~跡っていろいろ視えるものがあるよな。~ ②

 時は、少しばかりさかのぼる。

 風に吹かれ、太陽の光を浴びた葉が揺れる。

 葉音が広がっていく木々の元で、一人の男が瞬きもせず一直線に見るものがあった。


 辺りは蝉の鳴き声が重なって交わる。

 男の視線の先にはそれとは対照的な、しんとしたひとつの保育所があった。

 高台にそびえ立つこの場所からは、保育所の全体的な部分が見える。

 距離が、近すぎてはいけない。この場所が、ちょうどいい。


 目を見開き、動かすことのないその瞳には光は宿っていない。

 時間とともに血走っていく眼球。


 どうしてオマエは生きているのに何も反応がないんだ。


 心で叫びを、握りしめるようにしてただただ保育所へと視線を外すことがない。

 そう思っていると。保育所の庭に、地を蹴るように歩く女性と、しとやかな印象を受ける二人の女性が出てきた。


 眼光がさらに強くなろうとした時。

 地を蹴るようにして歩いていた女性と目が合いそうになり、驚いて固まりそうになった身体をどうにか倒すようにして動かした。

 すぐさま木陰に身を潜めていたにもかかわらず、驚きのあまり視線さえも彼女が居た方向とは真逆の方向を向かせた。


「……っ!?」


 ウソ、ダロウ。


 さもこちらの存在を初めからわかっていたかのようで、鼓動と共に呼吸が浅くなっていた。



 それにしても……美しい女だったな……。

 男は口元に手をあて、しばらく虚空を見つめていた。


・・・・


 夕方の日差しが保育園に差し込む頃。

 誰も居なくなった職員室から出た飯田は、その隣にある園長室へと足を運んでいた。


 太陽の光が差し込んだ園長室。椅子にゆったりと腰掛けた園長の前で飯田が夏祭りの係が書かれてあるプリントを持って立っている。


「夏祭りだったら運動会より彼女はやりやすいかもしれないわね」


 園長は安堵のため息をつきつつ飯田へ少しばかりの苦笑を浮かべた。


「はい。百合先生もやっと先生達へも馴染んできた感じで……。一安心、でしょうか」


 正確に言えば、彼女のペースや、見えない何かにひっぱられているような感じもするけれど。そう言いそうになったが、彼女の専門的評価は今はする必要はないか、と息を吐いた。


「まぁ、時期も時期だから。そろそろ彼女もそうでないと困るのよね……」

「はぁ……あぁ!」


 今年はいろんなことがありすぎて、毎年構えていたことをすっかり忘れてしまっていた。そうだ、この時期は――。



 プルルルル――――。



 園長が飯田へ、「もう、お願いだから昼間にかけてほしいわね。もしこのタイミングで実習生の話しだったら笑えちゃうわね」と言いつつ、机の上で鳴る電話をとる。

 飯田は面食らったような気持ちで思わずため息をついてしまった。


「はい、もしもし、ひまわり保育園です」

『もしもし、お世話になっております外海大学の日下部という者ですが。実習についての件でご連絡させて頂きました』

「こちらこそいつもお世話になっております。ええ、実習生の日時ですよね」


 園長が、ほら来たわ、とサインを送るように飯田をチラっと上目遣いで見る。

 ああ、やっぱりだ。

 受話器から少しだけ漏れて聴こえてくる声がやけに明るい。

 飯田はそんな時期がきたかとこれから増えるであろう仕事を思い浮かべると憂鬱になり、対照的に人出不足なところに安心したような。


「彼女は……大丈夫、よね」


  そんな思いをいだきつつ苦笑を浮かべた。


・・・・


「っぶぇっくしょい!」


 もうすぐ勤務を終える頃。

 園庭での清掃を行っていたアレスががに股になりつつ思い切りくしゃみを放った。

 その勢いに思わず箒を盾にしてのけぞる麻里。


「わ!? ゆ、百合先生大丈夫ですか?」


「あ゛ー……なんだ、誰かワレ様の噂でもしてんのか」

「あぁもー! 百合先生おねがいします、わたしって言ってくださいよ!」

「うっせぇなー……」


「もう! 女の子にそんなことして! なんとか言ったらどうなの、良治!」


 アレスの言葉を遮るように、聴きなれない女性の声が聴こえてきた。


「うるせぇよババア! オレはなにもしてねぇっていってんだろーが!」

「まああぁあったくこのバカ息子は! も、もう、本当に申し訳ありません……!」

 

 アレスと麻里がなんとか近くまで寄って様子を見る。

 そこには、頭を下げ合う香菜と良治とならぶ女性が。母親だろう、困った表情で良治の頭をどうにか相手へと下げさせようと押さえつけようとしている。


「あいつはよー……」

「ん……え、アレスさん? ちょっと!?」


 アレスが母親の手を振り払おうとしている良治へと歩いていく。 

 麻里は慌ててアレスの後をついていった。


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