ガルルちゃんとの出会い/箸にも棒にも/流出事件

<ガルルちゃんとの出会い>

 『狼天使おおかみてんしガルルちゃん』は漫学館「週刊少年ガンマ」に連載中の人気作品だ。狼男と天使のハーフであるガルルちゃんが、どこにでもいる中学生である早蕨さわらびひかるの家に突然現れて、珍騒動を巻き起こすというドタバタ天使系バトル漫画である。

 ガルルちゃんはちょっとドジなところもあるけど心優しい狼天使。しかし天狼界てんろうかいから地上へ降り立った目的は“光を抹殺すること”だったのだ。ところが、ガルルちゃんは狼の姿のとき迫りくるダンプカーから自分を助けてくれた光のことを好きになってしまい、いつの間にか早蕨家のペットになっていた。しばらく切ない片思いのペット生活が続いたが、今度はそこへ猫天使ニャン、犬天使ワン、ねずみ天使チュウなど敵国の刺客が次々とはなたれた。彼らはそれぞれの事情を抱え、ひかるを殺そうとしたり守ろうとしたりのてんやわんや状態。しかもそんな中、ひょんなことからガルルちゃんは、天使の姿に戻ったところを光に見られてしまいさあ大変。何だか知らないうちに人間界を巻き込んだ第33次異界大戦が勃発ぼっぱつするのだった!

 作者は「ゆでやさい」と名乗る謎の人物。性別、年齢、出身地など一切不明の覆面漫画家だった。そんな『狼天使ガルルちゃん』は連載当初から異常な人気を博し、読者の絶大なる支持を受けてガンマ史上最速でアニメ化したという。


 ある日、良一が会社から帰ると息子の正太がリビングに寝ころびながらアニメを見ていた。キッチンでは妻の弓子が肉料理に添えるブロッコリーをでている。それは何の変哲もないいつもの光景だった。

 

 良一はいつもならネクタイを緩めながらリビングを通り過ぎ、着替えのため寝室へ向かうのだが、偶然チラッと視界に写ったテレビのワンシーンに釘付けになってしまった。ネクタイを緩めようとした手が止まる。全身に鳥肌が立った。いつもなら一瞥いちべつすらしない息子の見るアニメ番組から目が離せない。どういうことだこれは。見る見るうちに血の気が引いていく……


「おい、なんだこのテレビは」

 良一は怒ったような口調で言った。

「え?」

「このテレビはなんだ」

「なんだって言われても……」

 困惑気味な正太。

「このマンガの名前は何だと聞いている」

「ガルルちゃんだよ」

 なぜ父親が突然、ガルルちゃんに興味を持ったのか。正太にはさっぱりわからなかった。「なに、お父さん、どうしたの」 良一のただならぬ様子に気づいた弓子がブロッコリーを盛り付けながら言った。

「顔色が悪いけど、大丈夫?」

「……」

 やっとネクタイから手が離れた良一は、しかめっ面のままリビングを出て行った。



 

<箸にも棒にも>

 それから5ヶ月後、良一は自身の処女作である『ありがとうございナース』を描き上げた。新米のおっちょこちょい看護婦が病院で珍騒動を巻き起こすというドタバタ医療系ギャグ漫画である。

 彼は大学1年生のときに付き合っていた彼女の影響で、画家を目指したことがあったのだった。そのとき無我夢中でデッサンの勉強をしたのでそれなりの画力はあるつもりだった。医療系の話にしたのは医療機器の販売という仕事柄ネタが豊富にあったからである。

 漫画については子どもの頃、流行ってたものを読んでいた程度。学生時代に友人の薦めで、つげ義春の「ねじ式」を読んだことがあるが意味不明だった。それから現在に至るまで興味を持ったことすらなかった。しかしわずか数か月ではあるが、独学で勉強したので、初めてにしてはまずまずの作品ができたと思っている。

 彼はさっそく有給休暇を取ってそれを週刊ガンマの編集部に持ち込みに行ったのだ。


「ほう、41歳ですか……」

「絵自体はまあまあ描けてますけど」

「コマ割りがつまらないですね」

「スクリーントーンってご存知ですか?」

「漫画になってないですね」

「ストーリーもちょっと意味不明ですね」

「……」

「申し訳ございませんが、またお越しください」


 散々な結果だった。

 箸にも棒にもかからなかった。だがこれでもマシなほうだったのかもしれない。あとから聞いた話であるが、普通なら門前払いだという。自分よりも一回りくらい若い編集者だったが、きっといい年したおっさんが持ち込みに来たから一端いっぱしな対応してくれたのだろう。

 良一は時期尚早だったとは思ったが、まったくめげなかった。




<流出事件>

 ――それから2年の歳月が過ぎた。

 良一はパソコンを使って原稿を仕上げるというスキルを身につけていた。毎日夜遅くまで漫画を描き続け、休みの日になると一日中部屋にこもってひたすら漫画を描き続けた。やがて通勤電車の中や、仕事の休み時間も惜しくなり、ストーリーを考えたり、キャラクタを考えたり、ときにはプロットを立てたり、ネームを切ったりする生活を2年間続けた。 おかげで彼は画力がさらに上がり、漫画のテクニックも一通り見につけていた。


 弓子との関係は最悪である。

 朝と晩の食事の時以外はほとんど顔を合わせないし会話もほとんどなかった。彼女はもともと歯科衛生士で明るく、それほど美人ではなかったが誰とでも仲良くなれるような女だった。良一は自身が社交性に欠けていたため、弓子のそんな性格を一応、尊敬はしていた。

 息子の正太との関係はさらに最悪だ。

 彼は中学校でバトミントン部の主将として日々汗を流しているらしい。しかし良一は彼が市内大会へ出場したときも、県大会へ出場したときも試合を見に行くことはなかった。そもそも学校の行事に参加したことがないのだ。それどころか地元の町内会や、同窓会すら良一はいっさい顔を出さなかった。そんな卑屈な親父を息子が好きになるはずがないのだ。


 一方、そのころになると『狼天使ガルルちゃん』の連載は終わっていた。あくまでも第1部が完結したということだったが、第2部が始まる気配は微塵みじんもない。アニメ版もとっくに終わっていた。しかしその空白を埋めるかのようにパチンコ版ガルルちゃんや、オンラインゲーム版ガルルちゃんが立て続けにリリースされていため、ファンの熱はまだまだ冷めなてはいなかった。


 そんな中、良一はオリジナル漫画を描くかたわらで、ガルルちゃんの研究にも精を出していた。ひたすらガルルちゃんの単行本を読み、DVDを見てはその絵柄やストーリーなどを研究した。やがてその成果は『狼天使ガルルちゃん続編』という形となって現れ始めた。もちろんそれは彼が勝手に描いている同人漫画である。誰かに見せるためのものではない。あくまでもそれは研究の成果を確認するためのアウトプットに過ぎなかった。

 しかし作者ゆでやさいのタッチはもちろん、台詞回しやストーリー展開まで、忠実にならならって描かれていたその漫画は、誰が見ても普通にガルルちゃんの続編だった。もはやではなかった。良一はそうすることで少しでもゆでやさいに近づける気がしたのだった。


 だがパソコンを活用する、そんなスタイルがあだとなる出来事が良一を襲った。

 

 コンピュータウィルスである。それは感染するとデータが勝手に流出してしまうウィルスだった。よりによって『狼天使ガルルちゃん続編』がネット上に流出してしまったのだ。良一はとにかく被害状況を把握し、対処しなければならなかったが、もう遅かったようだ。2時間くらい奮闘した末、ふいにネットを見ると、とある有名掲示板がとんでもない騒ぎとなっていたのだ。良一はその早さに感心すらするのだった。


 ガルルちゃんの続編が流出してるんだがwww(画像有)

 ガルル流出の件で出版社に問い合わせてみた結果……

 【ゆでやさい】続編ガルル検証スレ Part1【流出】


 漫画系、アニメ系、ネット系、ガルルちゃんと接点のある、ありとあらゆるジャンルのオタクたちが垣根を超えて議論を巻き起こし、既に懐疑派による大々的な犯人探しも始まっていた。良一は恐ろしくなってパソコンの電源を落とした。


「学校は楽しいか」

「別に……」


 その夜、良一は久しぶりに正太と会話をしたという。

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