第43話 ~跡っていろいろ視えるものがあるよな。~ ①
香菜が戻る間、麻里は横になっていたアレスにそういえばと、思い出したように「お願いですから、皆さんには“俺様”じゃなくて“私”にしてください」と懇願していた。
「ったく何回も言うなよ、うっせぇな」
「いいですか、私ですからね、わ、た、し!」
「へいへい……ふぁぁ……」
アレスは眠気が訪れていた様で、自分の腕を枕にして麻里と話していたものの、口数が次第に少なくなり、麻里が気がついた時にはそのまま静かになっていた。
「ただいまー」
良治の寝顔を見ていたアレスと麻里の元へ、夏祭りについての集りから開放された香菜もそそくさと戻ってきた。
「百合先生ー」
横になったままのアレスに声を掛けるが反応がない。まさか眠っているのかとアレスの体を小突く麻里。
しかし、動く気配がない。「ちょっと!」と力を入れてアレスの体を揺さぶるが、やはり反応がない。
「ふふ、あの百合先生が爆睡だなんてね。本当に……彼女、どうしちゃったのかな」
香菜は笑ってアレスの姿を見る。
まさか人間の百合とゲームの世界での魔王であるアレスの魂が入れ替わっているということは口が裂けても言えない。
「ほ、本当ですよね! ど、どうしちゃったんでしょう」
「ふふ、でも麻里先生も変わってきたと思うわよ?」
「え……?」
香菜からの意外な言葉にアレスを揺さぶる手が止まった。
「何だか、前よりも感情が表に出ているっていうか、うん。楽しそう」
「そうですかねー……。喜んでいいのか、分からないんですけど……」
「いいに決まってるじゃない。ここは、子どもたち皆の気持ちをひとりひとり、表現していい場所だし、受け止める場所でもあるんだから。大人だってもちろん感情はあるんだし、子どもたちと一緒で、表現したいときはしたっていいじゃないって思うのよね。まぁ……大人の場合はいろいろ難しいとは思うけど」
香菜は麻里の座る机の向かい側へ静かに腰を下ろした。
麻里はそんな香菜の表情をつい魅入る。香菜は、年齢からは感じさせない、きちんとした筋を通す人間なのだと。しかも、若手のベテランであるにも関わらず、言葉からはトゲさえも感じさせない。
一体、香菜を震えさせる程の元彼氏というのは――。
麻里は、意を決したように拳を握った。
「私、香菜先生の力になりますから!」
アレスがこの件に関して臭うと言った以上、これは解決できる案件だと、麻里は胸を張って拳を香菜に見せた。
「…………ふふふ、本当、麻里先生いいキャラになったと思う。ありがとう、ね」
「あ、あはは……。はいっ」
「……あ? んだよ、戻ってたのか、香菜」
突然の声の方を向いたのは麻里。アレスにやっと起きたかと安堵のため息が出る。
「ええ、終わったわ」
穏やかな表情だったが、香菜の方からスマートフォンの振動音がした途端、その表情は一気に強張ったものへと変化した。
「まさか……」
見たくもない、という表情できつく目を瞑る香菜。
「……え、ええ……きっと……」
「香菜。今日は俺……」
アレスの言葉に麻里が反射するように咳払いをする。
「あ゛ー……ったくよー……。ワレ様と一緒にここを出るぞ。いつ狙ってくるか分かんねぇからよ」
「え……われ様?」
「も゛ーう゛ー! 本当にあなたって人は! わ、た、し、です! “様”はいりません!」
「ったく! 分かったから揺らすなって!」
麻里はアレスの肩を掴み大きく揺さぶる傍ら、香菜は激しい鼓動を打つ心臓の音を落ち着かせるように手をあてつつ、目の前のコミカルな出来事のお陰で無性にこみ上げてくる笑いから息を漏らすのだった。
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