第10話 二人の変化、三人の想い

 それからというもの、ペタとみやこの奇妙な”モテ男指南”活動は日に日に周囲に浸透していくようになっていき、今ではペタとみやこは完全にセットの扱いになっていた。


「じゃじゃーん、今日は昨日よりも味がいいはずよ!」


 いつもの昼休み、みやこが掛け声と共に蓋を開けた弁当箱には色とりどりのおかずが並んでいた。


「おおっ、やるじゃないか坂巻。最初の2、3回に比べて、こいつは各段の進歩だねえ」


 一緒に弁当箱を覗き込んでいた流星が、娘の成長を見守る父親のように喜んでいる。それはもちろん、ペタにとっても喜ばしい出来事だった。


「本当、みやこってみるみる内に上達してるよね」


「あ、あはは、もうやだなあペタってば。とにかく食べてみてから言ってよ!」


 二人から賞賛され、みやこは顔を赤くしながらもペタにお弁当を勧める。


「うん、それじゃ頂きます。……んぐんぐ」


「…………」


 黙って咀嚼するペタの様子を、みやこが固唾を飲んで見守る。そして、判決を待つ被告人のような面持ちでペタの顔を窺った。


「ど、どう……かな?」


「うん。これ、凄く美味しいよ!」


「……っっ!! ホント? ホントに?」


「ホントだってば。みやこだってちゃんと味見してきてくれてるだろ? お世辞ナシに、これは美味しいよ」


「やったーーーー!!」


 みやこは、まさにイスから飛びあがり、お箸を持ったまま両手を突き上げてペタの評価を喜んだ。


「ほう、どれどれ」


「あ、こら流星!」


 流星が勝手にペタの分の弁当から、おかずを一つ拝借し咀嚼する。


「ほう、確かにこりゃ美味いな。坂巻、ホントに良くがんばってるじゃねえか」


「えっ? えへへ、まあね! 私だものね!」


 二人に誉められ、完全に天狗になったみやこが胸を張って勝ち誇るように笑った。


「いや、最初にペタを殺人未遂にした時はどうなるかと思ったが……」


「ちょっと! そこまで酷くないでしょ!? せいぜい気分が悪くなったくらいじゃないの!」


 流石に、完全に無実とは言えないみやこであったが、誇張する流星にきっちりと訂正を求めた。


「ははは、そうだったかな。ま、しかしこれでこの前言っていたあれはもう終わりなんだな」


「え?」


 流星の言葉に、きょとんと首を傾げるみやこ。ペタにも、何の事か思い当たらず首を捻る。


「え?って、坂巻、お前が言ってたんじゃねえか。”本当に美味しいお弁当を作ったときに褒める”の段って。これで合格だろう? ということは、もうお弁当を作る必要もないわけだ」


「あ……」


 その指摘に、今の今まで完全に失念していたみやこは不思議な寂しさを感じた。確かに、これはもともとそういうつもりで作ってきていたお弁当だったのだ。ペタに心からの賛辞をもらった今、これから先も作り続けて来る必要はない。何かを求めてか、それとも無意識なのか。みやこは思わずペタの顔を見詰めてしまう。


「そ、そっか。そう言えばそんな話しだったっけ」


 その上ずったような声のペタに、みやこはその寂しさを感じていたのは自分だけではなかったのだと直感する。それが、みやこの心に不思議な暖かさの灯火を燈したのだった。


「で、でも。私の料理はまだまだこれからも、試したい事いっぱいあるし。だから、ペタ!」


「え? な、何?」


「明日からも、味見してね!」


 言いながら、恥かしさのあまり顔が茹っている事を自覚しながらも、みやこはその強気な態度だけはせめて維持し様と努力した。その結果が、顔はそっぽ向いて指だけをペタに突き付けるという間抜けな格好になってしまっていても、みやこはそれに気付く余裕など微塵もなかった。


「うん。解った、明日からも楽しみにしてるよ」


 その、余りにも自然な笑顔と言葉に。みやこは悔しさを感じていた。自分はこんなにも恥かしい思いをしているというのに、ペタの方はまるでそれを気にしていないかのような自然な振るまい。だがそれは、みやこが願ったモテ男らしい態度ではあるはずなのだが、みやこはそのことに苛立ちを感じずにはいられないのであった。


 そして、そのペタの態度に苛立ちを感じていたのはみやこだけではなかった。もう一人、つい先程から3人の様子を見ていた者がいる。王子 公子その人だった。周りの取り巻き達は、ペタと流星、みやこのやりとりになど気にも留めずにいつものお喋りに興じている。その輪にいながらも、公子は3人の様子が気になって仕方がなかった。正確には、ペタの様子が特に気になるのだ。


「それでさー、キミ。こないだの彼なんだけどー、実はすっごい臆病者でさー。遊園地のお化け屋敷に入れないって言うのよ!」


 夢菜が、連れ立って遊びに行った男に幻滅したというネタで散々盛り上がっているが、その話しは半分も聞いていなかった。やたらに可愛らしい反応のみやこと、それを優しく見詰めるペタのその視線に、みやこはズキリと胸の奥に鈍い痛みを覚えるのだった。


 そんな事があってから、数日後の放課後のホームルームにて。相変わらずちょっと頼りなさげな紀伊先生が、伝達事項等を伝えていく中で、それはあっさりと伝えられた。


「というわけでー、えっと、ウチのクラスの文化祭実行委員の人に行って貰いたいんだけど……」


 教室を見まわした紀伊先生は、当然選出された委員のメンバーが応答するものと思ってしばらく反応を見ていた。しかしながら当の委員の反応はなく、生徒達のぽかんとした顔だけを眺める事になる。


「あ……れ? 実行委員の人、今日お休みだっけ?」


 困惑してる紀伊先生に、同じようにどよどよとざわめく教室。そこへ、クラス委員で真面目な事にも定評のある女子がおずおずと手を上げる。


「あのー、先生。文化祭実行委員なんて、初耳なんですが……」


 その言葉に、クラスメイトが一斉に頷く。それを見て取った紀伊先生はすっと顔色を変えた。


「あれ……もも、もしかして……言ってなかった?」


 青い顔をしている先生に、全員がまたしても一斉に頷く。


「ごごご、ぎょめんなさい!? ったー!? ひはい!?」


 焦りの余り呂律が回らずに舌を噛んでしまった紀伊先生が、涙目になりながらもぺこぺこと頭を下げた。


「あ、あの……先生、落ちついて。今から選べばいいだけのことですし」


「あ、あう……ごめんなさい……それで、誰か行ってくれないかな……?」


 その懇願するような潤んだ瞳に、しかし面倒事を避けたいと考える一般生徒はさっと視線を逸らす。顔を向ける度にあからさまに拒否され、紀伊先生の視線がしばらく教室をうろうろとさ迷っていたが、やがてぴたっとある一点で止まった。それは、紀伊先生の姿が余りに哀れで視線を逸らす事もし辛かったペタの所であった。紀伊先生はペタの顔見て、にへらんと顔を崩す。


「あの、都築君? やってみたくない? やってみたい……よね? やりたいでしょ?」


 笑顔のまま繰り出される紀伊先生の異様な迫力に、ペタはすっかり呑まれる。やがて、こくりとほぼ無意識のウチに頷いてしまっていた。


「わあ、ありがとう! じゃあ早速今からお願いね!」


 子供のようにはしゃぐ紀伊先生を前に、ペタは仕方ないとばかりに誰にも気付かれないようにそっと溜め息をついたのだった。


「えっとー、それともう一人して欲しいんだけど……」


 そう、実行委員は各クラス2名ずつ出す事になっている。ならば、残った後の一つの席を誰が埋めるのか。またしても教室に妙な緊張が生まれようとした瞬間。


「――私、やります」


 凛とした声が教室に響いた。ペタはその声の主を確認して椅子から転げ落ちるかと思うほどの衝撃を受ける。なんと、それは王子 公子だったのだから。


「ええっ!? ちょっとキミ、本気!?」


「やめときなよー、遊ぶ時間減っちゃうしさー」


 早速取り巻き達が騒ぎ始めたが、公子はそんな彼女達にすっと軽く頭を下げる。


「ごめん、でも学生のウチに色んな経験しときたいから」


 いかにも優等生じみたその言葉に、取り巻き達も追求を取りやめる。


「まったくー、キミってばホント優等生なんだからー」


「まあ、家がお固いし、ちょっとはポイント稼がないといけないんだろうしね。しゃーない」


 まだ不満はあるような態度だが、取り巻きたちも一旦はそれで納得する。


「ほっ、良かった。それじゃ王子さん、都築君。よろしくね」


 いかにも肩の荷が降りたと言わんばかりの晴々とした笑顔で、紀伊先生は終礼の号令を促す。定型の挨拶も終わり、クラスメイト達は各々自分達の行く先へと向かったり、教室に残ったり。そんな放課後の騒がしい喧騒の中、ペタは困惑していた。


「あの、ペタ君。それじゃ行こうか?」


「う、うん」


 遠慮がちな公子に声を掛けられ、若干上ずったような声を上げてしまうペタ。そんな様子を見ていた流星が何か言いたそうにしていたものの、結局それは口に出る事は無かった。そういえば、とペタは思う。いつもは放課後になると物凄い勢いでやってくるみやこが、今日に限っては現れる気配がなかったのだ。いつもみやこが飛び込んでくる、教室後方のドアをなんとはなしにペタが見詰めていると、公子の鋭い声が飛んできた。


「ペタ君! 早く行かないと」


「あ、ご、ごめん。今行くよ」


 それが公子の真面目さゆえと思ったペタは、反省する。確かに、ぼうっとしている場合ではなかったのだ。しかし、その公子は自身でも首を傾げてしまうくらい、余裕のない声を出してしまった事に驚いていた。ペタが、何を気にしているのかを想像した途端に勝手に喉から声が出ていたのだ。


 二人は、無言で喧騒の続く廊下を歩いていく。準備委員会は視聴覚室に集合との予定だった。ペタが、何とも言えない居心地の悪さを感じながらも公子と並んで歩いていると、不意に公子が声を掛けてきた。


「あの。こんな時に言うのもなんなんだけど……この間は、助けてくれて本当にありがとう」


 ペタは間抜けにも、一瞬何の事だか本気で度忘れしていた。五秒程立ってから、それがあの合コンの帰りしなの話しなのだと理解して、苦笑しながら首を振った。


「いや、あんな程度の事、そんなずっと気にしなくていいよ。あの時も言ったけど、俺は殆ど役に立ってなかったし」


 しかし、ペタの言葉を公子はすぐさま否定する。


「そんなことない!」


 ペタを振り返り、真摯にその顔を見つめる公子。


「あの時、私本当に怖かったから……ペタ君…ううん、恩人にそんなあだ名失礼だよね。平太君に助けられて、ホントに、ホントに感謝してるの」



 その抑えきれないと言った感謝の念に、ペタはまるで彫像のように動けなくなってしまった。身体は動かないが、その瞳の魔力と、あだ名ではなく名前で呼ばれた事に、心臓の鼓動だけは徐々に早まっていく。


「だから、平太君にもう一度ちゃんとお礼を言いたかったの。ありがとう、平太君」


「うん……。俺でお役に立てたのなら、良かったよ」


 まるで金縛りが解けたように動き出した体だったが、余りに真剣な公子の瞳を正視できずに、俯いてしまうペタ。しかし、公子はそんなペタの様子を照れているためだと見抜いて、穏やかに微笑んだ。


「うん。あ、ちょっと話し込んじゃったね。早く視聴覚室行こっか」


 公子に促されるままに、ペタは視聴覚室へと再び足を向けた。ちょっとだけ先を行く公子の足取りが、どことなく軽くなっているように見えたのだった。

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