ガンマ編集部での会話/息子の受難/滲むインク/朗報

<ガンマ編集部での会話>

 プルルルルル、プルルルル……

「はい、ガンマ編集部」

「え、ゆでやさい先生の連載ですか?」

「君、何年生かな」

「……」

「もうかけて来ないで下さいね、じゃあ!」


 崎山さきやま貴子たかこはものすごい勢いで電話を切ると近くのゴミ箱を蹴り飛ばしながら自分のデスクへ戻った。しかしこのオフィスに、そんな彼女のエキセントリックな行動を気に留める人間は一人もいなかった。


「崎山ちゃん、何をそんなにカッカしてるの」 

 見上げると恰幅かっぷくのいい男が立っている。

「あら、先生、いらしてたんですか」

 この男こそ謎の覆面漫画家ゆでやさいその人である。チェックのチノパンに駱駝らくだ色のコーデュロイジャケットを羽織はおり、いつもニコニコしている彼は逆に何を考えているかわからないような不気味な男だった。70年代ジャズ・フュージョンオタク。痛風持ちである。ペンネーム以外のプロフィールをいっさい公表していない理由は「ミステリアスな存在でありたい」という彼の強い希望によるものだった。


 そしてこのいけすかない眼鏡女、崎山がゆでやさいの担当者だ。服のセンスはバブル時代のOLであり見た目も40過ぎのババアだったが、実はまだピッチピチの24歳。しかも無駄にナイスバディである。彼女は学生時代から頭脳明晰めいせき・スポーツ万能。その上、コミュ力も半端ないスーパーウーマンだった。悪いのは顔と性格だけだったという、6人兄妹の長女である。


「そういえば先生、知ってますか、ガルルちゃんの……」

「ああ、続編が流出したって話かい」

「そうですよ~、もしかして先生、もう読んじゃいましたか?」なぜか申し訳なさそうな崎山に「ああ、読んだよ」と、ゆでやさいは堂々と応えた。そしてしばらく沈黙したあと「あれ、俺って、いつ描いたんだって感じ?」とおどけてみせた。


 すると崎山は「ですよねー!」 となぜか安堵あんどしたような表情で、これまた必要以上に大きな声を出した。オフィスには電話相手に謝り倒している者、ソファーでいびきをかいている者、コピー機相手にブチ切れている者。頭をかきむしりながらパソコンとにらめっこしてる者、カップ焼そばに納豆を入れてかっ喰らっている者などがいたが、あいかわらず我関せずといった雰囲気だ。


「私もビックリしましたよ~」

 崎山が言葉を続ける。

「念のために聞きますけど、本当に先生じゃないですよね?」

「バカ言うな、俺ならもっと面白い話を作るよ」

「さすが先生!」

そう言って崎山はゆでやさいをおだてるように早い拍手をした。


 今回、データ流出というアクシデントに見舞われた良一だったが、皮肉にもそのおかげで彼の作品が、ゆでやさいのもとへ届く結果となった。しかもその完成度の高さに担当者はおろか本人までもが驚いたことなど、良一は知る由も無い。




<息子の受難>

「お前の親父、オタクなんだろ」

 中学2年生になっていた正太がある朝、教室で座っていると、突然、同級生たちに囲まれた。

「え、なんのこと?」

 どうやら同級生の一人が、本屋で大量の漫画を購入していた怪しい中年の男を目撃したらしい。それがある種の信憑性をもって、クラスの噂になっていたのだった。

 

「みんな、お前の親父って言ってるぜ」

「そんわけないじゃん」

 正太は平静を装いながらも心では動揺していた。

「オタクって気持ち悪いよな」

「やめろよ」

「わー、否定した、お前もオタクなんだ、せーのっ」


 オ・タ・ク!(オイ!) オ・タ・ク!(オイ!) オ・タ・ク!(オイ!) 


 景気のいい掛け声が始まると正太は顔を真っ赤にして、ガタンと、ものすごい勢いで立ち上がり教室から出て行った。そのうしろ姿を見て同級生たちは一斉に大笑いした。


 いつからだろう。親父が部屋に引きもるようになったのは。まさか毎晩、ニヤニヤしながら大量の漫画にふけっているのだろうか……

 渡り廊下を駆け抜けながら正太は“怒り”というよりも、何とも言えないむなしさを感じていた。





 <にじむインク>

 流出事件のほとぼりが冷めやらぬなか、良一は焦っていた。

 ここ最近は再び描き上げた原稿をガンマ編集部に送るようにしていたが、まったく音沙汰がないのだ。やはり直接、持ち込んだほうがいいのだろうか。しかしそんな勇気がなかなか出なかった。以前、持ち込みで痛い目に合ったことが今頃になって彼を及び腰にしていたのだ。

 

 何より気がかりなのは息子の正太がまったく口を聞いてくれなくなったことだ。


 もちろん、元々会話の少ない親子ではあったが、ここ数日、明らかに避けられていた。中学2年生といえば来年は高校受験である。ただでさえ思春期の難しい時期だ。こんなときに俺は何をやってるのだろうか。非日常的な漫画のペン入れをしながらも、頭の中では日常がグルグルと渦巻いていた。今夜はインクがやけににじむ・・・・・・


 一方、妻の弓子はもう良一のことを諦めているようだった。もう一切何も言わなくなった。先日は若いアイドルグループのコンサートで仙台まで行ったそうだ。いい年こいて何をやってるのか。しかし良一は不思議とまったく悪い気はしなかった。むしろそうやって気をまぎらわせてくれたほうが、ありがたかったからである。


 ただし、ひとつだけ言えることは、確実に夫婦関係の終わりが近づいているということだ。




<朗報>

 それから数ヶ月が経ったある日、良一の元にとある編集部から連絡があった。 集人社「週刊少年アルファ」の新人賞に選ばれたというのだ。同誌はガンマに次ぐ売り上げを誇る老舗しにせの少年漫画雑誌である。歴史だけで言えばアルファのほうが古いくらいだ。電話はこれから担当がつくのでデビューに向けて色々と準備をしてもらいたいと言う内容だった。

 良一は悩んだが、その話を受けることにした。今年で44になる。漫画家としてはあまりにも遅いスタートだった。もちろん本当は、ゆでやさいがガルルちゃんを連載していた漫学館の「週刊少年ガンマ」でデビューしたかったのだが、皮肉なことに、たまには違う出版社に送ってみようと、ほんの気分転換のつもりで送った作品が認められる結果となってしまった。

 まあ、在野にいるよりはマシか。良一はとにかく前へ進むことを選んだ。

 

 一方、『狼天使ガルルちゃん』は連載の再開を実現しないまま、急激に人々から忘れられていた。もはや流出事件など遠い過去の出来事。今さら話題にする者は誰もいなかった。だからといって作者のゆでやさいは新連載をスタートすることもなく、他の活動もまったくしていないようだ。ネット上では死亡説すら流れる始末だった。

 

 これから担当者との打ち合わせや何やらで忙しくなる。

 会社も辞めなければならない。そうなってくるといよいよ弓子ともお別れだ。良一は今まで趣味や遊びをいっさいしてこなかったのでそれなりに貯金はあった。慰謝料を払うことになっても、なんとかやって行けるだろう・・・・・・


 次の日、良一はさっそく会社に辞表を出し、その足で役所に寄って離婚届をもらい、妻の弓子に突きつけた。


「別れよう」

 食卓に並べられたオムライスはとっくに冷めていた。

 ここ最近、帰りが遅くなっていた正太は今日もまだ帰ってきていない。あんなに頑張っていたバトミントンはやめてしまったらしい。

「ねえ、どうして」

 納得がいかない様子で弓子が問いただすと良一は「これからで食っていこうと思う」と言った。

 

 そのとき、良一の口から初めて“漫画”という言葉を聞いた弓子はどういうわけか嬉しかった。突然、夫が部屋に引きこもり漫画を描き始めて3年、当初はわけもわからず(今もだが)困惑して、本人に聞く勇気もなく、ネットの質問掲示板で相談をしたこともあった。しかしそこで彼女は「夫婦の信頼関係が築けてない」という見ず知らずの人間の言葉に強いショックを受けたのだった。なぜならそこには何も反論できない自分がいたからだ。


 弓子はこのとき、夫の口から真相が語られるまでは決して何も聞くまいと心に誓ったのだった。


「じゃあ、あたしアシスタントやるわ」

 うっすらと浮かべた笑みを強張こわばらせながら弓子が言った。 妻の予想だにしない答えに、良一が言葉を失ったのは言うまでもない。


「全部、知ってたよ、あなたが漫画描いてること……

 毎日遅くまで頑張ってたよね、デビューでも決まったのかな……」

 目にあふれんばかりの涙を浮かべ、それでも必死に笑みをつくりながら語りかけてくる妻の姿に、良一は情けなくなって赤面した。

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