十七、馬車
結論から言うと、親父もリルの両親もすんなりと許可してくれた。親父は「おういいぞ」の一言だったし、リルの方も「ダンジョンより安全なところだったらどこ行ってもいい」と言われたらしい。逆にダンジョンより危険なところってどこだよ。
そんなこんなで俺たちは東の門に来ている。必要なものは全部まとめてもそれほど重くならなかった。俺は万が一のためにいろいろと持ってきたのだが、リルが杖とほんの少しの荷物だけを持ってやってきたときには思わず力が抜けた。もうちょっと危機感とかないものかね。
この辺りは店が建ち並ぶ商店街で、そこに訪れる人やら街に出入りする人やらでいつもごった返す。俺はひしめく人混みの中にポーラさんがいないか目を走らせていた。
あまり待たないうちに向こうから白髪混じりの頭が歩いてくるのが見えた。柔和な笑顔をして、こちらに向けて大きく手を振っている。
「ソラくんにリルくん! 許可は取れたかい?」
相変わらずの人懐っこさでそう尋ねてくる。こういう人付き合いの良さはやっぱり商人だからなのだろうか。
「はい、ふたりとも大丈夫です」
「そうか、それは良かった。んじゃあもう出られるのかな?」
日が暮れる前に着きたいんだ、とポーラさんは続け、俺たちに付いて来るように言った。まだ日もあまり高くない。今出れば十分間に合うだろう。
東の門から歩くこと数分、俺たちは商人が宿を取っているという宿屋に来ていた。そこで馬車を出し、ポーラさんは俺たちに早く乗れと告げた。馬車には商品もたくさん載っていたが、俺たちが乗れないほどではなかった。
道はさほど広くないが、馬車が通るのに苦労するということもない。道行く人は慣れたものでさっと馬車の行く手を空けてくれる。馬車はゆっくりと東の門へ向かった。
門でちょっとした検査を受け(よっぽどやばいものじゃなければ持ち込みも持ち出しも基本的に自由だ。この検査は犯罪を見つけるためのもの)、俺たちは街の外に出た。背の低い草が一面に広がる中、一筋の街道が東へと伸びている。ぶわっと強い風が吹いてきて、俺思わず目をつむった。まだ寒くはない季節だが、もう暑いというほどでもない。夏の終わりか、と俺は変にしみじみしてしまう。
ポーラさんもリルも、馬さえも上機嫌なようで、馬車は何事もなく進んで行った。ポーラさんは商人らしくいろいろな話をしてくれた。中でも一番面白かったのは「海」の話だった。イートリアは海岸沿いに長く伸びた国で、海は珍しくもない。ポーラさんも何度も見たことがあるらしい。ポーラさんの話を聞きながら、俺たちは断片的な知識でしか知らない「海」を想像してみた。だけど河や池を広げても到底海にはならなくて、俺たちは始終とんちんかんな質問を繰り出した。リルが「海はどこから流れてくるのか」と言ったときにはポーラさんは笑いこけてしまい、返事ができるようになるまでしばらく待たなくてはならなかった。
「まあ、ラトラから海岸まではそんなに遠くないんだし、行ってみるといいよ。私も初めて海を見たときは感動したなあ」
へぇ、そんなものなのだろうか。いくら水があったって感動できるとは思えないけど。息を切らしてポーラさんは言ったが、俺は半信半疑だった。
ほどなくして河と関所が見えた。この河が国境になっていて、ここを越えればイートリアである。
河にかかる橋は馬車がゆうにすれ違えるほど広い。向こう岸にイートリアの入国手続きをする役人がいて、あまり人も来ないのだろうか、のんびりした様子で手続きを始めた。
河は緩やかに流れ、水面がきらきらと日の光を反射する。一尾の魚が、しきりに苔の付いた岩をつついていた。そこに一羽の鳥が、さっと舞い降りてくちばしでその魚を引っ掴む。やがて魚はぐったりとその身を垂らした。
役人は積み荷を検分し、通行料を算出してポーラさんに請求した。積み荷の種類によってはかなりがっぽり取られるのだとポーラさんは後で教えてくれた。
関所を過ぎて、馬車はまた前と同じようにゆったりと進み始めた。まだ関所が後ろに見えるうちにポーラさんがぱさぱさのパンを俺たちに寄越した。昼食ということらしい。
大金を扱う割りに粗末だな、と思った。それから商人は皆そんなものだと思い直した。金遣いの荒い商人なんているはずがない。
「ポーラさんはなんで商人になろうと思ったんですか?」
もぐもぐと乾いたパンを噛みしめながら質問をした。
「そうだなぁ、小さいころから商人じみたことをやってたんだ。もちろんひとりで旅できるわけはなくて、近所で売ったり買ったりしてわずかな利益をあげていた。自分で言うのもなんだけど結構うまくいっていた。それで、私には兄がいたから自分は気ままに家を飛び出せたってわけだ」
「えっと、故郷は……」
「ん、ああ、イートリアの北の港街、ノクトだよ。いいところだ。ただし冬は雪しかない街になるがね」
エルトでも雪は降るが、積もることは滅多にない。俺は真っ白な雪に埋もれた街並みを思い浮かべていた。
馬が啼いた。
明確に警告の意を告げるその啼き声に、瞬時に緊張が走る。
河を渡ってから、次第に周囲には樹が立ち並ぶようになっていた。その木々の間から、数頭の狼がこちらをじっと見ている。
「ポーラさん!」
「大丈夫だ。何もしなければ襲われることはない。ただ、繁殖期が近いからな、それが心配だ」
そう言ってポーラさんはリルに手招きをした。
「リルくん、大きな音は出せるかい?」
「ええっと、うん、できると思う」
「よかった。それじゃ準備だけして、私が言うまで鳴らさないでいてくれ」
馬車はもうすでに獣たちの横を過ぎ去ろうとしていた。リルが詠唱を始める。このまま通り抜けられるんじゃないかという甘い期待がよぎるが、同時に滑るように狼が走り出す。
「ちっ、もう繁殖期に入ったのか?」
繁殖期には警戒心も敵愾心も普段とは比べものにならないほど高まる。
それでも、やはりダンジョンの魔物とは違う。見ているとはっきりわかるが、いくら攻撃的になっていても魔物のように「異常」だと思うことはない。
リルの詠唱が終わった。ポーラさんはためらっていたが、追いつかれるのが確実だと判断して言った。
「リルくん、頼んだ!」
「みんな、耳ふさいで――! 〈クラップ〉!」
ぱぁん、と乾いた音が鳴り響いた。びりびりと空気が震える。狼たちは怖じけづいたように足を止めると、くるりと身をひるがえして戻っていった。
馬も軽く恐慌状態に陥っていたが、ポーラさんが撫でると少し落ち着いた。
リルが何か不思議そうに首をかしげた。
「どうかしたのか?」
「うーん、いや気のせいだと思うんだけど、魔法が使いにくい。まるで雲を掴んでるみたいだ」
たとえがよくわからないが、ここしばらく冒険にも行かず、あまり使っていなかったからだろうか。あいまいにそんなことを言っているうちに、また馬車はラトラに向けて歩き出した。
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