第4話 負けフラグと死神

『総員、第一戦闘配備へ移行。陸戦部隊は装甲機に搭乗し、無人機を配下登録して待機せよ。繰り返す……』

 先程から何度も同じアナウンスを続ける艦内放送にうんざりし、レオンは早々に《スカーレット》の中へと潜り込んだ。

 狭苦しい空間で、電子音とほのかな明かりが主を出迎える。

 いまだ格納庫にある《スカーレット》は機能の大半を眠らされている。操縦席にいたところで、できることは多くない。

 だが、出撃前の忙しい現場に突っ立っているよりはマシだ。整備の『せ』の字もかじったことのない自分がうろちょろしていては、整備兵たちの邪魔になってしまう。門外漢にできる一番の手伝いは、彼らの作業を妨げないことだった。

 レオンは戦況図を呼び出して、サブモニタに投影する。

 そこでは高速で動く赤い点を、四つの青い点が取り囲むようにして動いていた。赤い点は包囲から逃れようと動き回り、それを青い点が追いかけていく。複雑で危険な、命がけの鬼ごっこだった。



 今から一時間前、レオンたち第八遊撃大隊は荒野で停止する二隻の陸上艦を発見した。

 一隻は中型の甲母艦、一隻は小型の輸送艦だ。昨日の襲撃を受けて緊急の哨戒を続けていたのだろう。夜を徹した警戒で不足し始めたいくつかの物資を、甲母艦は輸送艦から受け取っているようだった。

 監視の目を決して絶やさないようにという気概は素晴らしい。だが、用いた手段は間違っている。

 補給という行為は、自身が無防備になるという点でも危険だが、それ以上に『敵へ情報を与える』というリスクを抱えている。『私は任務続行に支障をきたす程度の蓄えしかありません』という横断幕を掲げているようなものだ。相手からしてみれば、絶好の獲物ということになる。

 しかも機構軍にとって不幸なことに、この二隻の周辺には他の艦影が見えなかった。

 いささか無防備な気はするが、先日の荒野には今も複数の熱源があることを鑑みれば、納得はできる。奴らは平地の警戒を重点的に行い、丘陵や山岳地帯などを手薄にしているのだろう。大隊は悪路を避けるという常識に囚われているのだ。

 これほどの好機、利用しない手はない。

 第八遊撃大隊は、ただちに強襲の準備を開始。密かに四方から戦艦を忍び寄らせると、二隻の電子戦専用艦を用いて強烈なジャミングを浴びせ、通信手段を奪った。襲撃に気づいた敵艦は素早く補給を中断すると、逃走を開始。レオンたちはそれを包囲しつつ追撃して、現在の鬼ごっこ状態に至っている。

「ふむ……上手く逃げているな。優秀な操舵手がいるようだ」

 ほの暗い中、六隻の軌跡を眺めてレオンが呟く。

 敵艦はこちらの包囲網を巧みにかいくぐり、いまだ捕らえられることなく逃げ続けていた。大した読みと操艦技術だ。普通の艦ならば、とっくに網に絡まってスクラップにされている。

『だとしても、追いつくのは時間の問題です』

 レオンの独り言に、隣の《ストゥム》から反応があった。

『あの二隻が向かっている方には丘陵地帯があります。敵の足が鈍ったところで装甲機部隊を放てば、相手はなすすべもないでしょう。敵もいくらかの装甲機は有しているでしょうが、四十機もの大軍に太刀打ちできるわけはありません』

「……フェイ曹長。毎回言っている気もするが、勝手に回線を繋ぐのは止めてくれないか」

 レオンは諦念を滲ませて言ったが、副官は許してくれなかった。

『そう言われましても、第一戦闘配備ですから。機体の設定上、勝手に接続状態になってしまうのは仕方ないかと』

「自動接続に隊長権限のブロックを破るほどの強制力はない。何者かがハッキングを仕掛けているとしか思えないのだが?」

『それは大変ですね。早急に調査されることをお勧めします』

「…………」

 本当にこいつは……。

 言い返せば泥沼にはまるだけなので、レオンは副官の声を無視することに決めた。出撃するまでは、決して口を開くまい。そう決意して、彼は戦況図に集中する。

 飛鈴の言うとおり、敵艦は輸送艦を連れて丘陵地帯へと向かっているようだった。

 いや。

 正確には、レオンたちが丘陵へと追い込んでいるのだ。

 思いのほかに手強い敵艦の足を止めるべく、彼らは地形を利用するという選択をした。この距離では艦砲射撃で致命傷を与えることはできないし、装甲機を出しても追いすがることは難しい。ならば悪路に追い込み、速度が鈍ったところで装甲機に仕留めさせるのがベストの手段だ。戦艦にとっては悪路でも、装甲機にとっては障害にならない。

(とはいえ、そんな面倒なことをしなくても、私が出れば済む話だとは思うのだが……)

 つまらん、とレオンは不満げに身じろぎする。

 包囲開始直後、レオンは速度と出力に優れる《スカーレット》を単機出撃させて欲しいと提案した。

 だがそれは艦長によって却下された。貴重な試作機とそれを操れるパイロットを、無用の危険にさらすことはないという判断だ。

 たしかに《スカーレット》ならば追いつくことはできるだろうが、その道程で集中砲火を浴びることは間違いない。万が一、彼が落とされでもしたら大損失だ。戦艦一隻と自軍のエースが交換では、あまりにレートが悪い。慎重かつ実直な指揮官は、あくまで堅実に追い詰めるつもりのようだった。

(だが、ここは敵の領域内。通信を絶っているとはいえ、増援が来ないとは限らない。速攻で撃破し、即座に姿をくらました方が良いと思うのだがな……)

 いくら周囲に敵影がないとはいえ、少し悠長すぎはしないだろうか。

 レオンはそんな不満を抱えて、少しだけ苛立ちを募らせた。トントン、と指でモニタを叩く音が、貧乏揺すりにも似たリズムを操縦席に響かせる。この私に任せれば、即座に二隻とも落としてみせるというのに――

 まったく、退屈な戦いになりそうだ。

 この時はまだ、誰もがそう思っていた。



「連合軍の奴ら、まんまと食いつきましたな」

「ああ。これで二つの賭けには勝った」

 シルバーエッジの艦橋で、ロー少佐は珍しく不敵な笑みを浮かべた。

 だが、その額には大粒の汗が浮かんでいる。

 輸送艦を庇いながら四隻の敵を凌ぐのは、彼にとっても重労働だった。今は一つの読み違い、一秒の誤差が破滅に直結する。歴戦の強者であっても、プレッシャーから逃れることはできない。

 管制担当の者たちも手応えを感じているのか、やや興奮気味に声を上げた。

「苦労した甲斐がありましたね、艦長!」

「うむ。だが油断はできん。気を引き締めろ」

 冷静を装って答えると、了解、と威勢の良い声が返ってくる。

 中には徹夜作業を行った者もいるだろうに、元気なことだ。まるで余裕のない自分と比べ、ロー少佐は彼らの若さを羨ましく思った。

 今のところは、全てが予定どおりに進んでいる。

 敵の侵攻路に身を置き、補給中の愚かな艦船を演じ、追い込まれる振りをして丘陵へと逃げ込む。敵を罠の中に誘い込むという自分たちの役割は、ほぼ完璧に果たせていた。敵が疑っている気配も、ほとんどない。

 人手不足のおかげでダメージコントロール担当に回されたイード中尉が、賭け事は苦手だとばかりに首を振った。

「もう二つ、ですか」

「うむ。この作戦は賭けだらけだ。だからこそ、リターンも大きい」

 振動で揺れる正面のモニタを睨みながら、艦長が答える。

 一つ目の賭けは、敵の進行方向だ。

 今回の作戦では、敵が平地を突っ切る可能性を完全に捨てている。野球で言えば、一カ所に全ての外野手を集めたようなものだ。連合軍が思い切って直進したり、予想よりもさらに大きく迂回行動を取ったりしたら、完全にアウトだった。最も確率の高い場所に張ったとはいえ、連中に襲われるまでは気が気ではなかった。

 二つ目は、敵が食いついてくれるかどうかだ。

 こんな辺鄙な場所に、食べ頃の戦艦と輸送艦が一隻ずつ。いかにも臭う状況シチュエーションだ。疑い深い相手ならばスルーされてもおかしくはない。相手が慎重すぎず、無謀すぎず、かつ功名心があるかどうか――こちらも分の悪い賭けではあったが、どうにか彼らは勝つことができた。

 モニタの中の風景が揺れる。

 敵艦の射撃にさらされ、船体が軋んでいる。先程から少しずつ、敵の狙いは正確になってきていた。狭まりつつある包囲網を睨み、ロー少佐は次の手に打って出た。

「面舵三度、速度は落とすな。五番推進器を出力80パーセントに」

了解アイ・サー。面舵三度、五番推進器を出力80パーセントにダウン」

「自走機雷を全装填分投下。土産を置いたら取り舵七度、速度は維持。念のため、主砲も準備を開始」

「了解。三番、四番から自走機雷を五基ずつ投下。主砲準備を開始」

「取り舵七度、速度維持」

 対艦機雷でも足止めにはならないだろうが、ないよりマシだ。敵の陣形フォーメーションを崩すことができれば、それでいい。

 シルバーエッジから放出された自走機雷を破壊するべく、敵艦からさらなる砲撃が走った。それらのいくつかは地面に突き刺さり、粉塵を巻き上げる。だが、運良く砲撃から逃れた機雷のひとつが敵艦に突き刺さり、推力系にダメージを与えた。

「マーク2、速度低下。前部推進器の一部が損傷した模様」

「よし、上出来だ。このまま突破する」

 幸運に恵まれたことを神に感謝し、ロー少佐は距離を稼ごうと急ぐ。

 だが敵もさるもので、即座に陣形を変化させ、遅れることなくこちらを追ってきた。なかなかの腕前だ。大隊での強行偵察などという馬鹿げた、しかし困難な任務を与えられるだけある。判断ミスが期待できる相手ではなさそうだ。

 船体の振動が激しくなる。

 敵の艦砲射撃が激しさを増しつつあった。この距離からの射撃では、甲母艦の巨大な力場制御装置リプルーバー・ブースターがつくりだす限定斥力場を貫くことはできない。だがそれでも、動力系への負荷は着実に高まってきていた。おかげで、わずかながら速度が下がってきている。

「敵の誘導弾ミサイルはまだ確認できないか」

「はい。弾薬の節約のつもりですかね、舐めやがって」

「有利な状況では、敢えて高価な消耗品を使うこともない。正しい判断だ」

 舐めているのではない。どちらかといえば、過度に恐れているのだろう。

 敵はこちらの戦力を過大評価している。後ろに強大な敵が控えている状況では、弾薬の節約もしたくなるというものだ。ミサイルのような、弾数が限られている兵器ではなおさらである。

 その時、艦橋に鋭いアラームが響いた。

「敵誘導弾確認! マーク2から四発!」

 オペレーターが緊迫した声を出す。

 噂をすれば、というわけだ。

 まだ敵艦との距離は十キロ以上ある。迎撃には十分な距離だ。音速で進む弾頭でも一キロを進むには三秒かかる。ましてや出所が分かっているのなら、狙いを定めることは容易だ。

 対空防衛アド・イージスシステムが自動的に脅威を感知し、迎撃ミサイルを発射した。

 誘導を受けた迎撃ミサイルのうち、二発が敵弾頭に突き刺さり、空中で盛大な爆発が生じる。残り二発も対空機銃の洗礼を浴びてすぐに後を追った。爆炎が宙で咲き、空気の震えが船体を叩いた。

「本艦の損傷はなし。輸送艦も無事です。全て問題ありません」

「よろしい。あと一息だ。皆、踏ん張ってくれ」

 進路を巧みに変更しながら、ロー少佐は汗を拭う。

 丘陵地帯は、すぐそこまで近づいていた。



 大きな爆発の音が、遠くない場所で聞こえたような気がした。

 薄暗い空間の中で装甲機のコクピットから半身を出し、シーネは耳元の通信機に向かって問いかけた。

「マリアさん、何かあったんですか?」

『敵のミサイルよ。艦長が上手く処理したから安心しなさい』

「そうだったんですね。でも、こっちのミサイルは使えなかったような……」

『迎撃ミサイルは攻撃用とは別物よ。その程度の装備は持っているわ。ボロいけど、このシルバーエッジも一応は甲母艦だしね』

 操舵を行うマリアが、平時と変わらぬ声で応じる。

 動かざること山のごとしだな、と行馬が言っていたのを思い出す。意味は分からなかったが、何となくニュアンスは伝わっていた。マリアの落ち着きぶりは周囲の浮ついた心を静めてくれる。

『それより、シーネちゃんの準備はオーケー? こっちも……っと、そろそろ丘陵地帯に入るわよ』

 急角度の切り返しをしたのか、船体が傾く。

 シーネは機体の固定が外れていないことを確認し、「大丈夫です」と答えた。

 現在、シーネは格納庫で待機していた。

 本来は装甲機やら火器弾薬やらスペアパーツやら、様々な兵装、道具が雑然と置かれているはずの場所である。だが今はそれらが一掃され、代わりに一つのコンテナと二つの装甲機が置かれているだけだった。

 装甲機のうち、一機は《コボルド》、一機は《影式》だ。

 そしてコンテナの中には、異形の姿をした装甲機がシーネと共に控えていた。

 分厚い装甲にごつい手足を持つ、見るからに重量級の機体だ。腕や関節部はとことんまで強度が高められ、《影式》の何倍も頑健に見える。ちょっとやそっとの攻撃では傷一つつかないであろうことは、外見からも明白だった。

 だが、腰から下は違った。

 機体としての統一性が見られるのは上半身だけで、下半身は様々なパーツの寄せ集めとなっていた。《ブレイザーⅢ》の腰部を基盤とし、《コボルド》の脚部ジョイントに《影式》の脊椎フレーム、果ては戦車用の部品やら、撃破した《砲台》から奪ってきたパーツやらも用いられていた。

 それらが土台のようなものを形成して、重量級機体の上半身を支えている。その後ろには剥き出しのコアユニット――撃破した《ストゥム》の胴体部を行馬が回収したものが接続され、増設動力炉となっていた。

 まるで足のない半人半馬ケンタウロスのようだと、シーネは不格好すぎる乗機に溜息をつく。

 この機体の名は《テュポーンエグザ》。

 整備兵が総出で徹夜作業を行い、完成させた第三世代装甲機 《テュポーン》の改修機だ。

 機動力を放棄した代わりに出力は増しており、本来の能力の七割ほどは出せるようになっている。荷電粒子砲を撃つことも、どうにか可能だ。ただし足場が反動に耐えきれないため、撃つのは一度きり、しかも四割程度の出力が限界とされていた。

 正直言って、欠陥機だ。できるなら乗りたくはない。

 だが現状では、そんな我が儘を言う余裕はない。使えるものは何でも使わなければ、このピンチは乗り越えられない。欠陥機だろうが何だろうが、やるしかなかった。

テイル5シーネ、調子はどうだ」

 コンテナの壁に据え付けられた荷電粒子砲とのリンクを確認していると、開け放たれた操縦席の外から、細面の麗人が顔をのぞかせた。

「あ、はい。問題ありません。そちらこそ、機体はちゃんと動きそうですか?」

「性能面をのぞけば不満はない」

 怜悧な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべ、ハウンド3ことリファ・ギュンドガン軍曹は肩をすくめてみせた。

 本来であれば彼女の乗機は《ブレイザーⅢ》であったのだが、そちらは逃走中に受けた損傷が大きすぎたため、解体して《テュポーン改》の基部に流用されていた。今回、彼女は第一世代の装甲機コボルドで作戦に参加することとなっている。

「それはまあ、第二世代に比べれば……でも、私のよりは良いんじゃないですか?」

 シーネも冗談めかして答えると、リファはおかしそうに笑った。

「ははっ、そうだな。ずっと《ブレイザー》系列に乗っていたので、贅沢になってしまったようだ。《コボルド》も、関節の固ささえどうにかなれば悪くはないのだが……」

「それなら、OSをいじれば少し解消されますよ。末端重量の制限設定を書き換えてオーバーフローさせると、かなり敏感に反応するようになります。ちょっと扱いづらくはなりますけど」

「ほう、そんな裏技が……ありがとう、すぐに試すとしよう」

 リファが感心したように頷く。

 その時、再び爆発音が響いた。今度は先程よりも近い。振動が輸送艦を襲い、ぐらぐらと《テュポーンE》が揺れる。

「おっと」

「リファさん、だいじょ……あうっ!?」

 落ちそうになったリファを助けようと身を乗り出したシーネだが、リファは操縦席の縁をつかんで自力で体勢を立て直した。逆に、手が空を切ったおかげでシーネの上半身が機体から落ちそうになる。

 リファは器用に片手でシーネを押し上げると、彼女の小柄な体を操縦席に押し込めた。

「あ、ありがとうございます……」

「構わないさ。しかし、いよいよ砲撃が激しくなってきたな。テイル4、戦況はどうなっているんだ?」

『艦長がよく頑張って持ちこたえているわよ。もうひと踏ん張りってところね』

 スピーカーモードにした通信機から、マリアのふとましい声が聞こえてくる。

 その合間には「ふんっ」とか「はっ」とか掛け声が混ざっていた。それだけ厳しい舵取りを強いられているのだろうか。わずかばかりの不安が胸の中をよぎる。

『丘陵地帯も近くなってきてるわ。あんたも早く自分の機体に戻りなさい。シーネちゃんはこう見えて、芯が強いから大丈夫よ』

「え? ……あの、もしかしてリファさん、私が緊張してないか見に来てくれたんですか?」

 マリアの言葉から、シーネはリファの真意に気がついた。

 リファは苦笑し、

「すまない。つい、心配でね。自分の肩に全員の命がかかっているとなれば、誰であろうと緊張は避けられないと思ったんだ」

「そうだったんですね……ありがとうございます。でも、私は平気ですよ」

 シーネは操縦席に収まり、力強く言い切った。

「緊張はしています。不安もあります。けど、私はやるべきことをやり遂げます。それが、私の役割ですから」

 役割というのは、期待されるからこそ与えられるものだ。

 今までのシーネには、それがなかった。周囲には腫れ物扱いされ、親には死地に追いやられ、誰かに頼られることも頼ることもなかった。

 だが、今は違う。

 自分を信じて託してくれる者がいる。守りたい仲間がいる。

 だから、彼女はどんな困難にも臆することなく立ち向かえる。

 シーネの瞳に宿る意思の炎を見たリファは、小さく頷いて《テュポーンE》から離れた。

「良い目だ。初めて見た時とは、少し違うな。……といっても、あの時は音声通信だけだったか」

「それほど変わった……ということなのかもしれませんね」

 彼女は素直に認めた。

 数日前の自分とは全くの別の自分になったと、今のシーネは感じていた。行馬たちと出会ってからまだ二日も経っていないのに、それ以前のことが何年も前の出来事のように思える。人は変われるのだということを、シーネは初めて実感していた。

『フフフ、シーネちゃんは少し明るくなったと思っていたのよ。もしかして、行馬に何かされちゃったのかしら?』

「へっ!?」

『ほらぁ、あの会議の時、隣に座ってたじゃない。あの時に何かあったの~?』

「い、いいいいえ! 決してそのようなことは!」

 慌てて否定するが、それは肯定しているのと同じことだ。リファも口元をおかしそうに歪め、喉の奥で笑った。

「七道行馬、侮れないな。これなら私も安心だ」

『うっふふふ、さすが隊長ね。後でその話はゆっくり聞くとしましょう。あんたも来なさい、リファちゃん。三人で女子会しましょ』

「ああ、楽しみにしている。では、また後で会おう」

「あ、ちょっと! 私の話を聞いて下さい! ちょっとってばあ!」

 二方向から攻められたシーネが、真っ赤な顔で弁明を試みようとし――

 今までで最も激しい揺れが艦を突き上げた。



 二隻の敵艦が、丘陵地帯へと逃げ込んでいく。

 岩石質の不整地であるがゆえに、地面は相当に荒れている。敵の船体は恐ろしいくらい上下に揺れていた。それでもこれしか逃げ道がない彼らは、健気に丘陵の中へと進んでいく。

「こちら一番隊長マウヌ1。予定どおり、二番隊スリューズ三番隊ミズヴィクは私についてこい。四番隊フェストゥ五番隊レイガルは左右から回り込め」

『ミズヴィク1了解。お供しよう』

『レイガル1了解。狐狩りの時間だな』

 復唱が続き、無人機を引き連れた装甲機が次々と艦から降りていく。

 その先頭に立って、レオンは《スカーレット》を丘陵の中へと突っ込ませる。少し遅れて飛鈴フェイリンの《ストゥム》と、数機の《多脚》――文字どおり多数の脚を有する無人機が追随した。

「設定を変更。索敵圏内における金属反応の脅威度をレベル3に」

了解ラージャ

 無人機のAIから無感情な合成音声が返ってくる。

 この丘陵地帯はアダマント隕石の落下によってできたものだ。その時の影響で、あちらこちらに高純度のアダマント反応が見られる。地雷などを探るための金属反応機能を眠らせておかなければ、岩肌に向かって無駄な射撃を行いかねない。

『敵は道なりに逃げているようですね。こちらも同じように進みますか?』

 無人機のAIよりもなお無感情な声で飛鈴が尋ねてくる。

「ある程度はな。上ったところを狙撃されてもつまらない」

『なるほど。ですが、このまま一列で進むのもどうかと思います。この丘陵は麓道が広くなっていますが、いささか芸がないのでは』

「分かっている」

 塊になっていては行軍速度にも影響がある。

 レオンは少し進んだ先にある分かれ道で二番隊を、さらに先の岩山を迂回する道で三番隊を、自らと反対の方向へ進ませた。

 さらに自分の部隊は無人機を先行させ、斥候兼盾とする。これならば敵が待ち伏せしていようとも、無人機を失うだけで済む。使い捨てが可能なのは、無人機の長所の一つだ。

(本当なら、私が先行して敵艦の足を潰してきたいところだが……)

 陸戦部隊の長としては、そんな真似は許されない。

 自分が独断専行をしてしまっては、部下にしめしがつかない。そもそも艦長に一度、先行強襲の提案を却下されている身である。ここで飛び出しては、当てつけ以外の何者でもない。

 最大出力の半分ほどまで《スカーレット》の速度を抑え、レオンは粛々と悪路を進む。

 まあ、いい。あと少しで、この蹂躙劇も終わる。

 平地で全力疾走をしているならともかく、この悪路では装甲機に速度の利がある。追いつくのは時間の問題だ。あとは追いつき次第破壊するなり、四番隊フェストゥ五番隊レイガルが挟める位置へと誘導するなりして料理すれば良い。

 そんなことを考えていると、不意に《スカーレット》のAIが警告を発した。

『ミサイル警報』

「なに?」

 こんなところでだと?

 疑問に思ったレオンだが、彼よりも早く無人機の《狙撃手》が反応していた。

 対誘導弾用に製造されたこの機体は、攻撃範囲内にいる飛行物体を自動的に射落とす性質を持つ。その命中率、反応速度は人間の比ではない。一点特化型という、無人機ならではの強みだった。

 頭上に姿を見せたミサイルを、《狙撃手》の57ミリ砲弾が貫く。

 上空で誘導弾頭が爆発、四散する。そして、弾頭の破片と共に天から煌く雨が降ってきた。

『おや、季節外れの雪でしょうか』

「そんなはずがあるか、妨害片チャフだ! 第二波を警戒しろ!」

 呑気な副官の呟きに怒号で返す。

 元から金属反応が大量に出る地形だというのに、敵はさらに金属粒片をばらまいてきた。

 これではレーダーも、無人機搭載の簡易対空防衛機構スタンツ・イージスシステムも役には立たない。無人機の対金属反応レベルを下げていなければ、今頃大混乱が起こっていたところだ。実際、《狙撃手》を始めとしたいくつかの機体は妙な挙動を示し始めていた。

「ちっ……チャフの滞留範囲を抜ける! 全機、私に続け!」

 敵艦の動きに不審なものを感じたレオンは、谷間を高速で駆け抜ける。

 ここに来て抵抗とは、敵は何かを企んでいる。

 その目的までは読めないが、よからぬことであることは確かだった。数多の死線を潜り抜けた戦士の勘が、危険を告げている。一刻も早く、この敵は排除しなければならない。

「全部隊、進軍速度を上げろ。安全よりも即時撃破を優先とする」

『ほう、どういう風の吹き回しだね? 君はもっと慎重だと思っていたが』

 通信機の向こう側から、揶揄するような響きが聞こえてくる。

 二番隊長スリューズ1だ。彼は年下のレオンが陸戦部隊長を務めているのが気にくわないのか、ことあるごとに突っかかってくる。

「貴官が理由を知る必要はない。黙って従え」

『ふん……』

 返事の代わりに鼻息を鳴らし、スリューズ1は言葉の矛を収めた。

 馬鹿に構っている暇はない。レオンは進路上に突き出た岩を《スカーレット》の蹴りで粉砕し、緩やかなカーブを曲がった。

 AIが再びミサイルによる脅威を警告する。

 だがレオンは構わず先へと進んだ。岩肌を蹴り、斜面から突き出た石塊を潜り抜け、空気を切って加速する。

『大尉、危険ですっ』

「留まる方が危ない。私についてこい!」

 幸い、この地形ではミサイル攻撃は大した脅威ではない。

 谷間を行軍する装甲機にピンポイントで当てるのは困難だし、山が爆破されても、道が広いので生き埋めになりづらい。今は被弾を恐れずに進むべきだ。

 上空に現れたミサイルを再び《狙撃手》が破壊する。

 今度は通常弾頭かと思ったが、中に入っていたのはまたもや金属粒片だった。磁場を帯びたこの最新型チャフは長時間、空気中に滞留し、能動的にレーダーの働きを妨げる。煌く破片に視界を潰され、レオンはメインカメラ用の洗浄装置を作動させた。

「くそっ……挑発じみた真似を!」

 敵は一体、何を考えている? 目潰しをばら撒いて、何がしたいのだ? 

 疑問は不安を煽り、思考を黒く濁らせていく。レオンは部下を無視して全速力で飛ばしたい衝動を、強靭な精神力で辛うじて抑え込んだ。

 少しすると、山肌に覆われていた視界が急に開けた。

 やや大きめの盆地に出たようだ。ちょっとした整備工場ほどの広さがあり、見晴らしは良い。装甲機が二個小隊ほど入っても、まだ余裕がありそうだ。

(まさか、ここで待ち伏せか?)

 レオンは我知らず身構えた。

 いまだに敵装甲機の姿は見ていない。反転攻勢に出る気であれば、ここは絶好の狩場だ。

 だが、敵が出てくる気配はない。

 出迎えるのはただ、静寂のみ。尾根の向こう側には敵艦の頭がわずかに見えるが、逃げに専念していて、何かを仕掛ける様子はない。

 ようやく追いついてきた《ストゥム》と無人機たちが、広間の入り口に顔を見せる。

『レオン大尉は走ったり止まったりと忙しいお方ですね。何か気になることでもありましたか? 空飛ぶスパデッティでも見ました?』

「私を勝手に異端の輩にしないでくれるかな」

『申し訳ありません。しかし、先行しすぎなのは問題かと。敵の攻撃も苦し紛れの妨害のみですし、ムキになることもないのでは?』

「……いや。それはそう、なのだが」

 思い過ごしだったか?

 レオンがそう思った時、通信機から三番隊の悲鳴が聞こえてきた。



 待っていた。

 一筋の光も差さない暗闇の中で、七道行馬は待っていた。

 息を殺し、微動だにせず、しかし神経だけは極限まで研ぎ澄ませ、その時を待っていた。

 まだか。まだなのか。

 やり場のない焦燥感は絶えず湧き出てくるが、毛の先ほども表には出さずに抑えつける。この作戦はタイミングが命だ。決して、動くべき時を誤ってはならない。

 控え目な電子音が短く鳴り、鼓膜をわずかに震わせた。

 きた。

 暗闇の中、ディスプレイに『地点ポイントD通過』の文字が浮かぶ。

 敵の速度を計算し、動くべきタイミングを割り出す。そして行馬は素早く指先を動かし、音も立てずに文字を打ち込んだ。

『ベルンハルト、準備はいいか』

『当たり前だ。いつでも行ける』

 間髪おかずに返答の文字がディスプレイに浮かぶ。

 奴も待ちわびていたのだ。あの戦闘狂なら当然か。行馬は一人頷き、指先で『起動』のコードを打ち込む。

 暗闇に支配されていた空間に人工の明かりが灯る。

 同時、行馬の周りに満ちていた漆黒はくすんだ茶色へと変化した。全方位ディスプレイが活動を始め、周囲の景色――機体の周囲を包み込む岩と土を映し出したのだ。

 続いて動力炉が本格的に稼動し始め、起動手順を超特急で進めていく。

 チェック項目は全て省略。ロックも問答無用で全解除。全ての機能を一気に開放。眠りについていた《影式》に生命の火が灯り、機械仕掛けの巨人が目を覚ます。

 見る間に最大出力まで到達したゲージを見て、行馬は全ての味方に向けて叫んだ。

「行くぞ皆! 作戦名『勝利フラグ』発動!」

『おおおおおおおお!』

 皆が鬨の声を上げ、操縦席に音の奔流が響き渡る。

 それに負けないほどの轟音を上げて、《影式》も動き出した。

 岩土を盛って偽装した『扉』を蹴り壊し、暗い穴蔵から外の世界へと躍り出る。

 行馬たちが潜んでいたのは、昨日掘った穴の中だった。

 古典的な潜伏方法だが、それだけに現代戦では盲点になりやすい。また、隠蔽効果も低いわけではない。表面を偽装してあるから見た目では分からないし、土とチャフがレーダーを誤魔化して、装甲機の反応を消してくれる。実際、敵軍が行馬たちに気付いている様子は全くなかった。

「っと、少し眩しいな……これはこれで良いものだが」

 数時間ぶりの地上には、眩い日の光が降り注いでいた。

 闇に慣れていた瞳には辛い明るさだ。だが行馬は、懐かしい陽光と、それを反射する無数の金属粒片にしばし見入っていた。

 だがそれも、すぐに光量補正が働いて単なる白と黒の羅列になる。

 機体に急かされているような気がして、行馬は楽しそうに笑った。そんなに暴れたいというのか。良いだろう。すぐに戦場へと運んでやる。

『おい行馬ぁ! ぼーっとしてんじゃねえぞ! 俺は先に行くぜ!』

 その横を、ベルンハルトの《影式》が猛烈な勢いで駆け抜けていく。

 ガトリングガンを二挺も背負っているというのに、凄まじい勢いだ。よほど戦いを待ち焦がれていたのだろう。行馬もすぐに機体を加速させ、相棒の後を追った。

「方角は分かってるんだろうな、ベルンハルト!」

『当然だ! こっちに五匹ほど……ほら、いやがったぜ!』

 数百メートル先に見えた敵機の背中に、ベルンハルトが哄笑を上げる。

 チャフに紛れて投下された使い捨てセンサーにより、敵部隊の動きは把握できていた。奴らは好都合なことに、五つの部隊を五つの経路に分けて進めている。狩る側の戦術としては正しいが、狩られる側としては下策だった。

『行くぜ行くぜ行くぜええええぇぇ!』

 ベルンハルトが銃口を向けたところで、敵の無人機がようやく反応を見せる。

 濃密なチャフは穴の中に隠れている《影式》の反応を隠すためのものだったが、奴らのセンサー感度を下げる効果もあったようだ。敵の《多脚》が昆虫じみた動きで旋回し、行馬たちにライフルを向ける。

 だがその時にはすでに、ベルンハルトのガトリングガンが火を噴いていた。

『オラオラオラオラオラァッ! くたばっちまいなぁ!』

 秒間二十発という凄まじい弾丸の嵐が、連合軍に襲い掛かる。

 休む間もなく降り注ぐ38ミリ徹鋼弾が、あっという間に《多脚》を蜂の巣にした。続いて、散開しようとしていた無人機二体も弾幕の餌食となる。

 追っていた相手に後ろから不意打ちを受けるというありえない事態に、敵は混乱し応戦すらままならない。ものの数秒で全ての無人機が鉄屑へと成り下がり、岩肌を盾にした《ストゥム》二機だけが、辛うじて生にしがみつくことができた。

 だがそれも、すぐに無意味となる。

 行馬の《影式》が尾根にぶつかるギリギリの位置を飛行し、両機の頭上からアサルトライフルを撃ち放ったのだ。弾丸は正確に《ストゥム》の頭部を射抜き、破壊。露出した胴体基部へと行馬はさらなる銃撃を見舞い、動力炉まで38ミリ徹鋼弾を届かせた。鋼鉄の白熊は生命の灯火を吹き消され、屍のように動きを止める。

 これで一個小隊を撃破。

「残りは三十五機か」

『ハーッハッハァ! この調子で潰していけば楽勝だぜ! ……って言いたいところだが』

「そうもいかんだろうな。数の暴力は何よりも強い」

 行馬たちは次なる獲物へと移動しながら、冷静に戦況を分析する。

 今のはあくまで不意打ちでの戦果だ。敵が連携を取り始め、こちらを包囲しだしたら勝ち目はない。せいぜい、敵の半分を道連れにするのが精一杯だ。数の暴力に勝つことはできない。

(そして、敵も間違いなくそう読む)

 囲めば勝てる程度の相手だという侮りを捨てることはできまい。それが命取りになると知るのは、手遅れになってからだ。

 行馬とベルンハルトの《影式》は忍者のごとき身のこなしで軽快に山稜を駆け抜ける。

 このあたりは昨日、下見で走り回っている。どうすれば最短で目標に接触できるかは把握済みだ。無人機を引き連れ、動きを鈍らせた連合軍を捉えることなど造作もない。

 ほら、また獲物が見えてきた――

「《砲台》だ! 俺が前に出る! ベルンハルトは援護しろ!」

『任せろよ! トドメまできっちり持っていってやるぜ!』

 斜面から姿を見せた《砲台》へと、行馬は機体を突撃させる。《砲台》はAIの設定どおり、高速接近してくる行馬を最優先目標ターゲットとして照準を定めた。それに対して、行馬は背中に装着していた防性斥力盾を取り外し、前へと構える。

 同時に《砲台》が銃弾を吐き出す。

 降り注いだ鉛玉の群れは、しかし《影式》を傷つけることはできなかった。

 全ての弾丸は着弾する寸前に勢いを弱め、力無く盾の表面装甲を叩く。まるでもう一枚の見えない壁が、弾丸を阻んでいるかのようだ。そしてそれは、あながち間違いではなかった。

 この盾――防性斥力盾は、アダマントを利用した斥力場発生装置を備えている。

 それによってこの盾は、短時間ではあるが表面に強力な斥力場を発生させることができる。斥力場によって勢いを弱められた弾丸には、盾の装甲を貫くほどの力はない。この二段構えの守りを、単機の砲撃で貫くことはほとんど不可能だった。

 敵の砲撃が行馬の《影式》に集中している隙に、ベルンハルトは横合いから猛烈な射撃を浴びせかける。

《砲台》の全身に一瞬で穴が開き、弾薬庫に融爆して炎を吹き上げる。自らの弾薬で上半身を吹き飛ばした《砲台》は、力無く崩れ落ちた。

 だが、

「他の連中はもう撤退中か。やるな。《砲台》を生贄にして距離を取ったみたいだ」

『援軍待ちか。連携が取れ始めたな。そろそろ潮時か?』

「ああ。これ以上は退路を塞がれる」

 行馬はシルバーエッジまで含む全部隊に対して通信を入れた。

「こちらテイル1。北西方面に展開中の敵部隊オクトパス2を全機撃破、その北に展開中の敵部隊オクトパス3を一機撃破した。これより作戦を第二段階へと移行する」

『シルバーエッジ、了解した。もうしばらくは手負いの兎を演じよう』

「程よい逃げ方で頼む。テイル3教授もいいな?」

『分かってるよ。ちゃんと艦は守るって』

「頼むぞ。テイル4マリアは無事か? 足回りはまだやられていないか?」

『なんとかね。ちゃんと『河口』まで逃げ切って見せるわよ』

『こちらテイル5シーネ。《テュポーンE》の起動も順調です。現在、出力は70パーセント』

「よし」

 行馬は自らを落ち着かせるように短く口にした。

 ここまでは全て順調に進んでいる。あと一押しだ。ゴールはもう見えてきている。

「では、第二幕の開始だ。テイル1とテイル2は――これより、全力で逃走する!」



「敵襲だと!?」

 ありえない報告に、レオンは耳を疑った。

 三番隊から入った通信は、背後から敵に攻撃されているというものだった。

 入り口に待機する旗艦クラウディアスからは、敵増援が来たという報告はない。つまりは伏兵。しかも、こちらを挟撃する形で配置された危険な伏兵だ。

 三番隊長に向かい、レオンは口早に問いかける。

「敵の数は? 機種、装備は確認できるか?」

『わ、分からん! ガトリングガンか何かを装備しているが、それ以上は不明だ! 岩を盾にするので精一杯で……うわあああああっ!?』

 鈍い破壊音と共に、通信が途切れる。同時に、第二部隊を示す光点アイコンが全て灰色――通信途絶となった。

(全滅か)

 不意打ちとはいえ、五機を瞬時に殲滅しうる戦力が背後にいる。

 どうやって後ろに回ったのか、あるいは最初から潜んでいたのか――疑問は尽きなかったが、今は謎解きをしている場合ではない。レオンは《スカーレット》のセンサー類を総動員して、敵機の位置を探った。

 ノイズが酷い。この濃密なチャフが滞留し続けている限り、正確な把握は難しそうだ。 

 だがそれでも、彼は辛うじて敵機らしき影の位置をつかみ、味方に警告を発した。

四番隊フェストゥ、そちらに狼が向かっている。我々が着くまで時間を稼げ」

『了解。逃げと撹乱に徹します』

「二番隊は五番隊と合流し、敵戦艦を追え。私の無人機もそちらに回す。個別行動は控え、伏兵を警戒しつつ進め』

『了解。狐が狼に化けたようだな』

『構わんさ。こちらは虎だ。しかも群れをつくっている。相手が狼でも食い殺してやるさ』

「油断するな、二番隊。すでに三番隊が返り討ちにあっている」

『言われるまでもない。行くぞ、軍曹!』

了解アイ・サー

 レオンの忠告を聞き流し、二番隊長スリューズ1は敵艦に向けて加速する。苦笑しながら、五番隊も彼らと合流するルートへと進路を変更した。

『聞き分けのない部下を持つと大変ですね、大尉』

「連中も君にだけは言われたくないと思っているだろうな」

 小隊専用回線で繋げてきた飛鈴に、レオンはもはや悟りの境地で返す。

 無人機を先行させて二番隊の配下へ組み込むと、レオンと飛鈴は四番隊のいる方向へと取って返した。行きとは違って地形データの把握ができているために、その速度はかなりのものだ。特に《スカーレット》は地上二十メートル程度の位置を飛行することでタイムロスを軽減している。《ストゥム》との差は徐々に開いていったが、レオンは構わずに速度を維持した。

「四番隊、戦況はどうなっている?」

『凌いではいるが……連中、できるな。連携が上手い。すでに《砲台》が一機やられた。……ん?』

 と、不意に四番隊長が怪訝な声を発した。

「どうした」

『いや……奴ら、反転して逃げ出した。増援に気づいたか? 南西方向に全力疾走していくぞ』

「南西? 本隊から離れていっているのか?」

 理解しがたい敵の動きに、レオンは困惑した。

 味方と合流するならともかく、反対側に逃げるとは。ゲリラ戦でも挑むつもりなのだろうか。だが、あちらの方向にはなにも――

 いや。あった。

 敵の狙いに気がついたレオンは、方向転換し、丘陵地帯の入り口に向かって飛んだ。

『レオン大尉、どこへ!?』

「艦だ!」

 真紅の機体を全速力で飛ばし、レオンは叫ぶ。

「相手の目標は、最初から艦だ! 奴らは装甲機同士の戦いで勝とうなどと思っていない! 艦船を潰して、作戦継続能力を奪う気だ!」

 やられた、と唇を噛む。

 いくら装甲機が健在でも、戦艦を潰されては作戦の続行は不可能だ。補給もなしに戦い続けられるほど、装甲機は都合のいい兵器ではない。母艦を失ったのならば、強行偵察の任を放棄して引き返さざるを得なくなる。

 念のために防衛部隊も残してはあるが、その数は十機前後。不意打ちとはいえ五機を殲滅した相手とあらば、遅れを取りかねない。レオンは《スカーレット》をひた走らせ、各部隊に通信を飛ばした。

「こちらマウヌ1。旗艦フラッグへと向かう敵装甲機を確認。迎撃準備を整えよ」

『フラッグ、了解した。警戒部隊を呼び戻して対応する』

『マウヌ1。四番隊オレたちはどうする?』

「四番隊は敵艦追撃に合流しろ。ただし、そのまま迂回ルートを取っていけ」

『フェストゥ、了解』

『大尉、私のことはお気になさらず。後から追いつきますので、先に旗艦へ向かってください』

「元からそのつもりだ。伏兵には注意せよ」

 彼女がやられるとは思えないが、念のために警告しておく。

 もはや狙撃を恐れる意味はないと判断したレオンは、《スカーレット》を尾根の位置まで上昇させた。

 あまり上に行くと磁流層に引っかかるので、この当たりが限界だ。だが、それでも十分。チャフの妨害強度は下がるし、悪路に煩わされることもない。山を越え、最短距離で走れば、今からでも十分敵に追いつける。

「まったく、よく智恵の回る狼だ……!」

 真紅の死神が翼を広げ、獲物の元へと疾駆した。



 二番隊長スリューズ1は苛立っていた。

 原因は他でもない、一番隊長であるレオン・クラード大尉である。

 奴は自分よりも年下のくせに、部隊長という立場をかさに着て高圧的に振舞っている。それが彼には気に食わなかった。

 偉そうにしやがって。どうせその戦果も、機体性能のおかげで得たくせに。俺だってあの試作機に乗ることさえできれば、貴様など目ではない。

 通信を切断してぶつぶつと愚痴をこぼしながら、彼は《ストゥム》を疾走させる。

 彼にとって、今回の作戦が想定どおりに進まないのは望むところだった。

 上手いこと敵の殲滅を成功させたら、レオンの経歴にまた一つ栄光が加わってしまう。

 それでは面白くない。たとえ自軍が不利に陥ろうとも、レオンが失敗することだけを彼は望んでいた。機構軍の策にレオンが振り回されている現状は、非常に好ましいものだった。

 見ていろ。今日こそ、俺の力を貴様らに示してやる――

 胸の奥に暗い炎を抱き、スリューズ1は装甲機を走らせる。

『目的まで距離5000』

 AIが、距離が縮まりつつあることを報告する。

 狭いが直線的な道に入ったので、敵艦二隻の背中はもう目視で確認できた。彼らは装甲機を迎撃に出すこともせず、ただ逃走だけに専念している。

(無駄なことだ……すぐにこちらが追いつく)

 この悪路では、装甲機の方が速度で勝る。

 加えて、周囲に伏兵の反応はない。地雷のような小型の金属反応もだ。チャフの効果圏内も抜けたことだし、先程のような不意打ちはもう使えまい。

 もっとも、その手の抵抗があったとしても、勝つのは自分たちだ。

 自分の背後には、一番隊から合流したものと合わせて無人機が八機控えている。続く五番隊には《ストゥム》が二機と無人機が三機。自分と副官の《ストゥム》を合わせて、合計十五機の大軍だ。四番隊はまだ合流できていないが、十分すぎる戦力である。

 対して敵の甲母艦には、最大でも八機までしか装甲機を搭載できない。

 伏兵に三機前後は回しているだろうから、敵艦には現在、最大五機の装甲機しか残っていないことになる。単純計算で、こちらの三分の一の戦力だ。どう足掻いても機構軍に勝ち目はない。

『目標、捕捉。有効射程圏内です』

「くくっ……よし、待っていろよ」

 獲物を誰にも渡すまいと、彼は敵艦が射程距離に入るや否や、手にしていた無反動砲を撃ち放った。

 成形炸薬弾が空気を切り裂いて進み、哀れな標的へと食らいつく。

 砲弾のほとんどは外れたが、最後の一発が輸送艦へと命中した。船体後部にある推進器と斥力場発生装置の半分ほどを破壊されたその船は、バランスを崩しながらも懸命に前へと進み続ける。だがその速度は、目に見えて落ちていた。

「無駄だ! スリューズ3、誘導弾を全て輸送艦にぶち込め!」

了解ラージャ

《多脚》が合成音声で承知の意を示し、背後で発射音が轟く。

 狭い谷間では、ロケット噴射の音は響きすぎるほど響いた。スリューズ1が眉をしかめる中、頭上を小型の対装甲機用誘導弾が追い越していく。

 軽量化を施した弾頭のために威力と命中率は犠牲になっているが、手負いの羊が相手なら十分だ。

 輸送艦はいくつかの弾頭を回避したが、全てを避け切るには至らなかった。

 白煙をたなびかせる後部推進器に何発かが着弾し、盛大な爆発を引き起こす。後部を完全に破壊された輸送艦は、剥き出しになった格納庫からバラバラといくつかのをばら撒いた。おそらく、補給用の物資だろう。

 完全に足回りを破壊された輸送艦は、船体を山稜の斜面に擦りつけて停止した。

「ははっ、見たか!」

 これで邪魔な奴はいなくなった。残りは甲母艦を沈めるだけだ。

 スリューズ1は喜色満面で装甲機の速度を上げる。数キロ先に転がる輸送艦は、もはや眼中にない。抵抗のための武装もないようだし、帰り道に使える物資だけ拾っていけばいい。

 彼は谷間の細道を疾駆して――

『異常熱源感知』

 その時、浮かれた彼の心に冷水を浴びせるかのごとく、AIが無機質な声を発した。

 見れば、道の端に転がったコンテナの一つが妙な温度を示していた。

 かなりの高温だ。コンテナの接する地面が赤熱するほどの、異常な温度。普通のコンテナではありえない。中に入っている機械が、落下の衝撃で暴走でもしているのだろうか?

 縮まる距離と反比例して、温度はどんどん上昇していく。

 ――なんだ、あれは?

 スリューズ1が漠然とした不安を抱き始めた時、コンテナの扉と壁が四方に吹き飛んだ。 



 これは結構な誤算だと、シーネは唇を噛んだ。

 ここに至る寸前までは順調だった。

 行馬たちは背後からの奇襲で敵に混乱を生じさせ、一個小隊の撃破に成功した。そうして脅威をまざまざと見せつけた行馬たちは転進し、戦艦への攻撃を臭わせて《スカーレット》を主力から引き離した。この時点で、第二段階は半分成功していた。

 だが問題は、その後だった。

 敵が合流を待たずに突っ込んできたおかげで、二つの誤算が生じた。

 一つは、予定よりも早く輸送艦が撃沈されてしまったこと。もう一つは、敵部隊が全て揃っていないおかげで、作戦の目的である『敵攻撃部隊の一網打尽』が完遂できないことだ。いずれも、今後の作戦に支障を来しかねない痛手だ。

 どちらか一つだけなら、まだ補いようがあったのだが……

(起こってしまったことは仕方ない。今は、目の前のことに集中しないと)

 シーネはコンテナ詰めにされた《テュポーンE》の操縦席で、汗だくになりながら作業を進めていた。

 反応導体を活性化。エネルギーパスを有効に。安全装置を全て解除。バーニアを噴射位置へ。額から滴る汗を濡れそぼった袖で拭き、シーネは迅速かつ正確に指を動かす。

「よし、あと少し……もう! この熱さえなければ、もっと前から準備できたのにっ」

 恨みがましく呟き、前髪を振って汗の滴を吹き飛ばす。

 シーネに滝のような汗を流させているのは、コクピットに充満する熱が原因だった。

 密閉されたコンテナの中で装甲機のコアユニットを二つも全力稼動させるのは、凄まじい発熱を伴う。

 その熱がコンテナの中の空気を地獄の熱波へと変え、コクピットの中までをもサウナ状態に変化させているのだ。耐熱仕様のコンテナでも、この高音は隠しきれない。このせいでシーネは、敵に不審感を持たれないよう、ギリギリまで起動作業を待つ必要があった。

 すでに装甲の表面温度は三桁を突破している。

 AIも、さっきからひっきりなしに警告を発し続けていた。このままでいれば、いつ接合部が融解するか分からない。いや、その前に自分の意識がもつかどうか。サウナ状態の操縦席で半泣きになりながら、シーネは荷電粒子砲にエネルギーを注ぎ込んでいった。

『充填率83パーセント』

 機械音声が、現状での起動限界に至ったことを知らせる。

 荷電粒子砲――機構軍の最強兵器が、その眠りから目を覚ましたのだ。

 今回は、ラビヤーナ砂漠攻防戦時のような化物じみた破壊力は望めない。射程もせいぜい数百メートルだ。限界までひきつけて、確実に仕留めなければならない。

 敵は順調に接近してくる。

 コンテナの外部に取り付けられたカメラが、粗い映像で外の様子を伝える。壁に開いた穴から外を窺っているようなもどかしさだったが、それでもなんとか距離は測れた。

 あと二キロ。一キロ。九〇〇、八〇〇、七〇〇……

「扉、開け!」

了解ヤー

《テュポーンE》から出された信号によってスモークが炊かれる。

 続いて小型の爆弾が起動し、コンテナの壁が全て吹き飛ばされた。蓮の花が開くかのようにして、《テュポーンE》がその全容を白日の下にさらす。熱によって膨張した空気が一気に外へと逃げ、コンテナの中に風が渦巻いた。

 陽炎の向こう側に敵影が見える。

 数はおおよそ十五。三列に並び、山間の細道をまとまって進んでくる。シーネにとっては絶好の的だ。機体を狙撃モードに移行させるまでもない。

 自機の背丈よりもなお長い銃口を、《テュポーンE》が水平に構える。

 攻城用荷電粒子砲。

 現在の機構軍で最大の破壊力を誇る殲滅兵器である。

 砲身だけでも五メートル、全長はそれ以上という巨躯を持ち、戦艦並みの動力を用いなければ発射すら不可能な代物だ。《テュポーン》はこれを撃つ砲台として設計された装甲機であり、むしろ荷電粒子砲の方が本体とも言える。

 まだまだ問題だらけの兵器だが、その破壊力は絶大だ。

 直撃すれば目標は原子単位で破壊され、跡形も残らない。さらに大気と重金属粒子の摩擦によってプラズマが発生し、副次的な破壊作用ももたらす。発射後の弾道上には、何者であろうとも立ってはいられない。

「これで……決める!」

 シーネは安全装置を解除し、トリガーに指をかける。

 太い銃口が赤熱した光を帯びた。円形加速器が咆哮をあげ、全てを破壊するエネルギーの塊を生成する。下半身の熱をどうにかして逃がさんと、上半身の排熱機能がフル稼働を行った。そのおかげでスモークが晴れ、《テュポーンE》の姿が露わになる。

 さすがに敵も気がつき、ライフルを構え始めた。

 だが、もう手遅れだ。

撃てファイア!」

 重いトリガーを引き絞る。

 壮絶な唸り声をあげ、荷電粒子砲から光の渦が撃ち放たれた。プラズマを帯びた重金属粒子が奔流となって敵機に殺到し、次々に牙を剥いていく。

 過剰な光量に反応したAIが光を強制的にカットするが、それでもなお、シーネの目は眩い光に焼かれて白く染まった。背部に取り付けた反動相殺用のバーニアが限界を超えて稼動し、それでもなおじりじりと後ろに進む。荷電粒子砲とバーニアの双方から圧力をかけられ、機体のフレームが危険な悲鳴を上げた。

 破壊の光が吹き荒れたのは、五秒かそこらだった。

『砲身温度、危険域を超過。起動を強制停止。冷却開始』

 ピー、と音がして、光の奔流が止まる。

 音も光もやみ、世界が静けさを取り戻した。シーネは荒い息を吐いて、弾けそうなほど暴れる心臓を少しずつなだめていく。熱のせいか緊張のせいか、目には涙も浮かんでいた。

 何度経験しても、この銃を撃つ重圧プレッシャーには慣れない。

 その気になれば味方だろうが敵だろうがお構いなしに、数百人の命を奪うことができる。この銃はそんな兵器だ。撃つこと自体が途轍もなく重い覚悟を要し、吐き気を催すほどの緊張感に襲われる。

(機体の状態……チェックしないと)

 それでもシーネはカラカラの喉に唾を流し込み、気持ちを兵士のそれへと切り替えた。

 機体のダメージは深刻だった。

 下半身は部品の脱落と融解が多数見られ、背中の増設バーニアも半数が機能停止している。右腕部は融解し、もはや動かすこともできない。指に至っては完全に溶けて、トリガーと一体化していた。

 荷電粒子砲本体も傷ついている。内部にいくつかの損傷を生じており、熱で歪んだ部品もあるようだ。まともな修理なしには、もう撃つことはできない。

 だが、それに見合う戦果はあった。

『残存する敵影はゼロ。十五機全ての破壊を確認。素晴らしい威力だな、テイル5』

 別のコンテナに潜んでいたリファの《コボルド》が、《テュポーンE》へと歩みよってくる。

 彼女の言うとおり、敵は全て跡形もなく消え去っていた。

 破壊の渦が通った後には、部品の欠片も残っていない。十五体の装甲機はプラズマの直撃を受け、完全に蒸発、もしくは消滅していた。地面や山肌も大きく削れ、表面はガラス質に変質して白い煙を上げていた。

 シーネは破壊痕から目をそらし、操縦席のハッチを開けようと試みた。

 だが、開かない。

 どうやら、こちらも熱で歪んでしまったようだ。シーネは二度、三度と試した後、リファに助けを求めた。

「すいません、外からハッチを開けてもらってもいいですか? 開閉機能が壊れてしまったみたいで……」

骨組フレームが歪んだか? 今開けよう。……ほら』

「あ、ありがとうございます。ふう……」

 ようやく外に出られたシーネは、大きく息をつく。

 外の気温は、中より幾分かマシだった。サウナからジャングルに移動した程度の差だが、今のシーネにはそれでもありがたい。操縦服の裾を絞ると大量の汗が滴り、装甲の上に落ちて一瞬で蒸発した。

「暑くて死ぬかと思いました……脱水症状になりそうです」

『だろうな。だが仕方あるまい。テイル1たちと同じく穴に籠もったのでは、敵に発見されるかもしれない。こうして被撃墜を装うしか方法はなかった』

 リファが事実だけを淡々と答える。

 敵も正規の軍人だ。同じ手に何度も引っかかってくれるはずはない。

 だから彼女たちは、金属反応が出ようが熱源が感知されようが問題ない、輸送艦格納庫へと身を隠していた。そして操縦者マリアが輸送艦を上手く撃墜させた後でコンテナごと外に出て、先程とは別種の不意打ちを見舞う作戦をとったのだ。

 シーネは赤熱した装甲に触れないよう、気をつけて機体を降りていく。

「少し失敗しましたね……まだ、敵は一個小隊を残しています。切り札テュポーンを失った状態でこれと交戦するのは厳しいですね」

『ああ。《スカーレット》もじきに、こちらの意図に気付くだろう。そこで奴がどう出るかだな』

『まずは様子見ね。だからリファちゃん、早く私を輸送艦から出してちょうだい。またエアコン止まったから、暑くて死にそうなのよ』

 単独で輸送艦を操縦していたマリアが、心底辛そうに口を挟む。

 リファは苦笑して、《コボルド》の肩をすくめてみせた。

『了解した。では、私はテイル4を回収してからシルバーエッジへと向かう。いずれにせよ、『保険』の準備は必要だ。こちらは頼めるか、テイル5?』

「はい、任せて下さい。こんな暑さでへばってはいられませんから」

 今の私には、役目があるのだから。

 シーネは力強い笑みを浮かべ、最後のコンテナへと向かっていった。



 命がけの鬼ごっこは五分以上も続いていた。

 行馬は巧妙に《影式》の手足を操り、狭く足場の悪い道を駆け抜けていく。時速百キロをゆうに超えているというのに、その動きには迷いがない。まるで弾丸のように、曲がりくねった谷間を疾走していく。

 その後を追跡するのは真紅の装甲機だった。

 まんまと囮に引き寄せられてきた《スカーレット》だ。上空二十メートルの位置から、赤い死神が行馬をつけ回している。時折放たれる銃弾が岩山を削り、細かな粉塵を撒き散らした。

 装甲が岩肌に触れる寸前の位置をキープし、行馬は通信機に呼びかける。

「ベルンハルト、そっちはどうだ?」

『お客さんはまだまだ俺と追いかけっこを楽しみたいらしいぜ。モテる男は辛いよな』

「ほう。なら連合軍はブサ専か筋肉マニアかのどっちかだな」

 軽く笑い、行馬は曲がり道へと急角度で侵入する。《スカーレット》が少しばかり躊躇した後、遅れて行馬の背中を追った。

 現在、行馬とベルンハルトは二手に分かれて敵を引き付けている。

 行馬は《スカーレット》を、ベルンハルトは《ストゥム》を。彼らは足場の悪く狭い道を選んで走り回り、容易には追いつかれぬよう粘りに粘っていた。おかげで《影式》を凌駕する機動力の《スカーレット》も、いまだ行馬を捉えることができていない。

「シルバーエッジ、そちらの様子はどうなっている?」

『こちらシルバーエッジ。つい今しがた、テイル5が敵部隊オクトパス4と5の全機撃破に成功した。ただし、オクトパス3はまだ健在の模様だ』

 悪い知らせに、行馬は小さく舌打ちをした。

「合流前に接敵したか……やはり、全部が計画どおりにはいかないな」

『やむを得ない措置だった。切り札を使い潰してでもあの大軍を止めなければ、シルバーエッジが食われていただろう。……我々は念のため、これから最後の罠を張っておく。そちらの陽動はどうかね』

「こちらは計画どおりだが、すぐに敵も俺らの狙いに気がつく」

 上空の《スカーレット》を注意深く観察し、行馬は答える。

 十五機もの反応が一気に消えたのだ。相手もさすがに、何かが起こったのだと察するだろう。

 問題は、その後だ。

 戦力の半数を失ったことで戦意喪失し、逃げてくれればよし。逆に復讐心を燃やして向かってくるようなら、迎撃の用意が必要となる。

 できれば、何もせず逃げ帰ってもらいたいのだが……

(さあ、どっちに転ぶ?)

 モニタの向こう側で、赤い死神が動きを止めた。



「くっ……ちょこまかと!」

 谷間をジグザグに逃げ回る敵機に、レオンは苛立ち混じりに叫んだ。

 どうやら、この敵は思った以上に狡猾なようだ。

 二機の《影式》を追ってきたレオンだが、奴らは《スカーレット》に追いつかれるや否や、二手に分かれて、より複雑な地形の方角へと逃げ出した。

 思い切りが良い、というよりは、計画的犯行と言った方がしっくりくる動きだった。おそらく、連中は最初から対艦攻撃を行う気などなかったに違いない。最も速く、最も厄介な《スカーレット》を主力部隊から引き離すためだけに、彼らは『誘い』をかけたのだ。

 しかも、先に第三部隊を殲滅して伏兵の脅威を植えつけての転進だ。意図が分かっていたとしても、追わざるを得ないのは変わらない。わずか十機足らずで、四隻の戦艦を守ることはできない。

「飛曹長、そちらはどうだ。鬼ごっこは終わりそうか?」

『いえ、まだですね。敵は私と徹底的に遊びたいようです。もてる女は辛いですね』

 もう一機の《影式》を追っている飛鈴から、相変わらずな返答がくる。

 どうせ《スカーレット》の全速力には追いつけまいと思って二手に分かれたのだが、敵の目的が陽動であるならば、これは失敗だったかもしれない。一機は二人がかりで追い詰め、もう一機は防衛部隊に任せた方が良かったか。レオンは己の決断を少しだけ悔やんだ。

 その時、《スカーレット》のAIが不吉な音を発した。

 鉄を引き裂くような、不気味で無惨な音。

 その意味するところは警告と報告。味方の信号が途絶した時に使われる、死亡報告だ。

 飛鈴がやられたのかと部隊員の戦闘状況パラメーターに目をやったレオンだが、彼はそこで思わず硬直してしまった。

 二番隊スリューズ五番隊レイガルの信号が全て消えている。

 そう、全てだ。十機全ての名前が灰色になっている。自分が向かわせた無人機の反応も、同様に消滅していた。つまりは合計で十五機の反応が、一瞬にして消えてしまったことになる。

 レオンは悲鳴に近い声で母艦へと呼びかけた。

「クラウディアス、二番隊と五番隊の状況確認を!」

『すでに終えている。二番隊、五番隊の反応は消失……おそらくは全機、破壊されたものと思われる」

「何があったというんだ? 奴らにそんな戦力が残っていたのか!?」

『原因は不明だ。だが反応が消える前に、異常な高温が観測された。さすがに光学兵器ではないと思うが、電磁励起兵器か荷電粒子砲を使われた可能性はある』

「そんな代物が……?」

 不条理だ。こんな僻地の単独部隊が、そんなものを持っていて良いはずはない。

 だが実際に、友軍機の反応は消滅している。

 現実という名の不条理をいち早く受け入れた飛鈴が、横からクラウディウスに問いかけた。

『荷電粒子砲を撃つには、相応の土台が必要になりますが……機構軍に、それがあったと?』

『それも不明だ。ともかく、現実問題として現在までに二十機の装甲機が失われた。これは作戦遂行能力を喪失したに等しい損害だ』

 レオンは押し黙った。

 陸戦部隊の五割がすでに失われている今、部隊は壊滅状態と言っていい。これ以上は作戦を継続することなどできないし、二十機だけでは艦隊を守ることすらままならない。理性的に考えれば、一刻も早く連合軍の領土へと逃げ帰るべきだ。

 だが――

「だから、退けというのか? ここまで来て、ここまでやられたまま?」

『普通ならばそう言うだろうな』

 オペレーターはどこか抑えたような声で言った。

『だが、我々の任務は強行偵察だ。十五機を一瞬で葬った敵の武装を確認することなしに、退却することはできない。残った攻撃部隊は敵の武装情報を、なんとしてでも手に入れろ』

『そうこなくっちゃな』

 通信に割り込んだ四番隊長フェストゥ1がほの暗い忍び笑いを漏らした。

『やられっぱなしで逃げ帰るわけにはいかんよな。だろ、隊長?』

「ああ、そのとおりだ」

 レオンも険しい顔つきで頷いた。

「四番隊は当初の予定どおり、敵母艦を狙え。残りの装甲機を誘き出し、殲滅しろ」

『了解。船くらいは落とさないと、格好がつかないからな』

「敵の新兵器には私が向かう。飛曹長は引き続き《影式》の相手を頼む。戦艦は一箇所にまとまり、防衛部隊を集合させて自衛措置を」

『了解』

『分かった、そう伝えよう』

 矢継ぎ早に指示を出して、レオンは《スカーレット》を方向転換させる。

 撹乱担当の敵機は二機だけだ。飛鈴に任せても問題はない。甲母艦も丘陵地帯を囲むようにシフトするのではなく、一箇所に固まるようにすれば守りきれる。現有戦力だけでも十分、対応可能なはずだ。

 ならば、自分は何をするべきか?

 決まっている。仇を討つのだ。

 彼らは自分の部下だった。仲の良い者もいれば対立していた者もいるが、等しくレオンの部下であった。その仇を討つ権利は、陸戦部隊長であるこのレオン・クーゲル大尉にある。誰かに譲るつもりなど毛頭なかった。

 レオンは空中で身を翻して、しかし、その場で立ち止まった。

『ダンスのお相手を無視するとは、連合軍はマナー違反だな』

 黒い装甲機が、いつの間にか眼前に立ちはだかっていた。



 オープン回線で呼びかけたのは、単純に挑発のためだった。

 行馬は《影式》の飛行機能をフルに使い、赤い死神の前で仁王立ちをする。

 地上からの狙撃と正面の敵の両方に注意を払わなければならないので、かなり心臓に悪いパフォーマンスだ。だが、これくらいしなければ相手は立ち止まってくれまい。一度抜かれたら二度と追いつけない以上、足止めには全力を用いる必要がある。

『おい行馬、無茶するんじゃねえぞ! お前が撃墜されたら指揮執る奴がいなくなるんだ!』

「といっても、ここはやるしかないだろ。俺の役割は《スカーレット》を足止めすることだからな」

 一時的に部隊用回線に切り替え、行馬は答える。

 赤い死神の足止め――それはこの作戦で最も困難で、最も重要なものだ。

 まだ敵は一個小隊以上の戦力を残している。

 戦意喪失して去ってくれればいいものを、仇を討つ気満々でいるようだ。対してこちらは《テュポーンE》という切り札を失い、残るは《影式》、《ブレイザーⅢ》、《コボルド》がそれぞれ一機ずつのみ。戦力差はいかんともし難い。

 まだ策は残っているが……それも《スカーレット》が戻ってしまえば水泡に帰す。こいつだけは、なんとしてでもこの場に留めておかなければならなかった。

《スカーレット》が怒りを滲ませた動きで銃を構え、発砲してきた。

 弾道を予測していた行馬は寸前でそれを回避し、応射する。だが《スカーレット》も同様に、行馬の射撃を回避した。二機はそのまま、銃撃を交えた空中戦へと移行する。

『姑息な策を弄する貴様らに言われたくはないな……機構軍!』

 射撃の手は緩めず、相手もオープン回線で答えてきた。好都合だ。行馬も言葉を返し、さらに挑発を重ねる。

「大勢で弱いもの虐めをするのと、どっちが姑息だ?」

『ぐ……屁理屈をかざすな! 正面から戦うこともできない者が何を言う!』

「自分より強い敵に正面から挑むのはただの馬鹿だろうが。俺たちは弱者なりに智恵を使っただけだ。数の暴力に頼って頭を使わなかったお前らこそ、何も言う資格はないぞ。考えれば避けられるペテンだったんだからな」

『貴様……!』

 赤い死神が、左腕に装備された三連装機関砲を突撃銃と同時発射する。《影式》の腰部装甲を銃弾が削り取り、漆黒の破片が宙に舞った。

(こいつ……やっぱり、かなりの腕だな)

 乱数機動を織り交ぜて相手を攪乱しながら、行馬は内心で舌を巻く。

 空中での戦闘機動は、他の動作とは比べものにならないほど難しい。

 足場のない不安定さはもちろん、銃を撃つ、体を捻るといった一つ一つの動作から生じる反作用を全て計算して行動せねばならないからだ。半分程度はAIが補助してくれるとはいえ、残る半分は経験と技術で補わなければならない。ただでさえ忙しない戦闘中に自機のバランスまで考えて動けるのは、天才か変態かのどちらかだ。

「惜しかったな! だがまだ甘い!」

『まだ小手調べだ! 次はないぞ、《影式》!』

 装甲機同士というよりは、航空機同士のような熾烈な空中戦ドッグファイトが丘陵の上空で繰り広げられる。

 機動力に任せて上空をとった《スカーレット》が、立て続けに砲火を咲かせた。

 速い。そして正確だ。さすがの行馬も、全ての攻撃を避けきるには至らない。回避に専念するものの、何発かの徹鋼弾が肩部装甲をかすめ、漆黒の鎧に傷を刻み込んでいった。

「良い機体に乗りやがって! 羨ましいだろうが!」

 臆面もなく正直な叫びを上げ、行馬は半身になって前面投影面積を減らす。

 彼は右手でライフルを撃ち放ち、敢えて反動を殺さずに上体を後ろへと流した。そうして仰け反った《影式》の十センチ上を、《スカーレット》の射撃が通り過ぎていく。

 際どい。あと二秒遅れていたらコクピットを撃ち抜かれていた。

 一方で《スカーレット》は行馬の銃撃を難なく回避している。

 かすってもいないとは嫌味な野郎だ。桁違いの機動力が羨ましい。その機体を俺にも寄越せ。

 行馬の妬みをよそに、死神はさらなる銃弾をお見舞いしてくる。

 狙いは操縦席か? いや、違う。銃だ。まずはこちらの攻撃手段を奪うつもりでいる。このタイミングでは当てられる。回避も多分、間に合わない。

 一瞬で判断を下した行馬は、手に持っていたアサルトライフルを空中で手放した。

『!?』

 敵の困惑が回線ごしに伝わる。

 ライフルは慣性の法則に従って《影式》から遠ざかっていった。指と銃把の間隙を、《スカーレット》の放った銃弾が通り抜けていく。結果として、《影式》は本体も銃も傷つけることなく敵の攻撃をやり過ごした。

「はっ! ざまあみろ!」

 行馬は宙を泳ぐ突撃銃に向けて左腕を伸ばし、手首の下からワイヤーを射出した。

《影式》に標準搭載されているこのワイヤーは、細いながらも装甲機五十機分の重量を支えられる特殊鋼線だ。先端に鉤爪がついており、崖上りや牽引など様々な用途で使われる。《影式》乗りにとっては必須の装備だった。

 行馬はワイヤーをアサルトライフルに絡みつかせ、釣りの要領で武器を手元に引き戻した。

『おのれ、大道芸人のような真似を……!』

「褒め言葉ありがとう。お代は命で結構だ。さあ、とっととよこしやがれ!」

 一回転して正対姿勢に戻し、行馬は真紅の騎士と向かい合った。二人は互いに銃口を向け合い、同時に発射炎マズルフラッシュの花を咲かせる。

「落ちろ、《スカーレット》!」

『させるものか!』

 漆黒と真紅の砲火が、蒼天を白く染め上げる――



『テイル1とテイル2は本格的な交戦に入った模様だ』

 シルバーエッジの艦橋から、ロー少佐の現状報告が聞こえてくる。

 それをシーネは、岩山の頂点に陣取った《影式》の中で聞いていた。

 匍匐姿勢で狙撃銃を構え、背中には電波遮断用の特殊布を羽織っている。《テュポーン》に乗る前は頻繁に行っていた、狙撃用の姿勢スタイルだ。開けた盆地の中央に鎮座するシルバーエッジへと照準は合わせられており、いつでも発射可能な状態となっている。

 ロー少佐はあくまで冷静に戦況を告げ続ける。

『さらに、敵の接近が認められる。一個小隊が南から……いや、増えたな。敵は二個小隊を我々に差し向けた模様だ。七時の方向から、一直線にこちらへと向かっている』

『防衛部隊の一部を攻撃に差し向けたかー。よっぽど、僕たちのことが許せないらしいね』

『虫のいい話だ。自分たちとて、同じことをやっているだろうに』

 仲間を全滅させられているハウンド3リファが、怒りを声に滲ませる。

 彼女たちは、シルバーエッジの甲板上で装甲機に乗って待機していた。本来ならば装甲機は艦の周囲に散らばって護衛隊形を取るのがセオリーだが、たった二機ではそれもできない。彼女たちにできることは、安全な位置にいることだ。

 シーネは狙撃姿勢を維持したまま、通信機に向かって問いかけた。

「行馬さんは無事なんですか? 敵の部隊長を引きつけていたはずですけど……」

『彼は現在、敵本隊に合流しようとする《スカーレット》を牽制している。まだ目立った損傷はないが、しばらくは指揮もできないだろう。あの赤い機体を相手取るのは、片手間ではできない』

「そんな……あの化物と一対一でやりあっているんですか!?」

 悲鳴に近い声が口から漏れ出た。

《スカーレット》の機体性能は異常だ。第二世代で一騎打ちを行うなど、正気の沙汰ではない。

 だが艦長は落ち着き払った様子でシーネをなだめた。

『彼は健闘している。空中戦の経験キャリアが段違いなのだろうな。今のところは優勢に立っている』

『そうそう。隊長はむしろ、空中戦の方が得意なんだよね。だから心配しなくていいよ、シーネちゃん。僕たちは僕たちの仕事をこなそう』

 教授も、のんびりとした調子でロー少佐の後に続く。

 彼らが言うのならとシーネは自分を落ち着けようとしたが、それは難しかった。

《スカーレット》の圧倒的戦闘力は、ハウンド小隊の残した映像が雄弁に物語っている。あの強敵とまともに渡り合い、かつ優位に立っているというのは、いかな行馬といえども信じがたいものがあった。

 もっとも、そんな危険な相手だからこそ、《スカーレット》は敵本隊と分断する必要があったのだが……

 その時、《影式》のレーダーに反応があった。

 装甲機の反応が山を二つ挟んだ地点に集結しつつある。その数、およそ十機。間違いなく連合軍の残存兵力だ。

 来たか、と銃把を握る手に力がこもる。

 幸い、敵は最短距離でここまで進んでくれたようだった。おかげでシーネの潜む山の反対側に集結してくれている。丁寧に裏から回りこまれていたら、潜伏場所がばれていたかもしれない。

 シルバーエッジが迎撃体勢を整えるべく、艦首をゆっくりと巡らせる。

 その動きに呼応するかのように、敵影も急速に動きを活発化させた。山というよりは丘と言った方が正しい高さの丘陵を越え、五機一組で盆地へと姿を見せる。

 部隊構成は標準的オーソドックスなものだ。隊長機と副隊長機に《ストゥム》を据え、残りは無人機となっている。

 その中に一機だけ混ざった《狙撃手》の姿を認め、シーネは内心で唇を噛んだ。

《狙撃手》には、長距離からの射撃に反応して自動で発射点を割り出し、高速で撃ち返す機能もある。同じ狙撃手スナイパーには、色々と厳しい相手だった。

『諸君、準備はいいな? 最後の幕は三十秒後に開ける。各員、己の役割を全うせよ』

『テイル5、三十秒後に”切り札”を射出します。サブモニタ11にカウントを表示』

 オペレーターの声と共に、視界の片隅に数字が投影される。

 深くゆったりとした呼吸に切り替え、シーネは逸る鼓動を抑える。

 勝負は一度きりだ。

 カウント1で一機だけ存在する《狙撃手》を葬り去り、カウント0で目標を貫く。大丈夫。やれるはずだ。いや、やらなければならないのだ。

 カウントが20を切った。

 シルバーエッジに自衛能力がないとみて、敵が一気に距離を詰め始めた。まるで砂糖の山に群がる蟻のようだ。甘い餌につられて、危険な捕食者の射程内に入り込んできている。

 カウント10。

 シーネは《狙撃手》に照準を合わせた。狙撃機能に特化したこの機体は、素早さや硬さとは無縁だ。57ミリ砲弾を叩き込めば、一撃で破壊できる。

 カウント5。

 汗が額を流れる。だがシーネは微動だにせず狙いを定め続けた。今の彼女は、何をされようが決して標的から目を逸らさない。

 カウント2。

 息を止め、極限まで集中しーー

 カウントの数字が1を示すと同時に、《狙撃手》の胴体が粉微塵に吹き飛んだ。

『射出!』

 続いてシルバーエッジの艦底部近くにあるシャッターが爆破され、中から巨大な戦車じみた物体が飛び出してくる。

 飛び出してきたものは《テュポーンE》であった。

 装甲機用のカタパルトを使って投射された異形の装甲機は、無人のまま敵軍の真っ只中に高速で突っ込んでいく。その装甲は赤熱し、異様な熱を発していることが傍目にも分かった。全ての動力を限界まで稼働しているせいだ。操縦者が乗っていたのなら、まず間違いなく意識を失うほどの高温だった。

 シーネはその背中にある砲塔――異常な出力を注ぎ込まれて暴走寸前の荷電粒子砲を、正確に射抜いた。

 大爆発が生じて、轟音が大気を揺るがす。

 加速器が破壊され、凄まじい運動エネルギーを持った重金属粒子が周囲一帯にばらまかれた。磁場が荒れ狂い、プラズマが撒き散らされ、モニタに激しいノイズが走る。盆地の地表が白く染まり、季節外れの雪原を思わせた。

 基本的に装甲機の動力炉は爆発など起こさないが、荷電粒子砲であれば話は別だ。

 加速した重金属粒子を撃ち出し、対象を原子単位で破壊するこの兵器は、運動エネルギーを有した粒子を内部に保有している。言うなれば、砲身の中で弾丸を動かし続けているようなものだ。そうして十分な加速を得た銃弾は、発射されて対象に食らいつく。

 それを無差別に解き放てば、どうなるか。

 ノイズが収まった時、モニタの向こう側では半数以上の敵機が機能停止に陥っていた。

 爆心地――《テュポーンE》の近くにいた機体は原型を留めぬほどに破壊されている。通常発射の時より破壊力は格段に落ちているものの、それでも間近で受け止めきれる威力ではない。遠くに位置していた機体もプラズマの奔流で焼き尽くされ、あるいは強力な磁場に巻き込まれて電子機器を破壊されていた。

 特に無人機の被害は深刻だ。

 AI管制で動く無人機は、電子系統の損傷が機体の動きを大きく制限する。回路を焼き尽くされた機体はもう動くこともできないだろうし、遠距離にいた機体も半身不随に陥った程度レベルの被害は受けている。もう、正常な部隊行動は望めまい。

『見事だ。テイル5は《ストゥム》を優先して排除せよ。テイル3、ハウンド3は脅威度の高い無人機を仕留めていけ』

『テイル3、了解』『ハウンド3、了解』

「了解。テイル5は残り三機の《ストゥム》を排除します」

 シーネはふらつく《ストゥム》を照準に入れ、トリガーを引き、

『接近警報』

 高速で飛行する何者かの到来を、AIが告げた。



 行馬と死神のダンスは熾烈を極めていた。

 開戦から十数分。両者は一歩も譲らないまま、銃撃の応酬を交わしつつシルバーエッジのいる方角へと飛行を続けていた。行馬は《スカーレット》の前進を阻みきることができず、《スカーレット》も行馬を振り切ることができていない。ほとんど互角の戦いを繰り広げているものの、状況は《スカーレット》の優位に傾きつつあった。

(このままじゃ、シルバーエッジまで着いちまう……やばいな。飛行能力のあるこいつには、今のシルバーエッジじゃ太刀打ちできない)

 行馬は焦りを浮かべるが、自分一人ではどうにもならない。

 そもそも、この《影式》で《スカーレット》に食らいついていること自体が大健闘と言って良かった。加速性能が段違いであるにもかかわらず、行馬は巧みな位置取りと射撃で敵の進路を制限している。おかげでいまだ、両者の距離は開ききっていない。

 だがそれも、そろそろ限界かもしれない。

 先程から計器類が警告を発しまくっている。推進器も調子がおかしい。妙な方向に吹かしたり、急減速したりと不安な動きが増えてきている。

 元々が十分未満の飛行しかできない代物だ。多少の改造と増設によって航続距離を伸ばしてあるものの、いつまで持つかは誰にも分からない。これ以上の無理は、おそらく――

『もらったぞ、《影式》!』

 行馬の意識が機体へと向いた一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。

 赤い死神から放たれた銃弾が、背部から突き出ている推進翼を破壊する。

 空中でバランスを失った《影式》はがくんと高度を落とし、錐揉み状態で墜落していった。なまじ速度が出ていただけに、落ち方も激しい。凄まじい勢いで高度が落ち、丘陵の岩肌がみるみるうちに迫ってくる。

「推進器を――」

 強引に姿勢を立て直そうとした行馬は、計器を見て愕然とした。推進器が完全に沈黙している。無理をさせたツケが最悪のタイミングで訪れた。

 駄目だ。このままでは墜落死する。

 茶色の岩壁が、絶望と共に迫ってきた。



「行馬さん!」

 遙か彼方で墜落していく黒い機体を見て、シーネは思わず叫んでいた。

 直後、轟音と共に遠くで煙が上がる。何か巨大なものが山肌に激突したのだ。それが装甲機であることは、疑いようもない。

 サブモニタに目を移す。

 行馬の識別信号は、いまだ灰色KIAになってはいなかった。だが、無事でもいられないだろう。あれだけの高度から、あれだけの速度で落ちたのだ。いくら装甲機といえども、衝撃を殺しきれるものではない。

(よくも――)

 ほの暗い衝動が、彼女に狙撃銃を取らせた。

 もはや隠れる必要もない。シーネは防電布を捨てて姿勢を変え、高速で迫り来る《スカーレット》へと照準を定めた。

 発砲。

 寸前でシーネの存在に気がついた《スカーレット》は、規格外の機動力で必殺の一撃を回避した。そして速度を維持したまま、こちらへと迫ってくる。まずはうるさい狙撃手を潰すつもりだろう。

 構うものか。位置がばれた以上は、逃げても同じことだ。

 シーネは続けて二発、三発と発砲する。

 そのことごとくを、赤い死神は避けてみせた。こちらは防御を捨てて連射しているというのに、かする気配すらない。本当に、この赤い機体は化物だ。

《スカーレット》が右手に持った突撃銃をこちらへと向ける。シーネも動かず、狙いを敵機に定める。

 二発分の銃声が同時に鳴り響いた。

 シーネの放った銃弾は《スカーレット》のアサルトライフルを、《スカーレット》の放った銃弾は群青の《影式》の狙撃銃を、それぞれ破壊した。

 得物を失ったシーネは素早く大地を蹴り、空中へと舞い上がる。

 まだ自分は戦える。腰部ラックに接続されていた38ミリ突撃銃を手に取り、シーネは赤い死神へと狙いを定めた。

 だがその時にはすでに、《スカーレット》はシーネの背後へと回り込んでいた。

「なっ……!?」

 狙撃手としての勘で、咄嗟に回避を選ぶ。

 ほとんど同時に《影式》の左腕が吹き飛んでいた。あれだけの急加速を行ったというのに、正確無比な狙いだった。とても人間業とは思えない。

 次を回避する余裕はない。

 そう判断したシーネは敵機の位置を大雑把に計算し、肩越しにライフルを発砲した。

 直後、機体に衝撃が走ってモニタが半分ほどブラックアウトした。どこか致命的な場所に銃弾を撃ち込まれたようだ。推進器も言うことをきかず、まともに飛行することができない。シーネは手動制御で姿勢を維持し、辛うじて丘陵の斜面に着地した。

「あぐっ……」

 落下に近い形で接地したおかげで、危うく舌を噛みそうになる。

 シーネは彼方へ飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、機体の損害状況をチェックした。左腕と右足の喪失に、推進器の半壊。頭部カメラも三分の一が失われている。もはや戦闘続行は不可能だ。飛ぶことも走ることもできない。

 そんな彼女の目の前に、赤い死神が舞い降りてきた。

『よく足掻いたが、ここまでだ』

 オープン回線から、男の声が発される。

 赤い死神は右腕を半ばから失っていた。最後にシーネが放った、苦し紛れの一撃が届いたのだろう。だがそれだけだ。この化物はまだ、戦闘不能には陥っていない。

 死神が左腕の機関砲を発射する。

 これで《影式》の左腕も破壊された。もう抵抗する手段はない。シーネにできることは、何もない。

《スカーレット》が銃口を《影式》のコクピットへと突きつける。

『では、さらばだ。仲間の元に行くがいい』

『ほう、そいつはどこのことだ?』

 七道行馬の声が、死神の指先を見えない鎖で縛った。



 九死に一生を得ることができたのは、偶々持っていた『盾』のおかげだった。

 斜面に激突する寸前、行馬は持っていた防性斥力盾の出力を限界まで上げ、クッション代わりに使用した。

 弾丸の威力を削ぐほどの斥力場を発生させるこの盾は、最大出力ならば飛行型装甲機の着地制動にも匹敵するほどの反発力を生み出せる。

 ただし、それだけの出力を生み出すには大電力という代償が必要だ。故に行馬は思い切って全ての推進器を停止状態にし、全動力をこの盾へと注ぎ込んだ。結果、着地の衝撃は緩和され、行馬はどうにか機体の大破を免れることができた。

 しかし、無事かと言われるとそうでもない。

 脚部は踵が潰れており、推進翼は片方が破損したままだ。防性斥力盾は当然のごとく木っ端微塵になっているし、それを持っていた左手もぐちゃぐちゃに潰れている。飛行能力は一時的に回復しているが、おそらくこの一回が最後の起動になるだろう。

 だが、動けるのなら勝ちの目はある。

 行馬は丘陵の斜面を駆け上がるような低空飛行で、《スカーレット》へと突撃していく。

 アサルトライフルの照準を定め、発砲――できなかった。墜落の衝撃でどこかがイカれたようだ。行馬は舌打ちをして、単なる鈍器と化した銃を投げ捨てる。

 その間に、赤い死神は機関砲をこちらへと向けていた。

 必殺のタイミング。だがそれを、シーネの《影式》が最後の力で妨害した。推進器を無理矢理に吹かして、残った左足でスライディングをかける。全く予期せぬ方向からの奇襲を受けた《スカーレット》は、バランスを崩して彼方へと銃弾を逸らした。

『行馬さん、お願いします!』

「ああ、任せろ!」

 行馬は両腕に搭載された隠し刃アンダー・ブレードを展開する。肘の部分に隠されていた多段式の刃が袖下からせりだし、刃渡り100センチの懐刀が右腕に現れた。

 この刃は、《影式》の両手両足に搭載された固定武装だ。日本刀と同様の鍛え方をされた鍛造刃は、装甲機の積層装甲だろうと容易く切り裂く。まして、使い手が熟練の戦士であれば断ち切れない物などない。

 潰れた左腕の刃は諦め、行馬は右腕だけで《スカーレット》に踊りかかる。

「終わりにしようぜ、《スカーレット》!」

『いいだろう! ただし、終わるのは貴様の方だ!』

 赤い死神はそう叫ぶと、体勢を崩されながらも強引に前へ出た。

 漆黒と真紅の装甲機が、轟音を立てて衝突する。 

 自動車事故など比較にならないほどの衝撃が行馬を襲った。一瞬だけ意識が飛び、視界が明滅する。まるで全身の骨が砕けたかのような感覚に、行馬は小さく悲鳴を漏らした。

「こ、の……野郎っ!」

 不覚を取った。

 痛みを怒りに変えて意識を持ち直し、行馬は機体状況を確認する。

 二体の装甲機は、抱き合うような姿勢で止まっていた。

 行馬が突き出した刃は空を切っている。《スカーレット》が意表を突いて前に出てきたおかげで、間合いを外されてしまったのだ。真紅の死神は左腕と、二の腕までしかない右腕を巧みに操り、《影式》の攻撃を受け流していた。

「ならば!」

 行馬は《スカーレット》を抱きしめるような形で、死神の背部を狙う。

 推進機関が集中している背中は、飛行型装甲機にとって致命的な弱点だ。ここさえ潰せば、《スカーレット》最大の武器である機動力を殺すことができる。

 だがそれは《スカーレット》も重々承知している。

 背中だけはやらせまいと、敵は必死の抵抗を行ってきた。激しく身悶えして暴れ、それでもふりほどけないと分かると、空中へと飛び上がって曲芸飛行を試みる。なんとしてでも《影式》を引き剥がすつもりだ。

 そうはさせない。

 二体はもつれあったまま、空中で必死の取っ組み合いを繰り広げた。子供の喧嘩のような見苦しい争いであったが、当事者たちにとっては生死のかかった戦いだ。互いに技術の限りを尽くして、己の目的へと手を伸ばしていく。

『荷重限界超過。離脱を推奨』

 装甲同士が擦れあう金属音を、悲壮なAIの警告が上書きした。

 さすがに馬力は《スカーレット》が勝っている。《影式》の右腕は、徐々に抑え込まれつつあった。潰れた左腕も推進翼の端に触れるのが精一杯だ。それより先へは、どう足掻いても進めない。これ以上粘るのも無理そうだ。

(だったら……これでどうだ!)

 行馬は左腕からワイヤーを射出し、敵機の推進器に狙いをつける。

 幸いにも、潰れた左腕の中でこの機構だけは生きていた。微妙な角度だったが、先端の鉤爪はうまく推進機関の根本に絡まってくれる。ちょうど、背部ユニットの中心に位置する場所だ。猛禽類の翼にも似た推進翼が邪魔だが、これならば――

『う……おおおおおおおっ!』

 とうとう《スカーレット》の馬鹿力が《影式》の拘束を跳ね除けた。

 力ずくで引き離された《影式》は、《スカーレット》の蹴りを浴びてさらに吹き飛ばされる。相変わらず、こいつの馬力は凄まじい。第二世代の全力タックルにも匹敵する威力だ。

 行馬は虫の息の推進機関に鞭を入れ、空中で体勢を立て直すが、

『はぁっ!』

 こちらが動くよりも先に、赤い死神が白刃を閃かせた。

 腰部ラックから切り離した対装甲機用の近接長剣を、《スカーレット》が大上段から振り下ろしてくる。

 出遅れた。避けきることはできない。

 行馬は刹那の間に思考をフル回転させる。最適な行動は何か。対抗手段はあるのか。そして一つのを見出した彼は、ある命令コマンドを打ち込みながら、機体を右方向に倒れ込ませた。

 直後、激しい衝撃が《影式》を襲う。

 警告と損傷報告が、狭い操縦席に多重奏で鳴り響いた。行馬は耳を押さえたくなる衝動をこらえ、損害状況に素早く目を通す。

(左をやられたか……想定内とはいえ、なんつー威力だ)

 自機の状態を示す立体像の中で、左腕が真っ黒に染められている。

 先程の一撃は、《影式》の左腕を肩の根元から断ち切っていったようだった。切断面からは衝撃緩衝液が血のように垂れ流され、行き場を失った電力はその周りで火花を散らしている。致命傷は避けたが、相当な重傷であることにかわりはない。

 勝ち誇った《スカーレット》が、長剣を掲げて高らかに告げる。

『トドメだ! 散っていった僚友たちに地獄で詫びてくるがいい!』

「そいつはどうかな! 俺のを舐めるなよ!」

 行馬は不敵な笑みを浮かべ、サブモニタの片隅に浮かぶ数字を見る。

 それは時間。ワイヤーが――左腕から射出され、《スカーレット》の背中に絡みついたワイヤーが収納されきるまでの時間を示していた。

 数字は見る間に小さくなり、ゼロに近づいていく。

 行馬は先程、悪足掻きとして『ワイヤーを巻き取れ』という指示を左腕に対して下していた。

 本体と切り離された後も、その命令は生きていた。手首に搭載された巻取リール機構は主の指示を忠実に実行し、ワイヤーを超高速で回収していく。さながら、大物が食いついた糸を大急ぎで巻き上げる釣り人のように。

 そして――

『ぐわあああっ!?』

 数字がゼロになると同時、切り落とされた左腕がロケットパンチよろしく《スカーレット》の背中に命中した。

 釣り針にかかった魚が動かなければ、引き寄せられるのは釣り竿の方だ。

《スカーレット》という大魚に勢いよく激突した左腕は、その推進機関に深々と突き刺さっていた。

 その損害は深刻極まるものだった。制御系はズタズタに引き裂かれ、噴射推進器スラスターは火花を散らして異音をたてている。推進翼ウィングは根本を破壊されて、三分の一がへし折れていた。力場発生装置リプルーバー・ブースターに至っては中枢を貫かれており、自重を空中に留めることもできずに、ゆっくりと機体の高度を下げていっている。

 死に際の老人のような動きで、《スカーレット》はぎこちなく手足を足掻かせる。

『馬鹿な……馬鹿な! こんな、無茶苦茶な一撃で、私が――』

「悪かったな。無茶苦茶しないと勝てなかったんだ。だから、あんまり恨むなよ!」

 無防備になった《スカーレット》の胴体部へと、行馬は残った右腕の刃を叩き込んだ。

 白い刃は積層装甲を切り裂き、赤い死神の心臓部コクピットを貫いた。

 火花が散り、煙が血のように噴出する。《スカーレット》は二度、三度と痙攣するように手足を動かすと、やがて完全に力を失って、重力に引かれて墜ちていった。

 操縦席コクピットを破壊されては、いかなる装甲機も動くことはできない。死神といえど、そのことわりからは逃れられなかったようだ。

 地上に落ちた《スカーレット》が小さな爆発と共に、その機体を四散させる。

 機構軍に甚大な被害をもたらした化物の、静かな最期であった。

「終わった、か……」

 緩衝液とオイルにまみれた白刃を眺め、行馬は疲れたように呟く。

 とんでもない相手だった。勝ちを拾えたのは奇跡に近い。もう二度と戦いたくはない。心身が削り取られるような戦いだった。

 そして、消耗したのは行馬だけではなかった。

 異音がして、機体が大きく傾ぐ。

『推進機関停止。エラーコード288。早急に対応を行ってください』

 最後の力を振り絞っていた推進器が、今度こそ完全に停止した。

 行馬は慌てて再起動を試みるが、《影式》の推進機関はピクリとも反応しない。これは無理だ。本格的にお亡くなりになっている。

 漆黒の装甲機は、宿敵の後を追って地上へと落下していく。

「うお、ちょっ……マジかよ!」

『行馬さん!? 大丈夫ですか!?』

「残念ながら、あまり大丈夫じゃない! やべえ、本気で落ちる……!」

『ったくよぉ、最後の最後で格好がつかない奴だな、てめぇは!』

 行馬が冷や汗を浮かべた時、野獣のような声が操縦席に響いた。

 続いて、乱暴な振動が機体を襲う。

 落下の衝撃ではない。何者かが空中で、手荒に《影式》を受け止めたのだ。それが誰かは、見なくてもすぐに分かった。

「べ、ベルンハルトか……助かった……」

『感謝しろよ、行馬。俺がいなかったら、今頃お前は世にも情けない死に方してたぜ?』

 くはは、と背後の《影式》が行馬を嘲笑う。

 敵機との戦闘に勝利したベルンハルトが、行馬たちの元へと追いついたきたのだ。

 彼の機体も傷ついてはいたが、飛行に支障はないようだった。ベルンハルトは適度な減速をかけ、ふわりと地上に降り立つ。踵が潰れてまともに立てない行馬は、体育座りのような格好で《影式》を落ち着かせた。

 回線越しに、全員の胸を撫で下ろす音が聞こえてきた。

『やれやれ……テイル1、テイル2、無事か? さすがに少し、肝を冷やしたぞ』

『おうよ。こっちは問題ないぜ。シーネも拾って帰るから、歓迎会と祝砲の準備でもしておいてくれ』

「お前、祝砲のこと忘れてなかったのか……」

『当たり前だろうが。俺はあれが戦闘の次に楽しみだったんだぞ』

『ベルンハルトは能天気でいいよね。僕はたまに羨ましくなるよ』

『まったくだ。プレッシャーと無縁そうな神経は素直に尊敬する』

 敵機の掃討が終わったのだろう。教授とリファが口々に褒め言葉の皮を被った皮肉を浴びせる。だがベルンハルトは、意に介した様子もなく祝砲の要求を続けた。

『さて、諸君。現状の説明と、次の命令を伝える』

 緩んだ空気が流れる中、ロー少佐が最後の締めを口にした。

『敵の攻撃部隊は全て殲滅完了した。敵艦隊も退却を開始しており、すでに戦闘圏内から離れたことを確認している。陸戦部隊は帰還し、整備班以外は……いや、整備班も含めて総員、戦闘配備を解除せよ。……我々の、勝利だ!』

 おおおおお! と、皆が割れんばかりの歓声を上げる。

 久しく聞いていなかった勝利の叫びに浸かりながら、行馬は口元を緩めた。

「やれやれ……まともな勝利なんていつ以来だ?」

『さあな。初めてじゃねえのか? 今までずっと負け戦しかなかった気がするぞ』

『でも、これからは勝っていくことができますよ。私たちなら、きっとできます』

 弾んだシーネの声に、行馬は「そうかもな」と答える。

 歓声は、途切れることなく、いつまでも響き続けていた。


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