第18話 みやこは見た!

 途中から少し様子の変な公子だったが、無事に家の近所まで送り届け別れた後。さて、家に戻るかとペタが振り向いた瞬間、彼は全身が総毛立ち、顔から血の気が引いた。


「あらあ、ペタ。偶然ね?」


 そこには、薄い微笑を張り付けて恐ろしい気迫を湛えたみやこが仁王立ちしていたのだ。


「み、みやこ……」


 公子と一緒にいた所を間違い無く見られている。そう直感し、身体が金縛りにあったように硬直した。みやこはそんな青ざめたペタを睥睨し、素早く距離を詰める。こんかんこん、と靴を打ち鳴らし、至近距離で立ち止まるとペタの鼻先から数センチまで顔を覗き込ませ、眼光鋭く睨み付ける。


「……明日、始業前に屋上」


 縮み上がるような声音で簡潔に用件を告げると、ペタの怯えた視線を断ち切るようにふんっと顔を背け、去っていく。ペタはその背中が見えなくなるまで、恐怖の余り動く事が出来なかった。


 翌日、ペタは朝から重い気分を引きずって登校し、教室で自分の鞄を置いた所で行くのを止めようかと弱気が顔を覗かせる。しかし、行かなかった場合のみやこの怒りを想像して身震いをし、意を決して屋上へと向かった。


 屋上には、果たしてみやこが先に来て待っていた。昨日ほどの不機嫌さではないものの、憮然とした面持ちでフェンスにもたれ掛かり、校庭を見下ろしていた。


「おはよう、みやこ」


 何と声をかけようかと逡巡したが、無難な挨拶に落ち着いた。そんなペタに気付いていたのかどうか、みやこは胡乱げな瞳で大儀そうにペタへと振り向いた。


「おはよ、ペタ。それじゃ聞かせてもらいましょうか?」


 フェンスから身を起こしたみやこは腰に手を当てふんぞり返った。


「あー、昨日王子さんと一緒にいたわけだよね」


 無言で頷くみやこの迫力に気圧されながらも、ペタは母親との偶然の縁から家に招かれたことを説明した。そんな話を黙って聞いていたみやこは、ペタの言葉が一区切りついたところで確認する。


「それじゃあ、昨日のことはあくまでペタのお母さんが主導したってことね?」


「そうだよ。俺もいきなり家に王子さんがいて驚いたんだから」


 ペタの言葉を噛みしめるように、渋面を作っていたみやこは、ふっと気が抜けるように表情を緩めた。


「そっか。ペタがわざわざ休日に呼び出したわけじゃないのね」


「俺にそんな事出来るはずないだろ」


「それもそうね!」


 ペタの自虐的な言葉に、みやこはようやく笑顔を見せる。しかし、それも次の瞬間には真剣な顔に取って代わった。


「ペタ、あなた目的を忘れてはいないわよね?」


 その気迫に、ごくりと喉を鳴らして頷くペタ。みやこは、しばらくじっとペタの真意を見極めるようにその目を覗き込んでいたが、ふっと表情を緩めて力を抜いた。


「そうよね、ペタもあれだけの目にあって、忘れてるわけはないわよね」


 今度こそ納得してくれたことに、ペタも長く息を吐き出して安心した。そこへ丁度良く、始業五分前を告げる予鈴が鳴り響く。


「あら、もうこんな時間。それじゃペタ、戻りましょ!」


「ああ、うん」


 特に抵抗することもなく、ペタはみやこの先導で校舎内へと戻る。極度の緊張から解放された直後のためか、屋上へ続く階段の途中、廊下の角に隠れて二人の様子を窺っていた人影に、まるで気付くこともなかった。


 教室で顔を合わせた公子は、昨日の別れ際のどこか上の空な雰囲気は完全に脱しており、全くいつも通りに振る舞っていた。その様子を周囲に気付かれぬ程度に確認して、ペタは内心ほっとしていた。また公子の様子がおかしいままであれば、恐らく自分も無関係とはいかないだろうと思っていたためだ。


 しかし、だからといって昨日の約束に関しては公子も、もちろんペタも恐らく人前では口に出すことはないだろう。公子は変わらず学校の人気者であるし、その公子に対して自分でも自覚がある程には冴えないと思っているペタが、自宅に招いている等と言えば、例えどのような理由であれ邪推されずにはいられない。


 そんな風に物思いに耽っているウチに、いつの間にか昼休みになっていた。ぼんやりとしすぎだなあと自嘲するペタに、そういえば、と流星が声をかけた。


「そういや、ペタよ。結局アレはどうするんだ?」


「アレ?」


 何のことかすぐには思い当たらず、首を傾げるペタに向かって、流星はにいっと少し意地悪い顔を浮かべる。


「坂巻とプールデートの約束してたろうが。忘れたってのか?」


「はあ?! そ、そんな事言ってないぞ!」


 およそ覚えのない事にペタは素っ頓狂な声を上げて抗議するが、流星はからからと楽しそうに笑った。


「何言ってやがんだ、男女水入らずでプールに行くなんざ、デート以外の何だってんだ? 水入らずでプールとはこれいかに。何てな!」


 流星は自分のしょうもないギャグに一人で受けていたが、ペタは疲れたように嘆息した。流星が遠慮なしの声量でのたまうものだから、クラスの連中から好奇の視線とひそひそとした噂話の花がそこかしこで花開いている。率直に言って最悪であった。


「そりゃあ、確かに遊びに行く約束はしたけど……そもそも、相手はあのみやこだよ?」


「ほうほう、ペタは坂巻嬢に何か不満があるのか?」


「不満て言うか、不安ていうか……たぶん、プールに行ってもまた何かしら厄介事が起きそうな予感がしてさ」


 みやこと一緒にいて何事も穏やかに済むはずはないと、最近のペタは学習しつつあった。


「ははーん。まあ、それはある意味正しい……と思う……が……」


 にやついていた流星の表情が固まる。ペタは、流星がペタ越しに誰かを凝視しているのを見て己の危機を悟った。その予想を裏付けるように、ペタのすぐ後ろから凄まじい重圧が吹き荒れていた。


「へえ、私といたら穏やかではいられないんだ?」


 迂闊に流星の軽口に乗った自分を後悔したがもう遅い。恐る恐る振り返ると、いっそ慈愛に満ちた優しい微笑みのみやこがそこにいた。ただし、糸のように細められた目は笑っていない。


「み、みやこさん?」


 思わずさんづけで呼んでしまう程、みやこの雰囲気は危機感を募らせた。ペタの言葉に、優しい笑みはペリペリと音を立てて剥がれ落ち、その下から激情が現れる。


「ペタ、あんたは私が一体誰のために付き合ってあげてると思ってるの……!!」


「ひぃっ?! ゴ、ゴメンナサイ!?」


 轟くような一喝に、ペタは首をすくめて縮こまる。


「ま、まあまあ。ちょっとは落ち着けよ、な?」


 責任の一端を感じたのか、流星がとりなすようになだめにかかるがーー


「あ゛ぁんっ!?」


「いや、その……すまん」


 敢え無く撃沈した。


「ペタ! ちょっと来なさい!!」


「はい……」


 憤慨しているみやこにペタが逆らえるわけもなく、うなだれながら連行されていく。そんなペタに向かい、流星は合掌で見送るのだった。



「この辺でいいかな……」


 みやこに引っ張られながら辿り着いた先は屋上だった。どうやら処刑所は屋上に決まったようである。みやこはベンチに腰掛けると、ペタを促した。


「さ、座りなさい」


「はい」


 従順に命令を聞き、ペタがベンチではなく床に直接正座をするとみやこが変な顔をした。


「何でそんなトコに座るのよ。話がし難いじゃない」


「いや、何となくそうしないといけない気がして」


 ペタは言葉を濁してみやこと同じベンチに座り直した。すると、みやこはキョロキョロと周辺を窺っている。目撃者を極力減らそうというつもりかとペタはなきそうになる。


「よし、誰もいないわね……」


 確認を終えてみやこがペタに顔を向ける。が、目があったのは一瞬で、その後はきょときょとと視線をさまよわせた。


「あ、あのさ……戸内君が言ってたことなんだけど」


「あ、あれはその、言葉の綾と言いますか」


「やっぱり、私となんかじゃデートっぽくならないよね」


 その言葉にペタは衝撃を受けた。あのみやこが、自信なさげに俯きながらそんな事を呟いたのだから。


「そんな事ないよ! だってその……」


 その次のセリフはいかに最近みやこに慣れてきたとはいえ、余りにも恥ずかしいものだった。躊躇い口が止まると、みやこが俯けていた顔を上げ、ペタの言葉を疑うように、しかし何かを期待するような、複雑な気持ちを感じさせながらじっと見つめてくる。ペタは覚悟決め、頭にあったセリフを言う。


「だって、みやこはとっても……可愛いし、友達としても自慢出来るから……」


 何とか最後まで言い終えた。ペタは頭が痺れるほど熱くなり、顔も湯気が出そうな程赤い。だが、それは面と向かって聞かされたみやこも同様だ。


「あ……あぅ……そ、その、えと……あ、ありがと……」


 消え入るような声でお礼を言い、声と同じように身を小さく丸める。ペタに負けず劣らず耳まで真っ赤になり、額にうっすらと汗まで浮かんでいた。


「え、えっと……まあ、そういうわけで、ペタは私と一緒に行く……んだよね……?」


 自身の無さそうなみやこの問いに、ペタはその憂いを取り去るためにはっきりと頷いた。


「プールでの女の子との接し方について、教えてね。お師匠様」


「……ぷっ、あはっ! もう、ペタってば……いいわ、任せなさい!」


 みやこがようやくいつものように弾ける笑顔を見せ、ペタも照れ臭そうに笑い返した。

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