第5章 遺恨。





***



悪魔たちは

勝手気ままだ。


個性の違いだから

仕方ない、そうは思う。



だが時に

仕方ないではすまない


そんな事態が

わりと頻繁に起こるのも事実だ。



基本

自分に関係ないと

シラを切れる悪魔たちとは違う、


天使見習いが

見るに見兼ねて

動くのは当然なのだろうか。



悪魔のようには

戦いを知らず


天使見習いが

敗れ命を落とすとしても。


彼らを

放っておくことは

出来ないのだ。



性分とは

本当に困ったものだ。



彼は

そうため息を


だが胸に深く吸い込んだ。



「そこまでだよ!」



顔に似合わぬ

厳しい声で

びしりと言い放つ。



ゆっくりと振り返るのは


思わずゾクリと

背筋が震えるような


そんな忌まわしい感情を

剥き出しに抱える者。



一人の強力な霊体。



理性を無くし

一番強かった想いだけが

膨らんでしまった


暴走の魂、『亡者』。



不真面目な

悪魔見習いが世話を怠った

死者の霊は


現世にさ迷い

不安と恐怖と絶望に狂う。


そして

生きる者を道連れにしようと


無理矢理魂を引き抜く

『悪霊』になるのだ。



「さぁ、もう大丈夫。怖くないから。その人を解放してあげて」



彼は

自分の中の恐怖を

微塵も感じさせない笑顔で

亡者にそう言った。





亡者はすでに

元が男だったのか

はたまた女だったのか


まるで解らない。


個人を特定するのは

おそらく困難だろう。


かなり進行した様に

知能がまともに残っているか

彼は危ぶんだ。



感情だけの亡者には

言葉が通じない場合が多い。


既に手遅れならば

残念だが救えない。



彼か亡者、

どちらかが

消えることになるのだ。


それは死より明らかに絶望だ。


魂が滅んで

本当の終わりを迎えるのだ。



彼は

亡者に言葉が届くことを祈った。



亡者の手には

生きた魂が握られている。


訳も解らず

いきなり肉体を引き抜かれた

その魂は脅えていた。



運命を

勝手にねじ曲げちゃ駄目だ。


そんな話に

亡者は耳を貸さないだろう。


もともと

魔界に行く予定の彼らは

つまり知能や理性があっても

自分を優先するのだから、

全体の規律なんか

大して興味もないのだ。



彼は意識を

一瞬


亡者の手の中の

魂に集中させた。



神様はすべて知っている。


彼ら

天使の端くれである見習いも

必要な情報を

瞬時に分けてもらうことが

多少は可能なのだ。



魂の名は

今井 耕一。


まだ二十代の

若手エリートだった。



一流企業に勤める傍ら

有名な合唱団に所属し

先日

とある世界コンクールで

優勝したほどの実力を持つ。


献身的で綺麗な顔立ちの

恋人にも恵まれていた。




なるほどね、と

彼は今一度亡者に向き直る。


簡単に言えば

羨ましく妬ましく

だから呪うのだろう。


輝いて見える誰かを

不幸にしたいと

悪霊と化す。






その気持ちは

解らなくもない。


彼は亡者に

再び優しく声をかけた。



「君の話は僕がきいてあげるよ」



今井 耕一の魂から

早く興味を剃らさなくては、


大変なことになる。



現在

今井 耕一の肉体は

心停止。


いわゆる危篤状態だ。



この状態が

長く続くことは


つまりは

今井 耕一の死を意味している。



とは言え

現世の時間は

彼らにはあまり意味がない。


だから

焦りは禁物だ。


魂に傷を付けられたくない。



「僕と話をしよう」



亡者は極めて凶暴だ。


無防備な魂を

引っ掻いたり

噛み付いたり、


否。


天使見習いさえ

その悪意の前には

無力な場合がある。



人質がいる以上

逃げれるはずはないが


怖くないわけではない。



それでも。


しっかりとした口調で

彼は語りかける。



「君の話がききたいんだよ」







亡者の口から

荒い息と呻き声が洩れた。



「……コァアアァ……ゥゴア……ロス……、ミンナ…コロ、ス……ォオォ」



醜悪な感情を

紡ぐ亡者に


彼は安心した。



まだ言語を有する。

救えるかもしれない。



「僕はもう死んでいるんだ。だから君と同じ」



それは嘘ではない。


亡者は死した霊。

その自覚が本人にあるか

それは解らないが。


その立場を明確にして

安心へと誘うのは

重要なことだった。



孤独感や

状況が把握出来ない不安は

亡者をさらに

暴徒へと追いやる。


そんな苦しみからは

早く解放してあげたい。



自分の抱える問題が解けない

その不安から逃げ出したい、


その想いが

他者への暴力になる。


本当は違う。


君を解決しよう。





慎重に

彼は両腕を広げ

ニコリと笑顔を向ける。



「君はダレ?」



感情を止めるのは

理性だ。


まだ残っているはず、

それに呼びかける。



「……ォアゥオア゛…」



亡者は

ゆっくりと息を吐いた。


何かを

考える『間』。


祈るように

彼は亡者から目を離さない。



「僕とともだちになろう」



静かに揺さぶる。


今井 耕一の魂のことなど

早く意識からなくなるように


彼は精一杯

興味を引いた。



亡者は

フルフルと

ワナワナと


その身を震わせた。



顔も解らない亡者の

今の感情は読めない。


ただ黒くグチャグチャした影が

亡者の姿を眩ますのだ。



怒っているのか

泣いているのか、


どんな気持ちなのだろう。



彼は不安で

眉を寄せた。




「……ォオオオォオっ!?」



亡者は

顔を覆って吠えた。


今井 耕一の魂は

スルリと亡者の手を逃れ

フラフラと逃げていく。



さ迷いながらも

きっと肉体に戻るだろう、

一安心だ。



だが

亡者が牙を剥けば

次に狙われるのは

確実に自分であり


戦う術のない天使見習いでは

つまりは敵うわけがないのだ。



逃げ出すなら今だ。


それは解っていた。


亡者の相手をするには

自分では力不足であり

その救済は

本来なら

もっと上級の

『天使』が担うべき仕事だ。



しかし

彼の足は動かない。


真実だけを述べた口が

嘘にする行いを

拒絶する。



『ともだちになろう』


そう言った。



「僕はきみの力になりたい」






「――…ニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイっ、シ ニ タ ク ナ イ !


 ジ ニ タ ク ナ イ ぃ゙ !?」



亡者は叫んだ。


目を見張るような

悲痛な叫びだった。



もう死んでしまっている自分を

受け入れられない。


生きることに

執着する。


今を恐れて

壊れてしまった。



天使見習いである彼は

死が恐ろしいのではないと

知っている。


だが亡者に

それを伝えて

理解はされないだろう。



静かに

頷き


微笑んだ。



「解ったよ。きみはもう一度、生きたいんだよね」



魔界へ連れて行かれるのは

たぶん今は好ましくはないし、


100の行いを見守る

天使見習いに恵まれなかった霊に

天界への路はない。



残された路は

すなわち『転生』。



「大丈夫だよ、もう一度生きて幸せになっておいで」



神様はそう、

すべて許してくれるのだ。


その運命から外れぬ限り

どんな罪深き行いも

許されていく。



「きみの魂に祝福あれ」



忌まわしい

遺恨の呪縛からの解放を。


神の使いである

天使の見習い、


彼は

奇跡の御業に感謝した。



光に融けて

輝く魂へと浄化された亡者は


神様により

再び地上へ

命を宿しに帰るだろう。



辺りを包んでいた

まばゆい光がひいて


彼は肩の力を抜いた。



だが

まだ終わっていない。


今井 耕一は

無事に生還しただろうか。



本来

死を迎える段階になかった

今井 耕一が


その運命を歪められた。



神様に約束された

選択の自由もないのだ。


死んでしまうと

その魂は滅びる。



だから悪霊は

本当に厄介なのだ。




「お見事だな?」



突然にそう声を


一人の悪魔が

かけて来た。



思わずギロリと振り返る。



「おお、恐い恐い。天使様がお怒りか」



カラカラとふざけて笑う、

悪魔は相手の感情を

さかなでるのが上手い。



「何か、用かい?」



出来るだけ冷静に。


彼は声のトーンを落とした。






「面倒な仕事を、代わりに片付けてくれた天使様にお礼の一つでもしよってのに、……なんだよ、やる気満々か、あぁ?」



いやらしく笑う。


悪魔の見習い、というか

なりそこないの奴らは


つまり

天使見習いを狙っている。


戦闘経験を積んでいく中で

天使見習いを倒した実績が

奴らには魅力なのだ。



悪魔のなりそこない同士で

やりあうよりも

ずっと効率がいい。



嫌な相手に

目をつけられたものだ。



「きみらの怠慢さに期待はしてないから、礼を言われる筋合いはないよ。きみらの為じゃない」



誰がどうなろうと

おかまいなしな奴らだから、

腹の底はすぐ知れる。



「なんだよ、つれないな」



長い爪を

舌舐め擦りで

こちらをみていた。



「あいにく。僕はいま、機 嫌 が 悪 い ん だ 」



見据えた先に

悪魔が笑う。


亡者に感じた恐怖より

もっと別の感情がある。



――それは怒り。



「へぇ?」



悪魔は戦闘の為に

特化した肉体を持つ者が多い。


それに対して

天使が手にするのは

武器。



「今ならきみの首をはねる覚悟もあるよ――?」



ニコリともせず

美しい剣を抜いた。



悪魔のなりそこないは

舌打ちをした。


天使の見習いは

腑抜けばかりと

足元をみていたのだ。



「きみの怠慢が多くの犠牲を呼ぶなら。僕はきみに天罰を下そう」



「馬鹿言うな、知ったこっちゃねえよ」



にわかにうろたえながら

なりそこないが笑う。


見習いでしかない対等。


ここでの敗北は

魂の消滅。



「僕がもっとキミを嫌いにならなイうちに、さっさと消エテくれるかい?」



覇気を含む呟きに

悪魔の見習いは

しっぽをまいて逃げて行った。


剣を鞘に納め

彼は現世を振り仰いだ。






***



心臓が再び動き出した

今井 耕一は。


呼吸を取り戻し

容態は安定していた。



が、


意識不明のまま

三日が過ぎている。



「脳に酸素がおくられなかった時間があるため、意識を戻しても障害が残る可能性もあり、現段階では何とも言えませんが――」



切々と

医師が家族に説明をしていた。


両親が

遥々遠方から駆け付け

固唾を飲んで経過を見守っている。



気丈に振る舞うも

疲労の色が濃く

三日目の夜も更けていく。




「魂の定着がおもわしくないね」



心配そうに

彼は覗き込む。


今井 耕一という人間。




「さぁ、君の場所に蘇っておいで」



慈愛に満ちた光を

分け与え


必死に呼びかける。



「君は生きるんだ」





その背後に

数人の天使がやって来た。


少し来るのが遅いよ、と

彼は涙ぐむが

それは内緒だ。



天使たちは歌いだした。


美しい調べに

今井 耕一の魂は奮える。



自身も

合唱という音楽に馴染み

そこに感動を覚えて来た。


生きたいという

願いが


優しく後押しされた。




***




「天使かぁ」



仕事を終えて

天界へと帰っていく彼らの背中を


ぼんやりとみつめて。


彼は呟く。



憧れに

また一つ火がついた。



いつかは。

自分もその位に

到達してみせよう。


今はまだ遠い。


まだまだ遠い。



だが

向かう路が続くのだから。



「こんな喜ばしいことはないよ」



鼻歌を

知らず歌いながら

彼はまた次の救済へと。







                        ~ Sincerely yours ~


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