作中決着方法
ガンダムの閃光のハサウェイ公開記念で逆襲のシャアが期間限定公開されており、それを観ました。
懐かしさと共に、年数が経過してから観ると新たな発見がありました。
シャアの戦いに対しアムロのセリフで、インテリがいつも過激なことをするんだという主旨のものがあります。
ああこれは学生運動の時代背景があったのだろうと感じました。
鈴木敏夫さんは学生運動を下の学年から見ていたと語っていますが、富野さんはもう少し年齢が上ですので時代の中か、それか上の学年から見ていた辺りでしょうか。
作中に「子供は」「大人は」というセリフが多用されたことからも学生運動を強く意識していることが伺えます。
そして学生運動と子供を結び付けて、それが敗北する決着に持っていく。
まさに時代。時代を生き、肌感覚で受け取ったものが作品に生きている。
ただ、その後の世代の人達が作る作品は、こうした決着の仕方だけが使われるようになり、変質してしまったように思います。
とりあえず正義否定しとけば何か分かった感じになれる。
俺は私は悪くない。
そうした要望を叶えるための道具といいますか、使い勝手の良い型番。
肌感覚が抜け落ちてしまっているので今の作り手が厚みや深さを出そうとしても無理なのかもしれません。
いっぽう、世界情勢を見るに、もうこの型番もいつまで現役でいられるかというところに差し掛かっているように思われます。
肌感覚を持っていた世代でさえ、やはり決着のところでどうもごにょっとなってしまう。
後数十年すると、この無理が解決された型が出てくるかもしれません。
滝神の創作ROOM 滝神淡 @takigami
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