~跡っていろいろ視えるものがあるよな。~ ③
優しい雰囲気をもつ母親とは裏腹な勢いに、思わずたじろく香菜。
「あの、お、おかあさん、本当に、私が止められなかったのが悪いんで、だから本当に申し訳ありません」
「違うんですよ、香菜先生。良治が嘘をついている以上、許しちゃいけないんです! ほら、ごめんなさいを言わないと、お母さんだけ帰るよ!」
「え゛えええ!!? 嫌だよ!!」
「え、えーっと……」
「なぁ、イチ」
ふいっと顔を母親からそむけた姿を見てあきれたアレスがイチの側に寄って、同じ目線になるようにしゃがんで睨んだ。
良治の視線はアレスを捉えたり、その視線から逃げるようにそらしたり、を繰り返している。
「……んだよぉ」
「おいイチ。例えよぉ、ヤったのがお前じゃなかったとしてもだ。似たような匂いがあったんだ。言いたくなかったらそれでいいと思うが……お前このままじゃ置いてかれるぞ」
「ゆ、百合先生っ、今ちょっとそれは……」
母親に対して目に見えない敵のことを、なんと伝えたらいいのか。慌てて麻里がアレスを止めようとするが、その手は触れることなく止まった。
麻里の視線の先に、驚いた良治の瞳と、アレスの大きな瞳がしばらくそのまま見つめ合っている姿があったからだった。
この雰囲気を壊してはいけない、そんな気がしたのだ。
「……けっ」
良治はアレスの視線から逃れるように首を振る。
母親が抑えようとする手や「どこへ行くの?」という香菜を振り切ると、ダン! と思い切り床を踏みつけ、室内で座って絵本を読む美咲の元へと力強く歩いていった。
周りで遊んでいた子どもたちはその音に驚いて動きが止まり、良治へと視線が集中した。
美咲は良治の姿を終始見ていたのか、来ることが分かっていた様子だった。側に来るとわかった美咲は視線を思い切りそらす。
ズキン、と心に何かが走るのを感じた良治は唇を噛みしめ、しばらく美咲を見下ろす。
「…………」
「…………なに」
「…………!! めん!!」
きょとんとした美咲はその姿になんとか唇を動かそうとするが、良治はお構いなしに回れ右をし、またもやダン、ダン! と床を踏みつけながら歩いて香菜の前に立つと、今にも泣き出しそうな表情で叫んだ。
「ごめん!!!」
そう言って乱暴に靴を投げ出して、かかとを踏み潰すように履くと、開いた口が塞がらなくなっていた母親を置いて飛び出すように出ていってしまった。
「……え、ち、ちょっと! っああもう本当に! もうすみません先生方、ご迷惑をおかけしました!」
早く息子を追いかけたい気持ちとお詫びを言たい気持ちが入り混じるが、お辞儀もままならないまま、その場を去って行った。
「ああー……」と声を漏らした香菜は苦笑してその親子の後ろ姿を見つめていた。アレスはため息をつくと立ち上がり、時計を見る。
「おっ、もう仕事終わったな。ほら帰ろうぜ麻里。あと、香菜も用意しとけよ」
「待ってください、香菜先生は今日はまだあと30分……ですよね」
「ああ、私のことは大丈夫。皆先に帰って休んでて」
香菜の取り繕った表情にアレスはつまらなさそうに口を曲げ、「お前自分の状況わかってんのかよ」と腰に手をあててため息と共に吐き出した。
「ワタァシ!!」
突然アレスが大きい声で言ったため驚く二人。
「で、いいんだろ麻里」
「あ、へ? あ、私って言ったんですか今」
「他に何かあっかよ」
腕を組んで、「どうだちゃんと言ってやったぞ」とドヤ顔で麻里を見るが、どこかおかしな発音に苦笑を浮かべる麻里だった。
「ううん、本当に大丈夫なの。この後私、ちょっと約束があって……」
「えっ」
麻里は驚いて香菜を見ると、その視線どこか視線が気まずそうに泳いでいた。
「んだよワタァシより大事な約束なんかがあんのかよあ゛ぁ?」
ただ事じゃねぇのによ! と、次第に声が荒くなっていくアレスに、ちょっと待ってと麻里が慌てて止める。
「お、お、落ち着いてください、ほっほほほら、その、また何かあったら遠慮なく言ってくださいね!」
「うん、ありがとう」
「ケッ! お前が落ち着けよ麻里」
「だ、だってっ!」
「ふふ、何だかごめんね。ちょっと……その、あの時は言い出しにくかったんだけど、ちゃんと相談できてる人も居るから、大丈夫」
「はぁ……。それなら、いいんですけど……」
言い出しにくかった? どこか笑みを隠したような香菜の表情に、まさか、と思わず口元に手をあてた麻里だった。
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