。ん? なんで声をかけたかって? そうじゃのう、君らがわしの祖父から聞いた話に出てくる青年たちとよく似ておったから、ついな」

「それで、それはどんな話なの?」

「それが変わった話での、西から来たふたりの青年が――君らのように剣士と魔法使いのふたり組だったんじゃが――ここの海岸に来ていたんじゃ。そこで運悪く大地震にあってな、もちろん地震自体でも街にはかなりの被害が出たんじゃが、加えて大きな津波が起きての。この街は壊滅だと誰もが思ったんじゃ。しかしその青年が、魔法で津波を鎮めてしまった」

 大地震も津波も話に聞いたことしかないが、津波を抑えるのがどれだけ大変かは俺でもわかる。リルに至っては口をあんぐりと開けて驚いていた。

「それに立ち会ったのが、わしの九代前じゃ。この話は代々語り継がれていてな」

 ざっと計算して二百年以上はあるだろうか。ちょうどエルトが建国された時期ぐらいか。

「わしの先祖はその魔法使いを家に入れて休ませたのじゃが、彼はそれ以上感謝されようともせず、さっさと街を立ち去ってしまったと聞いておる」

 少し、心当たりがあった。それほどの魔法使い、約二百年前、そしておそらくエルトに関わっている。

「お爺さん、もしかしてその魔法使いの名前はイーゼスでしたか?」

「おおそうじゃ。なんだ知っとるのか」

 やはりか。エルトを建国した魔法使い、カトラ・イーゼスは天才的な魔法使いだったと伝わる。彼ならば、津波を止めても不思議ではない。

「俺たちはエルトから来たんですけど、エルトはその魔法使いによって建国されたんです」

「ほほう、そうか、そのような有名人なのじゃな」

 有名人もなにも、エルトでは歴史上で最も偉大な人物だ。エルトを造り、制度を整え、現在までエルトにその名を知らない者はいない。

「まさかこんなところであの名前を聞くとは思わなかったなあ」

 老爺の家をおいとましてから、俺はそうひとりごちた。結局昼食までごちそうになってしまい、俺は始終恐縮してしまった。ちなみに出された料理は漁師らしい豪快な魚料理で、川魚しか食べたことのない俺たちにとっては初めて食べる海魚になった。

「そうだね、エルト以外だと特に有名じゃないって思ってたからね」

 国の運営には尽力したものの、イーゼスは存命中他国との交流を避け続けた。交渉にも自分は出ず、常に他の者を立てて応じていた。そんな国内ひきこもり魔法使いであるイーゼスがポルトまで来て津波を鎮めていたというのは初耳で、俺たちに少なからぬ衝撃を与えた。

「でもやっぱりすごい魔法使いだったんだなあ。津波を止めるなんてさ」

 街の端から端まででも押し寄せる水の量は膨大なものになるだろう。その全てを操作するなんて凡人になせる業じゃない。まさに伝説の魔法使い、といったところだ。

 まだ日は高かったが、ぼちぼちラトラに向かおうか、ということになった。暗くなってから歩き回って、厄介事に巻き込まれてもつまらない。治安はさほど悪くないとはいえ、やはり勝手知ったる我が街とは違うのだ。危険なことは極力避けたい。

 ポルトは商港と漁港を兼ねた街である。イートリアにはポルト以外にも北にノクト、南にアレストという名の二つの港街があり、この三つの港の間を商船が頻繁に行き来すると聞く。馬車とは比べものにならないほど大量の商品を運ぶことのできる船は、イートリアの主要な運輸方法だ。

 一方でポルトで水揚げされる海産物は、ポルトやラトラで消費されるのはもちろん干物や塩蔵に加工されて流通し、一部は貴重品としてエルトにも届く。

 漁船から揚がったばかりの魚たちが、次々と買い付けに来た商人の手に渡っていく。港は目まぐるしいほどせわしない。

「ソラ、あれ何?」

「ん? ああ巻き貝の一種だろう。海で採れるんだ」

 ぐるぐるとねじられたような殻を見てリルが尋ねた。確かに河にはあまり貝はいなかったな。

「ふうん、変なの」

「生で食べるんだな。試してみるか?」

 俺たちの目の前で、ひとりの商人が数枚の銅貨を支払って貝を手にし、素早く中身を吸い出して食べた。

「いや、いいや」

 リルは恐ろしいものでも見たかのように身震いすると、急ぎ足で立ち去ろうとした。俺はそれほど抵抗はないが、エルトでは食材を生で食べる習慣はあまり一般的ではない。野菜はともかく、肉や魚は必ず加熱調理を経て食卓に並ぶ。

 リルを追いかけつつふと空に目をやると、頭でっかちな大きな雲が俺たちに覆い被さるように立ち上がっている。

「ちょっと雲行き怪しいかな。どう思う、リル」

「うん、そうだね。急いで戻ろうか」

 意見が一致したので俺たちは、宿に向かって競うように走り出した。

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