終末の希望を桃に 3/4
ラーメン屋を出ると、妻がふいに言った。
「ちょっと散歩したい」
「もちろんいいよ」と僕は言った。「どこか行きたいところはある?」
「川に行きたい」
「オッケ」と僕は言った。そして僕は妻の手を握って歩き出した。
15分ほど歩いて、僕たちは目的地に到着した。そこは土手だった。
二級河川「本津川」と書かれた錆びついた看板の脇に、川べりに降りていくための道があった。舗装されていない、とても小さな道だ。僕たちは滑らないよう注意しながら、それを通って川べりに降りた。
そこにはキャンプセットを展開してバーベキューをしている4人家族がいた。父親の男性が僕たちに視線をよこしてきたが、特に挨拶はしてこなかった。僕もあいまいに会釈をして、特に声は掛けなかった。そして僕と妻はなんとなく下流に向かって歩いていった。
歩きながら、僕たちはいろいろな話をした。
ここ最近の過ごしやすい気候について、頭上の星空と月の美しさについて、僕の増えてきた体重について、人類の滅亡後の地球について。
それはとても穏やかな夜の散歩にふさわしい、とても他愛のない話だった。
「ねえ」と妻が言った。「川の水って汚いと思う?」
「どうだろう」と僕は言った。「まさか喉が渇いたのかい?」
「違うわ」と妻は笑った。「ちょっと手を浸けたいだけ。できれば靴下を脱いで足も浸けたいけど」
「それならきっと大丈夫だよ」と僕は言った。「手や足を浸けただけで具合が悪くなるような水じゃあるまいし」
そして僕たちは腰まで背丈のある草むらを突っ切り、ごつごつした岩場を歩いて、水際に出た。途中、苔の生えた岩に足を取られた妻の身体を僕が支えた。びっくりしたと言って笑う妻を見て、僕はやっぱり彼女のことが好きだと思った。そしてなんとなく切ない気持ちになった。
「ねえ、あなたもやってみたら?」しゃがみこんで川の中に手を入れている妻が言った。「ちょうどいい温度よ。冷たくないし、ぬるくもない」
「いや、遠慮しておくよ。その川の水は全部君のものだ」と僕は言った。
「なにそれ、変なの」と妻は笑った。妻は川に手を突っ込んだまま、流れに逆らうように水を撫でたり、流れに任せるように水を撫でたりしていた。
「あれ、何かしら?」ふいに妻が言った。「あそこ、何か流れてくる」
僕は妻の視線をたどった。月明りが水面を照らしていて、視界はとても良好だった。そして僕はそれを見つけた。
「何だろう、野球のボールかな」と僕は言った。
それは丸い、何かだった。物体の存在は認識できたが、その正体は判然としなかった。水面の照り返しが逆光のように、物体の輪郭だけを見せていた。
「あれ、桃じゃない?」と妻が言った。「そうよ、やっぱり桃よ!」
「そんな馬鹿な」と僕は言った。
「どうして桃じゃ馬鹿なの? 野球のボールだと馬鹿じゃないのに」
「どうしてって、」と僕は考えた。「どうしてだろう、そう思った」
「ちょっと身体を押さえててくれない? 手を伸ばしたら拾えそう」
「わかった」と僕は言った。
僕は妻のすぐ背後に行ってしゃがみこむと、妻の腰のあたりに腕を回して妻の身体を抱えた。妻は四つん這いの体勢で身体と腕を目いっぱい伸ばして、流れてくる物体を待ち構えた。その体勢でいると、妻の臀部と僕の股間が互いのデニム生地を通してぴったりと密着していた。傍から見ると倒錯的な性的嗜好をもったカップルに誤解されてしまいそうだった。
「ほら、やっぱり桃じゃない」とても無理がある体勢をしながら妻が言った。
「本当だ、桃だ」と僕は言った。僕の視線の先数メートルを流れてくる物体は、信じられないけれど確かに桃だった。
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