第6話 嵐再び
次の日。ペタは朝起きた時から、昨日まであった憂鬱な気分が晴れている事を自覚した。あの事を忘れられるはずはなかったが、それでも気持ち的には大分楽になっていたのだ。原因はもちろん、昨夜の事以外には考えられないだろう。あれほど人に感謝されることが今まで殆ど経験したことがなかったために、ペタは未だに軽く高揚した気分を引きずったままだった。
だが、だからと言って今日から公子達のグループと積極的に仲良くなっていきたいのかと問われると、ペタは流石にそれは勘弁してほしいと思う。もう、面倒事は懲り懲りだった。だから、ペタが教室に入った時に予期せぬ出来事が起きても、それを軽く受け流してしまうしかなかったのだ。
「あっ、ペタが来た。おはよ!」
「あ、お、おはよう」
「昨日は大活躍だったじゃん、今もその話ししててさー」
取り巻き達が楽しげに語りかける中、公子がおずおずと言った様子でペタをうかがう。
「おはよう、ペタ君。昨日は本当にありがとう。もう一度、ちゃんとお礼を言いたくて」
「い、いや。何事もなくてよかったよ。……じゃ」
公子や取り巻き達はまだ何か話したり無い様子ではあったが、ペタは下手に騒ぎ立てられて注目されるのは避けたかった。
「よう、ペタ。おはようさん。お前さん、昨日何かやらかしたんだって?」
流星の挨拶に、ペタは顔を軽くしかめる。
「人聞きの悪い事を言うな。ちょっと、王子さん達が困ってる所にたまたま出くわしただけだよ。殆ど何もしてないし」
「ほう? その割にあの取り巻き達、やたらにはしゃいでるし……何より王子さんもお前の事ちらちらと様子うかがっているみたいだが」
「えっ?」
流星に言われ、ペタは反射的に公子の席の方へ目を向ける。すると、丁度公子がこちらに目線を投げた直後にぶつかったようで、しばし見詰めあう形になってしまった。
「あ、あう」
先に音を上げたのはペタの方である。女子と見詰めあう等と言う行為は未経験だったので、恥かしさの余り顔が熱くなる。
「あ、ご、ごめんなさい」
一方の公子もまた、見詰めあっていた事を恥かしがり、頬を朱に染める。そんな様子を取り巻き達や流星が生暖かい目でにやにやと眺めていた。
「ほほーう、ペタよ。お前もとうとうそんな嬉し恥かしな事をするようになったのだな?」
「何言ってるんだ、お前は」
「キミったら、初々しくて可愛い! きゅんきゅんしちゃうね」
「ホントホント、ペタを見詰めるあの眼差し……もう、確実ね!」
「も、もう! からかわないでよっ」
取り巻き達の囃し立てに公子が顔の朱色を深めていく。その様子がまた、騒ぎを大きくしてしまっていたが、公子は自分の事とはいえ、熱くなる顔と、うるさい鼓動を大人しくさせることはできなかった。
「ふむ、あの姫がねえ。ペタ、お前にもようやく春が来たってことか?」
「……そんなんじゃ、ないよ」
「……ふむ」
浮かれている取り巻き達とは対象的に、ペタの気持ちはどんどん重くなっていく。彼女達の”ノリ”が、あの偽のラブレターの時と同じようなものに感じられて仕方がなかったのだ。そのために、ペタはまた傷口から薄く血が滲み出すように、じわじわとあの時の惨めな気持ちが沸いてくるのを抑えられなかった。
「ま、お前にそんな気もないのなら放っておけばいいだろう」
流星は、ペタに事情をあれこれ尋ねたりはしない。だが、大体ペタの気持ちを察する事はやってのける。そして、ペタは少々おせっかいなこの友人の気遣いをいつもあり難く受け止めていた。
「ありがと、流星」
「へっ、よせやい。照れるじゃねえか」
にしし、と悪戯小僧のように笑う流星に釣られて、ペタも思わず笑ってしまう。そして、そうやって笑う事によって、ペタの気持ちは少しずつほぐれていくのだった。
取り巻き達は1日も半分を過ぎる頃には、もうペタをダシにして騒いだりはしなくなった。やはり、飛びつくのも飽きるのも早い、彼女達らしい行動だ。それがペタには幸いだった。なんにしろ、注目されるのはなれていないし、好きでもないのだから。
その時、ペタは気付かなかった。ペタどころではなく、流星も、公子も、その取り巻きたちも。他のクラスメイトも、気付かなかった。そんなペタ達の様子をじっと見詰める琥珀色の瞳があったことに。瞳の主は、その時ある決意を固めた。これからしようとしていることを考え、怖気づきかけたが、それでも、その人物にとってそれはやらなければ、ならないことだった。
放課後、部活に向かう流星と別れ下駄箱を開けると、ペタは一瞬眩暈がした。
――中に、またしても手紙が入っていたのである。
ズキリと胸の傷が痛んだが、注意深く見るとどうにも前のものとは様子が違っていた。
「――?」
以前の悪戯の物は、いかにもな封筒でシールも可愛らしいものだったが、今取り出して見た封筒は事務用の味気無い茶封筒だ。しかも、封がボールペンでバッテンにされている。いくらなんでも、ラブレターとしては余りに悲惨なものだった。
「なんだろう、これ」
とりあえず開けて広げてみた。するとそこには、コピー紙に新聞の切り抜きを張りつけて作った文章が書かれていた。
”放課後二校舎裏まデ来い さもなクば凄まじい不幸になるダろう”
「二昔前の脅迫状か!」
思わず誰もいないのにペタは突っ込んでしまう。しかし、この手紙のさし出し人には全く心当たりがない。ペタは、脅迫状(?)を前にしばし思案した。出来るならば、明らかな厄介事であるし関わりたくは無い。だが、行かないでいるのも気になるのは確実だろう。3分程迷った末に、ペタは覚悟を決めて指定された場所へと向かった。それは奇しくも、以前悪戯で呼び出された場所と同じであることに、この時のペタは妙な因縁を感じていた。
指定された場所へと向かうと、そこには誰もいなかった。不思議に思いつつ、きょろきょろと周囲を見まわしていたその時、不意に声がかかる。
「待っていたわよ、都築 平太君!」
近くの茂みからの突然の声に、ペタがぎょっとしている間に、声の主はよいしょよいしょと制服やスカートをあちこち引っ掻けながら茂みから抜け出してくる。それは、どこかで見た事があるような気がする女子生徒だった。……そんな面倒なら最初からここにいればいいじゃないか、とは思ったものの口に出すのは憚られた。しかし、一点だけどうしても言っておいたほうが良い事がある。
「あの、君……」
「ふふん、あたし? あたしが誰だか、疑問に思っているようね!」
何故だが無駄に勝ち誇っている彼女に対して、ペタは若干申し訳無さを感じつつも指摘する。
「そうじゃなくて、イヤ、確かにそれもそうなんだけど……頭」
「頭?」
ペタの言葉にきょとんと首を傾げる少女。
「枝と葉っぱが絡まってるよ」
「――っ!」
ぼっと一気に顔を赤くした女子生徒は、くるりと回れ右をして大急ぎで頭を払う。あらかた落ちたのを確認すると、またペタに向き直って何事もなかったかのように済ました顔をした。しかし、頬の赤みは隠しきれてはいない。
改めて見ると、その女子生徒はとても可愛い顔立ちをしていた。サイドをツーテールでくくり、目が大きく鮮やかなブラウンの瞳が印象的である。背は高くないものの、そのプロポーションは決して悪くない。少し垂れた目なのに、何故か勝気な表情がアンバランスで逆に魅力となっていた。
「ま、まあそれはともかく。良く来たわね、都築 平太君!」
「それはさっきも聞いたんだけど」
「あなたが茶々入れたんでしょうが!」
理不尽だ。ペタはそう思わずにはいられなかったが、口に出せばますます話しは進まないだろうと感じて続きを促した。
「そうそう、そうやって素直になっていればいいのよ。何しろ私はあなたの救世主なのだから!」
「救世主……?」
「そうよ。メシアよ! あなたは幸運ね、都築 平太君!」
ペタはかなり引いていた。ドン引きだった。ひょっとして何かの宗教の勧誘なのだろうかと思ったためだ。
「あ、僕宗教とか間に合ってます」
「ちっがうわよ! 別に改宗しろってんじゃないんだから!」
ペタの返答に少女は怒るが、すぐにふっと憐れみをたたえた瞳でペタを見詰めた。
「あたしの名前は坂巻 みやこ。あなたと同じ学年よ。クラスは結構離れてるけどね」
「ああ、それで見た事あるような気がするのか。それで、一体何の話し?」
「ふふん、良くぞ聞いてくれました!」
みやこは、それなりに育っている胸をぐいと突き出すようにふんぞり返ってペタを見やる。
「都築 平太君。いいえ、ペタ君! あなた、この場所でとっても不幸な出来事にあったわよね?」
「なっ――」
ペタは頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受ける。なぜ、この子があの悪戯のことを知っているのだろう?
「驚いてるわね。まあ、種明かしすると、あなたがここで酷い目にあってる時、実は私もいたのよ」
「えっ!? そ、そうなんだ」
悪戯に引っかかりのこのことやってきたバカな光景を一部始終目撃されていたのかと思うと、ペタは落ち着かなくなってきた。
「災難だったわね、ペタ君。にしても、あの王子 公子は本当に酷い女だわ。モテない男子の純情を弄んで、平気な顔をしてられるんだから!」
憎憎しげに、吐き捨てるように公子の事をこき下ろすみやこ。本当に怒っているらしく、自分が被害にあったわけでもないのに悔しげに何度も地面をだんだんと踏みつけて怒りを発散させている。
「ふーっ、ふーっ……。まあ、そんなわけで、ペタ君。あなた悔しくないの?」
「えっ?」
先程までの怒りを納め、いや、それは収まってはいない。みやこはその怒りを瞳に込めてまっすぐペタを見詰めた。
「あんなバカにされて、気持ちを踏みにじられて、笑いものにされて。それで悔しくないの?」
「それは――」
悔しくない、と言えば嘘になる。ペタにも人並みに怒りや悔しさといった感情があるのだから。だが、だからと言って公子相手に何をしようという気も起きないのもまた事実だった。
「あたしは、ここで笑いものにされてるあなたを見て、その時まで見知らぬ人だったあなたを見て、腸が煮え繰り返りそうだった。怒りの余りに吐きそうになったくらいよ」
「女の子がそんな表現すんなよ……」
感情のままに使った語彙だったのだろうが、ペタに指摘されてみやこは頬を赤く染めた。言われて恥かしくなったらしい。
「と、とにかく。私は、あなたにチャンスを上げようと思ったの。復讐のチャンスを!」
「復讐って……悪戯し返すとか?」
「そんな子供みたいな真似はしないわ!」
何か、かなり自信がある策を持っているのだろう。話したくてしょうがないという感じに瞳がきらきらと輝いている。
「聞きたい? ねえ、聞きたい? あの高慢な王子 公子の鼻を明かす方法、聞きたい? あの女、本当に高慢なんだから。高慢高慢、大高慢よ!」
「とりあえず落ち着いてくれ。そして、自分が今何を連呼したのか冷静に考え直してみたほうがいい」
「え、何をって……」
みやこは、先程自分が言った言葉を思い返す。そして、一部のワードが大変危険極まりないものであったことに思い至り、顔をトマトのように真っ赤に染め上げた。
「あ、あ、あう……ナシ! 今のナシ! あなたは何も聞かなかった、そうでしょ!?」
「うん、俺は何も聞いてない」
ペタは特別、今日知り合ったばかりの女子を殊更に辱めて楽しむ趣味はなかった。というか、聞いているペタ自身が恥かしかったので出来れば今後も自重して欲しいほどだった。みやこは羞恥の余り顔を俯かせて耳まで赤くしていたが、
「あう……それでっ!」
気を取り直し、というか多分に誤魔化す意味を含みながら、赤いままばっと顔を上げる。
「どうやって復讐するかって話し!」
「あ、ああ。それで?」
「ようは、あの女を悔しがらせればいいのよ!」
自信満々に言い放ったみやこだったが、残念ながらペタにはその意味が計りかねた。
「方法は?」
「よくぞ聞いてくれたわ。ところでペタ君、あなたって女にモテないわよね」
「いきなりなんだよ……確かに、モテてるわけじゃないけど」
公子を悔しがらせる方法と、自分がモテないという中傷に全く繋がりが解らないペタ。
「だからあんな悪戯の標的にされてしまうの。つまり、悪戯されたのは半分はあなたが悪いってわけ」
「斬新な解釈だな、おい」
ペタは、いい加減みやこ相手に気を使う必要を感じなくなっていた。それは言葉にも現れて、まるで流星に接するような気安さ、或いは乱暴さがあるが、当のみやこはそれを気にしていない。
「そこで王子 公子を悔しがらせるにはどうすればいいか。答えは実に簡単よ。つまり、イタズラの告白に利用したことを後悔させるほど、あなたがいい男になればいいのよ!」
そのぶっ飛んだアイディアに、ペタはどうすればいいのだろうとみやこを前に悩んでしまった。
「でもあなた一人ではモテる男、つまりモテ男になるのは至難の道よね。でも大丈夫! そこでこのメシア様、坂巻 みやこ様の出番だから!」
バン、と自分の胸を力強く叩いて、みやこは得意げに笑っている。
「私があなたをモテ男にするための方法を教えてあげる! 題してモテ男指南! これで王子 公子は悔しさの余り地面をのたうち回るわね、ザマーミロよ!」
既にみやこの中では公子が地面をごろごろと転がり回っている映像が流れているようで、くしししと子供のような楽しげな笑みを浮かべて悦に入っている。そんな様子を、ペタは実に冷静に眺めていた。
「それじゃ、俺興味ないから帰るね。さよなら」
「あ、うんバイバイ。また明日――ってててて、ちょちょ、ちょっと待った!!」
笑顔で手を振りかけたみやこが、途中で気付いて帰ろうと踏み出したペタの前へ全速力で割りこんでくる。
「あ、あああなた、何帰ろうとしてんの! これからまずはモテ男指南その1が始まるのに!」
「いや、だから興味ないし。それに君何か胡散臭いし」
「胡散臭くなんかないわよ! 大丈夫、私に任せたらあなたはすぐにモテモテになるんだから! 騙されたと思って、ちょっとだけ、ね? ちょっとだけ試そうよ」
冷めた様子のペタに必死に食い下がり、みやこは自分の指導を受けるように全力で説得し始める。
「というか、初めてあったばっかりの君を信用しろって方が無理な話しなんじゃ……」
「うぐ、意外と細かい事にうるさいのね。おかしいなあ、こういう時は普通やったるぜーってノリノリになってむしろ懇願してくるはずなんだけど……」
みやこの中にあったらしいシナリオが崩壊しているようだった。しかし、ペタにはそのシナリオの穴を見ているだけでも、みやこの指導を受けてモテ男になるなど到底無理な事じゃなかろうかという思いを強めていく結果に終わる。
「とにかく、俺はモテ男とやらになるつもりはないから。ごめんね」
立ちはだかるみやこの脇を、ペタがすり抜け様とした時、みやこは全く予想外の行動に出た。
「お願いだから待ってーー!!」
「なっ!?」
突然、みやこがペタの身体にタックルするように身体をぶつけ、そのまましがみついたのだ。女の子にしがみつかれた経験等もちろんないペタはうろたえ、硬直してしまう。
「お願いだから、私の作戦に付き合って! 変な事言ってるって解ってるし、あなたには迷惑かもしれない……でも、でも!」
ひたすら動揺していたペタだったが、みやこが見上げてきた顔を見てはっとした。みやこは、今にも泣きそうな程の必死な瞳でペタを見ていたのだ。その真剣さに、ペタは知らずのうちに見とれてしまった。
「……お願い」
絞り出すような再三の懇願に、ペタは見とれていた自分を恥かしく思いつつ、ようやく動き始める。
「……解ったよ」
「えっ?」
その希望に満ちたようなみやこの声に、ペタはますます恥かしくなってしまい、ぶっきらぼうに言い直す。
「まあ、今は特別することもないし……たまにでいいなら、そのモテ男なんたらに付き合うよ」
ペタは顔を背けていたが、ちらと目線だけを動かして都の様子を窺う。みやこは、感極まったように瞳を潤ませて、興奮し顔を赤くした満面の笑みでペタを見詰めていた。
「ありがとう!! 本当に……本当にありがとう!」
人にこれほど感謝されるのは2回目だが、やはりペタは慣れることはないだろうな、と地味な感想を抱く。
「じゃあ、明日から……改めてよろしくね、ペタ!」
「うん、まあ……よろしく、坂巻さん」
「あは、みやこでいいよ。っていうかみやこじゃないとイヤ!」
先程まで真剣に頼み込んできたのとは裏腹に、みやこは天真爛漫にわがままを言う。ペタは、今まで女子を名前で呼んだ経験がないので非常に言い辛かったが、期待にらんらんと目を輝かせているみやこを前に断る事は難しかった。
「……解ったよ。……よろしく、その……み、みやこ」
「うん! それじゃ、またね!」
ペタは、元気に手を振りながら走っていくみやこの背中を見送りながら、明日から何か大変な毎日が始まるんじゃないかという漠然とした予感を覚えずにはいられなかった。
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