十九、月夜
「そういえばリルと同じ場所で眠るのって久しぶりだな」
「そうだね、最後がいつだったか覚えてないや」
軽い木の扉を開けると、部屋の暗闇に光が差し込んだ。
「リル、あれに火つけてくれ」
天井にぶら下がった明かりを指差す。こういうとき魔法は便利だ。
「えー、それくらい自分でやればいいのに。結構疲れるんだからなー」
リルはぶつくさ言いつつもぼそぼそと詠唱を始めた。リルの詠唱をゆっくり聞けるのは珍しい。しかしその内容はあまり理解できなかった。もう少し真面目に授業を受けておけばよかったかもしれない。
「〈ファイア〉」
リルが杖を上げると、ぼぅっと小さな炎が燃え上がった。
「お見事。ずいぶんうまくなったんじゃないか?」
「この杖のおかげで制御が楽なんだ。威力の調整も位置の調整もかなり思い通りにいくからさ」
「へぇ、そんなに違うものなのか」
誇らしげに杖を掲げるリルを眺める。だったらいい買い物をしたんだな。
部屋には一段高くなっただけの簡素な寝床と数枚の毛布、木でできた窓、それからさっき火をつけた明かりがあった。特別何かすごいものがあるわけではないが、銀貨二枚でこれなら大満足だ。
「あの豚丼……、うまかったなぁ」
ごろりと横になり、天井を眺めてぽつりと言う。
「ラトラでは米が主食なんだっけ?」
リルが隣に腰を下ろしながら聞く。
「えーっと、ここより南は米、北はエルトと同じで麦が主食だったような。ちょうど間ぐらいなんだな」
ラトラでは各地から来た人が思い思いに取り引きをする。だから当然いろいろな文化が混ざり合う。
北の豚と南の米が出会って、あの料理になった。店の主人が言ってた「ラトラらしい」ってのはそういう意味だったのか。
「話には聞いてたけど面白い街だよな、ラトラって」
「うん、確かに」
そう答えつつ、リルは少ない荷物から一冊の本を取り出した。書名は『よくわかる魔法・基礎編・その三』、魔法の教科書だ。そんなもの持って来てたのかよ。
「練習するのか?」
「うん、日課だから」
日課……って魔法使えるようになってまだ二十日くらいしか経ってないだろうに。適応力高いな。
「ソラが見てくれるなら張り切っちゃうなあ。ちょっと難しいやつやろうか」
ぱらぱらと本をめくりながら、リルが楽しそうにつぶやく。
「それじゃ〈連結〉の練習をしよう!」
〈連結〉? なんだそりゃ。これまで魔法に全然興味がなかった人間としては馴染みがない。
「単純な魔法をつなげて複雑な効果を起こすの。次々〈連結〉させていくのは面白いけど気が散ったら大変なことになるんだ」
「なんか非常に不安になる説明だな。んで、できるのか?」
「ふふん。まだ練習してる段階だけど、三つまではいける」
リルが言うにはやり方は二種類あるらしい。先に個々の魔法を唱えてからつなげるのと、発動させながら順番に唱えていく手法だ。
「順番に発動させる方ができるとね、三つどころじゃないくらいつなげられるんだけど。なにしろ速度が要求されるし、集中切れたらまずいからさ」
最終確認が終わったのか、リルは詠唱を始めた。雑念を湧かせてはならないと、俺はみじろぎもしないようにした。
いつもより長い詠唱が終わると、リルは小さく息を吐いた。
「僕が同時に保持してられる魔法は三つが限度でさ、今は三つ留めてる」
魔法の原動力は精神力、というか思考力だ。それを三分割しているのだから簡単なわけがない。俺は無言でうなずく。
「〈ファイア〉〈フリーズ〉〈シュート〉」
リルがそう宣言すると、空中に燃え上がった炎は見る間に固まり、間髪入れずに壁に突き刺さった。
「おお、すげー。そんなこともできるのか」
「えへへ……」
褒められてまんざらでもない表情のリル。本当にここ最近のリルの変化はものすごいな。俺は素直に感服していた。しかしそのとき、俺の耳がかすかな音を捉えた。不吉な予感とともに目を泳がせる。
「リル! 燃えてるって!」
俺が指差した先では、固化が解けた炎が壁を舐め始めていた。
「え!? ほんとだ!」
リルが慌てて魔法を唱える。水を出すのだろう。
「それじゃ遅い!」
毛布をひっつかんで押し当てる。壁も毛布もさほど焦げないうちに火は消し止められた。
「ふう。危なかったな」
火事にでもなったら笑えない。この建物もそうだが、ラトラには木造建築が多いのだ。
「うわっ、君たち何やってるんだ!?」
ちょうどそのとき上がってきたポーラさんが、焦げた臭いを嗅ぎ付けて声を上げた。換気のために急いで開け放した窓の向こうには、きれいな満月が浮かんでいた。
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