第16話 ペタ、翻弄される

 ペタの休日は実にのんびりとしたものだった。いつも昼少し前まで惰眠を貪り、昼ご飯を食べてから本格的な活動に入る……それが、休日ライフを満喫する方法だとペタは信じている。今日も毎週の習慣通り、昼前に起き出し、パジャマのまま階下のリビングへと降りていく。しかしふと、違和感のような物を感じた。


「何か騒がしいな?」


 キッチンの方から、いつもの母親の声と、それに混じって知らない嬌声が上がる。


「母さんの友達かな……?」


 どちらにしろ、この格好では恥ずかしい。ペタはいつものように、脱衣所に向かい着替えをする事にした。手早くパジャマを脱ぎ捨て、普段着を手に取ったその時。脱衣所のドアが軽々しく開いた。


「愛衣さん、それじゃ洗面所をお借りします…?」


 言葉の途中、顔だけを外に向けていた相手がしっかりとペタと顔を合わせる。


「えっ」


 その小さな呟きはどちらのものだったろうか。ペタは、予想外の出来事に完全に呆けてしまった。何しろドアノブを持ったまま固まっている相手が、王子 公子だったのだ。公子は最初顔を青ざめさせ、次いでりんごのように真っ赤にし、徐々に目尻に涙が溜まっていく。ペタはその様に焦り、何か言わなくてはと口を動かした。


「あ、あの……」


 しかし、それこそが引き金になってしまった。平和な都築家から凄まじい女性の悲鳴が上がったのは、ある晴れた休日の午後のことである。



 ひとしきり大騒ぎした後、どうにか落ち着いた二人は気まずいながらもリビングで向かい合わせに座っていた。二人はお互いにちらちらと様子を窺い、ふと視線があえば慌てて逸らす、というような事を繰り返していた。


「あははは、さっきの公子ちゃんの悲鳴すんごかったね!」


 そこへ、敢えて空気を読んでないのか、愛衣が茶器一式とお菓子を持って現れた。


「あ、あの……大騒ぎしてしまってごめんなさい」


 公子は恥入るように俯き、身体を小さくする。


「いいのいいの、ウチはいつも賑やかだから!」


「いや、それは母さんだけだろ……」


 愛衣の言葉を訂正し、ペタは大きく嘆息した。そこへ、意を決したように公子が顔をあげ、ペタを見据える。


「平太君も、ごめんなさい。私の不注意で……」


「い、いや。こっちこそ、お客さんが来てるの知ってて油断してたから。もう忘れてくれていいよ」


「ーーそれはちょっと無理かも」


「えっ?」


「あっ、な、何でもないっ!」


 ベタは公子が何か不穏な言葉を呟いた気がしたが、追及しない方がお互いのためと思い、口を閉ざした。


「あはは! 平太ってば、ホント女の子の扱いなってないね」


「う、うるさいな。言われなくても解ってるよ、そんなことは」


 自分の欠点を自覚しているとは言え、改めて誰かに指摘されると反発してしまう。しかし、そんな子供じみた態度を見ていた公子が緊張を緩め、クスクスと小さく笑っていた。同級生の女子にみっともないところを見られたとやるせない気持ちになったが、先程までのお互い意識しまくりだった状態が解消され、ペタも気が付けば穏やかな笑顔になっていた。


「あんまり親に恥かかせないでよね、平太!」


 偉そうに胸を反らしてふんぞりかえる母親に、平太は突っ込まずにはいられなかった。


「母さんの方がよっぽど恥ずかしいだろ!? パワフルメイちゃんなんて呼ばれてるのに!」


 ペタの悲しい訴えに公子も思い出し、控え目な苦笑をうかべる。しかし当の本人は微塵も気にした様子はなく、あっさりと頷いた。


「商店街の人気者だよ? たまにお菓子とかくれる人いるからね!」


「それ絶対勘違いしてるよ!?」


「もー、平太ってば細かいことを気にするんだからなー。ねえ、公子ちゃん?」


 突然話を振られた公子は、すがるような目をしたペタと、きらきらと期待に満ちた瞳の愛衣に挟まれ、冷や汗をかきながら曖昧に笑うしかなかった。


「はあ。ところで、どうして王子さんがウチの母親と一緒に?」


 ひとしきり大騒ぎして肝心な事を聞き忘れていたペタは、気を取り直して事の次第を確認する。


「八百屋さんの前で困ってた私に、公子ちゃんが親切にしてくれたの。いい子だよねえ!」


「え、いえ、そんな……私、そんないい子じゃないです」


 ペタは謙遜している公子のセリフの中に、何か陰のあるものを感じた。揺れるような瞳は、痛みを耐えているかのように滲んでいる。


「ううん、私が断言する! 公子ちゃんはいい子だよ。ウチの娘になって欲しいくらいなんだから」


「ええっ!?」


 愛衣の冗談に、公子は何故か激しい反応を示した。


「あ、あのいきなりその……家族にっていうのは、ハードル高いっていうか……」


 顔を真っ赤にしながらしどろもどろに狼狽えている公子は、ペタが普段学校では目にしたことがないほどに素直な感情を曝け出していた。


「可愛いなあ。ねえ公子ちゃん、いっそのことウチに下宿しない?」


「いきなり何言ってんだよ、母さん! そんな無茶なこと」


「あら、可愛い子には旅をさせろっていうでしょ?」


「同じ地域じゃないか!」


「あ、じゃあこうしよう! ウチが公子ちゃん貰う代わりに、王子さんとこにペタを上げる!」


 さも名案だとばかりに手を叩いて浮かれる愛衣に、いよいよペタは頭痛がしてきた。


「血を分けた自分の息子を軽く売り飛ばさないでくれるかな?!」


「いいアイデアだと思ったんだけどなあー」


 公子が目前で繰り広げられる応酬についていけず、ぽかんとしているのを良いことに、愛衣は好き放題勝手なことを言っている。


「だから、どうして王子さんがウチに遊びに来ることになったんだ?」


 すっかり愛衣のペースにのまれてしまっていたが、もう一度問うたペタの疑問に、愛衣はぽんと手を打つ。


「そうだ! お昼ご飯忘れてた!」


 確かに、ペタが起きてすぐに騒ぎになったせいでまだ昼食は取っていなかった。お腹も空いてはいるが、ペタはそれどころではない。


「いや、それはそうだろうけど、俺の疑問にも答えてくれよ」


 また母親の脱線が始まったのか……と思ったが、愛衣は笑顔でペタに答える。


「それが関係あるんだなー。公子ちゃんは、何しろ家のお昼に呼んだんだからね」


「ええっ!?」


 愛衣の発言に仰天して公子を振り返ると、公子も少し恥じらうようでありながら確かに頷いた。


「愛衣さんが、是非にと招待してくれたから、お邪魔したの」


「そうだったのか……」


 強引な母親にまた頭を悩ませつつ、しかし来てしまった以上は愛衣の息子として、責任を取ってきちんと応対しなければならない。

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