二、闇夜

 ちらちらと動く光を感じてぼんやり目を覚ました。最初は親父が帰ってきたのかと思ったがよく見ると光は家の外から入っていて、それはもうあらかた家の前を通り過ぎていた。

 なんだ通行人か、と思って再び寝ようとしたのだが、なんとなく嫌な予感がして俺は立ち上がった。食事はそのまま残っていた。親父はまだ帰っていないようだ。ゆっくりと窓に近寄り、通り過ぎた人影に目を凝らす。

 小柄な体型、闇に溶けるような黒髪、どう見てもそれはリルだった。

 あいつこんな時間に何やってるんだ? もうかなり夜も更け、街の明かりも所々に残るのみである。

 不思議に思って俺は追い掛けようとしたが、ふと頭の中を最悪の事態をよぎって使い慣れた剣とさっきのパン、森に出かけるとき用の細々したものを引っ掴んだ。予感が、当たっていなければいいのだが。

 リルは真っ直ぐに街の中心部へと向かっていく。俺はそのランタンの明かりを目指して走った。ひとつ言っておくと俺は足が遅い。一方のリルは走るのも歩くのも並の人より速い。準備に手間取ってる間に離された距離はなかなか縮まらなかった。

 街の中心、塔の真下まで追いかけて、ようやくリルは立ち止まった。息を切らして追いついた俺は、予感が正しかったことを確信した。リルはあの扉の前に立ち、言葉を発していた。

「アーキア・リル、ダンジョンへの立ち入りを望む」

 俺は叫んだ。リルがこちらを振り向いて驚いたような顔をした。何か言う暇もなく、発動した転送魔法がリルを跡形もなく消し去った。

 俺は稲妻の如く扉に駆け寄って叫んだ。

「レイス・ソラ、ダンジョンへの立ち入りを望む!」

 生まれて初めての転送魔法の気分は最悪だった。痛みはないが振り回されているような感覚。立っているのがやっとだったが、薄暗いがらんとした場所にいることがわかった。

 ダンジョンに入った人を記録する目的で、入るときには名乗る必要がある。幾度も目にしたことのある風景だが、自分が実際にやることになるとは思わなかった。転送直後の混乱を避けるため転送魔法の転送先は毎回変わる。なるべく人も魔物もいない場所が選ばれるらしい。

 ということは今、リルと俺は離れ離れということだ。勢い込んでダンジョンに入ったことを早くも後悔し始めた。

 でも放っておいたらあいつ絶対に帰って来られないよな。何が何でもあいつを見つけて連れ出さないと。そう思い返して意識を集中させる。

 俺の特技は耳の良さ。集中すれば足音から大体の距離とか方向とかわかる。リルの歩き方は覚えてるので聞けば恐らく判別できるのだが……。

 音が反響しまくっていてはっきりしない。だけど多分ここから右に少し行ったところにひとりいるな。

 警戒を続けながら走り出す。それほど遠くはないはずだ。呼んでみようかとも一瞬考えたが、余計なものまで寄って来ても困る。

 いや、呼ばなくても寄ってくるようだ。自分の足音、リルの足音に混じって別の音が聞こえる。人間のものではない――四つ足の魔物だ。第一階層の魔物……ハウンドだろうか。跳躍力が強く、飛び付いたら離れない。懐に入られて動揺しているうちになすすべもなく噛みちぎられる。俺は足を速めた。

 前方にリルが見えた。壁際に座り込んでいる。同時に左手にハウンドが見えた。リルは確実に気付いているはずだが、身動きすらしない。

 まずいな。あいつ、竦んでんのか。

 ハウンドが止まった。リルとの距離はもう数歩もない。一跳びで詰められる距離だ。ハウンドが脚に力を入れた。

「リル! 避けろ!」

 気付けば叫んでいた。リルははっとした様子で横に転がり、間一髪で跳び掛かってきたものを避けた。

 唸り声を上げて体勢を整えるハウンドに、俺は走り込んだ勢いそのままに剣を突き刺した。背中から体内を貫通し心臓を貫いた刃はハウンドを即死させた。

 俺は血糊を拭いて、ゆっくりと剣をしまう。

「ソラ……」

「バカかお前は! 何で夜中にダンジョンなんかに行ってんだよ!」

 昼間なら他の冒険者に助けられる確率も高かろうが、真夜中ではその望みも薄い。加えてダンジョンにも昼夜がある。もちろん地下なので太陽の光は入らないが、至るところにある〈魔光石〉が地上とほぼ同じ周期の明暗の変化を生み出しているのだ。夜行性の魔物にはたちの悪いやつが多い。

「だって昼間に行こうとしたら止められるじゃん」

「だからって夜中にひとりでダンジョン潜るって正気の沙汰じゃないからな! 死にに行くようなもんだからな!」

 ひとしきり怒ってから俺はリルにパンを渡した。

「ほら、それ食ったら上に戻るぞ」

「はーい」

 今ダンジョンのどの辺りにいるのか定かではないが、この階層のどこかに脱出用の転送陣があるはずだ。確かそう習った。

 ダンジョン学基礎、取っといて良かった……。これまでは絶対役に立たないだろうって思ってたけど。

 リルが食べ終わったのを見て俺は立ち上がった。俺の方もちょうどハウンドの皮を剥ぎ終わったところで、あとは死骸を埋めるだけだ。小さな穴を掘って血生臭い死骸を中に置いた。手を合わせ、少し祈ってから土を掛けた。ハウンドの肉は臭いがきつく足が早い。残念ながら食用には向かないのだ。

 よく考えたら食べる目的以外で大きな動物を殺したのはこれが初めてかもしれない。魔物とはいえ残酷なことをしたものだ。

 でもこちとら襲われてたんだから悠長なこと言ってられない。ダンジョンとはそういう場所なのだ。

「それじゃリル、出口を探すんだけどどっちにありそう?」

「うーんとね、僕の勘に言わせると、左かな」

 リルはランタンを周囲にぐるっと回してそう言った。思考回路は多少抜けているが、リルの直感はよく当たる。

 しばらく歩くと遠くに〈魔光石〉とは違う人工的な明かりが見えた。多分あそこから外に出られるのだろう。

 少し油断していた。地面がおかしいことに気付かなかったのだ。ダンジョン内では常に気にしなくてはならないことをすっかり忘れていた。

 地面が振動を始めた。土埃を舞い上げ低い音を響かせる。俺は自分の不運を呪った、いや不注意の方を呪うべきか。下らないことを言っている余裕はない。急に足場が消え、ふっと体が軽くなる。俺は思わず叫ばずにはいられなかった。

「崩落、だぁぁあぁ!」

 意識が飛んだ。

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