十八、異国

 とっぷりと日が暮れた頃、馬車はラトラの門をくぐった。きれいに敷き詰められた石畳の上を馬車はがたごとと小刻みな音をたてて進んでいく。空はとっくのとうに深い群青に染まっているのに、等間隔に吊り下げられた街灯がまるで光の道のように俺たちの行く先を照らしていた。そして街からは活気の衰えた様子が全く感じられない。あっちでもこっちでも威勢のいい声が響き、昼間のような賑わいである。

「ポーラさん、お祭りか何かあるんですか?」

「え? いや、そういう話は聞いてないな。なんでだい?」

「だってこんなに人がいるから……」

「ははは、これが普段通りだよ。ラトラは商人の街だからね」

 それは知っているが、まさかここまでとは思っていなかった。

 リルは目を輝かせて辺りを見回している。ちょっと恥ずかしくなるくらいだが、俺もたぶん似たようなものだろう。それほど俺たちにとっては興味深いものだった。

「さてと、ここが宿だ。宿代は……、報酬から天引きするが、いいかな?」

「あ、はい、お願いします」

 馬車が止まったのは、決して豪華ではないがさっぱりと清潔そうな建物だった。「跳ねる蛙亭」と書かれた看板が下がっている。まさか野宿するわけにもいかないので、俺たちはポーラさんと一緒に泊まることにするしかなかった。

 報酬の銀貨二十五枚から二人分、三泊を引いたら……、ちょっと待て大丈夫かこれ。少し不安になる。

 手早く馬を繋ぎ、ポーラさんを先頭に宿屋に入る。名前からも想像できる通り酒場も兼ねているようで、途端に騒がしい笑い声が酒の匂いと共に溢れてきた。

「いらっしゃい! そこの商人(あきんど)さんは泊まりかい? 部屋、空いてるよ!」

「ああ、三人三泊頼みたい」

「んじゃ銀貨十八枚」

 一泊二枚!? 予想外に安くて目を丸くしてしまう。普通ならその二倍してもおかしくないだろうに。

「どうだ? いい宿屋だろう?」

 そんな俺を見て、にやっとしながらポーラさんは言った。

「私の知る限りラトラで一番安い。そのわりにきちんとした宿屋なんだな、これが」

「うちは酒場が主だからな。宿屋の方は部屋が空いてるからやってるようなもんで利益は度外視なのさ」

 店の主人が口を挟む。話し方も明るく、人柄のよさそうな男性だ。

「だから食事もしていってくれると助かる。酒もたくさん飲んでくれるなら大助かりだ!」

 ざっくばらんな金の話なのに、不思議なくらい嫌な気持ちがしない。

 ポーラさんは懐から銀貨をひとつかみ取り出し、素早く数えて支払った。

「はいよ、確かに。部屋は二階の突き当たりだ。ゆっくりしていけ」

 主人はそこまで言うと、もうずいぶん酔っ払った客の相手に戻った。

「リルくんソラくん、ここからは自由にしてくれていい。私はあすあさってと街中回って売り買いするから、日中は何をしてても構わない。街から出てもいいが、しあさっての午前中にはちゃんといるようにしてくれ」

「はい、わかりました」

 帰りも込みであの報酬なのだから、勝手な行動をするわけにはいかない。

 にしても宿代引いたら銀貨十三枚か……。予想よりは残ったけど、ちとしょぼい。でもまあ実質働いてるのは二日だけであとは自由にできるんだし、そんなに悪くないだろう。そう思うことにした。

「ソラ、食事にしようよ! 僕もうお腹減りすぎて目が回りそうだよ!」

「はいはいそうだな。それじゃ夕食にありつくとしようか」

 と、勢いよく席についたのだが、すぐにまごつくはめになった。何を頼めばいいのかわからないのだ。そもそもどんな料理があるのかわからないし、周りが食べているものは名前がわからないものばかりだった。馬車でたった一日の距離なのに、そこには大いなる断絶が存在しているように思えた。

 見かねた店主が、笑顔を浮かべながら歩いてきた。手には水を入れた杯を持っている。

「もしかしてラトラは初めてなのか? ああ、この水はただでやるよ。喉、渇いてるだろ」

「ありがとうございます。何の料理を頼めばいいのか全然わからなくて」

「正直言って全部自信あるからどれでもいいっちゃいいんだが、えーっと出身は」

「エルトです」

「酒は」

「ふたりとも飲まないです」

「ふーむ、ならおすすめは……豚丼だな。非常にラトラらしい料理だ。エルトの人にはまったく馴染みはないだろうがたぶん気に入るだろう。二人前で銀貨一枚だ。箸は扱えるか?」

「箸?」

 リルが首をかしげる。確か食事をするのに使う二本の細い棒、だったと思う。

「使えないか。んじゃ匙で食うんだな。それでいいか?」

「あ、はい!」

 しばらくして運ばれてきた料理は、なんとも言えないいい香りを漂わせていた。しかし得体の知れない料理だった。豚はエルトでも珍しくない。しかし香ばしい豚肉の下の白い粒々、見たことはないが聞いたことはある。米、だ。

 俺たちは匙を手にし、恐る恐る料理に手を伸ばした。しかしためらいがちだったその手は見る間に速度を上げ、結局最後まで休むことなく食べ続けた。

 ほぼ同時に食べ終えた俺たちは、大きなため息をついた。うまい。その感情は言葉を失わせるほどだった。

「どうだ? うまかったろう?」

 主人が自信をにじませて言った。

「うん、すごく!」

 それにリルが目を輝かせて答える。

「そりゃよかった」

 ちなみにポーラさんは別の席で酒をちびちび飲んでいた。飲みながら店主や他の客と世間話をしているらしい。

 まだ長くかかりそうだったので、俺たちは先に部屋に戻ることにした。

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