第9章 黒翼。
命はやがて
尽き、果てる。
それが自然界の理だ。
虫や樹木も
同じ理の中で
生きている。
『迎えに来たよ』
一人の天使が
今命を終え解き放たれた
ひとつの魂に向かう。
『君は転生して再び自然界に生きるかい?それとも時の環を外れ、精霊に昇華するかい?』
意思を叶え導くのが
彼ら天使の勤め。
『解ったよ、心残りがあるのなら何度でもお行き。今度はその花を咲かせられるといいね』
繰り返される
神の奇蹟。
今ひとつの仕事を終えたのは
天使階級レインビア
精霊の守護天使である。
ふと見ると
視線の先に
天使見習いが見えた。
人間の生を終え
天使の道を選んだものは
皆、最初は見習いになる。
そして
他の死者の霊体を
導く意思を固めた時、
見習いは
天使階級
エアランツに昇華する。
すなわち
頭上の冠と羽翼を得て
神の使徒の
第一歩を踏み出すのだ。
その見習いは
今まさにエアランツへと
昇華をする瞬間であった。
レインビアの彼は
ほう、と足を止めて
その瞬間に立ち合う。
昇華は
どんなものであれ尊い。
心地よい光が
包み込む空間は
心を洗うようだ。
見習いは
天使エアランツに
その姿を変え
さっそく
見守り続けていた人間の死に
霊体を迎えに行こうと
動きだした。
『…………』
レインビアは
神妙な顔付きで
遠目にそれを
いつまでも見守っていた。
天使にとっては
導きは
当たり前のことなのだが
だが
今回は少しだけ
事情が違う。
レインビアは
一抹の不安を抱いていた。
人間の魂を導くのは
エアランツの仕事だ、
だが。
「怖がらなくていい、僕は天使だよ」
そう自己紹介を
霊体にしたエアランツだが。
「嘘だ!」
死という事実に
混乱している魂は珍しくない、
だからこれも
想定内なのだが。
「お前の羽は真っ黒じゃないか!」
唯一想定外であったのは
エアランツの背に生えた
『羽翼』、
それが
漆黒の色に煌めいていたのだ。
***
まさか
自分の背に黒翼が生えようとは
夢にも思わなかった。
何故なら
天界の誰しも
当たり前に
白い羽翼を広げていたからだ。
振り返ったところで
己の背中は見えないし
第一
そんなことは
信じたくはない。
だが、
すぐに
代わりの天使が
駆けつけ
霊体を導いていった。
他の上級の天使が
自分を迎えにも来ている。
どうやら
本当に
黒い翼があるのだと
半ば観念した。
これは
一体どうしたことだろう。
もしや自分は
天使ではなく
悪魔だったのではないか、
なにかの
忌まわしい呪いか病ではないか、
不安が押し寄せていた。
まして
大天使様がお呼びだというのだ。
数人の上級の天使が
自分の左右を
取り囲むように
並んで歩いていく。
向かうは
大天使様のところだ。
これから自分は
異端異形の者として
裁かれるのだろうか、
不安がやむことはなかった。
天界のなかでも
大天使様の居場所は
上級の天使にしかいけない。
空にポッカリと浮かぶ
白いお部屋が
上級の天使たちが集う場所であり、
その頂点に
一際目をひく場所
そこに
大天使様は
いらっしゃるのだという。
現世の空は
天使見習いからの昇級で
飛ぶことはでき
天界へもこれる。
だが
天界の空は
大きな羽翼がないと
飛ぶこともできないのだ。
「さあ、ここからは飛んでまいりますよ」
上級の天使たちが
優しく手をとってくれた。
この背中の小さな黒翼を
広げてみても
まだ一人では
天界の空は飛べない。
手をひかれ
自分の意思とは関係なく
体がふわりと
軽くなった。
***
「黒翼が意味するのは ――」
大天使様は
開口一番
本題に入った。
他の天使たちは
あっという間に
去っていき
二人きりになるやいなや
はっきりと告げるのだ。
「『世界の終わり』です」
理解を
必死に理解をしようと
頭を働かすものの
まるでそれは空回りだ。
泣きそうな顔で
大天使様にすがる。
「私が世界を終わらせる者なのですか」
救いたいと願う自分は
滅ぼすために存在するのか、
知らされた事実を
受け止めるには
衝撃が大きく
想いは混乱している。
すべてを
鎮め
導くことができる者がいるなら
それは
大天使様以外には
存在しないだろう。
なぜならば
最も美しいとされる
最上級大天使の十二枚の羽翼は
きらきらと
七色に煌めく
『黒翼』であったからだ。
「かつて、世界は終わりの危機に瀕していました。そして、いまもまた、その終わりの時が訪れているのです」
あまりにも
大きな存在の大天使様は
その表情すら
読み取ることは出来ず
優しいのか
厳しいのか
哀しいのか
怒っているのか
全くの無表情だった。
「かつて。黒翼として現れたのは私です。当時世界の終わりをリセットするために施した術は多くの種族を絶滅させました。―― 氷河期です」
「だい、てんし、さま」
緊張する体が
ガタガタと震えるが
声を絞り出した。
「人類は、どうなるの、ですか」
「世界が終わればすべてが無に帰すのです。我々は世界を救う使徒として、人類には然るべき処置をとらねばなりません」
静かに告げられた意味を
ただすんなりとは
理解が出来ないでいた。
魂の救済が
自分の仕事であったはず、
それを急に
切り替えることは難しい。
「わかりません」
うなだれて嘆く
哀れな黒翼に
大天使様は
順に理解を求めた。
「まだまだ、あなたの心は人間寄りなのです。世界の大きさが大きすぎて見渡しきれはしないでしょう。ならば」
大天使様は
手を伸ばし
黒翼の天使の額に
指先をあてる。
流れ込んでくるのは
すでに整理がなされた情報だ。
わかってしまえば
大きいとされた世界のそれも
なんら変わらない
ひとつの
生命のように感じられた。
たとえば
世界を
一人の『人体』とする。
人体には
数多の生き物が
生息し
だが
人体はさほど
それを気にはとめない。
たくさんのバクテリア
善玉悪玉と
呼ばれる菌
それら生命と
共存して世界は生きている。
だが
人体の中で
増えすぎてしまったり
悪影響を及ぼすものに
変化していく
それら菌が
病原菌となりうる場合、
人体は
それを排除すべく
熱をだし
体調を崩しながら
戦うのだ、
―― その意思に関係なく。
「世界は人類により病におかされました。世界が戦うだけでは負けてしまう場合があります」
人間も
病気を放置して
悪化する場合
絶命してしまう。
医療が発達した今では
治ることを当たり前とさえ
履き違えてしまう。
「世界を救うのが我々の使命です。とはいえ神様も人類の滅亡を望んでいるわけではありません」
最適な医療を
行うこと、
そのために
世界の病と時を同じくして
天界の住人の中に
黒翼が現れるのだ。
今
地球の環境バランスを
大きく乱している原因と言えば
人類に他ならない。
では
それをどうするのか。
天界では
その結論を出さねばならなかった。
勢力を二分する
魔界では
同じ役割は担えない、
ゆえに
黒翼は天界のみに
出現する。
神は
すべての生命を愛する
偉大な存在であり
神の子たる人類の滅亡など
望みはしないが、
世界の存亡をかけて
天秤で善悪をはかり
天罰をくだすは
天使の仕事であった。
神は
万物の創造者にして
万能で全能ながら
すべてにひとしく
平等であるがゆえ
何もなさない無能ですらある。
ウイルスが
人間が
世界が
同じように
生き死にしゆくのを
ただ祈りながら
結末を見届ける
大いなる意思。
何かを救うとは
何かを救わないという行いであり
すべてを担う神の
そのいたみなど
けしてなにものにも
はかりしることはできない。
それさえも
すべて
神の愛の名のもとに。
整理した情報を得た
黒翼の者は
理性を取り戻した。
「人類に、知恵を授けたのは神です」
発達した文明も
人類の愚行も
すべて
神ははじめから
こう行き着くであろうと
わかっていながらに
人類の創造をしたのだ。
つまりは
まだ希みがあり
救いがある未来も
神のシナリオには
記されているだろう。
「我々は彼らを導いていかねばならないはずなのです」
失敗作だったと
嘆きながら
破棄してしまうのは
簡単ではあるが
それは
神への冒涜だ。
大天使は
表情を変えることもなく
静かに耳をかたむけ
そして問う。
「では、我々はどう彼ら人類を導いていけますか」
天使の声は
生きた人間たちに
届くものでもない。
死後の魂に
何かを伝えたとして
転生しては
記憶は残らないものが大半だ。
理想を語るだけでは
なんら策ではなく
温かさも
冷たさも感じられない
大天使のまなざしは
ただ真実のみに
向けられる。
黒翼の出した答えに
大天使は
はじめて
やわらかく微笑み、
頷いた。
「そうですか。同じ黒翼でありながら、あなたはわたしと違う道をゆく。それは素晴らしい」
数ある可能性の
そのすべてにかけて
世界を救いたい。
道はひとつではない。
目指す場所は
ひとつとしても。
「健闘を祈ります」
選ぶ道はどちらも
険しく困難なもので
わかりやすい名案などはなく
だが
目指す未来のために
それぞれが
出来ることをし続ける、
その覚悟は決まった。
膝まずいた黒翼の
頭上にそっと手をかざし
大天使は呟く。
「大天使の名のもとに、『堕天』を許可します。神のご加護があらんことを」
~ Sincerely yours ~
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