第4話 ~魔王といじめられ系保育士・麻里~


「ねぇーせんせいー! ねんどであそぼうよー」


 ねんど?

 魔王は子どもが手に持つ不思議な色をした物体をぎょっとして見る。


「ゆりせんせー、まるめかた、わすれたの?」


 こうだよ、と、子どもが魔王へ粘土を手の平で転がすところを見せる。


「ほう……それをどうするんだ?」


 それをどうするんだと訊くだけで、子どもの瞳は魔王が苦手とする輝かしいものに変わる。


「いっぱいつくってねー、おだんごやさんに―――」


 おだんごやさんとはなんだと魔王が考えていると、あろうことか魔王の頬にぶぇしっという音と痛みが走った。


「痛えな!! 誰だ!!」


「わるものは、やっつけてやるー!」


 へっへへーと、笑う子ども。手にはねんどで作られただんごを持っている。


 魔王はふんと鼻をならすと、子どもからねんどを奪い取った。


「あぁ! かえしてよ、ゆりせんせー! なにするのー!」


「くっふふ、だっはっはっは!

 これで俺は武器を手にした! 逃げろォ、さもなくば当たるぞぉお!!」


「きゃー♪」


「くっそぉ、ゆりせんせーにあててやるー!」


「そんな攻撃じゃ、俺は倒せねぇ!!」


 相手は子どもなのだが、やっとの思いで攻撃ができると確信した魔王の瞳がどんどん輝きだしている。


 スケールは小せぇが……。久々に、俺に戦う喜びを味あわせてくれ!


 魔王の心が喜びに満ちあふれていた、その時だった。


「百合先生!!!

 あなたって人は一体なにをやってるんですか!!」


「百合先生……本性なんですか…‥!? それが、本性なんですか!?」


 “百合先生”率いるクラスの入り口には園長、そして、百合の後輩の若菜があった。

 彼女らが見た教室の環境は、ありとあらゆる場所に大小の粘土の玉やぐにゃりと踏み潰されたものが散りばめられていたといえば、可愛げがあるだろう。

 大人がしかも保育士である大人が、子どもと本気で粘土を投げ合っている。


 若菜は口元に手をあて、体を震わせて青ざめていた。


 *おもちゃは投げてはいけませって!

 子どもの目にあたって、万が一のことがあれば

 考えるだけで怖い、相当のクレームきますよォォ……!!

 できるだけ、お部屋の中では座って、安全に遊べる方法を教えましょうね!(若菜の心の訴え)


「百合先生!! ちょっとどういうことなの、こっちへ来なさい」


 ユリとはなんだと魔王が片方の眉を吊り上げると、先ほどから「ゆりせんせい」と子どもたちから言われていることを思い出す。


「ユリって俺様のことか?」


「あなた以外、誰が百合先生だっていうの!!」


 園長の形相は凄まじい。だが、魔王にとってはゲームの中で言えば民家の老人Aのあたりにしか見えず、老婆のくせに何を偉そうにと鼻を鳴らした。

 園長は強い力で、魔王の腕を握った。


「なんだ、老婆。俺の手を離せ」


「はぁ!!? あなた何言って……! 口の聞き方がなってないわ!! 恥を知りなさい!!」


「えんちょーせんせー、ゆりせんせーがね、ちょっとおかしいんだよー」


「わるものになっちゃったのかなぁ」


「いやぁ、これは……ちょっとどころじゃないと思うけど……!

 これじゃ本当、人が変わったみたい……」


 状況を把握したくとも混乱し、青ざめた若菜。

 百合が、折角作り上げた子どもの作品を投げることなど、あるはずがない。

 おまけに、彼女が子どもを泣かせたまま放置しておくこともあり得ない。


 “彼女”であったなら。


 若菜の目には、百合と見た目は同じの

明らかに違う人物と化した女性の映像が映しだされているような感覚だった。



「いいから!! 園長室へ来なさい!!」


「は!? えんちょうしつってなんだ! いい加減痛ぇんだよ! 離せよ!!」


 その時。クラスの前を、給食室に行く途中だった麻里が通りかかった。

 麻里は、“百合”のクラスを見て、驚きの表情を隠せなかった。


 クラスの中が悲惨すぎる――――。

 自然と足が百合のクラスの前で止まる。

 百合に何があったのかと、驚愕の表情で、廊下からクラス内を見る。


「何だこの老婆は! 離せ! 俺に歯向かうと焼き払うぞ!」


 魔王は全神経を両手に集中させる。魔術が、使えないわけがない。


「は!!? あなたっ! 本当に何言ってるの!?」


 園長の声が荒くなるばかりだ。


 魔王は瞳を閉じて集中し始めた。魔術を使えないわけがない。

 史上最強の俺が……!


 意を決した様に瞳をカッと開き、手を広げた。


「我が手に宿え……。全てを焼きつくす力を……!」


 その言葉に、麻里の瞳が大きく開かれた。


「え、その呪文……!」



「すごいなぁ! ゆりせんせー、火をだすのかなぁ」


「どきどきするねーっ」



「ファイアーストーム!!!!」



 部屋に何も起こる事はなく、一度、静かになった。

 何か反応があったのは、少々時間がかかってからだった。


「わー、かっこいいー!」


「ぎゃーぁ、あついあつぅいっ、あははっ」


 その後起きたのは、子どもの手を叩く音とはしゃぐ声だった。


 おい、ほんとにどうしたと、魔王は自分の手の平をしっかりと見た。


 肌は色白く、細長い指。女性から、きれいねと言われてもおかしくないような手や指の形をしていた。

 魔王は固まって、自分の一部となっている手や腕を見る。


「なんだよ、この見るからに貧弱そうな手は……! そして、何故俺様が魔術を使えない―――――!!??」


「だめだわ、これは救いようがないわ……」


 嘘だろと、落胆した後、魔術を使えなくなっていた魔王は、そのまま園長に腕を引かれて引っ張られて行ってしまった。


 取り残された若菜は粘土のお団子をことごとく壊されていってしまった子どもへと駆け寄って行く。


 一方、麻里は。

 給食室に行く用事をすっかり忘れてその場に立ち尽くし、園長に引っ張られていく“百合”を呆然と眺めていた。


「ど、どうして、ゆり先生があんな……。嘘みたい……。

 でも……。 あの呪文、あの……」


 嘘みたいな光景であった。

 そして、嘘みたいな呪文さえ口にしていた。

 そして、その性格や呪文に、麻里には聞き覚えがあった。


 その聞き覚えがもしかして、この世界にあり得てたら……。


「あ……あ! 牛乳! わ、どうしよう急がなきゃ!」


 麻里は先ほどまで心の中で黒く渦巻いていた感情だったのが、

 たった一瞬の見た“百合の姿”で吹き飛ばされた気がしていた。

 確かに麻里は一連の光景を“見たこと”がある。

 ただただ信じられない気持ちと、かすかな希望が胸に広がっていくのを、

 誰も居なくなった廊下を駆け抜けながら、麻里は確かに感じていた。


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