三、炎
ずきずきした全身の痛みで目を覚ました。一面に瓦礫が広がり、天井にぽっかりと開いた穴が見える。さっきまであそこにいて、出口は目前だったのだ。今はまた遠ざかってしまったが。
「おーい、リル? どこにいるんだ?」
リルを呼んでみる。どこかに行ったのだろうか。
正確な時刻はわからないが、まだ〈魔光石〉が明るくなっていないからそれほど経ってはいないのだろう。第一階層から落下して現在いるのは第二階層。地上に戻るのは大変そうだ。
ダンジョンには崩落でできた縦穴が無数にあって、冒険者もまれに崩落に巻き込まれることがあるのだ。
このまま行けばそのうち全部底が抜けて繋がっちまうんじゃねぇか。そんな様子を想像してちょっと吹き出した。
「ソラ~! 起きた?」
向こうにリルが見えた。案外元気そうだ。
「リル、体は大丈夫か?」
「あ、うん。落ちたときソラが下敷きになって……」
「それは良かった……、良かった?」
リルが無事だったのはいいのだが複雑な心境だ。
「とにかく、上に上がれる階段が作られてるはずだからそれを探そう。一階層下に降りたわけだから用心しろよな」
より深い階層ではより凶悪な魔物が出没する。現在到達して戻って来られた最深部、第四十階層辺りでは魔物の大きさは人間の何十倍にもなり強力な魔法も扱うらしい。ダンジョン深部は上層とは異なる部分も多く、常識はずれのことが頻発すると聞く。
そろそろと不安定な足場を降りて歩き出す。幸い骨は折れていないようだ。
「そういやさあ、リルは武器って持ってんのか?」
「一応、短剣を一本」
扱い易さから言ったらそっちの方がいいかもしれないな。護身には向いているだろう。
「でもさ、もうこんな無茶するなよ? 俺がいなかったらどうなってたかわかんねぇじゃねぇか」
相変わらず俺に守られてばっかりだなぁ、とは続けられなかった。背後で小さな音がしたかと思うと脇腹に強烈な衝撃が来た。状況を理解できないまま俺はぶっ飛ばされた。地面に叩きつけられ、あまりの激痛に頭が朦朧とする。いつの間にか背後に忍び寄られていたのだ。コボルト――二足歩行をし、棍棒などの武器を使う狗頭の亜人。知識は浮かんでも体が動かない。
コボルトはこちらを一瞥すると、くるっと向きを変えてリルと向かい合った。奇襲で主力を無力化し、戦力を大幅に下げる。やばい、早く助けないと……。
痛みをこらえながらリルに目をやる。また竦んでいるのだろうか。
コボルトもリルも身動きしない。けれどリルの表情はさっきとは違っていた。その顔に浮かんでいるものは恐怖ではない。怒りだった。
リル、と声に出そうとして声にならなかった。息を吸うだけでも苦しい。
沈黙に堪えかねたコボルトが動いた。棍棒を振り上げ、狙いを定める。
その瞬間、リルはさっと手を動かし叫んだ――。
「〈ブレイズ〉!」
爆発に近いような炎が、コボルトの顔面に炸裂した。火はすぐに全身に燃え広がり、コボルトの毛皮は赤い炎に包まれた。コボルトはのたうち回って火を消そうとしたがその努力もむなしく、辺りには肉の焼ける臭いが立ち込めた。やがて息絶えたコボルトはぐったりと地面に横たわった。
俺は痛みすら忘れて呆然としていた。リルはしゃがみ込み、しばらくそうしていたが急にふっと糸が切れたように倒れた。慌てて駆け寄って調べてみると単に眠っているだけのようだ。俺はひとまず安心したが、同時にここに長くいることが良い結果をもたらさないことも理解していた。一刻も早く、ここを立ち去る必要がある。
俺はリルを背負って一歩踏み出した。胸の痛みは突き刺すように繰り返し繰り返しずきずきと俺を苛んだ。辺りが段々明るくなってきた。もうすぐ夜明け頃なのだ。
霞む視界の先に、巨大な柱が見えた。それに巻き付くような階段を認め、俺は少し安堵した。あれで上の階層へ上がれるだろう。もう体は限界に近く、今立っていられるのが不思議なくらいだった。
階段の一段目に足を乗せたとき、リルの意識が戻った。
「あ、ソラ……。さっきのやつは……?」
「もういない。今第一階層に戻るところ」
「そっか……、良かった」
それだけ言うとリルはまた眠りに入った。
一体これはどういうことなのか。リル、お前確か魔法は全く使えなかったよなぁ。それなのにあれだけの威力を持った魔法を発動させた。今リルが眠っているのはその反動のようなものなのだろうか。
階段を登りきったところに年配の冒険者がひとり立っていた。まだ若い少年が朝っぱらからぼろぼろになって、しかも人を背負っているとあって相当に驚いたようだ。
俺が出口、とだけぼそっと言うとすぐに指差して教えてくれ、ついでに何かの魔法を掛けてくれた。何だったのかはわからなかったがほんの少し痛みが引いた。脱出用の転送魔法陣はすぐ近くにあって、俺はそれに乗ってつぶやいた。
「レイス・ソラとアーキア・リル」
行きと同じ、振り回されるような転送のあと、俺たちはあの扉の前の広場に立っていた。ちょうど朝焼けに燃える赤い空が、東から少しずつ白んでいく頃だった。
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