第29話 ~あの頃、野河は若かった~ ①
今から時をさかのぼる事約20年前。
当時、野河は保育士になり4年目になった頃、初めて年長クラスの担任を任される事になった。当時は少子化どころか子どもは生まれ続けた時代だ。園児が多い為、野河と共に組むベテラン保育士、陵田が居た。
運動会当日までの陸田の子どもへの指導は傍から見ると目に余るものがあった。
「そこはそうじゃないって言ってるでしょう!」
陸田は練習について来れないでいる幾人もの子どもを練習場所から追い出してきた。心を痛めていた野河は、たまらず陸田の元へ駆け寄った。
「あの……どうして、そこまでして……」
「……」
野河の泣き出しそうな顔に陸田は無表情になった。普段から二人は仲がいいとはいい難い雰囲気である。
「集団生活はね、一人が乱れると皆が乱れるの。たった一人を甘く見ていて事故が起きる」
「でも……」
子どもにどうしてそんなに厳しくしないといけないの?
いいじゃない、子どもの気持ちを大切にするのが保育士じゃないの?
気がつけば、陸田を睨みつけていたかもしれない。
「野河先生、お願いだから優しいだけの先生にはならないで。事故に巻き込まれた方は大迷惑だわ」
その言葉を残して練習を再開した陸田。野河はショックのあまり胃になにか支えるものを感じた。
練習の日々、野河はハラハラしながらその光景を見ては、自分はそのような人間にはならないようにしようと誓っていた。
事は、運動会前日に起きた。
陸田はいつものように子どもを並ばせ、座らせる。今から行う競技は団体競技、色別対抗リレーである。
「野河先生は、ゴール地点で子どもを座らせてて。気分高まってるだろうから気をつけて」
「はい……」
「返事は大きく! 子ども達に教える立場の人間がそんなんじゃ駄目!」
「はい!」
野河は今にも、泣き出しそうであった。子ども達と視線が合うと、なおさら涙が出てきそうになり、どうにか視線をそらして深呼吸した。
陸田が赤、青、黄色、緑のバトンを子ども達に渡す。バトンを持った子ども達は目を輝かせてスタートラインに立つ。
野河はゴール地点に立ち、待機する。
「ようい!」
陸田はピストルを構える。バトンを持った子ども達が足音を立てて構えた時、引き金を弾いた。
ピストルの音とほぼ同時にバトンを持った手を大きく振って地を蹴り、軽快に走り出す子ども達。止まっていた時が、一気に流れ出す。
「いっくんがんばれー!」
「さつきちゃーん! いっけー!」
「りょうたくーん! ぬかしてー!」
「あぁー! ももちゃんがんばってー!」
コーナーを取り合うためぶつかる子ども達。途中ふらつきながらもそれぞれがゴール地点に着き、バトンを渡す。そして野河は子ども達を座らせていった。
盛り上がった空間は、子ども立ちの日頃のストレスを発散出来る場ともなり得る。アンカーへとバトンが回る時は、興奮も頂点に達し立ち上がって応援する子ども達。次第に、野河の心に不安な気持ちが生じていた。
興奮して騒いでなんていたら、この子達、また追い出されちゃう……!
初めてこの子達と一緒に居た日々は、本当に大好きなのに……。
アイツのせいで。この子達の邪魔者にならなきゃいけないの?
「ちょっと、皆、お願い座って!」
野河の声は虚しく、子ども達の声にかき消されていく。不安の気持ちのまま、スタート地点の陸田と目が合う。案の定、鋭い視線を子ども達と野河に向けていた。
「ちょっと、お願い!!」
野河は不安を跳ね返すよう、怒りを交えて大声を出した時だ。
「おい、おまえじゃま! みえねぇよ!」
「わっ!」
応援している最中、一人の子どもによって押された小さな身体。押された身体は支える術もなく、そのまま運動場のトラックに倒れ込む。
「きゃああ!」
そのまま、ちょうど走ってきていた女児の脚とぶつかり、共に倒れ込む。
勢い良く転がるバトン。
運河が、声を出して子ども達を見た時にはもうスローモーションの映像となって脳内に入ってきていた。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
「いたい……!」
アンカーの子ども達は只事ではない出来事に、倒れてしまった一人の女児のもとに駆け寄った。
「みずきちゃん!」
「みっちゃん! だいじょうぶ?!」
一人、子どもが言うのと同時に、それぞれが名を呼び、駆け寄った。
「さわらないで! いたい!!」
そして、瑞希は大声を出して泣き出していた。膝からは勢いよく転んだ事により広範囲による擦り傷からは血が次々と滲んで、垂れていた。
野河はその瑞希の姿を見て、泣き出しそうな顔で佇んでいた。そして、陸田を無意識に見ていた。
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