第30話『夕美の失恋』

「心優ちゃ~ん♡」

私は心優ちゃんの部屋に入るなり、彼女に抱きついた。

今日はとても悲しい知らせが届いたの…。

「何よ。」

言葉はぶっきらぼうだけれど、私の頭をヨシヨシしてくれている。

小さな彼女に抱きかかえてもらえるように、両膝をついて彼女の胸に顔を埋める。

柔らかいモノが私の顔を包んだ。

その感触を貪るように堪能する。

そして、下校時に起きた出来事を話したよ。


「あのね、男の子に告られたの。」

「あら、良かったじゃない。」

顔を上げて反論する。

「良くない!」

「どうして?嫌いな男子だったの?」

「ん~ん。いい子だよ。」

「じゃぁ、どうして?」

「男の子に興味がないから。」

「はぁ…。折角異性が好意をもってくれたのに。」

「全然トキめかなかったしっ!」

「ふふふ。」


心優ちゃんが私の頭を、再び優しく抱きしめてくれながら、

「それもどうかと思うよ。」

と、言った。

「そうかな?私、間違っている?」

「そうね、生物学的には間違っているかもね。」

「そういう難しいのはいいの。」

「先輩とはどうなったの?」

私は思い出したくない事実を思い出しちゃった。


「それがね!聞いてよ~。」

順を追って話すことにしたよ。

そもそも先輩は、大阪の大学に行っちゃって遠距離なこと。

連絡はこまめにしていたのだけれど、最近返事が遅かったりして、嫌な予感がしたこと。

そして唐突に男の子もいいよとか言い出して、男の匂いがしていたこと。

「そしたらね、彼氏出来たって連絡が来ちゃったの~。」

きっと私は悲しそうな顔をしていたと思う。


「それは寂しいね…。」

今度はギュッと頭を抱きしめながら、頭のてっぺんに心優ちゃんの頬が乗っているのが分かった。

「これも失恋ね。」

「ウェェェェェン…。」

確かに寂しさは襲ってきていた。

けれど、どこかで醒めていたというか、覚悟をしていたというか、そんな気持ちを持っていた自分に気が付いていたよ。


「仕方ないから今日は相手してあげるわ。何か希望はあるのかしら?」

心優ちゃんの心遣いに泣きそう…。

だけど、あんまり甘えてっぱなしでも悪いとは思う。

普通の恋愛じゃないってことは重々承知だし。

こうなることは最初から、少なからずあった。

まぁ、でも、いざその時がくると辛いよね。


「うーん、どうしよう…。」

どうして欲しいかなんて決められないよ。

「映画見て気分転換するとか、ゲームして盛り上がるとか、美味しいものを食べるとか、色々あるでしょ。」

心優ちゃんの提案は、定番ではあるけれど、今の有耶無耶な気持ちを少しでも緩和してくれそうな気はする。

でも…。


「今はひたすらハグして…。」

「いいわよ。こっちに来なさい。」

心優ちゃんはふかふかのソファーに誘ってくれた。

私は横になって、彼女の膝に顔を埋める。


心優ちゃんに包まれたって思った瞬間、涙が溢れる。

零れた涙が、太ももを濡らす。

彼女は黙って、優しく頭を撫でてくれた。

私は一人じゃない、そんな言葉が頭をよぎると、ちょっとずつ気持ちが落ち着いていくのが分かる。

「昔話でもしなさい。」

突然の言葉で驚いたけれど、きっと先輩との思い出話しをしろってことだと気付いた。


「うーんとね…。出会いは私が高校2年の時でね…。」

先輩は小さな体で一生懸命部員を募集していた。

たった一人で。

必死に、だけど健気に色んな人に訴えかけていた。

他の部活の勧誘がなくなっても、それでも一人で大声で叫んでいた。

私はそんな彼女を見ているだけで胸が締め付けられて、とうとう声をかけちゃったの。


「そんなに必死になって部員募集しているのは、どうしてなのですか?」

先輩も分かっていたと思う。普通じゃないって。

だけどあの人は、廃部の危機にあったにも関わらず、こう言ってきたの。

「弓道楽しいから…。一人でも多くの人にやってもらいたいから…。それじゃぁ、駄目かな?」

その言葉に私のハートは撃ち抜かれちゃった。


「それで入部したの?」

「んーん。交際を申し込んだ。」

「ふふふっ。」

「可笑しい?」

「夕美らしいわ。」


私は話を続けた。

先輩は交際を本気だと思っていなくて、軽い気持ちでOKの返事をくれた。

デートして、色んな話をしているうちに、私は弓道が面白そうだと思って入部したし、先輩は私のことをとっても好きになってくれた。


それからは、何をやっても楽しかった。

部活も、遊びも、デートも、お泊まり会も。

最高の高校生活。


でも…。


あの日がやってきた。


先輩の卒業式。


兎に角寂しかった。


不安だらけだった。


でも先輩は、

「寂しくなったら、弓道を一人でも多くの人にすすめてあげて。寂しさを紛らわしてくれるだろうし、私のことも思い出すだろうからね。」

って、言ってくれた。


「それからの私は、心優ちゃんの知っている通り。」

「なるほどね。」

私は心優ちゃんが、良いとか悪いとか、何かしらの感想を言うと思っていた。

いつもみたいに。

例えば、あそこをこうすれば良かったんじゃないかとか、こうすればこうなったみたいな。

でも言わなかった。

膝の上から覗き込んだ心優ちゃんは、優しく微笑んで、まるで女神のようだった。


私は溢れ出る涙が見られないように、ギュッと抱きついた。

彼女も抱きしめてくれた。

心が満たされていく気がした。

優しさで…。


私は1時間ほど泣き疲れて寝ていたみたい。

起きると、寝る前のままの心優ちゃんが、そこにいた。

脳がフル回転して、現状を把握していくのが分かった。

「あっ…、ご、ごめんね。重かったでしょ?」

だけど彼女は「ノープロブレムよ。」とだけ言った。


それからは一緒に御飯食べて、映画を観たよ。

その映画は私が生まれる前に上映されたものだったけれど、アクションあり、家族愛あり、ジョークありでとっても面白かった。

もう少し一緒にいたかった…、いえ、朝まで一緒にいたかったけれど、明日も学校あるし今日はこれで帰ることにしたよ。

「そう…。またいつでも来なさい。谷垣に送らせるわ。」

「うん、ありがとね。じゃ、またね。」

そう言って谷垣さんが運転する黒塗りの車で家まで送っていってもらう。


車中。

「ねぇ、谷垣さん。最近心優ちゃん変わったと想いませんか?」

私の問いに彼は、チラッとバックミラーを見てから答えた。

「私も、そう思います。」

「でしょでしょ?何というか、包容力?みたいな感じが強くなったと思います。」

「ほっほっほっ。」

谷垣さんは私の感想を聞いて軽く笑っている。

「あれ?私、見当違いなこと言いました?」

「いいえ。」

むー。笑った意味が気になる。


彼は直ぐに答えを言ってくれた。

「お嬢様は、もともとそういうお方だったのです。ただ、私達に見せなかっただけで。」

「………。」

あぁ…。それだ…。

出会った時から、包んでいてくれたんだ。

きっと私は間抜け面しながら、口を開けてポカーンって顔してる。


「そっか…。そうですね…。」

「産まれた時から傍にいたわたくしですら、最近気が付きました。」

「えー?じゃぁ、私達だって気が付かないですよー。」

「かもしれません。でも、皆さんのお陰で、本当のお嬢様を見ることが出来ました。なのでお使えする全員が、皆さんには感謝しているのですよ。」

「そんなもんでしょうか?特に何もしてないと思うけど…。」


谷垣さんはハンドルを丁寧に右にまわしながら答えた。

「それが良いのですよ。」

「えっ?」

「お嬢様の周りには、時時雨財閥の看板に群がってきた輩しかいませんでしたから。皆さんに出会って、初めて『普通』ってことを体感したのですよ。」


私は想像しながら、他の仲間達が言っていたことも思い出した。

これって、凄く辛いことだよね。

寂しかったよね…。

さっき失恋で泣いちゃったのが、ちょっと恥ずかしいぐらいだよ。

むしろ心優ちゃんこそ、私の膝で泣いて欲しかったと思っちゃった。


「私は、心優ちゃんの寂しかった心を埋めてあげたい!」

「ほっほっほっ。」

また谷垣さんは笑った。

「やっぱり可笑しいです?」

「いいえ。」

むむー。大人の男!みたいで、ちょっと格好良いと思う自分が悔しい。


「普通で良いのですよ。」

そう彼は答えてくれた。

「普通?でもそれじゃぁ…。」

「特別はいらないのです。今までが特別だらけでしたから。普通が良いのです。それだけで、お嬢様の心は満たされていきます。」

あー…。


この人は、凄く心優ちゃんの事を尊敬しているんだって思った。

試しに聞いてみる。

「尊敬…、しているのですか?」

「お嬢様を?」

「はい。」

「そうですねぇ…。そうかもしれません。尊敬と言う感情とは別に、以前から優しい方だと薄々感じてはいました。」

「そんな雰囲気は全然なかったですよね。」


「そうでもありません。例えば…。」

昔を思い出しながら語ってくれた。

「子供が急病になった召使がいたのですが、彼女の担当はお嬢様の部屋を含む清掃担当だったのです。」

「誰かが代わってあげられなかった?」

「そうなのです。よりによって、私用や病気などで欠員が多い日でして。でもそれを聞いたお嬢様は…。」

「掃除はいいから、帰ってヨシッ!って言ったとか?」


「ほっほっほっ。そうやってストレートに仰ってくれれば良いのですが…。」

「あ~、ちょっと捻くれてたんですね。」

「まぁ、そうとも言います。自分で掃除をなされて、『運動不足だから、私がついでにしておいた。』みたいな事を言い出しましてね。」

「面倒くさいヤツだぁ。」

「ふふ。素直じゃないって召使達は言っていました。そもそも清潔感は高いレベルで保たれていましたし、男の私から見れば一日二日掃除しなくても清潔感は保たれていたんじゃないかと、勝手ながら思っていました。お嬢様もお部屋を汚しませんし。」

「そうですね。」


当時の心優ちゃんを想像するだけでニヤけちゃう。

「きっと、『私の掃除に文句があるわけ?』とか言ってたでしょ?」

「仰ってましたね。」

二人で笑いあった。

「でも、心優ちゃんらしいですね。」

「そうですね。でも今は、私達の中に、どんどん入り込んできてくれています。」

「それは、谷垣さん達的にはどうなんです?」

「とても嬉しいことです。ですが…。」

「不便なことでも?」

「いえ…。お嬢様との約束を破ってしまいそうです。」

「約束…ですか?」

「はい。命を賭けて、あのお方をお守りしてしまいそうです。」

「………。」


そうね。

心優ちゃんは、事あるごとに犯罪者にならないことって言ってきたよね。

そして、必ず生き延びる方法を最優先にしてきた。

自己犠牲は絶対ダメって言いながら、自分が破ったって疾斗君達も言っていたっけ。

あぁ、谷垣さんの気持ちが凄く分かる。

自分もそうなってしまいそうって、ちょっと思っちゃった。


「それは駄目ですよ。心優ちゃんが一番悲しむ方法です。」

「そうですね。だから強く自制するよう気をつけています。」

「もう、谷垣さんも巻き込まれてしまっていますからね。」

「はい。でも…。もしもそのような時が来た場合は、決して止めないでください。」

「えっ!?」

今、駄目だって言い合ったばかりじゃない。

「その時は、お嬢様の命が危険に晒されているはずです。その時に、命を賭けられないなら、私は一生後悔します。」


谷垣さんの覚悟を聞いてしまった。


心が揺さぶられる思いだった。


共感してしまった。


でも、今は忘れておこう。


寂しがり屋の彼女の為に…。


「心優ちゃんには内緒にしておきます。」

「ありがとうございます。さぁ、到着しましたぞ。」

気が付けば、家の前に着いていた。

谷垣さんは、いつの間にか車を降りていて、ドアを開けてくれた。

「ありがとうございます。」

お礼を言ったけれど、ニッコリと微笑んで当たり前の事をしているだけって顔をしていた。

そのまま一緒に玄関まで来てくれた。

あぁ、親に心配かけさせない配慮だって気付いた。


敢えてチャイムを押し、母親が扉を開けた。

「夕美、鍵を忘れたの?」

そういう母親に向かって、深々と頭を下げる谷垣さん。

彼の事を母親は知っている。

そういうことね、って顔でお辞儀をしていた。

簡単にお礼を言った母親。

「では、失礼致します。」

彼は物静かに帰っていった。


部屋に戻って着替えると、今日は色々とあったはずなのに、落ち着いている自分に気が付く。

心優ちゃんのお陰かなぁ、なんて思いながらも、やっぱり甘えてばかりいても駄目だよねって思った。

彼女を助ける為にはどうしたら良いか。

最近よく考えるテーマだよ。


今私達は、能力者の世界では一歩有利な立場に立っている。

それはそれで凄いことなのだけれど、慢心したら駄目だよね。

彼女はもっと先を見ている。

どのぐらい先かというと、この能力者同士に争いが起きる可能性があり、もしも戦って勝った場合まで。


政府は私達を生かしておく可能性があるのか、ないのか。

無かった場合は最悪。

それは消される事を意味しているから。

そう考えると、凄く怖い。


でも、怖がってばかりでも駄目だよね。

心優ちゃん言うように、前にすすめることを考えなきゃ。

そしてそれは今、考える時だ。


もしも政府が私達を消そうとした場合、どうしたら良いか。

心優ちゃんには、全員がもっと強くなったらどうだろうって言ってみたことがある。

銃や薬でも倒せないほどの強さを身に付けて諦めさせるって考え方だね。

それも一つの答えだって、彼女は言ってくれた。

それに他のグループと争う可能性もあるんだから、強くなっておいて損はないよ。

それにこれは今直ぐ出来ることの一つ。


だから私は皆と一緒に、自分達の可能性を広げられるよう努力を続けている。

私は情熱的な突撃パッション・ラッシュで見えない矢が撃てることから、その矢を同時に何本も撃てないか、矢の飛翔速度をあげられないか、そんなところから手を着けていて、着実に成果があがっているの。

諦めたり、妥協しないことも、今出来ることの一つだよね。


もっと強くなってみせる


嫌な予感が増す度に、そう思っている。


私も近いうちに何かが起きる予感がしていた。


その不穏な予感が的中しないよう祈りながらも、日々、仲間のために何か出来ないか考えながら眠るようにしている。


そうじゃないと、不安に押しつぶされそうになるから。


そんな不安は、予想よりも早くやってくると、覚悟だけは決めていた。


そしてそれは現実になりつつあった。

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