~とりあえず、水飲ませろよ。~ ②

「はいもう十分休んだでしょう! ほら立って!」


「はぁいー」

「うぅー……」


「返事は、はいでしょう!」


「はいっ」

「はいいっ」


 水分が喉を潤す癒やしを感じる間も無く。時間が許される限り、子ども達の運動会の練習は続く。


 保育士の行事前の勤務時間中と言えば、運動会であれば日中外へ出ての子ども達のかけっこや体操から練習がはじまる。

 自分を制御することをまだ知らない子ども達へ整列することを教えることから始まる――。


「毎日毎日、同じことばっかでよく飽きねぇよな」

「えっとですねアレス、これはもうその、練習して覚えていくものというか……」

「ずっと走ってばっかりだぜ、ひでぇな」

「えーっとー……」

「人間の身体はすぐきつくなるのにな。あいつらすげぇよ」

「まぁ、そう、ですね……」


 思い切り走らされ、終わった後はきっちりと納品時のように並べられ、座らせられる。これを、何度繰り返すのだろうか。


 ・・・・・


「だぁー……! もうだめ、もーしぬ」

「わ、若菜先生、大丈夫ですか?」

「あたしもう、今日で何日連勤かなぁー」


 運動会への練習が続くある日、若菜は教室の机に伏していた。運動会が近づく頃にはもう休みという休みが本当の意味で無くなる職員達。


「しかもっ、クラスの子達の衣装もまだ縫えてないよぉー。26人分とか本当死ぬー……!」

「うわぁ、聴いただけで頭痛が……」

「でしょ、最悪! しかも上下縫うんだよ? はぁ……。麻里先生は終わった?」

「私の方は、クラスの担任の先生多いですから、なんとか終わりそうです」

「いいなぁー……! 一人担任は辛いー……!」


「おいなんだよイショとかヌゥとか」

「百合先生なんか単語がおかしくなってる、言葉付け足して付け足して。本当に人ってここまで変わっちゃうものなのかなぁー……」


 “百合先生”の後輩であった若菜は口元に手を当てて眉間に皺を寄せた。


「き、きっと何かあったんですよ」

「あ? 俺はなんともねぇよ、あ、そういえばこの間のエネルギー……」

「あー! あー! あたしも見ました、そのエネルギー枯渇問題。深刻でしたよねぇ!」

「あ゛? 何の話だ、いでっ!」


「はいはい、不幸自慢大会もいいけど。百合先生、主任から頼み事があるみたいよ? 麻里先生と一緒に聞いてきてみて」


 ベテランの雰囲気を声に宿らせていたのは植野だった。

 以前のピリピリとした植野とは打って変わって、麻里達へ穏やかに接している。


「主任から、ですか。行ってみましょう、“百合先生”」

「お、おう」


 廊下へと出て、アレスと二人きりになった時にアレスが麻里の腕を引くと


「な、なぁ、また“ソウジ”とか言わないよな?」

「しー! アレスさんほんっとうに、怖いこと言わないでくださいよ、聴かれたらまずいんですから……! 掃除は当たり前だと思っててくださいっ」

「うげぇぇえええー」


 上半身をうなだれるようにして歩きはじめるアレス。傍から見ればホラー映画に出てくるゾンビのようにも見えるが、百合の容姿のためかとても滑稽に見えた。

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