第1章 死後。





「長谷川大義くんだよね?」



 そう言って一人の少女が項垂れていた少年・大義に声をかけた。


 少女の頭上に輝く光の輪に照らされ、色白の肌がさらに眩しい。サラサラの金色の髪が丁寧に編み込まれ上品な印象を見る者に与える。背中にちょこんと生えた純白の羽翼が天使であると主張するかのようだった。



 一方長谷川大義は、顔色も悪く冴えない印象のよくいる高校生。今は膝を抱えて座り込んでいたがその膝から先は薄れて消えかかっていた。肉体から出た霊体なのだ。




「大丈夫かな? 色々ショックだと思うけど、解んないことがあったら何でも聞いてね?」



 あっけらかんと慣れた口調で話す天使に大義は重たい口を開く。



「僕はどうなっちゃうんですか」



 大義は死んだ。それは自覚している。


 だが死後どうなるか、その把握はしていない。



 天使は満足そうにうんうんと頷き


「まずはゆっくり事後見学しようね」


笑顔でそういう。



 それは幼稚園の保母さんが小さなこどもに向けるようなそんな言い方だ。大義はそう感じたが同時に今の自分の立場ではそれぐらい右も左も解らないのだろうと半ば納得をした。



「事後……?」



 言われた意味を掴み損ねている。



「君の身の回りにいた人たちが、君を亡くしたことで立ち回るのを見届けないとね。君が生きた証。現世とはお別れする為にちゃんと見ておいて?」



 大義は自分がどうなるか、それだけが気になっていて。遺して来た家族や友人のことなどすっかり忘れていた自分に気付いた。



 天使のおかげで少し冷静に思考を廻らす余裕を取り戻せた。





 心の準備が出来ると大義の足許に、ある空間の映像が浮かんだ。膝を抱えて座ってはいたが大義は実際空中にいたのだ。下に見えるのは病室だ。ベッドに横になっている大義の遺体と、苦しい表情で両親に会釈して去っていく医師。器具を外す看護師も去り、母親が大義に泣きついた。



「死因は風邪ね。菌が脳に回るなんてついてなかったわね」



 天使がため息をついた。



「『ついてなかった』? ……天罰じゃないの?」



 霊体の大義は天使を振り返った。



「あら、邪魔しちゃ駄目だったわ。話は後でね。君はちゃんと見てて」



 顔の向きを無理矢理戻された。大義は温かい天使の手を両頬に感じ違和感を覚えたがとりあえず今は下の光景に意識を戻した。




 父親が母親を抱き寄せて慰めている。



「音声は聞けないの?」


「あら、私には聞こえてるわよ? 君が拒絶してるから、君には聞こえないのね」



 大義には母親の泣く声など聞こえなかった。拒絶と言われ確かに、と納得する。自分のせいであんなに誰かが悲しんでいる。それを受け止めるのはなかなかに苦しい。


 でも見なくては、と思う。


 見るだけで、精一杯だった。



 父親が母親に何か言っている。父親も目元を何度も擦っていた。



「あんなに泣き叫ぶ母さんも、あんなに弱ってる父さんも、見たことないよ」


「息子が死んだのだもの」



 当たり前とは天使は口にはしなかったが。大義は心の中で当たり前だね、と納得する。



 一つ一つを見て、そして実感していった。



「僕はもう、生き返らないんだね」



 まるでこどもが拗ねるような、でも自分に言い聞かせるような、少しだけ強がるようなーーそんな弱々しい声。



「そうね。残念だけどあの肉体はもう生き返らないわね」



 対照的なまでにあっけらかんと事実を告げる天使に大義は気持ちを整理してホッと息を落とした。



 諦めるしかないことをちゃんと納得する。






足許の景色が

いきなり変わった。



「お通夜ね」



「急に?場面が飛ぶの?」



驚いた大義に

天使は簡単に説明をする。



「霊体は現世の時間にとらわれないの」



大義には

意味がよく解らない。



「過去の録画してあるものを総集編で見れているの?」



「過去じゃないわ。今よ。途中経過を早送りね」



やはりよく解らないが

大義はお通夜の風景に

意識を戻した。


多分

今を見逃したら

もう見れないのだと察して。




お通夜には

中学時代のクラスメートや

部活仲間が大勢いた。


普段あまり見ない

違う高校の制服が目立つ。



大義の通う高校の関係者は

教師たちの方が多い。


遠くの高校だから

市内中から集まるのは

夜には大変だしな、と

大義は納得した。



本当に親しい友人は

数人だが

ちゃんと来ていた。


逆に言えば

高校でたくさんの交友は

持っていなかった。



「…………」



お通夜に集まった

中学時代の懐かしい連中は


互いにやはり

懐かしいのだろう


楽しそうに談笑している。


大義はそれが意外だった。



何の話をしてるのだろう、


そう気になった瞬間

それが聞こえて来た。



「めちゃめちゃ久しぶり~。なんか雰囲気変わったねぇ!?」



「マジで?高校私服なの?俺絶対着てく服困る」



「バスケやめたのかよ。もったいねぇ~」



「先輩と別れたの?あんなに仲良かったのにね」



あちこちで

そんな会話をしていた。


経験こそなかったが

同窓会のノリだと

大義は思った。



(俺、死んだのにな)



別に生前

虐められて

疎まれていたわけではなかった。



大義は

彼らを薄情に感じて黙る。



そしてふと

高校の親友

岡田に目を止めた。



見慣れた制服姿で正座し

ジッと前方の

大義の遺影写真を見ている。


一人で座って

話す相手がいないからか


大義のことを

考えているようだった。



漸く

お通夜らしい相手を見つけて


大義はホッと

胸を撫でおろした。





(夢でも見てるんか……?)



不意に

岡田の声のようなものが

聞こえた気がした。


だが岡田は

口を閉じたままだ。



「あのさ、……もしかして心の声も聞こえる?」



大義は天使に聞く。



「聞こえちゃうわね。私たちくらいになると余計な声を拾わないようにするのが大変」



大義の後ろで

大義の顔を押さえたままの

天使が答えた。



大義には

岡田の心の声だけが

不意に聞こえた。


意識したもの以外は

何も聞こえてはこない。



肉体の器官を通して

音を聞いていた

今までとは違うのだと

また納得をした。




お通夜の最後に

父親が弔問客に挨拶をする中で


さっき談笑していた

中学時代の同級生たちが

今度はさめざめと泣いていた。



人の気持ちは

解らないものだな……



大義はため息をついた。




父親が何を話していたのか


聞きたいと思ったが

本心では怖かったのか


最後まで

聞こえてはこなかった。



「しっかりした妹さんね」



天使に言われ

大義は目を丸くする。



「いもうと?」



何を言われたか

全く理解しない。



挨拶を終えて

父親と母親が

並んで頭を下げていた。



「あの歳でしっかりお母さんを支えようと気丈に頑張ってるわ。よく出来た娘」



大義は

思ったままの言葉を

口から漏らした。



「僕に妹なんかいないよ」



天使の手を

力で押し退けて

振り返りながら告げる。



天使はびっくりして

大義を見た。



「呆れた。見えないの?お父さんお母さんの横にいるでしょ。記憶から消すなんてよっぽどね」



「何を言ってるのさ」



首をかしげる大義に

天使は小さく頭を振った。



「まぁいいわ、続きを見て」





また場面が飛んで

翌日の葬儀に変わる。


殆ど身内だけになっていた。



「お通夜の夜が飛んだわね……」



天使は何か言いたげだった。



昔祖母が亡くなった時に

大義も通夜を経験していた。


その記憶では

身内がそこに寝泊まりして

蝋燭の火を絶やさないように

番をしていたはずだ。



「あ、岡田だ。アイツ学校休んで来たのか」



大義は

天使を無視して

やって来た岡田を見た。



棺に花を

皆が一輪ずつ入れていく。


今まで見えなかった

死に顔がさらされ


大義は気分が悪くなった。



映像は途切れた。



足許は黒い色だけになる。





「辛い?」



天使が背中をさすった。


身体的な問題ではないので

あまり意味はない。


でも天使の手は

温かく柔らかい。


それは心地よいものだ。




「僕は意気地無しだね」



見てられないと感じて

映像は終わってしまった。



「君は優しいから、他人の痛みに敏感なだけ」



天使は

天使らしい微笑みを浮かべ言う。



音声こそなかったが

皆の哀しみが

あの時

ピークを迎えていたのが

大義にも何となく解った。



だからこそたまらない。





「なんで死んじゃったんだろう」



大義は泣いていた。



「天罰じゃないならなんで」



たくさんの人を

哀しませる為に

生まれて来たのだろうか。



「なんのために生まれたの」



天使は大義を撫でながら

優しく優しく


そしてきっぱりと言った。



「ちゃんと見て。最後まで。全部見て。怖がらなくていいから」



大義の涙を拭って

抱き締めるように包み込み



「大丈夫だよ」



微笑む。



相手が天使だから


大義には

根拠は解らないのに

それは安心に変わる。



最後まで

ちゃんと見れば

解るのだろうか、


世界に存在していた意味が。





またぼんやりと

大義の足許に

光と色が戻って来た。



「お兄ちゃんの馬鹿」



そう言って


妹が

焼き場の煙突から昇る

煙りを睨んでいた。



「あれ……」



大義は目を擦った。



さっきは

妹なんか

いないと思ったが


どうやらいたらしい。



殆ど口をきいたことがない。

大義が避けていたからだ。



妹が生まれる頃


母親が里帰りして

大義は祖母の家に

預けられていた。



色んなことを

いっぺんに思い出す。



(あんなにお母さんを哀しませて……!)



妹が心の中で

大義を責めながら

度々涙を拭いていた。



(親不孝もの……!)



大義は

ムッと黙り込んでいた。



好きでした親不孝ではない。



いつも妹は

父親や母親の愛情を

独り占めしていた。


文句を言いたいのは

大義の方だった。



だが文句を言う気は失せた。



(私がお兄ちゃんの分もお母さんたちを幸せにするから)



大義は死んだのだ。



「……頼んだぞ」



大義の言葉は

妹に届かないと思いながらも

呟いていた。



妹は

マナーモードにしていた

携帯を取り出した。


メールの着信記録がある。



「え!?」



「あれ?」



驚いた妹と同時に

大義は声をあげた。



生前一度も

妹にメールなどしたことはない。


だが皮肉にも

最初のメールが今届いた。


本文はない。



大義の携帯は

火葬の炎の最中だった。



「あれって携帯の誤作動なの?」



携帯も死に逝く前に

一仕事したかったのか、


大義はそう感じた。



「君の念が影響したんじゃないかな」



よくあることよ?と

天使は言った。





遺骨を拾う場面になり

焼き場の人がため息を漏らした。



「携帯があったみたいですね」



火葬前に

燃えるもの以外

貴金属類など

一緒に入れないでくださいと

そう注意されていたのだ。


母親はすいませんと

鼻をすすって頭を下げ

相手もそれ以上は

何も言わなかった。



母親は

赤信号はきっちり止まる

律儀な性格をしていたが

この時ばかりは

自分の意思で

違反をしたのだ。



(携帯くらいないと大義が寂しい想いをする)



そんな母親を見つめる

大義の背中に


天使が静かに声をかけた。



「一緒に火葬されても、現世の物は持って行けないけど。お母さんの気持ちは受け取ることが出来たかしら?」



大義は無言で頷く。


汚いくらい泣いていたので

天使の方を向きたくはなかった。





また場面が変わり

墓石の前で

家族が話をしていた。



「お兄ちゃんがメールくれたの。私あんなに嫌われてたのに」



妹が嬉しそうに言うと


母親が何度も何度も

良かったねと繰返し

抱き締めて泣いていた。


父親も泣きながら笑っている。



「本当に天罰じゃないの?」



勝手な嫉妬で

ずっと妹を避けていた。


これは

天罰に価するんじゃないだろうか。



今なら素直に

妹に心から謝罪したいと

大義は思う。



「違うわよ?そんなことしても余計に君の家族を苦しめるじゃない。君だけに戒めを与えるのとは違うでしょう?天罰で死ぬ人はいないわ」



へぇ、と大義は

気のない返事をした。



「いつ死ぬのか、それは選ばれたからじゃないわ。何かの物語の結果でしかないの」



「物語?」



「今回は、君の体内で起きた『ウイルスたちの物語』」



正直

腑に落ちなかった。



たかが風邪で

この医療の発達したご時世の

現代日本人が


まして

体力もあるこの若さで?



そんな

ネタのように

呆気なく死んでしまうとか


冗談のようなのだから。



だからこそ


神様の天罰であるなら

それも仕方ないと


そう大義は思ったのだ。



「神様の創ったものだから、世界も人間も、とてもよく出来ているの。でも、その環境バランスは『自然』にあってはじめて保たれるのよ」



環境破壊は

人間が得意な分野だ。


なんとなく


天使のいわんとしていることを

悟った気になり


大義は肩をすくめたが。



「人間と同じで、ウイルスの中にも頭のいい環境破壊者がいたのよ」



ウイルスさえも

神の創りし存在だから、と


苦笑いを返されるだけだった。





その時また場面が変わり

大義と天使は

話をやめた。



岡田がぼんやりしている。



「アイツどうしたの?」



「心に開いた穴をゆっくり修復してるのよ」



天使はそう言ったが

大義にはよく解らなかった。



別の場面では

中学時代の同級生が

電話で会話していた。



「死んじゃったとか、今でも信じられなくてさ……なんか可笑しくもないのに、笑っちゃうんだよね」



「笑う。頭では解ってるんだけど」



お通夜でも

笑っていた自分たちを

覚えているらしい。


その後も

死を直視出来ず


拒絶反応から

笑いを起こす現象を

ただただ不思議がっていた。



大義は

その笑いを

薄情だと感じていた

自分を恥じた。





その後も

たくさんたくさん

色んな場面を見た。



大義が死んで

皆が生きて行くのを。



大義が生きていた時間と

死んでしまった事実、


それを受けて

しっかりと生きていく

家族や友人たちを。




長い年月を

見た。



母親は

医療の勉強をして

なんと

看護師の資格をとり


妹が母親になり

大義の話を

自慢気に子どもたちに

語って聞かせていた。




「君がいたことは無意味だった?」



大義は世界に

何の貢献も出来ず

若くして命を落とした。


だが

命の大切さを

生と死を

彼らに伝えた。



大義が振り返ると

天使がにっこりと笑い



「もう大丈夫ね?」



満足そうに頷く。



「あぁそっか。事後見学はここまでだね」



大義は

何となく覚悟を決めて

そう呟いた。



「そうよ。君は最初に『どうなるか』って訊いたわね。もう現世はお別れして次は天界に行くわよ?」



天使の口から聞くと

ごく当たり前に聞こえる。



「天界……?」



「君は転生してもう一度生まれ変わることも出来るし、天使になることも出来るの」



てっきり

魂を消されて

すべて終わると思っていた。


だから大義は

あんぐりと口を開けて

天使を見る。



「どっちにする?」



「……いや、いきなりそんなこと聞かれても……困る」



大義には

どちらがいいかは

解らない。



知識が皆無に等しいからだ。



「とりあえず天界で詳しく話してあげるわ」



天使は手を差し出した。


大義は

反射的に手を重ね


フワリと

浮遊感が訪れる。



天使の翼が

大きく広げられた。



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