第7話第七章 決死の攻撃

 飛音がふと気づいたら、天井が見えた。横から光が見えるので目をやると、窓から光が差し込んでいる。どうも、あの世ではないようだ。

「気がついたか」

 伯父の雄一郎が覗き込んだ。

「伯父さん。ここは?」

「俺の病院のベッドさ」

「伯父さんの家の病院って、入院施設ないよね」

「これは心電図をとる時に使うベッドだよ」

「ボクはどうしたんだろ。幽冥鬼と猟銃と火事と。助かりっこないと思ったのに」

「誰かが俺に電話してくれたのさ。消防が来る前に、気絶してるお前を車に乗せて、ここに運んだんだよ。俺も医者だからな。手当てしたのさ。消防や警察に見られたらいろいろ事情を訊かれて、幽冥鬼と戦いにくくなるからナイショさ。それにお前が放火したと疑われても困るし」

 飛音は昨夜の出来事を雄一郎に話した。話しながら、星野さんを助けられなかったことを思い出し、しくしく泣いた。みんな死んでいく。母親は生け贄にされ、祖母は自殺し、好きだった星野さんは幽冥鬼に殺された。鬼人講と幽冥鬼とカラス女が憎い。そもそも鬼人講に生け贄のことを進言したカラス女が悪い。許せない。猟銃さえなければ、カラス女なんて怖くないのに。

 枕元に羅刹斬が置いてあった。飛音は羅刹斬を鞘から抜いてみた。やはり光など無い。これはただの骨董品じゃないか。飛音は横になったままの姿勢で、怒りに任せて、羅刹斬を放り投げた。

「おい。粗末に扱うな。これは唯一、幽冥鬼と戦える刀なんだぞ」

「こんなの、役立たずじゃないか。ぜんぜん幽冥鬼に太刀打ちなんかできなかった。この刀が役に立たなかったせいで、星野さんを助けることができなかった」

 飛音の両の目から、また涙が流れた。涙で枕に染みができるほど泣いた。泣いても泣いても、それでも涙が溢れてくる。やがて嗚咽となって、飛音は自分でも意味不明なことを、声をつまらせながら、つぶやいては泣いた。

 玄関のチャイムが鳴った。誰かが来たようだ。

「碓井雄一郎さんですね。警察です。昨日の山小屋の火事の現場近くで、あなたの車を目撃したという人がいますので、署までご足労願えますか。お話を伺いたいので」

 どうやら昨夜の火事の時、雄一郎が飛音を助けて車で立ち去るところを、誰かが見たようだ。

「警察まで行ってくる。お前は休んでいなさい。お前が放火したと疑われないよう、警察に火事のことを報告しなかったのが悪かったようだ」

 雄一郎は飛音にだけ聞こえるように、飛音の耳元でささやくと、警官に連れられて出て行った。飛音は不幸の連続にショックを受け、とても起きていられず、そのまま眠りについた。眠らないと、精神が持たない。飛音は眠りに逃避行したのだ。


 どれぐらい眠っていただろう。飛音が目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。窓に目をやると、遠くの山に沈もうとする陽が見える。夕焼けが綺麗だった。ぱっと部屋の電灯が点いた。雄一郎が立っていた。

「起きたようだね」

「警察はどうだった?」

「いろいろ訊かれた。山小屋の火事は、どうやら放火らしい。疑われてる。それに真美が連れ去られた事件以降、家族の失踪や山小屋の火事と、次々と事件が連続して起きていることを警察は不審に思ってるらしい。警官と世間話もしたんだけど、その時にそれとなく、鬼人講の話題をしてみた。そしたら、警察は鬼人講のことを賞賛しているんだ。怪しい団体などではなく、村に積極的に寄付もしてる善良な団体だとよ。鬼人講は村長に選挙協力を申し出てるという話だし、警察内部にも信者がいて、警察としては鬼人講をあまり刺激したくないようだ。幽冥鬼による人食事件も、北海道から連れて来られた羆が逃げ出して、山に隠れてるという説が有力視されてる。幽冥鬼のことなんか話したって、頭がおかしいと思われるだけだ。警察は鬼人講の味方なんだよ。飛音のことが心配だからいったん帰らせてもらったけ

ど、夕食を済ませたらまた警察に行かないといけない。俺は放火も疑われてるし、母さんの自殺の件もあれこれ訊かれて、失踪ということにはなっているがかなり警察にマークされてるようだ。真美の連れ去り事件のことまで、警察は俺に疑いの目を向けはじめた。飛音、お前はひとりで外出するなよ。夜の外出は俺と一緒の時だけだぞ」

 飛音と雄一郎は、夕食を共にした。警察が鬼人講を警戒してないどころか、逆に鬼人講の味方らしいと知って、飛音は驚いた。どう考えたって危険なカルト宗教とし思えないのに、村長の集票に協力して、村に寄付して、警官の信者も居るということで、警察は鬼人講に逆らえないようだ。

 夕食が済むと、雄一郎は食器を洗ってから警察に行った。車での外出だから、幽冥鬼が居ても逃げられるだろう。昨日の夜も車でパトロールしてもらっていれば、星野さんを車に乗せて幽冥鬼から逃げられたかもしれない。徒歩でパトロールなんて、考えが甘かった。バカだった。

 雄一郎からはひとりで外出するなと釘を刺されたが、十分に睡眠をとったら、今度は楓の仇を討ちたい気持ちが高まった。羅刹斬を鞘から抜いてみるが、やはり光は無い。それでも持っていたほうがいい。

 飛音はライトを持って、夜の村に出た。昼間とは違う、夜の匂いがする。飛音は作戦を考えていた。羅刹斬は役に立たないが、それでも幽冥鬼の目や口の中を刺せば、少しは対抗できるのではないか。ただ五メートルぐらい身長のある幽冥鬼の、目や口の中をどうやって狙うか。食べられる寸前のワンチャンスに賭けるしかない。

 飛音は、あてもなく彷徨った。どこに幽冥鬼が出るかわからないから、とにかく歩く。わずかな数の街灯と、月明かりと、手に持ったライトを頼りに、歩き続けた。

 途中、警官が警戒して立っているところは迂回した。パトカーのパトライトの光が見えたら、脇道に入った。消防車も警戒のためだろう、走りまわっている。みんな人食事件でぴりぴりしているようだ。

 飛音は森に来た。草むらで虫が鳴いている。蚊も多い。グルル。犬の唸るような声がする。やがて前方に、ぼうっと薄赤色の光が見えた。幽冥鬼に違いない。飛音は静かに羅刹斬を鞘から抜いた。残念ながら、やはり羅刹斬に光は無い。飛音は羅刹斬の鞘を、ズボンの尻ポケットに突っ込んだ。いつもそうしている。

 ボキボキ。木の倒れる音がして、目前に一体の幽冥鬼が現れた。体全体がぼうっと薄赤色に光っている。体の色は赤銅色だ。筋骨は隆々で脚には獣のようにびっしりとした毛。足の指は鷲のようだ。手の指には鉤爪。頭には二本の角が有り、大きな目は血走っている。あの目を狙うんだ。

 幽冥鬼を前にして、飛音は体の震えが止まらなかった。星野さんの仇を討つのに情けない。しかし一歩間違えれば、そのまま喰われる。震えるなというのも無理な話だった。

 幽冥鬼はゆっくり腕を伸ばすと、飛音の体をがっちりと掴んだ。飛音はうまく両手を上にあげて、両手を掴まれないようにした。両手を使えなければ、幽冥鬼を攻撃できないので、まずは作戦成功だった。飛音は両手で羅刹斬を握るため、手にしていたライトは捨てた。

 幽冥鬼の握力なら、このまま飛音を握り潰せるだろう。それをしないのは、もしかしたら幽冥鬼は生きたまましか食べないのかもしれない。

 飛音は幽冥鬼に持ち上げられる。幽冥鬼の手の中は生温かい。そして獣臭い。幽冥鬼は飛音を口に運ぶ前に、まず目に近づけてじっと見た。幽冥鬼の鼻息で飛音の髪の毛がそよぐ。いまだ。飛音は羅刹斬を両手で握りしめ、気合もろとも幽冥鬼の目に突き立てた。

 だがダメだった。羅刹斬を目に突き立てる直前、幽冥鬼はまぶたを閉じた。幽冥鬼のまぶたは鎧のように硬く、羅刹斬では歯がたたない。何度も突き立てたが、幽冥鬼にとっては羅刹斬はおもちゃの刀でしかない。なんの役にも立たない。

 幽冥鬼は口を大きく開けた。鋭い牙が並んでいる。そして血のように真っ赤な舌がだらりと口から垂れ下がっている。幽冥鬼は飛音を口に近づけた。いよいよ喰われる。恐怖で全身に鳥肌が立つのがわかった。飛音はぶるぶると震えた。

 幽冥鬼に喰われる。その時が最後のチャンスだった。幽冥鬼は口をさらに開けて、飛音を口にまで持っていった。一か八か。飛音は幽冥鬼に喰われる寸前、羅刹斬を幽冥鬼のだらりと垂れた舌に突き立てた。手応えがあった。幽冥鬼も舌は柔らかいのだ。

 飛音は気合を込めて、何度も何度も幽冥鬼の舌に羅刹斬を突き立てた。幽冥鬼はグェッと声を出すと、飛音を放り投げた。飛音は二、三メートル放り投げられ、森の木にぶつかったが、木の枝とこんもり盛り上がった葉がクッションになってくれた。もし直接地面に叩きつけられていたら、怪我をしていただろう。

 飛音は放り投げられて多少の体の痛みがあったが、いまはそんなことを気にしている場合ではない。枝を伝って素早く地面に降りると、急いで走り出した。幽冥鬼から逃げるのだ。目や口を狙っても、幽冥鬼にほとんどダメージを与えられない以上、戦っても無駄だ。星野さんの仇討ちが出来なかったのは残念だが、もう逃げるしかない。羅刹斬では、やはり幽冥鬼に勝てないのだ。

 背後からボキボキと木の倒れる音がする。幽冥鬼が追いかけてくる。飛音は暗闇の森の中を、月明かりのみで必死で逃げた。汗が吹き出す。汗が目に入る。しみる。だが構わず逃げる。森の奥ではなく、森の外側近くを迂回するように走り、村に戻るつもりだ。村には警官も居るし、消防車もパトロールしている。助けてもらえる可能性が高い。

 幽冥鬼の巨体では、森の木が邪魔になって上手く走れないようだ。飛音はなんとか村に戻った。人がいる。中年の男性だ。夜の犬の散歩らしい。不用心な人だ。犬が飛音の方を向いて、けたたましく吠える。

「鬼が来るぞ。逃げろ」

 飛音は男性に向かって叫んだ。中年の男性は、きょとんとした顔で飛音を見ている。飛音は構わず、鬼が来るから逃げろとがなりながら走った。飛音が走りながら振り返ると、犬は森の方を向いて吠えている。

 やがてめりめりと木の倒れる音が近くですると、森から幽冥鬼が現れた。中年の男性は悲鳴を上げて後ずさりした。次の瞬間、中年の男性は幽冥鬼に掴まれ口へと運ばれた。幽冥鬼は男性を頭から齧った。犬はきゃんきゃん鳴きながら、リードを付けたまま逃げていった。

 しまった。鬼が来るではなく、羆が出たと言えばよかった。そうすれば中年の男性も逃げたかもしれない。鬼などと言ったため、中年の男性は信じなかったのだ。飛音は後悔しながらも、走り続けた。

 幽冥鬼はこちらに来るだろうと思ったが、外の音を聞いた近所の家の住人が出てきたため、幽冥鬼はそちらを狙った。その住人が家の中に逃げるや、幽冥鬼はその家を破壊し始めた。瓦屋根を一撃で叩き壊すと、手を伸ばして二階に居た人を捕まえて喰った。

 家から蜘蛛の子を散らすように住人たちが逃げ出したが、次々と喰われていく。自分が幽冥鬼から逃げて、幽冥鬼をここまで誘導したため、この近所の人が犠牲になった。飛音は申し訳ない気持ちになった。

 幽冥鬼はさらに隣の家も破壊した。家の二階に拳で穴を開けて、そこに両手を突っ込むと、ばりばりと家を引き裂いた。そして慌てて家から飛び出した人を順に飲み込むように喰った。おそらく一家全員が喰われたと思う。近所の人が通報したのだろうか。遠くでパトカーのサイレンが聞こえる。こちらに向かっているようだ。

 幽冥鬼は満腹したのだろう。飛音の方には来ず、森へと引き返して行った。今回も飛音は命拾いをした。他の人が代わりに犠牲になってくれたお陰だ。幽冥鬼は昼間はどこに居るのだろうか。やはり山だろうか。

 飛音は危険を承知で幽冥鬼の後をつけた。今の幽冥鬼は満腹だ。喰われることはない。二十メートル以上も距離を置けば、森の中なら逃げられるだろう。木が幽冥鬼の巨体の邪魔をしてくれるからだ。

 なぜ後をつけるのかと言えば、幽冥鬼のねぐらを確認しておけば、幽冥鬼の行動範囲が把握できると思ったからだ。幽冥鬼のだいたいの行動範囲がわかれば、幽冥鬼から逃げたいのならその辺りに近づかなければいいし、幽冥鬼と戦いたいのならその辺りに行けばいい。そういうことだ。

 ちょうど向かい風で、飛音は幽冥鬼の風下だ。これなら匂いで気づかれることもないだろう。幽冥鬼の体はほのかに赤く光っているので、見失うこともない。幽冥鬼は警戒心も薄いのか、後ろを見ることもない。幽冥鬼に敵うものなど居ないのだから、警戒心が無いのもうなずける。

 幽冥鬼は人を追って走る時は、木を倒しながら走るが、普段歩く時は木を倒さず、木を押し広げるように隙間をつくって器用に歩くようだ。幽冥鬼は森の中をずんずんとゆっくり歩くと、やはり山に行った。猿神山だ。猿神山は台形状の山で、上のほうは平らだ。猿神山は猿神様と呼ばれる神様の神域で、大昔から人は入らない決まりだから、鬱蒼と原生林が生い茂っている。

 飛音は慎重に距離をとりながら、幽冥鬼の後をつけて歩いた。幽冥鬼は満腹のようだが、星野さんは喰うためでなく、ただ殺すためだけに殺された。そのことを考えると、幽冥鬼は満腹でも戯れに人を殺す場合もある。気づかれてはいけない。

 幽冥鬼は猿神山の中腹の崖にある洞窟の中に入って行った。この洞窟がねぐらだ。もう一匹の幽冥鬼も一緒だろうか。しかしさすがに洞窟を覗き込むのは危険だ。幽冥鬼はこの猿神山を中心に付近の住人を襲っている可能性が高い。飛音は引き返すことにした。 

 猿神山はそれほど急な山ではない。それでも夜中に歩くのは危険だ。ところどころに木の根が張っていて、うっかりするとつまずく。持って出たライトは、最初に幽冥鬼に掴まれた時にすでに捨てている。来るときは幽冥鬼の薄赤色の体の光を目印に歩いたが、いまは月明かりのみだ。

 ようやく村に戻った。飛音は汗だくで、息が上がっていた。これからまだ家まで歩かなければいけない。雄一郎伯父さんは心配しているだろうか。前方にパトカーが止まっていて、警官が立っている。飛音は警官に呼び止められた。羅刹斬は尻ポケットに入れて、丈の長いTシャツの裾で隠してある。

「君はこんな夜中になにをやっているんだ。また羆が出たんだぞ。危険だからすぐに帰りなさい。親の許可をもらって出歩いているのか?」

「羆じゃなくて鬼ですよ。猿神山を根城にしています。山狩りをやって下さい」

 飛音はつい言ってしまった。警官の顔色が変わった。

「鬼とはなんだ。そんなものいるわけないだろう。君は頭がおかしいのか」

「鬼人講が鬼を呼んだんです。鬼人講は危険な団体です。鬼人講を捜査してください」

「鬼人講は危険な団体なんかじゃない。この村に多額の寄付をしてくれている立派な団体だ。まだ宗教法人の認可を受けていないが、やがて宗教法人として村の発展にも協力してくれるだろう。信者が増えるのは良いことだ」

 やはり警察は鬼人講の味方だった。狭霧嶽村への多額の寄付に、村長への選挙協力。警察にも信者がいるという。警察はあてにできない。

「もういいです。帰ります」

 そう言って飛音は歩き出した。帰り道で霧が出始めた。霧の中をふらふら歩きながら、飛音は幽冥鬼の犠牲にしてしまったさっきの家族のことを想った。ボクがあそこに逃げたばかりに。逃げたりせずあのまま喰われて、星野さんのところに行けばよかった。だが自分が死んでも幽冥鬼は人を襲い続ける。やはり無駄死にしてはいけない。鬼殺しの家系である碓井家と羅刹斬。どうすれば幽冥鬼を退治できるのだろう。 

 やがて家に着いた。家には電灯が点いていて、雄一郎が心配した顔で出てきた。待っていてくれたんだ。心配かけてごめん。飛音は心の中で何度も謝った。


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