第17話 膨らむ想い
「王子さん、それじゃあ俺と母さんで用意するから、ちょっと遅くなって申し訳ないけど、それまでしばらくくつろいでて」
いつもは愛衣の手伝いなどしないペタであったが、公子の手前そうも言っていられなかった。しかし、ペタの提案に公子は少し困ったように眉根を寄せる。
「あ、あの……実は、私が愛衣さんと一緒にお昼作らせて欲しいってお願いしてて」
「そうだよー。平太、勝手に話し進めちゃダメじゃない」
ぷくうっとまさに子供のようにほっぺを膨らませる実の母に、ペタはげんなりしながら溜息をつく。
「解ったよ……じゃあ俺はおとなしくしてる」
ペタが諦めると、公子はつぼみが花開いたような笑顔を輝かせて、腕まくりをした。
「う、うん! 待っててね、私の料理の腕披露しちゃうから!」
「あ、ああ、うん」
公子はどちらかというと何でもそつなくこなしたり、人に合わせるのがスタイルだったように思っていたペタは、今のこどものような浮かれようと、はしゃぎっぷりに戸惑った。まるで母親が二人に増えたように感じる。
「それじゃ、お料理しましょ!」
「はい! 愛衣さん、宜しくお願いします!」
意気揚々とキッチンに向かう二人の後ろ姿を見送り、言い知れない一抹の不安がペタの脳裏を掠めたが、今はただ見守ることしかできなかった。
二人が料理をしている姿をずっと見ているのも何となく気が引けて、ペタは自分の部屋に戻っていた。
「あ、そうだ。あの時買ったCDでも聴こうかな」
長らくすっかり忘れていたことだが、公子を助けたあの日に買いに行ったCDを、まだ聴いてはいなかった。自分にしてはらしくもない行動を起こして、色々と考え込んでいたせいかもしれない。
「どこにやったっけ」
心当たりを探ると、程なく目当ての物は見つかった。今まで忘れていたもののはずが、実際に手にとってみると、現金なもので期待に胸が高揚してくる。
「じゃあ早速」
プレーヤーにセットし、適当にボリュームを調整して再生をするや、ペタはベッドに寝転んでリラックスした。流れてくる旋律はしんみりと心に訴えかけてくるようなバラードだった。切ない恋の歌にしばし身を委ね、やがてコミカルな歌、激しいロックアレンジなど多彩な音色が次々に目まぐるしく流れていく。何を考えるでもなく、ぼんやりと音楽を聴く。
その贅沢な時間の使い方を、ペタは大事にしていた。と、部屋のドアが遠慮がちにノックされる。
「はい?」
返事をすると、ドアを開けて公子が遠慮と好奇心の狭間のような表情で半身を部屋へと入れてきた。
「お夕飯の準備が出来たからって、愛衣さんに呼びに行くように言われたの」
客人に使いっ走りをさせるとは、やはりただものではないとペタは実の母親の剛胆さに戦慄する。
「ごめん、わざわざありがとう。すぐに行くよ」
公子に礼を述べ、ペタはベッドから降りる。それを確認した公子は、心なしかウキウキしたように軽い足取りで先に階下のリビングへと降りていった。
「それでー、どうだったの公子ちゃん」
ペタが公子の後に続いてリビングに入ると、愛衣が公子に何かを確認していた。
「え? どうだったって、今丁度平太君が来たところですよ?」
平太を呼びに行くように言われたことと思い、公子がペタの顔をちら見しつつ答えると、その内容がどうも不満であるようで愛衣はぷくっと頬を膨らませた。
「ちっがうよー。私が言いたいのは“あなた、ご飯が出来たわよ♪”っていう新婚さん気分を味わった感想なの!」
「ええっ!?」
「何言ってんだよ、母さん!」
クラスメートの女子相手にとんでもない事を言い出した愛衣に、ペタは憤慨した。
「あ、あの、私はそういうつもりがなかったので、その……」
すっかり戸惑ってしまった公子は、何を言うべきか見当がつかず、いつもの優等生の仮面も使えずにしどろもどろになる。
「あれー、おかしいなあ。公子ちゃんなら喜んでくれると思ったんたけどなあ」
「何でそんな意味不明な予想が立ったのかこっちが解らないよ」
意外そうな母の言葉にも、ペタは諦めの溜息を吐いた。そして公子にも一言添える。
「ごめんね、ウチの母親かなり頭がふわふわしてるから……」
実の親に言うには随分な言葉で、事実ペタの視界の端で愛衣がぷくっとほほを膨らませているが、見えない振りをして無視する。
「ううん、大丈夫。気にしてないから」
ここに来て公子はようやく自分を取り戻し、ペタにふだん通りに振る舞う。その言葉に安堵し、ペタは仕切り直しのために声を上げた。
「それじゃ、皆でご飯にしようよ」
「はあい。平太はまったく、色気より食い気なんだから」
まだ不満が残っている愛衣がぶつぶつと呟きながらもご飯をよそい始め、都築家の遅い昼食が始まった。
「今日はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ楽しかったから! 息子のクラスメートで! しかも女の子とお食事なんて滅多にない機会だしね!」
食事と後片づけを終え、公子がそろそろお暇すると告げてペタと愛衣は並んで玄関で見送る。愛衣は終始ご機嫌で、いつもの二割増しのはっちゃけぶりだったが、幸い公子はそんな愛衣を受け入れていたようで、ペタはほっと胸をなで下ろしていた。
「ほらほら平太! しっかり公子ちゃんをエスコートするんだよ!?」
ニコニコしながらペタの背中を遠慮なく叩き、公子と一緒にペタを送り出す。ペタは、逆らっても無駄であることをよくよく知っていたので、諦めて大人しく公子を送ることにしていた。
「あの、ホントにいいの?」
玄関を出て、ペタを振り返りながら公子が遠慮がちに訊ねる。
「母さんは言い出したら聞かないんだ。だから、良かったら送らせてよ」
しかしペタは苦笑しながらも諦めることはなく、公子へ願い出た。
「そうね、それじゃお願いします」
そこまで言われては公子も断りきれず、少しはにかみながらペタへ笑顔を向ける。ペタは、その笑顔の眩しさに心臓が跳ねたことを自覚して顔が火照ったが、それを公子に気付かれないように隠し、先立って歩き始めた。
公子と彼女の家の近所まで、他愛もない話をしながら並んで歩く二人。と、公子は少し表情を改めて、ペタに呼びかけた。
「ねえ、平太君」
「ん? 王子さん、何?」
「今日愛衣さんに料理を教えてもらいながら作ったことなんだけど……どう、だった?」
ペタは、先程食事の時にも素直にとても美味しいと褒めたばかりなので、首を傾げつつももう一度感想を伝える。
「さっきも言ったけど、美味しかったよ。王子さんの料理が食べられるなんて、もったいないくらい」
毎日みやこのお弁当をもらってはいても、流石に家で作りたての料理をご馳走になる機会は今まで全くなかったのである。
公子は、ペタの反応に満足したように微笑み、次いで少しだけその質を変えて悪戯っぽく笑う。
「あはは、私の料理が食べられるなんて平太君だけなんだから」
そんな意味深な言葉にペタはたじろぎ、顔が熱くなった。彼女の冗談めかした社交辞令であろうことは理解していても、その愛らしい仕草を目の当たりにしては冷静ではいられない。
「それでね、愛衣さんにも筋が良いって褒められちゃった」
それは言葉通りの素直な気持ちのようで、ペタも我が事のように嬉しくなる。
「そうなんだ。母さんが褒めるなんて、結構珍しいことだし王子さんは凄いね」
「そうなの? だったら嬉しいな。……それで、ね」
公子は、ペタの様子を窺い、躊躇いがちに言葉を選ぶ。
「また料理を教わりに来てもいいって、言ってくれて。平太君には迷惑かもしれないけど……また今日みたいにお邪魔してもいいかな?」
公子は本当はもう一つ、愛衣から言われた事があったが、それをペタに伝える事は出来なかった。親の公認上げるから、平太のことをよろしくと言われた等、恥ずかしすぎて言えはしない。
「うーん、母さんが良いって言ってるなら、俺はいいよ」
ペタは頷いたが、それは公子が望んだ100点の答えではなかった。公子としては、そんな消極的な考えではなく、もっと――
「それに、また王子さんの料理が食べさせてもらえるなら俺も嬉しいから」
一度落胆した後の不意打ち。完全に油断していた公子は、一瞬にして頭の中が真っ白になる。その後の事は衝撃を引きずる公子自身も余り覚えてはいなかったが、適当に家の近くで別れ、おぼろげにまた学校で、という無難な挨拶をしたはずだった。
「……よしっ」
一人家路に着く公子は、自分でも知らずのうちに小さなガッツポーズを取っていた。
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