第壱話 『その女、最強につき』 其の弐

 ミラは強気に、隙間も無い程に激しく攻め立てる。

 普通のパンチやキック等の立ち技から、バック転やきりもみ回転、果ては壁を使っての三角飛びからの蹴りやフランケンシュタイナーと言った、全身をダイナミックに使ってのアクロバティックな攻撃、果ては相手の腕や足を取っての投げ技まで、多彩でトリッキーな絡め手を用いて、自らに刃向かう生意気な下郎を全力で叩き伏せようとする。

 両足でしっかりと立ち、徹底して無駄な動きを省き効率的に立ち回る恋火の“静”の戦い方とは対照的な、絶え間なく躍動を続けながら繰り出される、ミラの派手で軽快な“動”のアクションの数々に、完全に観客となっていた弟子達も、思わず舌を巻いていた。何が飛び出るかわからないびっくり箱でも眺めるように、ミラの健闘ぶりを純粋に楽しんで観戦していた。

 だが、『もしかしたら彼女が勝つかもしれない』という可能性など、誰一人微塵も抱いてはいない。


 ミラはもはや、完全にただの見世物と化していた。


「ハア、ハア……クッ……」

 まるで暴風のような怒涛の攻めを展開していたミラであったが、徐々にその密度は低くなっていた。

 一向にダメージとなるような一打も与えられずに、ミラはスタミナだけを確実に消耗していくばかりであった。

(おかしいですわ……なぜっ? なぜ一発もまともにキマらないの……? 全て紙一重でかわされるか受け流されてしまう。まるで勝負にならないじゃありませんの……こいつには、わたくしの手の内の全てが見えているとでも言うの?)

 肩で息をしながら、思うように埒の開かない現状が不可解であるとさえ感じ始める。

 焦燥が、不満が、苛立ちが、凝り固まったプライドをジワジワと揺るがし、弱気という名の暗雲を立ち込めらせていく。

 だがそんな危うい精神状態を持ち直させたのは、他でもない彼女のプライドそのものであった。

(いいえ、違う。そんなハズはない。わたくしの拳が、こんな一市民に通用しないわけはありませんわ。何故なら、わたくしは誇り高きアンダーソン家の娘なのですから……!)

 そうだ、自分が負けるハズはない。アメリカ合衆国が誇る財閥の娘である人間が、ただの庶民に遅れを取るなどありえない。


 そんな事は、あってはならない——


 ミラは自らを奮い立たせるために声を上げながら、眼前の敵に突撃する。

「ハアアァッッ!!」

 体力も尽き始めてきたこの局面で、彼女はここ一番の苛烈さで猛攻を仕掛ける。己が何よりも重んじる誇りと尊厳を守るために、文字通り死に物狂いで拳脚を振るう。

 名家の息女に恥じない戦いをしなければ、という使命感にも似た強い意志だけが、磨耗した彼女の身体を無理矢理に突き動かしていた。

「……」

 一方、ここまでただの一度の反撃も入れず、様子見に徹していた恋火。

 濃密な攻撃の嵐を、持ち前の戦闘センスと反射神経を駆使し、最小限の労力で捌いていく中で、どこか必死にも見える姿で向かってくる少女に疑問を抱き始める。

(こいつ……自分で財閥のお嬢様だと言っていたが、それにしては動きが良すぎる。戦いに関して素人でないのは明らかだが、ただの護身術を学んだ程度でここまでになれるはずもない。かと言って、ボクシングやカポエイラのような動きも見せてはいるが、しっかりと型を身に付けているというわけでもなさそうだ)

 体操やダンスの要素を取り入れた、身体能力の高さに物を言わせた柔軟でアクロバットな動き。それだけならまだしも、戦いの中で幾度も見せたトリッキーで流麗な技の数々は、一日二日で身に付けたような不恰好なものではない、確かな練度を感じさせるものであった。

 にも関わらず、彼女の動きからは格闘技の所謂“骨格”と呼べるような物が感じられず、その点も疑問を一層深めていた。

(それに、この自由な戦い方、どこかで……)

 更にもう一つ、恋火はミラの独自のファイトスタイルに、何か引っかかる物を感じていた。

 間違いなく経験のある感覚を身体に覚えつつも、その正体が何であるか、記憶の中から導き出せずにいた。

(……まあいい、そろそろ終いにしよう)

 しかし、結局は徒労に過ぎないであろうと判断し、恋火はこの他愛も無い余興に幕を下ろすべく、ついに攻撃に転じる。

「ハッ……!?」

 左の後ろ回し蹴りを、瞬間的に頭を下げてかい潜り、まだ脚が完全に振り切られていないところに、強烈な踏み込みと共に掌底を打ち込む。

 達人の域さえも凌駕する技量を持つ恋火が放つ、絶好すぎるタイミングでの正確無比かつ高速の一撃。

 辛うじて反応し、上体を反らして躱そうとしたものの、蓄積した疲労が僅かに体の動きを鈍らせ、それが顎への直撃という痛烈な結果をもたらした。

「あぐっっ……!」

 小さく宙を飛び、畳の上にビタン! と鈍い音を立てて背を打つミラ。

 力を込めて立ち上がろうとするも首を起こす事さえできず、ブロンドの長髪をブワッと広げ、大の字のまま床に張り付くように倒れる。

「ハァ、ハァ……ハァ……ッ」

 天井を向いた顔は苦悶に染まり、多量の汗を滴らせ、早い間隔で大きく上下する胸の動きに合わせ、肺から息が絞り出されている。

 ミラの体力は、言うまでもなく限界に近づいていた。同時に、耐え難い屈辱が、彼女の心中を支配していた。

 あれほど全力で仕掛けに行ったのに、ただの一度もまともに当てられないなんて。その上こちらはたったの一撃で、こうも無様にあっさりとやられてしまうなんて。


 このわたくしが、こんなにも手も足も出ないなんて——


 悔しさで更に眉間に力がこもる彼女に、恋火ははっきりと言い渡す。

「どうやら我流のようだが、筋は良い。反応も速い、機転も利く。強者と自負するだけの資格は十分にあるだろう。だがそれだけだ。貴様では、私には勝てん。潔く退散するがいい」

 遥か高みから見下ろすような、一切の偽りも遠慮も無い言葉が振り下ろされる。

 恋火としては、健闘を称えた賛辞も含めた宣告のつもりであった。

 多少は戦闘に関しての心得があるとしても、所詮は素人の延長。今の一撃で“本物”との力の差というものを実感し、嫌でも自分から尻尾を巻くだろうと、彼女なりの慈悲を与えてやったつもりだった。

 だが、それが逆に少女の怒りに火をつける事となった。

「っ……! 調子に乗るんじゃっ、ありませんわっっ!!!」

 後ろに一度体を丸めて床に手を付き、反動と共に思い切り天井を蹴り上げるようにして跳ね起きる。

 そのまま金髪を靡かせながら、猛獣のように低い体勢で突進する。更に勢いを殺さぬままに、ミラは前方へ飛びかかるように上段二連回し蹴りを見舞う。紐に括り付けたハンマーをブン回したかのような、全身を使った荒々しい豪快な攻撃だ。

 しかしそんな見え透いた大技が、何の捻りも無しに恋火のような戦闘のプロに通じるわけもなく、スウェーの動作でいとも簡単に避けられてしまう。

「お〜、今の良い蹴り〜。さすがにバレバレだったけど」

「ですね……」

 隼弥と葵も、ミラの大胆極まりない技に驚きつつも、冷静な視点で評価を下していた。

 他の者達も、ただの素人には到底成し得ない、曲芸のような見応えある立ち回りを、その技巧のレベル自体は認めつつも、実戦的な観点から、段々とどこか冷めた目で見るようになっていった。

 ばかりか、これは元々結果の見えている勝負——いや、勝負にもならない、ただの余興。飽きを感じ、退屈な表情を浮かべる者まで出始める始末。


 ミラは、とうとう見世物ですら無くなっていた。


「ヤッ、ハアッ……イヤァ……!」

 そんな事など露知らず、彼女は己のプライドを守りたいというその一心で、勇猛に格上の相手に挑みかかる。

 開始直後の威勢の良さや、技の鮮烈な鋭さやキレは、既にほとんど見られなくなっていた。それを受ける恋火も、もはや見切る必要さえも無く、作業のように攻撃を流していくのみだった。

 水面でもがいているかのような必死な表情で息を切らしながら、それでもなお戦う事を止めない少女の姿に、哀れみさえ覚えてくる。肉食獣に虚勢を張って吠え続ける仔犬でも見ているかのような気分だ。

 勝負はとっくについている。しかしここまでの言動を鑑みるに、彼女は自分の実力にかなりの強い自信を持っている。加えて、屈折しているとはいえ、病的なまでに高いプライドも。

 こういう手合いは、おそらく易々と負けを認めてくれはしないだろう。

 ならば、最も分かりやすい形で、格の違いという物をはっきりと自覚させるしか、この戦いを終わらせる方法は無い。

(……仕方ないな)

 お灸を据えるという目的は、先の一撃で既に十分達したと言っていい。

 少々酷だが、これ以上長々といたぶる事は、それこそこの少女を侮辱する事と同義。何より、自らの主義に反する。

 恋火は、目の前の異国の襲撃者を“相手”として認め、自身が最も得意とする技をもって、この戦いに終止符を打つ決断をした。

「!?」

 すっかり威力の衰えた左のパンチを、恋火は右の裏拳を手首に当てて外側に弾き飛ばす。弾かれた左手に振られ、ミラは若干よろめく。

 その刹那の無防備に——恋火は神速の左後ろ回し蹴りを叩き込む。

「……っ!」

 反応する事さえできず、空間を切り裂くような鋭利さを誇る恋火の必殺技が顔面に直撃し、金髪の少女の細身の身体がニ、三度回りながら宙を舞う。

 目まぐるしく変わりゆく景色の中で、彼女はどうあっても認めざるを得ない、絶対的な真実をその身に刻む。


 ——勝てない。


「あうっ!」

 正面から派手に倒れ、小さく声を上げるミラ。

 どうにか受け身は取ったものの、かなり手加減されていたとはいえ、的確に打ち込まれた二発のダメージはやはり尋常では無く、畳に顔をくっ付けたままピクリとも動かない。

「終わったな……」

「ええ」

 観衆となっていた弟子達も、一様に余興の幕切れを悟る。そして、自分達の師の戦いぶりに対して拍手を送り始める。

 余興とは言いつつも、恋火が戦いの中で見せた技の数々は、大小問わず間違いなく至高と呼ぶに相応しい物であり、彼らは皆、格闘家としての純粋な尊敬と賞賛の思いを送った。

「…………」

 朦朧とする意識に広がる孤独な暗闇の中で、ミラはその音を聞いていた。

 たくさんの人間が、その者を褒め称える音。その者の能力と実績を認め、その者を喜ばせる、その者にとって心地良い響き。

 自分ではないその者を幸せな気持ちにさせ、それに反比例して自分をどんどん惨めに、孤独に追い込んでいく、忌まわしい音の暴力。


 脳裏に蘇る、数多の屈辱と嫉妬に塗れた恥ずべき記憶——


「大丈夫か?」

 正面から聞こえた声が、ミラの意識を過去から引き戻した。

 あろう事か、自分をこんな無様な姿にした張本人が、白々しくも情けをかけてきたのだ。

「すまない、こうでもしなければ諦めてくれそうになかったのでな。立てるか? 加減はしたつもりだが」

 先程と打って変わって、恋火は穏やかに声をかけ、立て膝をついて手を差し伸べる。

 向こうから勝負をしかけてきたとは言え、手は緩めたものの、武術の経験者でもない相手にさすがにやり過ぎてしまったという反省から、彼女はこのような行動を取ったのだ。

 それが少女の自尊心を何よりも傷つける事になるという事にまでは、頭が回らなかった。

「うるさい……」

 ミラは顔も上げずにパシンと手を払いのけ、厚意を拒絶する。そしてなんと、畳に両手を付き、自力で立ち上がろうとし始めた。

 満身創痍なのは明らか。額からポタポタと垂れ落ちる大粒の汗と、今にも崩れ落ちそうに小刻みに震える腕からも、その程度が見て取れる。

「無理はするな。ほら」

 心配で見ていられないと、恋火は再び手を差し出す。

 ミラは、それでもなお手を強く弾いて、頑なに拒絶する。

「うるさいって、言ってるっ、でしょう……」

 ついには完全に立ち上がり、その上、弱々しく乱れた呼吸を繰り返しながら、フラフラの体で再び独特の構えを取って見せた。

 彼女はまだ、戦うつもりでいるのだ。

 執念とさえ思える、凄まじく堅固なプライド。一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか、弟子達はもとい、恋火も驚愕の眼差しでミラの姿を目に焼き付けていた。

 強がりにも程がある。もはや当初の目的などどうでもよく、単に勝負に負けたくないという一心で立ち上がったのだろうが、はっきり言ってそれは無意味な足掻きだ。

 この戦いはもう何度やっても、結果は同じ。だからこそ幕を引いてやったというのに、なんと諦めの悪いやつ。素直に相手との実力の差を認める事もまた、強者の資格であろうに。これではダダをこねる子供と同じではないか。

 恋火は本人のためを思い、言い聞かせるように告げようとする。

「ここまでやってまだわからないのか? 貴様では私には勝てない。これ以上戦うのは——」

「Silence(黙りなさい)!!!」

 感情が昂ぶるあまり、母国の発音で怒号を吐き出すミラ。

 道場を揺るがす程の突然の大声に周囲が静まり返る中、彼女は悲痛な色を帯びた震え声で、悔しさを露わにする。

「なによ……なによなによなによっ! アンタまで、アンタ達までわたくしをバカにするというのっ……? ふざけるんじゃないわよ。勝てないとかなんだとか、そんなのは関係無い。わたくしを、誰だと思っているのよ……!」

 そして、格の違いを突きつけられてもなお燃え滾る不屈の闘志を声に乗せ、ミラは怯む事なく再戦を申し込む。


わたくしは、誇り高きアンダーソン家の娘、ミランダ・ヘイディ・アンダーソン。例えどんな理由で始めた勝負であろうとも、どんな人間が相手であろうとも、立ち上がる力が残されている限り、絶対に勝負を諦めたりなどしない!! わたくしはまだ戦える……わたくしと、戦いなさい!」


 何者にも、何事にも屈しない、凛とした立ち姿が、目を逸らす事を許さない。

 真っ直ぐにこちらを見据え戦いを求める、逞しく輝く翡翠の瞳が、心を捕らえて離さない。

「……」

 恋火は目の前の少女に、何か強く惹かれる物を感じていた。

 彼女が戦いを挑んできた理由自体は、全くの理不尽かつ横暴そのものではあったが、自身の一族への誇りから来る芯の強さだけは、間違いなく高潔と呼ぶに値する物が感じられた。

 その気高い精神は、彼女をただの小者ではない一人の戦士にまで昇華させ、相対する者に敬意さえ抱かせるような風格を纏わせていた。


 だがそれ以上に——どこか悲しみを押し殺しているようにも見える張り詰めた彼女の迫真の表情が、恋火の心を惹きつけて止まなかった。


 それに加えて、『アンタ達まで』という何やら理由わけありな言葉。

 ただ悔しいからというだけでは、きっとこんな顔はしない。あんな事は言わない。

 根拠は無いが、もっと心の奥底に根付いた何かが、この少女にこんな複雑な面持ちをさせているのだと、恋火は直感で感じ取った。

 何故こんな顔をしているのか、それはわからない。そもそも、分かる必要さえ無いはず。

 だが、恋火には彼女の気持ちを無下にする事ができなかった。

 何故だか不思議と、他人事とは思えなかったから。

 とにかく、今はこの少女の収まりのつかない闘争心に応えてやらない事には、何も始まらない。

 それに、もっと戦えば、もっと何かが分かるかもしれない。

 いいだろう——ミラの崇高なプライドを認め、そう答えようと口を開こうとした時だった。


「ミラお嬢様!」


 少女が襲来した時と同じく、今度は執事服を纏った初老の男性が、扉を開け放って声を上げた。

「Shit(げっ)、アルフレッド!」

 迫真のシリアス顔から一変、後ろに首を向けてギャグテイストに早変わりするミラ。

 執事服の老人、その登場に危機を感じたように驚いた様子のお嬢様。

 全員が一瞬で、二人の関係と大体の事情を察した。

 自分に集中した目線に気付き、アルフレッドと呼ばれた老人は紳士のように丁寧な口調で何度も頭を下げながら謝罪し、ミラに近寄っていく。

「お邪魔致します……ミラお嬢様が大変ご迷惑をおかけ致しました。どうか皆様の温かい寛容な心で、お嬢様の無礼をお許しください……。さ、帰りましょう、旦那様が心配でおられです」

 ミラの腕を掴んで、アルフレッドは問答無用に彼女を外へと連行しようとする。

「いや、ちょっ、まだ決着が」

「ダメです。また人様に迷惑をかけるようなマネをして。少しはご自分の立場をお考えになってください。いつになったら学んでくださるのですか」

 踏み止まろうとするミラに、物怖じせずに説教を垂れるアルフレッド。

 相手がご老体であるからか、それとも信頼する人間であるからか、引っ張る手を無理に振りほどく事もできず、ミラはジリジリと入口まで引きずられていく。

「……もう聞き飽きたわそんな言葉、いっつもいっつも……あ〜もうわかったわよ! 帰るっ、帰るから。離してちょうだい」

 不満を露わにしつつも、その強引さについに観念し、脱ぎ捨てていたコートと上着を再び纏い、身なりを整える。

「ほら、お前達、いつまでそこで寝ているつもり? さっさと起きなさい!」

 ついでに、壁に寄り掛かるようにして伸びていたボディガード達に軽い蹴りを入れ、文字通り彼らを叩き起こし、入口へと向かっていく。

「そこのアナタ!」

 扉を閉める直前。

 ミラは恋火にビシッと指を差し、すっかり勢いを取り戻したテンションで、一方的に上から目線な捨て台詞を残して去っていく。


「いいこと? とりあえず、勝負はお預けという事にしておいてあげますわ。でもいつの日か必ず、正々堂々とアナタを完膚なきまでにブチのめし、わたくしの前に跪かせてみせます。その時をせいぜい楽しみにしていなさい。それでは皆さん、御機嫌よう。ウォ〜〜〜ッホッホッホ!!」


 深々と申し訳なさそうにお辞儀するアルフレッドが扉を閉め、よく響く高笑いが遠ざかって行き、 リムジンと思わしき車のエンジン音が鳴り、それも何処へと消え去って行く。

 一同はただただ呆然と、来訪者達の気配が一つ残らず完全に消え去るのを、人形のように固まって見つめているのみだった。

 まるで災害が起こった後のような静けさが、暫しの間続く。やがて隼弥が、気の抜けた声で呟いた。

「…………なんだったんだぁ? あのお嬢ちゃんは……」

「嵐みたいな、人でしたね……」

 葵も口だけを動かすようにして答え、それを機に徐々に喧騒が戻っていく。

 「見かけによらずタフな子だったな」、「素人にしてはいい動きしてたよね」、「綺麗な子だったなあ……それにナイスバディだったし……」といった、三者三様のコメントがあちこちから溢れ返る。

「……」

 そんな中で恋火は一人、先のミラとの戦いと、彼女の言葉と、そして最後に見せた表情を思い返していた。

 何故彼女は、あそこまで戦いに慣れていたのか。

 何故彼女は、あんなにも自分の家系に執着するような事ばかり言っていたのか。


 何故、あんな表情をしていたのだろうか。


「鷲峰さん?」

 いつの間にか接近していた葵に呼びかけられ、恋火はハッとなった。

「どうか、したんですか?」

「いや……なんでもない。さあ、気を取り直して飯にしようか。私も腹が空いた」

 手をポンと叩いて、全員に呼びかける。歓声に湧く弟子達は、はしゃぐように更衣室へと駆け込んで行った。

「お前も食べて行かないか?」

 傍にいる葵にも、個別に誘いをかける。

「あ、は、はいっ、ぜひ。私も、お、お手伝いします」

 照れ臭がっているのか、若干しどろもどろに承諾する葵。恋火は小さく笑みを浮かべた。

「ありがとう、助かるよ。ではまず着替えようか」

 はいっ、と嬉しそうに返事をして、葵は先に向かう。

「……」

 恋火はその後に続く前に入口の方を見やり、不思議と脳裏に焼き付いてしまった、あの少女の姿をもう一度思い浮かべる。正確には——あの表情を。

 とはいえ、もうおそらく会う事も無いであろう人間の事など考えても仕方が無い。

 早々に割り切って、恋火もまた皆に続くのであった。

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