第10話第十章 冥帝鬼の出現
飛音と伯父の雄一郎は、警察署に泊まることになった。夜遅いので、詳しい取り調べは明日だそうだ。このままでは鬼人講に乗り込むこともできないし、むろん冥帝鬼の出現を阻止することもできない。冥帝鬼が佐助のウスゴロの生まれ変わりと合体すると、羅刹斬でも退治できないそうだ。不死の怪物が誕生するのだ。その前に鬼人講の講主を殺さなければいけない。羅刹斬を使わずに講主を殺せば禊にはならないが、冥帝鬼の出現は阻止できるのかもしれない。
羅刹斬を使って講主を殺さなかった場合は、いずれまた冥帝鬼は出現するのだろうか。その辺りのことは霧島真知子は言ってなかった。しかし佐助のウスゴロの生まれ変わりと合体しなければ、羅刹斬で冥帝鬼も殺せるはずだ。
もしかしたら羅刹斬を使わずに講主を殺せば禊にならないから、やがてまた佐助のウスゴロの生まれ変わりが生まれるのかもしれない。そうすると冥帝鬼が出現するのは、その時まで持ち越しだろう。当面の危機は回避できるが、問題は次の世代に先送りになる。そうならないように、いま、自分の手でかたをつけたい。そう飛音は思った。
羅刹斬は警察署に保管されているのだから、なんとか羅刹斬を取り戻して、警察署から脱出できないか。しかし通路には警官が立っていて、部屋を出られない。飛音はトイレに行きたいと言ってみた。当然、警官が付いてくる。トイレの窓から逃げるとしても難しいし、できれば羅刹斬を取り返してから逃げたい。万が一、冥帝鬼が出た場合、羅刹斬が無いと戦えない。冥帝鬼は幽冥鬼より恐ろしい相手だ。どうしても羅刹斬は必要だ。
飛音は部屋に戻ると、何か方法はないかと考えた。殺人の容疑がかけられているのだから、警戒は厳しい。羅刹斬は諦めるか。だが警官に見張られていては、警察署から逃げられない。それに鬼人講に潜入するにしても、一人だけでは無茶だ。
時間だけが過ぎていく。結局、警察署から脱出できず、羅刹斬も取り返せず朝が来た。飛音は朝食を出されて、はじめて空腹に気づいた。飛音は朝食をかきこんだ。腹が満たされると、眠気が襲って来た。飛音が眠れなかったことを警官に説明すると、昼までという条件で睡眠が許された。未成年なので大目に見てくれたのだろう。
飛音は警官に起こされるまで熟睡していた。昼食を食べてから取り調べ室に入れられて、尋問が始まった。雄一郎とは別々に調べられるので不安だ。こうなったら幽冥鬼のことや鬼人講のことを説明し、羅刹斬を返してもらおう。
だが警官は幽冥鬼のことには耳をかさないし、鬼人講のことは逆に褒める始末だ。埒が明かない。刻一刻と時間が過ぎる。夜になると冥帝鬼が出現する。取り返しがつかなくなる。だが警官は飛音の言葉は取り合わない。やがて窓から夕陽が見えた。もうダメだ。しばらくして夜になった。これで狭霧嶽村はおろか、日本中の人が冥帝鬼に喰われるだろう。警官のわからず屋め。飛音は腹が立ち、机を拳でどんと叩いた。手が痛い。
「そろそろいいだろう。時間稼ぎ、ご苦労さん」
いきなり取り調べ室のドアが開いて、男が入って来た。見覚えのある顔だ。そうだ以前、家に来た係長と呼ばれていた男だ。
「警部補、いよいよ出動ですか」
「その前に、この子に説明しておこう」
この男は警部補らしい。いよいよ出動とは、どういうことだろう。警部補は飛音の前に来て椅子に座り、手に持っていたカップを飛音に差し出した。夏だというのに、湯気の立ったホットコーヒーだった。
「久しぶりだね、飛音君。冷たいコーヒーを飲ませて、下痢でもされたら困るからね。これからが大変なのに」
「なにが大変なんですか」
「飛音君。僕は鬼人講のことは十分に知っている。鬼儺式で君のお母さんが殺されたこともね」
「知ってたんですか。だったらなんで、さっさと鬼人講を捜査しないんです」
「いまから行くんだよ。君を連れてね。ちなみに幽冥鬼のことを知ってるのは警察でも、僕と僕の直属の部下だけだ。鬼人講に対しては、君のお母さんの殺人容疑で捜査令状を取った」
「幽冥鬼だけじゃないんです。今夜、冥帝鬼と言うもっと恐ろしい鬼が出現するんです。もう出現してしまったかもしれない。その冥帝鬼が鬼人講の講主と合体すると、どうやら殺せなくなるらしいんです。急いで下さい」
「まあ、そう慌てずに。コーヒーが冷めるよ。冥帝鬼のことも知ってるから。君にはその冥帝鬼と戦ってもらう。警察も援護する。冥帝鬼は鬼儺式の行われた場所にしか出現しないから、鬼人講以外の場所には出ない」
「だったら今すぐ鬼人講に行かないと。冥帝鬼が不死になったら、おしまいなんですよ」
「ところで君の伯父さんは、一足早く帰した。君の伯父さんは医者だから、けが人対策として医療道具を持って鬼人講に来てもらうことになってる。一般の医者に冥帝鬼を見せるわけにはいかないからね」
警部補は言い終わると、飛音の前に羅刹斬を差し出した。本当は冥帝鬼が出現する前に鬼人講に行って、この羅刹斬で講主を殺したかった。だけどもう遅いだろう。冥帝鬼はすでに出現している可能性が高い。
警察署で足止めされていたせいで、勝機を逃した。冥帝鬼の事を知っていたなら、夜になる前に鬼人講に行くべきだったのに。おそらく捜査令状の要請に時間がかかったとか、あるいはひと通りの取り調べをしないといけない規則があるとか、そういうお役所的な事情で夜になってしまったのだろう。今からでは遅いのに。
幽冥鬼を倒すのでさえ、やっとだったのに、冥帝鬼なんかと戦えるのだろうか。やはり幽冥鬼の時のように、森か山の木々に身を隠して戦わないと勝算は無いだろう。
結局、飛音はコーヒーを飲まずに警部補とパトカーに乗った。二台のパトカーで警察署を出発した。この少ない人数で冥帝鬼と戦えるのだろうか。しかし冥帝鬼の事は警察署でも内密のようだし、田舎の警察だから警部補の指揮できる人数は、この程度の規模しかないのだろう。それでも警官の応援は心強い。鬼人講も警察の捜査となれば、施設の中に入れないわけにはいかないだろう。もしかしたら冥帝鬼は出現して、すでに鬼人講を破壊しているのではないか。
幽冥鬼が出現した時は、平気で鬼人講の信者を喰っていたし、冥帝鬼も似たようなものだろう。それとも冥帝鬼は知性が有るのだろうか。想像するに、冥帝鬼には知性は無いが、佐助のウスゴロの生まれ変わりである講主と合体すると、講主の知性がプラスされるのではないか。そうなると冥帝鬼は講主の母親の指令通りに動くだろう。
そもそも冥帝鬼が佐助のウスゴロの生まれ変わりと合体してしまえば、羅刹斬でも殺せなくなるのだし、それを知った警部補は、もっと慌ててもいいはずだが。もしかしたら本気で冥帝鬼と戦う気など無いのでは。冥帝鬼に対する危機意識が感じられない。
鬼人講に着いた。すっかり夜だ。伯父の雄一郎は、まだ来ていないようだ。警官の一人が鬼人講の玄関のチャイムを鳴らし、どうやら押し問答している。飛音と警部補はパトカーの中だ。やがて警官が警部補を呼びに来た。突入開始だ。
飛音は見覚えのある、鬼人講の曲がりくねった廊下を歩いた。この前に来てから数日しか経ってないのに、だいぶ前に感じる。鬼人講の内部は静かだ。信者の一人が先頭に立って警官を案内している。
やがて鬼人講の裏庭に出た。空には月が出ている。赤い月だ。月は欠けてきている。いつもより月が大きく見える。幽冥鬼が壊したブロック塀は、すでに補修されていた。裏庭には講主親子らしい二人が法衣を着て、祭壇らしき物の前に立っている。幾つもかがり火が焚かれている。講主の母親らしき人の顔は、青ざめて見えた。祭壇の前方に法衣姿の信者が数十人いる。みんな空を見てきょろきょろしている。
どうやら冥帝鬼はまだ出現していないようだ。ぎりぎりセーフだ。今のうちに講主を羅刹斬で殺せば禊になり、冥帝鬼の出現は防げる。そう思った時、警部補が進み出て、天に向かって何やら叫び始めた。
「アチメオーオーオー。謹請。三元三行三妙加持。人に託す大鬼と申奉るは冥帝鬼。陽は天荒魂也。陰は地奇魂。精心は日月の精気也。晝を照す神は菊理媛尊也。夜を照す神は冥帝鬼。謹みて。萬霊司籍府大小之司命神。産土別持司命神達の大前に。いでよ冥帝鬼。この地上に降臨し給え。時は至った。菊理媛尊の穢れよ、大鬼として降臨せよ。鬼の中の鬼。神から生まれし冥帝鬼よ、今こそ出現し給え」
いったい警部補は何を言っているんだ。祝詞のようだったが。急に風が吹き始めた。かがり火の炎が揺れる。やがて稲光がして、雷鳴が轟いた。
冥帝鬼様が現れるぞ。鬼人講の信者たちが空を見上げてざわつき始めた。警部補も笑いながら夜空を見上げている。赤い大きな月が、黒雲で隠れた。月明かりは無くなったが、辺りはかがり火で明るい。
「今の祝詞みたいのはなんですか?」飛音は警部補に詰め寄った。
「僕の名前を言ってなかったね。僕は霧島武雄と言います。霧島真知子の弟と言ったほうがわかりやすいかな」
「なんだって。カラス女、いや霧島真知子さんの弟?」
「僕にも多少の霊感があって、姉の死を察知してすぐに君を保護するように部下を派遣したんだが、雨や霧で手間取ったらしくて。姉にもしもの事があれば、すぐに君を保護するように頼まれていたんだ。姉は陰になり日向になり、君を守っていたんだが、姉が居なくなれば幽冥鬼から君を守る者がいないからね。いや、君が幽冥鬼に殺されていなくてよかった」
「カラス女が、いや霧島真知子さんがボクを守るのは、ボクの母を犠牲にした事への贖罪なのか? 母は帰って来ないんだぞ」
霧島警部補は質問に答えずに続けた。
「姉は冥帝鬼さえ出現すれば、後はどうでもいいという考えだったが、僕は君に冥帝鬼と戦ってほしいと思っている。そのために寝不足の君を昼まで寝かせたのさ。寝不足では冥帝鬼と戦えないからね。本当は夕方まで寝かせたかったが他の警官の目があるから、取り調べないわけにはいかなかった。冥帝鬼とは霧島班も協力して戦う。今ここに居る警官は、僕が主任を務める霧島班で、鬼人講の真実は霧島班以外は署内でも誰も知らない。幽冥鬼のことも、本当に羆だと思ってるよみんなは。君が銃刀法違反ということも不問に付す。霧島班は幽冥鬼のことも冥帝鬼のことも知っているし、上には僕が適当に報告しておくから心配ない。真実は現場だけで処理して、表に出ないようにする。君をさっきまで警察署に閉じ込めておいたのは、冥帝鬼が出現する夜まで君を鬼人講にやらないためで、銃刀法違反なんてのは方便
だよ。今の祝詞こそ、冥帝鬼を呼び出すための祝詞さ。霧島姉弟は冥帝鬼を呼び出す使命を帯びてこの世に生まれてきた。僕の前世は奥忍神社の三代目神主。つまり前世では君のお祖母さん、碓井美代の息子だった。霧島班も協力するから、その羅刹斬で冥帝鬼と戦ってくれ」
警部補は言い終わると、また夜空を見上げて笑った。満足気な笑みだった。本当に冥帝鬼が出現するのか。幽冥鬼を倒すのでさえ、やっとだったのに、冥帝鬼なんかと戦えるのだろうか。やはり幽冥鬼の時のように、森か山の木々に身を隠して戦わないと勝算は無いだろう。
稲光が走り、雷鳴が轟き、風が吹き荒れ始めた。やがて飛音の上で夜空が割れた。そこには夜空より暗い、虚無の宇宙が広がっていた。夜空がどんどん裂けて行く。鬼人講の信者たちは、その夜空の裂け目を見上げて歓声を上げている。
やがて鬼人講の講主らしき少年が興奮した様子で祭壇らしき場所を離れ、信者の群れを避けてひとりで走ってきた。講主らしき少年は、夜空の裂け目の真下に来た。ついに冥帝鬼様が現れる。俺はここですと。風が強い。
霧島警部補も警官も信者たちも、全員が夜空を見上げている。チャンスは今しかない。向こうから講主の母親らしき人が、慌ててこちらに走って来る。迷っている場合ではない。飛音は羅刹斬を鞘から抜くと、夜空を見上げて油断している講主らしき少年を羅刹斬で刺した。簡単に刺せた。幽冥鬼を刺すのに慣れていたので、人間の体の脆さに驚かされた。とにかくこれで禊になり、冥帝鬼は出てこないはずだ。
ぎゃーっと言う講主らしき少年の悲鳴で、みんながこちらを向いた。講主らしき少年は地面に倒れた。母親らしき人が走り寄って来た。
「修斗、死なないで。これからなのよ。これから復讐が始まるのに」
「あなたは人の母親を生け贄で殺しておいて、自分の子供のことになると、そんなに悲しいんですか。幽冥鬼に喰われた人だって、一人や二人じゃないんですよ。それにあなたは子供が死んだから悲しいのか、冥帝鬼が出ないから悲しいのか、どっちだ」
飛音の声は怒気を含んでいた。講主の母親らしき人は、泣き崩れていた。嗚咽が止まらないようで、ずっと修斗と呼んだ少年を抱いていた。気づくと飛音は、鬼人講の信者らしき人に囲まれていた。
講主様を殺すとはなんだ。こいつも殺してしまえ。飛音は信者たちに羽交い絞めにされ、羅刹斬を取り上げられた。そして信者のひとりが羅刹斬で飛音を刺そうとしている。警官よ助けてくれ。風は、ますます強くなる。
遠くでドンと言う大きな音がした。信者たちがどよめく。銃声がする。しかし信者に囲まれていて、何も見えない。近くで悲鳴がした。見ると信者の向こうに幽冥鬼の巨体が見える。薄く赤く光った幽冥鬼が信者のひとりを喰っている。まだ幽冥鬼が残っていたのだ。
鬼人講の信者たちは、一斉に逃げた。飛音は開放され、羅刹斬が地面に転がっていた。信者たちは鬼人講の施設の入り口に殺到している。飛音は羅刹斬を握り締めると、幽冥鬼を挑発した。幽冥鬼を信者たちから遠ざけるためだった。何度か幽冥鬼と戦ったことがあるとはいえ、やはり体が震える。一歩間違えば喰われるからだ。
鬼人講の裏庭のブロック塀が壊されている。幽冥鬼はあそこから裏庭に侵入してきたのだろう。ブロック塀の近くにプレハブ小屋がある。まずは幽冥鬼を誘導して、プレハブ小屋に隠れよう。そうすれば信者たちが逃げる時間を稼げる。鬼人講の信者だからといって、幽冥鬼に喰わせていいはずがない。飛音は、そう思えるようになっていた。
飛音は幽冥鬼を挑発しつつ、プレハブ小屋に向かって走った。警官たちも幽冥鬼に発砲している。飛音はプレハブ小屋まで走って、プレハブ小屋のドアを開けようとしたが、鍵がかけてある。開かない。
幽冥鬼は怒りの声を上げると、プレハブ小屋を叩き壊した。プレハブ小屋のドアの辺りが、幽冥鬼によって破壊された。壊された部分の塵が風に乗って飛ぶ。視界が悪くなった。やはりプレハブ小屋の中に入るのは、逆に危険かもしれない。逃げ場が無くなる。
ブロック塀の壊れているところから外に出ようとしたとたん、幽冥鬼が先にブロック塀の前に行って、道を塞いだ。羅刹斬があるとはいえ、無理は禁物だ。警官との連携プレーが必要だろう。飛音は裏庭の中央に戻った。警官も援護射撃をしてくれているが、幽冥鬼には小型のピストルでは歯がたたないようだ。
風がひときわ強く吹いた。稲光がして、雷鳴が轟く。飛音が見上げると、夜空の裂け目が大きく広がり、夜空より暗い虚無の宇宙から、巨大な鬼が顔を見せている。
鬼は銀色の淡い光を放っている。角は一本だが、大木のように太い。目は両側が丸くて中央がやや細く繋がっている。ちょうどアイマスクのような感じだが、大きさは人間の大人を三人ほど重ねて横にしたぐらいある。目はハエの様な複眼に見える。目の色は黄色と黒だ。髪の毛はやや赤く、縮れている。鼻は鷲鼻。口は耳まで裂け、両側の牙は象牙のようだ。顔だけで五メートルはあると思う。その顔がひとつではなく、左右にもひとつずつあり、全部で三つもある。
おかしい。佐助のウスゴロの生まれ変わりの鬼人講の講主は始末したのに。あの少年は修斗と呼ばれていた。佐助のウスゴロの生まれ変わりで間違いない。だったら冥帝鬼は出ないはずだが。この鬼は冥帝鬼以外に考えられない。どういうことだ。もしかしたら空が裂けてしまったら、佐助のウスゴロの生まれ変わりを殺しても、もう遅いのか。もっと早く行動していればよかった。風が、ぴゅーぴゅーと鳴りながら吹く。
飛音が夜空の虚無の裂け目に気をとられているうちに、幽冥鬼がすぐ側まで来ていた。しまった、うっかりしていた。飛音が羅刹斬を構える前に、幽冥鬼の手が飛音を掴んだ。飛音は腕ごと幽冥鬼に掴まれてしまったので、羅刹斬が使えない。助けてくれ。心臓が破裂するかと思うほど、ドキドキ鳴った。冷や汗が吹き出る。
飛音は幽冥鬼に持ち上げられた。警官が発砲してくれているが、幽冥鬼はびくともしない。幽冥鬼には大砲でも撃たないと対抗できないだろう。喰われる。飛音は絶望感に襲われ、目を閉じた。
そのとたん、飛音は地面に落ちた。体をかなり打った。遅れて痛みが来る。飛音が目を開けると、なぜ自分が助かったのかわかった。夜空の裂け目から、冥帝鬼らしき大鬼が腕を伸ばして、幽冥鬼を掴んでいた。鎧のような甲殻に覆われた、銀色の腕だ。
あの幽冥鬼が小さく見える。それほど巨大な腕だ。幽冥鬼は巨大な手で握られて、苦しそうにしている。冥帝鬼らしき大鬼は、幽冥鬼を持ち上げると、貪り喰った。幽冥鬼さえ食べてしまう、恐ろしい大鬼だ。
「あれが冥帝鬼だよ。冥帝鬼が出ないように、努力したんだけどね」
いつの間にか、女の人が近くに立っている。かがり火の明かりで見ると、祖母の美代だった。かがり火は風に吹かれて、揺れている。
「お祖母さん、自殺してなかったの?」
「自殺なんかするものか。あなたを鬼人講にやらないために、自殺するということにしたのさ。あなたが鬼人講にさえ行かなければ、こんなことにはならなかったんだよ。すべてを話すよ。佐助のウスゴロの生まれ変わりは、実はあなたなんだよ飛音。オレは娘の真美をわざと高柳優香さんと同じ病院で出産させ、あなたが生まれてすぐに病院に放火して、そのどさくさに紛れて真美の赤ちゃんと優香さんの赤ちゃんを入れ替えたのさ。あなたはそこに居る優香さんの子供なんだよ」
「ボクがこの人の子供だって? ボクが佐助のウスゴロの生まれ変わり? なんのために赤ちゃんを入れ替える必要なんかがあったんだ!」
「すべては霧島真知子さんと出会った日から始まったのさ」
美代は、ふ~っと深いため息をついた。風はますます烈しく吹いた。
「オレは前世の夢を見ていたんだよ。前世のオレは、奥忍神社でむごい儀式をしていた。臼で子供を間引いて食べていた。オレは前世の夢を見ながら、前世の自分に嫌悪感を持った。そんな時、真知子さんに会って、オレの前世を霊能力で言い当てられた。オレは真知子さんを信用したよ。真知子さんは前世の罪を祓うために、奥忍神社の御神体のケヤキの臼を燃やせと言った。臼を燃やすことで前世の罪が浄化されると言う話だった。オレはさっそく実行した。奥忍神社は神主が居ない神社になっていたから、忍び込むのは簡単だった。臼だけを燃やすつもりが、臼の火が燃え広がって神社全部が燃えてしまった。臼は重かったからね。オレひとりで外に運ぶ事もできず、神社の中で燃やしたからさ。この事件でオレは、放火に対する抵抗感が無くなったんだよ」
雷鳴が轟き、美代の言葉を時々かき消した。
「飛音、あなたと修斗を取り替えたのも、真知子さんの指示さ。真美と優香さんが同じ時期に出産すると知っての計画だった。もし出産時期がずれていたら、真知子さんのことだから、違う方法を考えただろうね。でも運命のいたずらか、真美と優香さんは、ほぼ同時期に出産した。真知子さんに、あなたとあなたの本当の母親の優香さんを引き離しておかないと、恐ろしい冥帝鬼が現れると言われた。冥帝鬼が現れると、日本中の人間が喰い殺されると。それを防ぐには赤ちゃんを取り替えるしかないと真知子さんに説得され、わざわざ優香さんの通院している病院を探して、真美を上手く騙して同じ病院で出産させた。そして病院のリネン室に放火すると、すぐにあなたと修斗を入れ替えたんだよ。避難のどさくさに紛れてね」
夜空の虚無の裂け目は、どんどん巨大になって行く。冥帝鬼が腕で裂け目を押し広げている。冥帝鬼の甲殻に覆われた腕は、どうやら六本あるようだ。三面六臂の怪物だ。風が吹き荒れ、雷鳴はますます強くなる。
「冥帝鬼を出現させないための計画は、上手く行ったかと思った。ところが真美が鬼人講に連れ去られてしまった。あなたの前で真美が殺されると、冥帝鬼の出現条件を満たしてしまうと真知子さんに言われ、あなたを引き止めるために自殺をすると嘘の手紙を書いたのさ。そして真知子さんに言われて山小屋に隠れていた。真知子さんの話では、あなたが鬼人講に行くのを思い止まってくれて、鬼儺式は行われなかったと言うことだった。オレは安心したが、オレが家に帰ればあなたがまた鬼人講に行くと真知子さんに言われて、家には戻れなかったんだよ。ところが鬼儺式は行われていたんだ。オレは山小屋に人が来たので、奥の台所の陰に隠れていたが、来たのはあなただった。飛音、あなたが幽冥鬼に追われているのを見て、オレは人生で三度目の放火をしたんだよ。幽冥鬼は意識の無い者は襲わないことを知っ
ていたからね。オレは幽冥鬼に太刀打ちなんて出来ない。だから火事の煙であなたの意識を失わせ、幽冥鬼から守ろうとした。いま思えば、一か八かの危険な方法だった。あなたは火事で意識を失ったまま死ぬかもしれないし、オレが幽冥鬼に喰われれば、あなたを助け出す人が居なくて、あなたはそのまま焼け死んだかもしれないのにね。とっさの思いつきだから、バカなことをしたよ。でもそういう方法しか、あの幽冥鬼からあなたを守れないと思った。幸いにも真知子さんが猟銃で幽冥鬼を追い払ってくれたから、オレと真知子さんの二人であなたを火事から助け出し、真知子さんが雄一郎に電話した。真知子さんは鬼儺式が行われてしまったことをオレに告げ、真美を助けられなかったことを詫びてきた。そして鬼人講が和解したがっていると言い、オレに鬼人講に話し合いに行けと言う。飛音も助けてもらっているから、言われたとおり鬼人講に来たら、そのままあのプレハブ小屋に閉じ込められたんだよ。プレハブ小屋の奥にベッドがあるから、そこに居たらいきなりプレハブ小屋のドアの部分が壊されたんだよ。埃がおさまってから外に出たら、幽冥鬼が巨大な手に掴まれている。それでとうとう冥帝鬼が出現した事を知ったのさ。飛音、あの冥帝鬼はあなたが呼び寄せたんだよ。そしてあなたと冥帝鬼が合体した時、すべては終わる」
ドスン。飛音の体が、一瞬宙に浮いた。見ると、肉食恐竜の様な巨大な足がある。おそらく肉食恐竜よりも巨大だろう。くるぶしから下だけでトラックを二台重ねたぐらいの大きな足だ。巨大な足を中心に地面に亀裂がある。砂ぼこりが舞い上がった。とうとう冥帝鬼が虚空の裂け目から地上に降りたのだ。その衝撃で飛音の体は宙に浮いた。
見上げると三つの顔に六本の腕。三面六臂の怪物がいる。冥帝鬼だ。冥帝鬼は四十メートルはある。体は銀色の淡い光を放ち、全身が銀色の甲殻に覆われている。仏法に帰依する前の阿修羅王は、こんな感じだったのかもしれない。全長四十メートルもあるこんな怪物と、はたして戦えるだろうか。飛音は羅刹斬を握り締めた。手が汗ばむ。体の震えが止まらない。怖いと言うのが本音だ。風と雷鳴はいつの間にか止んでいた。
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