第2部
第3章 見習い。
***
天使の見習いになったことで
今まで解らなかったことが
何となく
理解出来るようになっていた。
例えば
この天界の空気が
現世に比べ
キラキラと
澄んで感じられるのは
人間の世界とは
異なる元素で
溢れた空間であり
大気にしろ大地にしろ
すべてが
現世とは違う質感を
持っているからだ。
人間や霊体の時は
予想もしなかった可能性を
当たり前に考慮出来るのは
昇級による
知能レベルの進化。
現世での体験に例えるなら
難しい数式を
計算していた人間が
ある時数式を見ただけで
答えが脳に浮かぶようになる。
そんな具合だ。
「さて」
そう声を出して
彼は扉を見上げた。
天界から
現世へ向かう扉。
霊体の彼が天使と来た時は
いつ通ったものか
気付かなかった。
先ほどまで
多くの見習い達が
賑わい
押し寄せていた扉。
今はもう他には誰も
残ってはいない。
彼は最後になるのを
のんびり待っていた。
「そろそろ行こうか」
まずは現世へ赴き
自分に出来ることを
ゆっくり探す予定だ。
あてのない
気ままな見習い期間を
楽しめばいい、
そう気楽に構えていた。
言うなれば自由。
あの天使達の羽翼は
確かに魅力だが
いつかでいい。
何故なら天使には
人間のような寿命――
タイムリミットがない。
成長の速度は個性であり
それを咎める者もいない。
人間の頃とは
あまりにも違うそれを
彼は満喫したかった。
扉をくぐり
再び人間の世界へ
舞い戻る。
現世は
よく見知った世界のはずだった。
だが
初めて見えるものも
たくさんあった。
「そうか……これが本当の姿なんだ」
人間や霊体の頃は
知り得なかった。
見えていたのは
世界の
ほんの一部に過ぎなかった。
現世を我が物顔で生きる
人間の
なんと小さいことか。
衝撃を受ける。
色々違う中でも
彼が一番
興味を持ったのは
現世が
多元世界であることだ。
多元世界――
少なくとも現世は
人間が認識する次元の他に
天界と魔界の空間が
重なっていた。
とはいえ
天界も魔界も
現世とは別の場所に
ちゃんと存在する。
現世における
多元空間とは
例えるならば
人間達の見える世界の上に
天使と悪魔のプレートが
それぞれに
重なっているようなもの。
天界には
天使の為のプレートしかない。
その環境では
天使以外の者にとって
不都合がある。
簡単に言うと
『空気が合わない』
そういった問題だ。
つまり現世は
天界と同じ環境
及び魔界と同じそれがあり
人間には感知出来ないながら
同じ場所で
天使も悪魔も
普通に存在していけた。
「よう、そんなにキョロキョロしてたらオノボリサンだってバレバレだぜ?」
声をかけて来たのは
魔界の住人らしい。
「仕方ないさ。正真正銘今来たばかりなんだから」
悪魔は悪戯好きの
自己中心思想が多いと聞くが
彼は特に警戒もせず
言葉を続けた。
「君はもうここに来て長いの?」
途端笑いだした相手に
首をかしげる。
「なんだい?」
「いや、すぐに解るだろうが俺達に時間の呪縛はねぇ。長いも何もあったもんじゃねえよ。まぁ俺様は魔界も人間界もしょっちゅう出入りしてる。テメェと違って『慣れて』はいる」
小馬鹿にした言葉に
彼は口の端を上げた。
「へぇ?ご親切にありがとう」
嫌味ではない。
悪魔は口こそ悪いが
丁寧に応えてくれた。
「悪魔も天使と同じで階級があるのかな?」
見たところ
相手も
見習いといった印象を受けたが
こればかりは
聞いてみないことには
解らない。
「無論階級はあるがよ、俺ら悪魔は羽付きばかりじゃねえから外見じゃ解らねぇぜ?」
天使の階級が
羽翼を見れば
一目瞭然だというのを
どうやら知っているらしい。
舌舐めずりで笑う
なかなか悪魔は厄介のようだ。
「まぁ僕より先輩なのは確かだよ」
彼はやんわりと笑った。
情報を得るのは
楽しい。
敵意は皆無だ。
「テメェはなかなか利口だな」
不意にそう言われ
首をひねる。
「まぁ皆人間の頃よりは利口だよね?」
言われた意味を
よく掴めていない。
悪魔は苦笑した。
「天使どもの中には、悪魔嫌いな奴らもザラにいる。天使のクセに人間ぐらい心の狭い連中だ。頭も硬い。知能が上がるだけじゃそこはどうにもならんらしい」
「へぇ?難儀だね」
だが。
悪魔は笑う。
「そりゃこっちの台詞よ。結局のところ天使は天使とよろしくやっていくしかねぇ。テメェみたいな利口な奴が苦労してくのは目に見えてる」
「……なるほどね」
見習いのうちはいい。
昇級していくうちに
天使はチームを組んで
神様の仕事を
手伝うことになる。
その時に
価値観の違う天使に
手を焼くと言われたのだ。
「覚えておくよ」
苦笑で返すと
悪魔は気をよくしたのか
「もう一つ教えておいてやる……」と
声のトーンを落とした。
「人間界にでしゃばってくる悪魔は大抵が見習いだ。テメェと一緒で人間の魂を持ち帰るまで悪魔にゃなれねぇ。……だがな、見習いって言っても侮るな?悪魔は見習いから昇級すれば魔界で戦いがはじまる。それ「え?戦うの?」
悪魔の声を遮ってしまった。
「あたぼうよ、とにかく聞け」
「ごめん」
彼が素直に謝ると
悪魔は気を取り直して
話を続けた。
「戦いを勝ち抜くために、いつまでも見習いのまま、基礎能力の底上げをしている奴らが人間界にゃあうじゃうじゃいる。つまり天使の見習いとは比べものにならねぇ力をザラに持ってるってわけだ」
「魔界はなかなかにどうして大変なんだね。君も野心溢れる実力者の一人ってわけだ」
感心してため息が溢れた。
「テメェが困った時は俺様を喚べ。一度だけなら手を貸してやる」
悪魔は
ぶちりと自分の髪を
ひきちぎって結んだ。
「俺様の媒介だ」
「……何?」
話の展開が早く
彼は一度
頭の中で整理した。
考えて
一つの可能性に行き着く。
「今は出来ねえだろうが、そのうちテメェも召喚くらい出来るようになったらだ。媒介を使って俺様を喚べ」
「……それって『契約』だよね」
悪魔はニッと笑った。
「そうだ。俺様は力を貸す代わりに代価をいただく」
うわぁ、と
素直に怯えて笑う彼に
悪魔は気楽に構えていた。
「使わないのも自由だ。『背に腹は変えられねぇ』、いつかそんな時の為に持ってる分には損はねぇだろ」
何が起こるか解らない。
だからこそ
選択肢を
増やしておくことが大事だと
悪魔は自身の髪を
彼に手渡した。
「ありがたく受け取るよ」
「お互いまだ名前がねぇ。こんなことくらいでしか挨拶出来ねえだろうが」
見習いはまだ名前がない。
天界と魔界では
大きく違いながら
同じシステムもあるらしい。
「じゃあな」
悪魔と別れ
彼は幸先のいいスタートに
満足した。
天使が悪魔を召喚する――
それは
一般的には
思いつかない発想だ。
まして彼なら
地道な底上げで
さぞかし立派な悪魔に
なるかもしれない。
たとえ
ただのハッタリだったとしても
そういうことも可能だと
知識を得た自分は
プラスに認識する。
「大事にしまっておかないとね」
現世に来て早々だったが
悪魔との出会いは
実に有意義だった。
次に出逢ったのは
同じ見習いの天使だった。
公園のベンチに
一人座りこみ
ため息をついている。
思わず
声をかけてしまった。
「どうかしたのかい?」
どうやら
若くして現世をさったようで
そのいでたちの印象は
どこか頼りない。
そう感じた彼は
お節介だとは思いながらも
ほっとけなかった。
「……やぁ。
僕には天使の才能がないみたいで、どうしていいか解らないんだよ」
「才能……?」
正直
まだ現世に来たばかりで
天使になるために
どんな才能が必要なのか
解らない。
「色んな人たちの行いをみて良いとこを探す練習をしてたんだ」
「あぁ、なるほど。良いところは気をつけて見ないとなかなか見えないよね」
生前の記憶では
周りの人の悪いところは
嫌でも見えたものだが、
良いところは
邪念をなくさないと
気付けなかった。
そう納得する彼に
頼りない見習いが項垂れる。
「でもたくさんの人をみていても実際に集めないといけないのは『一人の人間』の100の行いだろ?それで僕は、誰をサポートしたいのか考えてみたんだけど。解らなくて」
考えるほど深みにハマる、と
また深いため息をついた。
「ふぅん?生前の知り合いを見守ったりするんでなきゃ、神様が報せてくれる『余命間近な人』からランダムに選べばそれでいいんじゃないかな?」
何を悩んでいるのか、
彼は頭を捻る。
やや沈黙してから
見習いはうつ向いて言った。
「僕をサポートしてくれたのは、多分僕のおばあちゃんだった人だと思うんだ」
その確認は出来なくても
可能性としては
ありそうな話だ。
特に異論もないので
彼は黙って頷き
話の続きを促した。
「僕も本当はそんなふうにじっくり誰かを見守りたいんだけど、残念ながら僕は、自分が思うよりずっと薄情だったみたいで誰も浮かばない。――誰かを強く想う気持ちは僕の中にはなかったんだよ」
自分の内に潜む
薄情さを思い知り、
だから天使の才能がないと
そう言うのだ。
彼は少し考えて、
ゆっくり言葉に変えた。
「君は学生だったのかな……若いよね、」
項垂れた顔を上げて
見習いが彼を見る。
「本当に心から誰かを想うって、きっと簡単じゃなくてさ」
彼は話しながら
辺りをゆっくり眺めて
砂場で遊ぶ人間の子どもと
その母親を
慈しむように目を細めた。
「心には段階があるんじゃないかって、僕は思うんだよ」
見習いも彼の視線を辿り
その親子を見る。
「小さなこどものうちは母親にいっぱい甘えて。安心して満たされることで大きくなれて」
ありきたりな景色だ。
公園ではよく見かける
普通の親子像。
「その喜びを知っているから、誰かにも優しく出来て」
砂で作ったお団子を
母親に「はいどーぞ」と
並べて見せているこども。
「ありがとう」と
受け取る母親。
「不安や不満や不信はそれを阻む。心が成長するのも、それが止まるのもすべて『経験』に左右されないかい?」
彼は再び
ベンチに座ったままの
見習いをみた。
何やら困った顔をしている。
「意地悪でも優しくても。君は君だよ。たとえどんなに薄情であっても『それは君のせいじゃない』し、もっと時間をかければ君は愛情深い人になっていたかもしれない」
そう言ってから、
「いや」と首を振る。
「違った。『これからいくらでも、そうなっていける』んだ」
意味ありげに
ニコッと笑い
彼はさらに付け足した。
「薄情な自分を知った。それがショックなら、つまり望んでいない姿だったんだから。これから望む自分へなっていけばいいんだよ」
不安そうな顔で
見習いは空を見上げた。
「僕みたいなのが本当に天使になれるのかな」
「君が望めば」
その意思を持たないままでは
なんとなく天使になんて
簡単にはなれないだろうね、
そう軽く一瞥して
「じゃあそろそろ僕は行くね」
そうして彼らは
出会いと別れを
重ねていった。
それは繰り返しではなく
経験を積んでいくということ。
見聞を
広げていくということ。
たくさんのことを
学んでいかなくてはいけなかった。
~ Sincerely yours ~
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