第8話第八章 カラス女の秘密

 翌日、飛音と伯父の雄一郎は共に朝食を食べた。会話は自然と幽冥鬼の話になった。

「伯父さん。この羅刹斬は幽冥鬼の前では、何の役にも立たなかった」

「おかしいな。羅刹斬こそ幽冥鬼を殺せる唯一の武器のはずだが」

「ボクもいろいろやってみたんだ。幽冥鬼の目を狙ったり、舌を刺したり。でもダメだった。歯がたたない。この羅刹斬は光を失ってるでしょ。昔は光ってたんだよね。もうこの短刀は鬼を殺す力をなくしたんじゃないかな」

「そんなはずはない。お前は鬼を見た十八に満たぬ童だ。言い伝え通りなら、お前なら羅刹斬を使えるはずなんだ」

「その言い伝えは本当なの? ただの伝説じゃないの?」

「俺にはわかるんだ。俺はむかし、イタコの前で幽体離脱して、さまざまなビジョンを見た。羅刹斬で幽冥鬼が殺せるはずだということもその時に知ったんだ。きっと何か他にも発動条件があるんだ。それを探そう」

「どうやって発動条件を探すの?」

「とにかく今夜、一緒にパトロールに行こう。幽冥鬼を前にすれば、何かがわかるかもしれない。俺はまだ、この目で幽冥鬼を見てないんだ。幽冥鬼を見てみないと、なんとも言えない」

「もう嫌だよ。ボクは十分に頑張ったよ。もうあんな恐ろしい思いはしたくない」

「飛音の気持ちはよく分かる。でも幽冥鬼と戦えるのは、飛音、お前だけなんだ。飛音と羅刹斬こそが、必ずや幽冥鬼を退治するはずだ。頼む。これ以上、村人が幽冥鬼の餌食にならないよう、もう一度だけトライしてみてくれ」

 伯父の雄一郎に頭を下げられると断りにくい。確かに村人が襲われるのは悲惨だし、昨日は幽冥鬼から逃げたせいで、近くの村人が代わりに犠牲になってしまった。その責任もある。それに星野さんの仇討ちもしたいし、母さんが生け贄にされたのも幽冥鬼を召喚するためだから、その恨みもある。

 しかし幽冥鬼のあの巨体。あの家をも一撃で破壊する力。喰われるかもしれないという恐怖。思い出しただけで、ぞっとする。考えただけで冷や汗が出る。この羅刹斬は本当に鬼を殺す力を取り戻すだろうか。伯父さんは幽体離脱したなどと言うけど、夢でも見たんじゃないか。もう嫌だ。こんな短刀があるから、怖い思いをする。でも今夜だけは伯父さんの頼みを聞こう。そして今夜ダメだったら、幽冥鬼にかなわなかったら、この羅刹斬は伯父さんに返そう。もし今夜、幽冥鬼に喰われなければだが。夏なのに、飛音は全身に鳥肌が立つのがわかった。

 雄一郎と飛音は警察へと出かけた。まだ事情聴取が続いている。伯父さんは、山小屋の火事で放火の疑いが持たれている。山小屋の火事については、警察はまだ飛音を疑ってはいないようだが、いずれは飛音にも疑いの目が向けられるかもしれない。母親の真美が連れ去られた事件と、祖母の美代の失踪などでは、改めて飛音も警察署で事情を訊かれることになった。


 警察での事情聴取は夜までかかった。飛音と雄一郎は家に戻ってから夕食をとったが、この後のパトロールのことを考えると会話は弾まなかった。

「伯父さん。パトロールは車でやろう。そのほうが、いざという時、幽冥鬼から逃げられる。車の入れないような山道には、行かないほうがいいと思う。幽冥鬼は猿神山の崖にある洞穴に住んでるようなんだ。だから山の近くの村人を襲うと思う。山沿いを重点的に、車でパトロールしよう。そして今夜、羅刹斬が役に立たないとわかったら、もうこんな危険なパトロールはやめさせてもらう」

 飛音はきっぱりとそう言うと、黙り込んで食事をかきこんだ。雄一郎も黙って頷いた。雄一郎は食器を洗うと、車庫へと歩いた。やがて家の外でクラクションがした。いよいよパトロールの開始だ。生死を賭けた三度目のパトロールだった。三度目の正直になるだろうか。

 車で走っていると、警戒中の警官に止められた。人喰いの獣が出没する危険があるので、不要不急の外出は控えるようにとのことだった。雄一郎は、家に戻るところですと嘘をついていた。そして、車なので大丈夫ですとも言った。

 雄一郎の車は、猿神山へと向かった。そして山沿いの場所を走った。どれぐらい走っただろう。助手席の飛音は、車のライトに照らされて、前方の道路に水溜まりがあるのを見た。水はけが悪いらしい。局地的に雨でも降ったのだろうか。

 やがて車が軽くスリップした。雄一郎は車を停めると窓から顔を出して、叫んだ。慌てて飛音も窓から顔を出すと、街灯に照らされた車の下は血溜まりだった。血でタイヤがスリップしたのだ。金気臭いにおいが辺りに充満して、気分が悪くなった。

 幽冥鬼の食べ残しだろうか。左側半分が無い顔が転がっている。うつろな目が宙を見ている。さぞ痛かっただろう。仇は取ってあげますよ。そう祈らずにはいられなかった。しかし自信は無い。自分ももしかしたら、喰われるかもしれないのだ。そう思うと恐怖だ。それでも幽冥鬼と戦うしかない。それが自分の運命だ。そう自分に言い聞かせることで、恐怖を克服しようとした。それでも体は震える。

 他にも手首や足の食べ残しがある。近くには三軒の家らしき残骸があった。幽冥鬼に破壊されたのだろう。山沿いの住宅の少ない地域だ。そういうところでは、周りには分家した家しか近所にない。狭霧嶽村では珍しくなかった。村の中心を離れると、家が数軒ずつ点在しているところが多いのだ。

 血溜まりが出来ている程だから、三軒の家の住人は全滅だろう。飛音は義憤にかられた。近くには幽冥鬼は居ない。幽冥鬼はおそらく満腹して、猿神山に戻ったのだろう。そう思って見ると、猿神山のまだ遠くない場所がぼぉっと薄赤く光っている。幽冥鬼の体の光だ。

「伯父さん。今がチャンスかもしれない。幽冥鬼は満腹しているから、意味もなく襲って来る可能性は低いし、山にいるから木が幽冥鬼の動きを邪魔してくれる。車を降りて行こう」

「飛音。羅刹斬は光ってるか?」

 飛音は羅刹斬を鞘から抜いてみた。やはり光は無い。泣いても怒っても、義憤にかられようと、涙をこぼそうと、羅刹斬は光らない。羅刹斬の光の発動条件が、飛音の感情とは関係ないことは明らかだ。

「ダメだ、伯父さん。やはり光らないよ。でも行くよ。伯父さんは車に残ってて」

「飛音だけを危険な目にあわすわけにはいかない」

「違うよ、伯父さん。伯父さんが車に居てくれたら、幽冥鬼にかなわなかった時、すぐに逃げられるでしょ」

「それはわかる。でもやっぱりお前ひとりというわけにはいかない。俺も幽冥鬼をこの目で見てみないと、対策も立てられないからな。車のエンジンをかけたままで、ドアも開けっ放しで行こう。そうすれば、すぐに逃げられる。もし俺が遅れたら、お前が運転しろ。オートマだから運転できるだろう」

 飛音と雄一郎は車から降りた。飛音は光の無い羅刹斬を抜いたまま、両手に持って走った。雄一郎も走って、二人で猿神山に入った。ライトは雄一郎が持っている。羅刹斬は両手を使わないと、強く斬ったり刺したりはできないので、飛音はあえてライトは持たなかった。

 猿神山には鬱蒼とした原生林が茂っている。足音をなるべくさせないように走ったが、木の葉が落ちているので、どうしてもかさかさ鳴る。しかし幽冥鬼は警戒心が薄いので、大丈夫のようだ。風は向かい風だ。幽冥鬼は道無き道をゆっくり歩いている。

 飛音と雄一郎が小走りに幽冥鬼に近づいて行くと、急に風向きが変わった。こちらが風上になった。幽冥鬼は立ち止まると、顔だけをこちらに向けた。グルル。まずい。気づかれた。

 飛音は羅刹斬を見た。やはり光を失ったままだ。この短刀は、もともと普通の短刀なんじゃないか。碓井の家の守り刀ということで、話に尾ひれがついただけで、ただの伝説なんじゃないか。そういう疑念が浮かんだ。普通の短刀なら、何をやっても光るわけはない。

「これが幽冥鬼か。想像以上にでかいな。飛音、気をつけろ。これじゃ羅刹斬で戦うにしても、足しか斬れないな。急所を狙うどころじゃない。しかし幽冥鬼にも急所はあるんだ。俺はそれを碓井の家の古文書で調べてたんだ。」

 初めて幽冥鬼の赤銅色の巨体を見た伯父の雄一郎の声はかすかに震えていた。飛音の体もしきりに震えている。震えが止まらない。飛音と雄一郎は、木の陰に身を隠した。猿神山は鬱蒼と木々が生い茂る山だ。幽冥鬼は木が邪魔になって大きな動きは出来ない。それを利用して戦うしかない。勇気を出すしかない。母と星野さんの弔い合戦だ。そう思うと力が湧いてきた。

「うおおおお」

 飛音は羅刹斬を振り上げて、幽冥鬼の毛むくじゃらの足に斬りかかった。だが幽冥鬼の分厚い皮膚は鎧のようで、羅刹斬では歯がたたない。幽冥鬼はくるりとこちらに向き直った。

「飛音。羅刹斬を俺に貸してみろ。俺も碓井の家の人間だ。お前がダメなら、俺が試してみる」

 もしかしたら、伯父さんなら羅刹斬は光るのかもしれない。最初から伯父さんにも試してもらえばよかったのだ。羅刹斬よ光ってくれ。そう祈りながら飛音は、羅刹斬を雄一郎に渡した。代わりに雄一郎が持っていたライトを受け取った。果たして羅刹斬は光るか。だが光は無かった。

 それでも雄一郎は果敢に幽冥鬼に向かって行った。しかし、やはり幽冥鬼には歯がたたないようだ。結局、羅刹斬というのは、単なる短刀なのだ。最初から特別な力など無かったのだ。滑稽な話だ。ただの伝説を信じて、勝てるはずのない相手と戦っていたのだ。かなうはずはなかったのだ。

 幽冥鬼は鷲のような足の甲で雄一郎を足蹴にした。軽く蹴ったようでいて、雄一郎は木の間を二メートルほど飛ばされて、地面に叩きつけられてウッとうなった。木が幽冥鬼の邪魔をしていなければ、幽冥鬼はもっと大きく雄一郎を蹴って、雄一郎は即死していたかもしれない。木が幽冥鬼の動きの邪魔になっているので、小さくしか蹴られなかったのだ。それに足の爪ではなく甲の部分で蹴られたのも不幸中の幸いだった。足の爪で蹴られていたら、爪で切り裂かれていただろう。

「伯父さん」

 飛音は雄一郎のもとに走り寄った。雄一郎は大丈夫だと小さく言った。だがすぐには起き上がれないようだ。早く逃げないと、幽冥鬼を怒らせてしまった。少し離れた所に羅刹斬が落ちているが、もうこの短刀は拾わなくてもいい。幽冥鬼の前ではおもちゃの刀だ。それより雄一郎を抱き起こして、早く逃げないと。羅刹斬がどうやっても役に立たないとわかった以上、もう逃げるしかない。

 そう思って飛音が雄一郎の肩に手をかけたとたん、後ろから体を強い力で握られた。雄一郎に気を取られているすきに、幽冥鬼の手で握られたのだ。幽冥鬼の手の中は生温かく、獣臭い。幽冥鬼が手をぎゅっと握って飛音の体が猛烈に締め付けられた瞬間、近くで大きな音がした。

 幽冥鬼が大きくのけぞり、幽冥鬼の手が緩んだ。さらに大きな音がして、幽冥鬼は飛音を離した。飛音はライトを持ったまま落下して、地面へと叩きつけられた。ライトを空中で捨てて受け身はとったが、幽冥鬼の五メートルはある身長から落とされると、かなりのダメージだった。全身が痛い。

「いまのうちに逃げろ」

 女の声がする。ライトを拾い照らして見ると、少し離れた所に猟銃を構えた女がいる。黒の帽子に黒の上着、黒のパンツに黒の靴、そして黒のサングラスをおでこの上に斜めにしてかけている。闇に溶け込むような黒い出で立ち。カラス女だった。さっきの大きな音は猟銃の銃声だったのだ。

「お前はなんなんだ。どうしてボクを助けようとする。ボクの敵じゃなかったのか?」

「いいから早く逃げろ。説明は後だ」

 カラス女はさらに弾を込めると、幽冥鬼に向けて猟銃を撃った。幽冥鬼は痛そうにしている。鋼のような肉体を持った幽冥鬼に、猟銃がこれほど利くとは。逃げるとはいっても自分だけで逃げるわけにはいかない。

 飛音は地面に落とされて痛む体をやっと動かし、雄一郎の方に行った。雄一郎もようやく起き上がったところだ。羅刹斬は無理に拾うことはないだろう。逃げるのが先だ。なぜカラス女は助けてくれたのか。いつも猟銃をこちらに向けていたのに。なぜ。

「羅刹斬を忘れるんじゃないよ」

 カラス女が幽冥鬼に猟銃を向けながら、そう言った。なぜカラス女は羅刹斬のことを知っているのだろう。助けてもらっているのだし、飛音は仕方なく羅刹斬を拾った。そしてライトで前を照らしながら、雄一郎と共に猿神山から逃げることにした。体が痛くて走れない。雄一郎もやっと歩いているようだ。

 背後でさらに銃声がした。やがてチッと舌打ちする音がしたので、振り向いてライトで照らすと、カラス女が猟銃に弾を込めているところだった。弾切れのようだ。

「すまんが、そのままライトで照らしていてくれ。月明かりだけでは暗くて、よく見えん。弾を込めたら猟銃を撃ちながらオレも逃げる」

 カラス女がそう言った瞬間だった。幽冥鬼の手がさっと伸びて来て、その鋭い爪でカラス女を引き裂いた。カラス女の断末魔のような叫びがこだました。カラス女は倒れながらも幽冥鬼に向けて猟銃を撃った。幽冥鬼は叫ぶと、まるでいやいやをするように頭を振り、後ろを向いて猿神山の奥へと去って行った。もしかしたら、弾が急所にでも当たったのかもしれない。

 飛音は体の痛いのも忘れて、カラス女の所に駆け寄った。カラス女の体からはおびただしい血が流れていた。服が血でぐっしょりと濡れている。

「油断したよ。幽冥鬼に近づきすぎた。もっと離れて撃つべきだった。夜なので、予備の弾を込めるのに手間取ってしまった。オレはもうダメだ」

「おばさん、しっかりしなよ。救急車を呼べば助かるかもしれない」

 そう言って飛音がスマートフォンを出して見ると、圏外だった。田舎だし、山の中だし仕方がない。おそらくカラス女は、助からないだろう。

「おばさん、結局あなたは何だったの? 鬼人講の味方なの? なぜボクを助けたの?」

「オレの名前は、霧島真知子だよ。お前には、まだ死なれたら困るんだ。山小屋の火事の時に、気を失って倒れたお前を助けて、電話したのはオレだよ。あの時も、猟銃でお前を助けるために山小屋に行ったのさ。幽冥鬼は意識の無い人間は襲わないんだよ。だからお前は火事で意識を失ったお陰で命拾いしていたのさ。幽冥鬼や冥帝鬼にとっては、意識の無い人間は死んでいるのと同じことなんだよ。鬼は死肉は喰わないのさ。オレは鬼人講の味方でもないし、お前の味方でもない。オレは、ある使命を持って生まれた。それは冥帝鬼をこの世に出すという使命だよ」

「冥帝鬼というのは、幽冥鬼より恐ろしい、ウスゴロと合体したら不死身になるという鬼のことか。それならやっぱり鬼人講の味方じゃないか。誰から使命を受けたんだ」

「全部を話すには時間が無い。もう少しでオレは死ぬ。そちらの人は、オレに会ったことがある。オレはイタコだったんだよ。あんたの前世を口寄せで呼んだのは、オレだったんだ」

 いつの間にか、雄一郎が側に来ていた。雄一郎は、「あの時の」と驚いていた。霧島真知子は空を見つめながら、途切れ途切れに話した。

「オレにも前世があるんだよ。オレの前世は歩き巫女だった。菊理媛神の御札を売りながら諸国を行脚し、この狭霧嶽村まで来た。江戸時代のことさ。その当時、この狭霧嶽村では凄惨な間引きが行われていた。飢饉のせいだよ。オレは、それを好機と思った。歩き巫女を辞めて、定住しようと思った。歩き巫女も食うや食わずの生活だったから、定住さえすればやがて飢饉が終ったとき、安定した生活ができる。オレは村人を説得し、その羅刹斬を奉納してあった祠を壊して、菊理媛神を祀る奥忍神社を造らせた。村人も間引きに引け目を感じていたから、菊理媛神が死の穢れを祓い、村人の間引きの罪を清めると言ったら、みんな協力したよ。オレはちょうど間引きされたばかりの、霊能力の強い佐助という子供の怨霊を、利用することにした」

 霧島真知子はぜいぜいと息をしながら、苦しそうに話を続けた。

「歩き巫女だった時代、オレは白山姫神社から菊理媛神の分け御霊をいただき、小さな石に宿っていただいてた。その菊理媛神の分け御霊をまず間引きに使われていた臼に移して、臼の穢れを祓い、それから佐助の怨霊を臼に封じ込めたんだ。佐助の怨霊で、菊理媛神の力をコントロールするためにね。全ては自分の為さ。オレは人々から崇められる生き神になりたかった。まずやったのは、そこにある羅刹斬から力を吸い取ることさ。もともとオレには霊力があったが、それはごく弱いものだった。その霊力を高めるため、菊理媛神の神力を羅刹斬から吸い取り、自分の力とした。そのせいで羅刹斬は光を失い、普通の短刀になった。だから羅刹斬では幽冥鬼を殺せなかったのさ。でも菊理媛神の神力を羅刹斬から吸い取っても、もともと短刀の神力だったから、人間の体に神力を留めておくには儀式が必要だった。その

ためさっき言ったように、菊理媛神の分け御霊を臼に移した。その上から霊力の強い佐助の怨霊を臼に一緒に封じる事によって、菊理媛神の力をコントロールしたのさ。オレと村人は定期的に碓井の家で間引きをし、その肉を食べ、血をすすった。そしてその穢れを臼の菊理媛神に押し付けた。なぜそんなことをするかと言うと、菊理媛神は穢れを祓うとき神力を出す。その神力をオレが吸い取るのさ。そうすることにより、羅刹斬から吸い取った菊理媛神の神力をさらに強めることができる。それをしないと逆に、羅刹斬から吸い取った菊理媛神の神力は、人間の体が器ではだんだん弱まるからね。本当は羅刹斬に宿ってこそ力を発揮するはずの神力を、無理矢理にオレの体に吸い取ったせいで、そういう儀式が必要になった。菊理媛神は死の穢れを祓う禊の神。穢れが多いほど力を出してくれる。人肉を食べ血をすするのは、共喰いとして最も穢れとされているからね。邪道だけれど、その方法でオレは自分の中の菊理媛神の神力を強めていった。お陰でオレは羅刹斬から吸い取った神力をさらに強め、病気の人を治したり予言をしたりした。遠くの村からもオレを頼って人が来た。そして米や野菜、銭などを置いていった。オレは一介の歩き巫女から、神主として安定した生活を手に入れた。しかし霊力を使うには時々、菊理媛神の神力をいただかねばならないから、飢饉が終った後も間引きを止めることはできなかった。ちなみに佐助以外にも、たまに霊力の有る子が居て、そういう子も臼に封じ込めたんだが、佐助ほどの霊力の持ち主は居なかった。臼に封じ込めておいた霊力の有る子の中には、臼が燃えた後も転生せずにウスゴロの霊となって彷徨っているのも居るようだよ。でも佐助のウスゴロ以外はたいした能力は無い」

 霧島真知子は、ふーっと大きく息をつき、話の続きをつづけた。明らかに声は小さくなっていた。

「オレは狭霧嶽村ではよそ者だ。それで奥忍神社の神主の地位を安定させるため、神社の辺りの組頭だった碓井の家の子供を産んだ。別に結婚したわけじゃない。子種をもらっただけさ。血筋が大切にされた時代だからね。どこの馬の骨かわからない歩き巫女でも、碓井の家の血筋の子を後継者にして、その母親となれば安泰だ。それで生まれた子供こそ、お前の祖母の美代さんの前世なのさ。オレは定期的に間引きをして、菊理媛神に穢れを押し付けた。ところが菊理媛神の神力はオレが吸い取るから、菊理媛神は神力で自分の穢れを浄めることができなくなり、どんどん穢れを溜め込む一方で、汚れていった。その菊理媛神の溜まりに溜まった穢れが放出された場合が幽冥鬼なんだよ。幽冥鬼とは菊理媛神の溜め込んだ死の穢れから生まれるんだ。菊理媛神の溜め込んだ死の穢れに、間引かれたウスゴロ達の怨念が宿ったものが幽冥鬼さ。菊理媛神は自分で祓えないほどの穢れを溜め込んだ場合、強制的に穢れを分離する。それが幽冥鬼なのさ。しかし幽冥鬼を出されても、その幽冥鬼を殺すはずの羅刹斬はオレのせいでただの短刀になってる。幽冥鬼は殺せない。だから幽冥鬼を出されたら困るんだ。その為に臼には佐助の怨霊も封じ込めたのさ。霊力の強い佐助の怨霊が結界になってくれて、菊理媛神は幽冥鬼を出したくても出すことができなくなった。菊理媛神が幽冥鬼を出せば、菊理媛神の穢れは無くなる。その幽冥鬼を殺せば、それが禊となり穢れは消える。でも羅刹斬にはもう幽冥鬼を殺す力はない。オレが菊理媛神の神力を吸い取らなければ、菊理媛神は幽冥鬼を出すところまで行かずに、死の穢れを祓えただろう。しかしオレが生き神となるため、間引きを続けながら菊理媛神の神力を吸い取り、菊理媛神は穢れだけを

溜め込んでいったんだよ。全てはオレのせいさ。そんな状態が少なくともオレが死ぬまでは続いた。オレの子孫はどうやら途中で途絶えたようで、今は奥忍神社に神主は居ない。いつまで間引きの儀式が続いたか知らないが、子孫にオレの霊力が受け継がれなくなった時、菊理媛神の神力を吸い取る儀式は終わったのだろう。ただ、美代の前世はオレの霊力を受け継いでいた。だからオレは美代の前世には間引きの儀式と、菊理媛神の神力の吸い取り方を教えた。むろん美代の前世には、羅刹斬からオレが吸い取った菊理媛神の神力までは受け継がれていないから、オレほどの力は発揮できない。それでもオレの代に奥忍神社の神主は生き神だという名声を高めたから、少しの神通力でも信者は集まったはずさ。でも、いつしか間引きの風習は無くなったようだね。今生に生まれたオレは、今度は臼に封じ込められたまま

の菊理媛神の穢れをすべて祓うため、冥帝鬼を出す使命をおびて生を受けたんだよ。だから冥帝鬼が出現する条件を整えるため、鬼人講にお前の母親を生け贄にするように進言したのさ。菊理媛神の穢れを全部吐き出していただく、それがオレの使命だった。本当は幽冥鬼だけでよかったんだよ。けれどオレの前世が佐助の怨霊で菊理媛神を押さえつけたため、菊理媛神の神力と佐助の霊力が結び付き、そこに間引きの穢れが融合して、幽冥鬼ではなく冥帝鬼になったのさ。本当に余計なことをしたよね、前世のオレは。冥帝鬼を出さないと菊理媛神の穢れは無くならない。そこまで汚してしまっていたんだよ。冥帝鬼を出すには、まずは佐助の生まれ変わりが、この世に生まれ出ないといけない。佐助が生まれ変わってはじめて、佐助の怨霊による菊理媛神の結界が無くなるのさ。そして冥帝鬼は佐助の生まれ変わりが居ないと、菊理媛神から分離することは出来ないんだよ。だから今まで時間がかかった。佐助が生まれ変わって、成長して、生け贄の儀式をするまで、冥帝鬼は待たなければならなかった。冥帝鬼も幽冥鬼も、間引きされた恨みの塊だから人を喰うのさ。オレは冥帝鬼が出るまで見届けるつもりだった。でももうダメだ。冥帝鬼がちゃんと出るか、菊理媛神の穢れが全部払えるか、確認できずに死ぬ。冥帝鬼が佐助のウスゴロの生まれ変わりと合体すると、不死になる。もう殺せなくなるんだよ。不死身の冥帝鬼は人を喰い尽くすだろう。佐助のウスゴロの怨霊の力と、菊理媛神の穢れが合体すると、それほど強大になるんだ。だが佐助のウスゴロの生まれ変わりと合体する前の冥帝鬼なら殺せる可能性があるよ。でも冥帝鬼は強い。幽冥鬼より遥かに強い。殺すのは至難の業さ。冥帝鬼を殺すより、佐助のウスゴロの生まれ変わりを殺す方が簡単だ。しかし佐助のウスゴロの生まれ変わりも、羅刹斬で殺さないと禊にはならない。今の羅刹斬には菊理媛神の力が宿ってないから、それは無理だね」

 霧島真知子の声は、かすれていた。もう死期が迫っているのがわかる。

「羅刹斬に力が無いなら、どうすればいいんだ」

 飛音は霧島真知子の意識が無くならないように、わざと大声を上げた。

「大丈夫だよ。方法があるんだよ。オレはさっき、猟銃で幽冥鬼を撃退しただろ。普通の猟銃では、そんなことは出来ないのさ。オレの体の中には、前世で吸い取った羅刹斬の神力がまだ宿っているんだよ。オレの猟銃の弾には、その神力を込めていたんだ。でも猟銃では、幽冥鬼を追い払うぐらいしか出来ない。やはり菊理媛神の神力は羅刹斬に込めないと、幽冥鬼を殺すことはできない。オレが幽冥鬼を出す手伝いをしたせいで、お前の母親も殺された。幽冥鬼に喰われた村人も多い。その罪滅ぼしをさせておくれ。羅刹斬をオレの手に握らせて。今から羅刹斬に、前世でオレが吸い取った菊理媛神の神力を戻す」

 飛音は霧島真知子の手に、羅刹斬を握らせた。

「阿知女、応応応。冥土の土産に何がよかろうか。念仏がよかろう。北極大和元気。神通変化。紫微宮より天地の間を経過す。生々化々の祖。神人の主。之を仰げば愈々高く之に随て幽道を開き以って其の形を見む。天気巳に到りて神霊泥丸に降る。願わくば悪因解除。冥罪過消滅。霊魂浄化。魂魄晴明。玄胎化成。霊格冥福向上の力をこの守り刀に授け給え。謹みて神通を願う」

 霧島真知子は、どこにこれだけの力が残っていたのかと思える程の大声を出して、祝詞のような呪文のようなものを唱えると、いきなり羅刹斬で自分の左胸を刺した。霧島真知子の左胸から血が流れた。

「これでいいんだよ。羅刹斬に神力を戻すためには、オレの命を捧げなければいけなかったのさ。本当は冥帝鬼が出てくるまで、猟銃でお前を守るはずだった。その場合は羅刹斬に神力を戻す必要はなかったんだよ。でもオレがお前を守れない以上は、この羅刹斬で自分を守ってくれ。幽冥鬼に喰われるんじゃないよ。冥帝鬼が出てくるのは明日の夜だ。条件が揃えばだが。どうか冥帝鬼が出るまでは、佐助のウスゴロの生まれ変わりを殺さないでくれ。勝手なお願いだが、菊理媛神の穢れを完全に払うため、冥帝鬼を出してくれ。そのためにオレは、この世に生を受けたのだから。戦うなら、冥帝鬼が出てからにしてくれ。死ぬ前のお願いだ。オレはもう死ぬよ。お前の母親の事は許してくれ」

 霧島真知子は弱々しい声で言い終わると、口から血を流し、がくりとうなだれた。雄一郎が脈をとり、ご臨終だと言った。飛音は泣いた。この霧島真知子のせいで、母親は生け贄にされ、それに関連して祖母は自殺し、幽冥鬼のせいで多くの人が死んだ。しかし罪の意識のせいなのか、霧島真知子は自分を守ってくれて、いま自分の命と引き換えに羅刹斬に神力を宿してくれた。憎めばいいのか、感謝すればいいのかわからない。そもそも間引きをしていたこの土地の昔の人々にも責任はあるし、時代のせいでもある。いろいろな感情が飛音の心の中で交差した。

 雨が降りだした。雨は飛音の頬を流れる涙も、霧島真知子の血も洗い流し、ますます勢いを増した。飛音は雨にうたれて冷静になると、霧島真知子の胸から羅刹斬を引き抜いた。

 羅刹斬は白く輝いていた。やはり羅刹斬には、菊理媛神の神力が蘇ったのだ。これで幽冥鬼と戦える。母親と星野さんの仇討ちができる。

 雨は羅刹斬に付着していた霧島真知子の血も綺麗に洗い流した。遠くで稲光がし、風が吹いた。いよいよ幽冥鬼と互角に戦えるのだ。飛音は羅刹斬をじっと見つめると、生け贄にされた母親や、幽冥鬼の爪に切り裂かれた星野楓、幽冥鬼に喰われた村人たちの無念を晴らそうと決意を強くした。


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