第5話 お人好しの行く末

 そんな事があった翌日。学校であった公子の変化等知る由も無いペタは、病気が治ったというのに重苦しい気持ちを引きずって教室のドアを開けた。


「おお、ペタよ! ようやく来たな、この軟弱者が!」


 口ではそのようにのたまいつつも、風邪を治して学校に来た喜びを隠しきれないように、流星がペタを迎える。


「何か、心配かけたな、流星」


「何、いいってことよ。それよりお前こそお袋さんの相手がんばったな……」


 同情を禁じえないというような声の落し方をする流星に、ペタは引きつったような笑みを浮かべる。


「まあ、普段の2倍は精神的に疲れたよ」


「さもありなん、あのパワフルメイちゃんじゃなあ」


「何、その魔女っこアニメ的な名前」


 嫌そうに顔をしかめるペタに、流星がきひひと笑う。


「商店街の通り名だよ。内の親父もお袋もそう呼んでるんだからな」


「恥かしすぎる! ウチの母親!」


 しかも、そう呼ばれていることをちっとも嫌がらない、いやむしろ喜んでそう呼ばせようとするだろうことにペタはうんざりとした。


「ははは、まあ何はともあれちゃんと学校に来れて良かったな」


「だな。あ、休んでいる間に頼んどいたノート、借りていい?」


「オッケー、ま、俺の汚い字ですまんがな」


 流星はやんちゃ坊主的な見た目に似合わず、授業態度は至極真面目な部類である。もしテストで赤点でも取ろうモノなら、両親からガチの虐待を受けるのだと以前涙ながらに語っていた。普段は面白おかしい仲良し親子だが、なんともなれば今時珍しい拳で語りあう家庭なのである。


 ペタが流星からノートを借り受け、それを黙々と写している途中、廊下から騒がしい声が近付いてきていた。ペタは、聴覚が急に発達したかのようにそのかしましい声に意識を持っていかれる。


「昨日のモエミってば、ホント面白いよねー。ありえんくない?」


「もう、それはもういいってば、しつこいんだから!」


「いやあ、あれは今後1週間は言われても仕方ないっしょ」


「夢菜まで! しかも1週間て長いし! キミー、助けてよー」


「私も昨日のモエミはきゅんてきたけどなー」


「裏切ったなキミー! 皆して酷いんだからー」


 やかましかしましい3人の登場に、ペタはシャーペンの芯をぽっきりと折った。動揺が手に伝わってしまったようだ。


「まあ、もうその話しはいいでしょ! それよりさー、前から目をつけてたショップ行かない?」


「あー、何か言ってたね。いいよ、行こうか」


「んだんだ。たまには新しい店開拓しとかないと、枯れちゃうしね」


「そうね。私も新しいキャミが欲しかったし……あれ?」


「ん、どうしたのキミ」


 話しに入っていた公子が、何事かに気がついて言葉をとめる。その視線は、本日復帰したてのペタへと向かっていた。


「あれー、ペタじゃん。風邪が酷いとか言うの治ったんだ」


「ふーん」


 公子以外の取り巻き達は、さして興味もなさげにペタを軽く一瞥する程度だった。元々、彼女達はペタのようないてもいなくても関係のない男子には興味がないのだ。


「そっか、風邪治ったんだ……」


 公子は我知らずそう呟いて、自分でも良く解らないものの安堵したような微笑みを見せた。


「でさ、その後はどうしよっか?」


「やっぱりアレでしょ、アレ」


「だよねー」


 公子がちょっと意識を逸らしているウチに、話しがどんどん勝手に決まっているようだった。ふと気付いて、公子が確認をする。


「アレって何?」


 すると、取り巻き達は顔を見合わせてくすくすと笑う。悪戯を仕込んでいる時の顔だと公子は思い至り、もう少し強く聞いた。


「一体何なの、もう」


「あはは、ごめんごめん。アレっていうのは、合コンの事よ」


「ええっ? 私、そういうのはちょっと……」


「大丈夫、大丈夫。私たち慣れてるし、心配ないって」


 初めての不安というよりも、公子にとっては合コンそのものが気乗りしないのだったが、それはどうにも通じないようだった。


「ねえ、私本当に合コンとか、興味ないんだけど……」


「んー、でもキミが来たら絶対盛りあがるよー、男供は。たまにはいい夢見せてあげようよ」


「そうそう。それに、キミが来るっていうなら、向こうのレベルもかなり高くなるだろうしね」


 公子にとっては高校生で合コンは早すぎるし、何より、そういう所に来る男というものを信用出来ないのでかなり抵抗があるのだが、あんまりにも強硬に断って彼女達の心証を悪くするのも嫌だった。色々困ったところもあるものの、それでも公子にとっては彼女達は友達なのだ。


「はい、決まりね! 期待してて、いい男揃えておくからさ!」


 半ば強引に決定してしまい、公子はこっそりと溜め息を一つ、ついたのだった。



「あいつら、まーた姫を困らせてんな」


 流星が、聞くとはなしに聞こえてきていた公子と取り巻き達の会話に眉根をひそめる。元々彼女達の話し声は大きいので、会話の内容はつつぬけだ。


「全く、嫌がってる相手を無理に合コンに誘うとか、なってねえよなあ」


「ああ、うん。そうだな」


 ペタは、公子の方を極力視界から避けるようにして流星の言葉に相槌を打つ。あのような仕打ちをした人でも合コンを嫌がったりするのだな、とぼんやりと考えていた。


 ペタには、それよりも気になっている事があった。彼女達が盛りあがっている様子を、廊下から窺っている女子がいたのである。それは先日に取り巻き達が感じが悪いと騒いでいた女子だったのだが、ペタはもちろんそんなことはわからない。その子が、公子と同時にペタの事も見ていた気がするのだ。公子を見ている時のあからさまな敵意とは違い、何かを迷うような、そんな視線だった。とはいえ、まだ傷心も充分に癒えていないペタには、積極的に調べると言う考えも思い浮かばなかった。


 それから何日かした、ある日の放課後。


 ペタは、気に入っているバンドの新譜が発売されているのを知って街へと出ていた。流星にも声を掛けたが、家の手伝いのために難しいとのことで一人で気楽にブラブラとしている。目当てのCDはとっくに手に入れて、久しぶりに街へ出向いた事もあって色々と見ていたのだ。


 久しぶりにゲーセンに寄って、得意なクイズゲームの新作が出ていたのを偶然発見したペタは、暇つぶし程度に考えプレイし始めた。……しかしすっかりハマりこんでしまい、気がつけばゲーセンの外はもう真っ暗になっている。多少遅くなるとは母親のメイに連絡しているものの、流石に時間もマズイと思い、プレイ中のゲームの問題をわざと間違えて終わらせ、慌ててゲーセンを後にする。気持ち急ぎ足で街中を駅目指して向かう途中、騒がしい集団が道の真ん中に立ちふさがっていた。


 どうやら男女の合コンのようで、もう解散かどうかという感じのようだが少々様子がおかしい。ペタが何気なしに足を止めて、その様子を見やると、集団の中に知った顔を見つけて心臓が脈動した。女子の中に、あの王子 公子がいたのだ。


「ねえ、いいじゃんいいじゃん、この後も楽しもうよ」


「あの、ごめんなさい、もう帰らないといけないから」


「大丈夫大丈夫、友達の家に泊まるとか言えば平気だって!」


 どうも帰ろうとしている公子を、合コン相手のチャラ男がかなり強引に引き止めているらしい。他の男達はまたか、と言ったような表情でやりとりを見ているが、特に止める素振りも無い。取り巻き達も流石にマズイと思っているのか、そのチャラ男をいさめようとする。


「ごめんね、この子あんまり慣れてないから、今日は様子見ってことで」


「そ、そうそう。次、次にしよ?」


「大丈夫、大丈夫。今日は忘れられない夜にしてあげるからさあ」


 しかし取り巻き達の言葉は意にも介さず、尚もしつこく公子を誘っている。傍目から見ているだけのペタにも解るほど、そのチャラ男の視線は下品であり、ロクでもない事を考えているのは明白だった。


「……仕方ない、か」


 ペタは、こういった揉め事に積極的に首を突っ込む性質ではない。だが、相手は悪戯されたとはいえクラスメートなのだ。ペタの性格的に見過ごす事は到底できなかった。


「やあ、公子姉さんやっと見つけたよ」


「あ、ペタ……!?」


 さも探していた風を装って声を掛けると、先に取り巻きの一人が反応した。ペタがこの時間に、ここにいることにかなり驚いているようだった。公子も驚きは同様で、困り果てていた顔を一瞬で塗り替え、ぽかんとペタを見詰める。


「全く、父さんと母さんに僕まで怒られたんだから。おかげでこうして探しにくるはめになったし、姉さんも少しは考えてくれよ」


 渋々、と言った様子をこれみよがしに見せつける。


「あ、あの子、公子の弟君なの!」


「きっと帰りが遅いから迎えに来たんだよ」


 このペタの芝居に、公子の取り巻き達も乗った。ペタは上手くいった、と内心ほっと安堵した。


「ペタ? 変な名前だな」


「本名は平太です。王子 平太。初めまして、お兄さん」


 あからさまに鬱陶しがるチャラ男を相手に、丁寧に頭を下げるペタ。相手は、ペタが公子の弟という話しをあまり疑ってはいないようだった。幸いにも、ペタは年齢より幼く見られる事がままある。今回はそれが上手く働いたようだ。


「ところでお兄さん、僕の姉を離してもらえませんか?」


 チャラ男はさりげなく公子の肩に手を置いて、容易に逃げられないようにしていた。指摘され、チャラ男は忌々しげに舌打ちをしながらも公子から手を離す。途端に公子は弾かれたようにペタの方へ駆けより、その背中に隠れるようにして怯えを滲ませて顔を伏せる。


「なんだよ、傷つくなあ。っていうか、まだこっちの話し終わってないんだけど?」


 ペタは驚きの余り思わず真顔でチャラ男の顔を凝視してしまった。まさか、ここまできてまだ誘おうとするとは驚嘆すべき精神である。ペタは変な感心をしたものの、チャラ男の言葉にびくりと震えた公子を横目で見て、一先ずはこの場を切り抜ける事を最優先する。


「申し訳無いんですが、両親がすぐそこまで迎えにきてまして。僕と姉さんはこってり絞られる予定なんですけど……、一緒に行きますか?」


 あくまで、相手を挑発しないように気をつけて、ペタは嘘八百を並べ立てる。


「うっ、お、親が来てんのかよ……」


 流石に親には会う勇気がないようで、チャラ男は一気に意気消沈する。すると、それまで黙って事の成り行きを見守っていた合コン相手の男達が一斉に笑い始めた。


「はっは、諦めろ。お前の負けだよ。全く、ちょっと良い女見るとすぐにのぼせるんだから、もうちょっと自重しろよバカ」


「まあお前のバカさ加減には毎回笑わせてもらってるから、いいんだけどな」


 どうやら、上手くいくはずがないと解っていた上でチャラ男の悪あがきを楽しんでいたらしい。


「ちくしょう、お前等いつもそうやって俺の事笑いもんにしてんじゃねえか」


「だったらもっとスマートな誘い方を覚えるこった。……ごめんね、こいつバカでさ」


 合コン相手の一人がチャラ男に向けるのとは全く違った、優しい笑顔でペタと公子に謝罪した。


「もし万が一、君の姉さんが強引に押しきられてたら流石の俺等でも止めるつもりではあったんだけどね。まあ、怖い思いさせたのは悪かったよ」


 その様子に嘘をついている感じは見て取れない。どうやら、今回の相手の中でずば抜けて頭の悪いのがチャラ男で、他の男達は中々普通の気遣いの出来る常識人であるようだった。ペタは今更ながらに合コン相手の男達をよくよく見てみると、いずれも理知的で落ち着いた雰囲気の、多分大学生くらいなのだろうが、いわゆる大人な感じの人々だった。顔も全員イケメンと言っても申し分のないものだし、これはどんな女子でもこの人達とお近づきになれれば黄色い声を上げることだろう。


「いえ、あの、ごめんなさい。最後に、こんなことになって」


 震えていた公子だったが、健気にも自分の非を詫びる。


「いいよいいよ、気にしないで。俺達も年下の女の子と過ごせて楽しかったしね」


「そうそ。ま、また気が向いたら一緒に遊んでよ。その時はこのバカを来れないようしておくから」


「来れないようにってなんだ!? 俺何されるんだ!?」


 さらりと恐ろしい事を言いながら、その場で解散、という流れになった。本来なら家まで送るよ、とかそういうお決まりのパターンもあるのだろうが、公子の状態を見ての判断だったのだろう。流石に大人だ。


「……ふうぅーーー……」


 相手の男達が完全に姿を消してから、ペタは腹の底からの深い息をついた。正直、荒事になっていればペタに全く勝ち目はなかった。理性的な人々に感謝したい心境だった。と、ペタが安堵していると、恐る恐ると言った様子で取り巻き達が声を掛けてくる。


「あ、あの……ペタ、あんがと。来てくれなくても何とかなったぽいけど、でも公子、すっかり怖がっちゃってたし……」


「あ、あたしらもあんなに強引に誘ってくるとか思って無くて。公子、ごめんね」


 彼女等にしても本意ではなかったハプニングなのだろう。いまだ細く震えている公子に大変申し訳なさそうに縮こまっている。


「う、ううん。いいのよ、もう。私に興味持って欲しかっただけなんだろうし。もう気にしないで」


 気丈に微笑んで答える公子に、取り巻き達は一斉に目を潤ませて公子に抱きついた。


「ごめん、ごめんね! もう強引に合コンに誘ったりしないから!」


「うんうん、キミ、本当にごめんなさい」


「あたしら、何か罪滅ぼしするから! ってかさせて!」


 子供に泣きつかれている母親のような表情を浮かべ、公子は困ったように笑いながらも嬉しそうだった。何だかんだとあっても、彼女達は公子の大事な友達なのだ。


「ペタ君、さっきは本当にありがとう。……ペタ君が来てくれるまで、凄く怖かった」


「ホント、あんな事いきなり言い出すんだもん。でも、ペタお手柄!」


「うんうん、あたし見直した。公子助けてくれてありがとうね」


「え、あ、い、いや……たまたま通りがかっただけだから」


 お礼を言われて照れる気持ちと、ついぞ何日か前の仕打ちに対する寂寥感と、もしかしたら危ない目にあったかもしれないという不安が押し寄せ、ペタはどぎまぎと落ち着きをなくした。


「じゃ、じゃあ俺これで! さいなら!」


 その空気に耐えきれずに、ペタは挨拶もそこそこに駆け出してしまった。


「あっ……あー、ペタ行っちゃった」


「ま、でもマジであいつちょっとイイトコあんじゃん」


「そ、そうね。本当に助かった。また、明日も改めてお礼言いたいな」


 取り巻きたちの言葉に、公子は深く頷いた。本当にペタが来るまでは恐ろしかったのだ。それを、あんな風にかばってくれた。まだ、そこまで酷い事にはならないと解ったのは後での事だったし、あの時は一歩間違えれば怪我を負わされてたかもしれないというのに。公子は、ペタの背中に隠れていた時の事を思い返す。ペタは背がそんなに高い方ではないのだが、あの時には何よりも大きく、力強く見えた。公子を、脅威から守ってくれる優しい山のように思ったのだ。


「んじゃ、キミも無事だったし、あたしらも帰ろっか」


「そだね」


「じゃ、また明日ー」


「あ、うん。また明日ね」


 ペタの事を考え、ぼーっとしていたらしい。公子はその事にムズ痒いような恥かしさを感じたが、それを面に出さないように努力して取り巻き達と別れた。

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