第29話『護の日常』

「いらしゃいませー!」

ここはIncarnation of evilインカーネイション オブ イビル、通称インカネの地下フロア中央一等地「餡処 美幸」。


今日も殺人的な忙しさに見舞われている。

「佐藤さん、このままだと売り切れちゃうわ。追加を作るから下準備始めて。」

店長の渡辺さんからの指示だ。

「うすっ。」

俺は短く返事をし、作業場へと足を運ぶ。


餡を丁寧に練り、下処理をしていく。

うちのアンコはこし餡だ。

丁寧に、そして手間をかけて練っていく。

仕上がりは優しい味わいへとなる。

味付けは絶妙な甘みだ。

これが隣で売っているお茶の渋みと相性が良い。


次にアンコを包む、しっとりとした皮を作る。

これがまだ良く理解していないが、決められた分量で混ぜ合わせ、白くべたつく何かが出来る。

大和芋が主原料らしい。まぁ、このへんは俺の考えることではない。

皮は均一の厚みになるよう丁寧に包んでいく。

その後蒸し器で10分弱蒸していく。

これは機械任せだな。

蒸し終わったら、「○」の中に「幸」の字の焼印を入れる。


値段は少し強気な気がするが、それでも飛ぶように売れていく。

平日昼間ということもあり、女性が多い。

年齢は様々だ。年配から若い娘まで。

そして、当たり前のように隣の茶屋でお茶を買っていく。

その表情は笑顔が多い。

まぁ、中には長い列にうんざりしている人もいるな。


さっき店長は自分で作るからと言いつつも、いつも俺が下処理をしながら仕上げまで任せてくれる。

入って1週間ほど講習した後は、俺に任せっきりだ。

せいぜい時々様子を見ながら、味の確認をする程度だな。

1日に何百個と作るのだが、俺は今までにない充実感を得ている。

目の前で自分の作った人気商品が売れていく。

俺は客の要望に答え続けていかなければならないというプレッシャーも感じるほど売れていく。


最近は、この店の味を守っているという責任感も芽生えた。

手が空けば販売員としてカウンターにも立つ。

最初はぎこちなかった笑顔も、今では自然に出るまでにもなった。

客に直接商品を渡すことによって、俺の達成感と責任感は少しずつ満たされていく。

そして1日が終わる。


地下フロアを照らすメイン照明は半分が消され、各店が片付けを始めた。

中には明日の分の準備をする店もある。

うちの店では餡だけ練っておく。

売り子は先に帰り、渡辺店長と、レジ担当の渡辺さんの娘、そして俺がいつも残る。

店長は掃除が終わると先に帰っていく。最近は特にそうだ。


「お疲れ様でした~。」

笑顔で手を振る店長は、手に何かを持って帰っていった。

「あれね、新作が入っているの。」

不思議がっていた俺に気付いた、店長の娘の詩織さんが教えてくれた。

「ほぉ。ということは、旦那さんに試食してもらうのか?…あれ?」

そう、店長の旦那さんは超がつくほどの真面目でエリートサラリーマンだと聞いたことがある。

店長である妻が何をしていようが、ほとんど興味も関心もなかったはずだ。

そう考えると、試食してもらうこと自体が難しそうに思える。


「そうなの。うちの父さん真面目で仕事人間でね。だけど心優ちゃんが助言してくれたの。」

心優が?その話はちょっと興味があるな。

「どんなふうに?」

「彼女曰く、『普通のお菓子を持っていっても興味がないなら、興味が出そうなお菓子を持っていけば良いのよ。』ですって。」

「ふーん。ちなみに成果はあったのか?」

詩織さんは目を輝かせた。

「それが大アリ!ビックリしたもん。多分、お母さんもビックリしたと思う!」


なるほどねぇ。

流石というか、その当たりの空気を読むというか、流れを掴むというか、何というか…。そうだな、状況判断と作戦立案については、心優らしい感じがする。

彼女は言動からは想像しにくいが、相手の事をよく見ている。

しかも、それで得た情報を巧く利用し答えを出す。

これは中々出来ないことだ。


簡単な例としては、俺も散々見てきたが、一流大学を出たからといって、卒業生全員が大活躍出来るわけではない。

大学で学んだ高度で膨大な知識を、与えられた職務の中で、どう活用するか、どう応用させるかが問題なんだ。

知識に使われるんじゃない、知識を使いこなす必要がある。

それこそ、生活する分には必要の無い知識を、心優も大量に持っているに違いない。

そういった情報は、本当に学ぶ必要があるのかという学生の問いに、完璧な答えを出せる大人は少ないだろう。


勿論、本人次第という部分が大きなウエイトを占めているのは間違いない。

例えば難しい数学の公式。

これを生きるうえで使う時があるのかと聞かれれば、まぁ、大半の人は使わないだろう。

でも俺はこう思っている。

難しい公式を、使う可能性が低いから覚える必要が無いんではなくて、その公式から得られる数学的考え方は使うかも知れない、と。

つまり、公式通りの使い方だけを考えるのではなくて、その公式が持っている考え方、紐解く方法、何でも良い。そういった考え方は利用方法があるかもしれない。

まともに使うよりは可能性が高いってだけだけどな。

まぁ、数字だけを見ていちゃ駄目なんだ。


心優と力音も言っていた。

アニメを表面だけ見ているのは勿体無いとな。

そのキャラクターの考え方や行動、ストーリーに裏付けられたメッセージなんかも考えて見れば、100倍楽しめるらしい。

まぁ、言わんとすることは理解出来る。

個人的な差はあるだろうけどな。


俺も小さい頃はロボットアニメを夢中になって見ていた。

主人公が、どうやって戦いを乗り切っていくのか、その為には何を求めたのか、それがあれば俺も主人公になれるのか…、なんて思っていたっけ。

そう言えば、不思議と国民的アニメもある日常系は面白いと思わなかったな。


話には答えが欲しいんだ。


終わりを見届けたいんだ。


俺の仕事もそうだと思った。


過程だけでは満足出来なかったんだ。


それを見抜き、まるで場違いなこの場所に転職させてくれた心優は、今振り返ってみると凄いことだと思った。

そんな彼女は、店長の些細な不満もあっさり解消してしまったのだろう。


「しかし、興味が出そうなお菓子って何だったんだろう?」

詩織さんは少し考える素振りを見せた。

「勿論それも心優ちゃんが教えてくれたよ。」

なるほど。

「『相手の立場になって考えれば、自ずと答えが分かるでしょ。』って言っていた。お母さんは目からウロコ状態だったみたい。」

まぁ、彼女らしい考え方だが、普通にここに気が付くのは非常に難しいと思う。

誰だって、まず自分を中心に考えてしまうからだ。

これは店長が自己中心的な人、という意味ではなくて、人間の摂理だと思う。

いきなり他人の立場になって考えることって少ないだろう。


今回のケースだって、まずは店長が美味しいと思った物を試食してもらおうと考えたはずだ。

自分が美味しいと思えない物を、旦那に食べさせる訳にはいかないだろう。

だけど心優は否定したんだろうな。まぁ、だいたい先が見えた。


「で、何を作ったんだい?」

「いちご大福!」

「いちご大福?」

予想外のものがきたな。

「それを旦那さんが喜んで食べたのかい?」

「そうなの!」

「店長が考えたの?」

「んーん。心優ちゃん!」

訳が分からん。

状況としては、旦那さんが試食しそうな物ってなんだろう?と困り果てた店長に、心優が助言したのだろうが…。しかしいちご大福かよ。

仕事人間のエリートサラリーマンがいちご大福だぞ?

薦めるか?


「そりゃまた意外なものだな。」

正直な感想だ。

「そうなの!そうなの!私も絶対無理!って思ったもん!」

「だよな。まぁ、旦那さんがどんな人かは知らんが、仕事人間だと聞いたことがあるが、流石に…、なぁ…。」

「勿論お母さんも反対したよ。でもね、心優ちゃんが言うには…。」

小さい咳払いの後、詩織さんは心優のモノマネで教えてくれた。

「『バカね。何年連れ添ってるのよ。仕事人間なら、疲労と眠気が天敵でしょ。寝る直前まで仕事の事を考えているんだから。寝る前から明日の仕事と戦っているのよ。だから、それを助けられそうなもの…。そおねぇ…。いちご大福がいいわ。そう。苺は少し酸味が効いているもの。餡や皮は甘い物がいいわ。疲れや眠気にはブドウ糖やアミノ酸が良いから、その二つを食べれば苺の酸味で眠気も覚めるし、ブドウ糖で頭に栄養が渡ることで思考が戻ってくるし、アミノ酸は疲労回復の手助けをするはずよ。騙されたと思って食わせなさい。上手くいったら店で売れば良いのよ。その謳い文句で。』って感じで言ってたよ。」


流石だな。

まさしく相手の立場になって考えている。

酸っぱめの苺で眠気を覚まし、ブドウ糖で脳に栄養を送るってか…。

俺もテレビで見たことがあるな。確か、ラムネでも良いらしい。

まぁ、饅頭部分にどれほどのブドウ糖やアミノ酸が含まれているかは知らないが、確かに効果はあるかもしれないな。

「上手くいったんだな。」

「もう、ビックリ!隣のお茶も一緒に出したら、凄く気に入っちゃってね。頭が冴えて、仕事が捗るって!最近早く帰るようになったしね。会社にオヤツとして持っていくぐらいなの!そしたら何だか両親が仲良くなったような気がして…。私も嬉しい!」


その時の詩織さんの笑顔は、爽やかで幸せそうだった。

あいつはこんな事まで分かってやったのかもしれない。いや、予想外だったかもしれないが、結果は最高じゃないか。

夫婦仲まで修繕させ、家庭内の雰囲気まで良くしちまった。

なかなかできねーわな。


「良かったな。」

「はい!もう、お店を畳もうかって話をしていたのが、遠い昔みたい。心優ちゃんと頑張って、本当に良かった。」

ちょっと涙ぐんでいた。

昔の状況からは、悲壮感しか感じられないほど酷かったみたいだ。

そこから立ち直ったのは奇跡に近い。

だが、忘れてはいけない。

このフロア全ての店を立て直したのだという意味を。


その延長線上に、社員の幸福がある。

社員の幸福とか、上司が言う建前の第一候補だが、心優はそんな建前すら実現していってしまう。

末恐ろしいと思う。

俺はそんな事まで考えて仕事はしたくないと感じてしまった。

まっ、これが上に立てるかどうかの器のデカさってやつだろう。


話も盛り上がったところで、俺の方の下処理も終了した。

イイ話も聞けたし、少し気分が良いな。

「どうだい?一緒に飯でも食いにいくか?」

詩織さんとは、時々ご飯を食べる程度の仲にはなっている。

まぁ、彼女の親と一緒に仕事している都合上、手を出したことも、そういった素振りも見せないけどな。

「はい!」

いつも彼女は嬉しそうに誘いにのってくれる。

誘った側としては、迷わず受けてくれると嬉しいよな。


「でも…。」

ん?

「明日はデパートが設備の定期点検で休みですし、今日は私の手作り食べてもらえませんか?」

て、手作り料理?何でだろう?

「まぁ、別に構わんが…。」

俺の言葉に彼女は顔を伏せながら「やった」と小さく呟いたのが聞こえてしまった。

あぁ…。

察してしまった。

いや、まぁ、何となく好意を向けられているな、とは思っていたが、こう露骨にくるとは…。

とはいえ、俺も彼女に対して特別な感情がまったく無いわけではない。むしろ俺も好意を持っている。

俺も腹をくくるか…。

だが…。


「一つだけ条件がある。」

そう切り出した。

俺の言葉に彼女は、ギュッと両手を握り、覚悟を決めて俺の言葉を待つ。

「大きな声では言えないが…。」

彼女の耳元で囁く。

「実は…、俺は、心優から重要な任務を任されている。」

その言葉に、ハッとした表情をする詩織さん。

心優の立場、破天荒とも言える行動力から想像する任務という言葉からは、良い印象がないだろう。

「………。」

彼女は小さくゆっくり頷いた。

「だから、突然仕事を休む事も、急に音信不通になることもあるかもしれない。」

「き…、危険なことなのですか?」

悲しげな表情を向ける。

「そうだ。だから、それでも良ければ、俺は詩織さんの事をもっと知りたいと思っている。」

俺は隠さず答えておくことにする。

嘘でも大袈裟でもない。


詩織さんはうつむき加減で、少し考えていた。

「わかりました。私、待つのは得意なんです。」

そう言って、嬉しそうな表情の中にも寂しそうな面影を残していた顔を向けて、ニッコリ笑った。

覚悟を決めた彼女が、急に愛おしくなって、そっと優しく抱きしめる。


翌朝。

詩織は俺の彼女として、ボロアパートの狭い1DKに敷き詰められた布団で一緒に寝ている。

昨晩のご飯は、久しぶりに美味しい料理を食べたと実感させてくれる一品だった。

そりゃぁ、心優が食べさせてくれるディナーとは、そもそもレベルが違うかもしれない。

だけど心がこもった料理ってのは、やっぱり特別だよな。


だが、浮かれてばかりはいられない。

心優は、これから本格的な異能バトルが起きると予想している。

アダムという組織を考えた場合、日本代表を競って争いが起きても不思議ではない状況だからだ。

この能力というは、恐ろしいものだ。

俺の絶対防御壁アンコンディショナル・ウォールにしてもそうだ。

誰かを殺そうと思えば、簡単に出来てしまう。

相手も同じ状況だとすると、異能バトルとは殺し合いのことを差すと思っている。


だから、本当ならば彼女なんて人は、存在しない方が良いのかも知れない。

悲しませる人が増えてしまうからだ。

それでも俺は腹をくくった。


覚悟を決めた。


その日の午後には、何故か心優の耳にも入っていたらしい。

DMダイレクトメールで連絡がきたからだ。

ただ、その内容が彼女らしいものだった。


『おめでとう!私も詩織の分まで頑張るから。助言があれば遠慮なく言いなさい。あなたが彼女と一緒に幸せになる為にね。』


なんて奴だ。

心優の器のデカさを、改めて感じた。

ここまで言ってくれる上司が今までいただろうか。

仲間がいただろうか。

今の状況を考えれば、親だって躊躇する場面だろ。

心が揺さぶられた。


俺も現状に甘えてはいけない。


もっと上を目指さないといけない。


この不安を消すためには、もっと強くならなければならない。


弱いと感じるから不安が生じるんだ。


だから、能力を鍛え、心も強くなろう。


そう誓える休日となった。


その不安は無情にも近づいてきていた。


直ぐそこまで…。

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