第157話 俺、今、女子持ち帰られ中
まずいよこれ。
さっきまでのさわやかイケメンはどこへ行ったのか。俺の目の前にいるのは明らかに
というか、このピンチに一気に酔いが覚めたんだけど……。
その醒めた目絵で見れば……。
誰? この若作りおじさん?
ちりちりの今風の髪型に細面、その顔は不細工というわけではないけれど、何というか、まるで人間性を反映するかのような、いやな感じにところどころたるんだ顔。
舌舐めずりする蛇のような、冷酷で
人を小馬鹿にしたようなひん曲がった口元。
男の今までの所業が年輪となって刻まれた可能ような、深い眉間のしわ。
ああ、酒って怖いね。
店が薄暗かったからってのもあるけど、酔っぱらってしまったせいで、こんな明らかに地雷な雰囲気(だけ)さわやかイケメンを見破れなかったなんて。
「……どう初美さん。もう終電も終わっちゃったし、休んでいきましょうよ」
マンション前の白い明かりが照らし出すイケメン……いや、明らかな下心を顔に浮かべた気味の悪い男は、俺の手をつかみ、グイッと引き寄せるとそのまま抱きつこうとしてくる。
やばいよこれ。
ここは、
「——! いえ、遠慮します」
俺は、男の胸をぐっと押して遠ざけながら言う。
さっさと断って逃げてしまおう。
残金どのくらいあったかわからないけど、カード使ってでもタクシー乗って、あとで稲田先生に事情説明してお金は別途返すとして……。
だが、
「はあ? 初美ちゃん何言ってんの?」
稲田先生(俺)を逃すまいと、一気に本性を出し、下品で脅すような口調となって男は言う。
「……大丈夫ですから。私、一人で帰りますから」
俺は後ずさりながら、少し頭を下げて申し訳なさそうにしながら言う。
稲田先生から預かっている大事なこの体。
こんな嫌らしい男なんかに……。
「はあ? 帰る? 今から家に帰るって言うの初美さん?」
だが、相手は諦めない。
「すみません……明日も朝から仕事で……」
「別にここから行ったらいいじゃない? はあ? 何言ってんの?」
男は、また俺の腕をつかむと、脂ぎってべたべたしたその手をぐりぐりとまわしながら、少しずつ自分の方に引き寄せようとしている。
ああ……。
きめえ。きめえよこの男。
口は半開きで、ハアハアいってるし、鼻も膨らんで……。
これって、俺——稲田先生——に拒否されて喜んでいる。
この人ってマゾ?
それとも、こうやって、こっちが気持ち悪くなることを見通して、そのうえで屈服させてこようとしている、屈折したサド?
……いや、どっちでも良い。
この人、明らかにやばいよ。
こんな風に女性を自分の家へ無理矢理連れ込もうとして、住んでるマンションの前でこんなことをして——。
もし俺がここで騒いだら、近隣の、顔馴染みにそれを見られて不味い考えないのだろうか?
そんなことも考えられないほど頭がぶっ飛んだイっちゃってる人なのか?
俺は、またジリジリと近づいて来る男の、気味の悪い視線から目を逸らしながら、この後どうしたら良いか考える。
誘いをやんわりと、拒否したが断られた。
男は、稲田先生(俺)を部屋に連れ込むのを、まだ諦めるつもりはない。
無理やり逃げようと思って力ずくで手を振り払おうと思っても、やはり男と女の力の差で無理っぽい。
——なら。
ここで俺は叫べば良いんじゃないの?
深夜といっても、まだ起きてる人もいるだろ?
人通りも全く無いわけじゃない。
自分のマンションの前で、女性の悲鳴があがったのなら、さすがにこの男も、稲田先生(俺)を自宅に連れ込もうとするのはあきらめるのでは。
この後の、男が近隣住民から白い目で見られたり、ここにいられなくなったりするかもしれないが、知るもんか。
そうだ! それしかない。
「ん? どうしたの初美さん? 何か変なこと考えてない?」
俺は、男の脅しなど無視をして、さっさと思いっきり叫ぼうと、大きく息を飲み込んで、声が喉元まで出かかったのだが、
「初美さん。叫んだりしたら殴るよ」
「…………あ」
周囲の眠りを覚ますような悲鳴になるはずだった、その声は、蚊の鳴き声のようなか細いため息に変わった。
暴力を振るうと言う男の冷たい声に、背筋にゾクッと冷たいものが走り、体が硬直して動けなったのだった。
「——さっさと来るんだよ」
捕まれ、引き寄せられる手に抵抗ができなかった。稲田先生と入れ替わった中の人である俺の意思とは別に、体が動かなかった。足がすくみ、力が抜けた。
倒れてしまいそうだった。抱き寄せられて、酒臭い臭い息を吹きかけられた。
「うん。初美
この男、わかってやっている。俺はそう思った。慣れている。こんな風に抵抗できなくなる女を見極めて、そしてこんなことをしている。
——くそ!
俺は逆にこの男をぶん殴りたいのに、稲田先生の体は
人形のようになってしまった稲田先生の体は、男の思うがままに引き摺れ、いつのまにかマンションのエントランスの中であった。
後ろで自動ドアが閉まり、通りとの入り口が閉ざされた。
深夜のエントランスのホールの中には誰もいない。誰かに助けを求めることもできない。
このままでは、俺はエレベーターに乗せられて、男の部屋に連れ込まれて……。
「ほら、初美
まずいぞ。このままじゃ、入れ替わった俺のせいで稲田先生を汚される。
それに、俺だって、そんな奴は……というか、男にそんなことを……。
——ヒエー!
稲田先生の体だけでなく、俺の心にも
「——あれ?」
男の体の方も、まるで力が抜けたかのように、ぴたりと止まる。
「えい!」
そして、男の後ろから、効いたことがあるような幼い声が聞こえる。
男の体は、まるで麻痺したみたいに硬直しながら前に倒れ、硬いタイル張りの床に顔面から突っ込んで……。
「サクア! お願い!」
倒れた男の後ろに立っていた幼女は——案の定、片瀬セナであった。
セナが言った——サクアさん?——信じられないくらい綺麗だが、なんだか何人かわからないような非人間的な感じのメイド姿の女性が、誰もいなかったはずのホールに忽然とあわられ、倒れた男の腕を掴む。
そして、注射器らしきものを出して、手慣れた様子で男の血管にブスリと針を刺して何か液体を注ぎ込み……。
「はい。これで泥酔急性アル中男の出来上がり! ちょっと犯罪っぽいかんじもするけれど、正当防衛だからしかたないよね、お父さん!」
手には、スパークする電極のついた大きな電気剃刀みたいなもの——スタンガン?——を持ってにこやかに言うセナであったが……。
「お前……」
「何? お父さん?」
神出鬼没のこの幼女に、そんなことを言ってもしょうがないのかもしれないが、
「なんでここにいる……」
そう言わずにはいられない。
そして、
「それはね……もちろん……」
「…………」
息を飲み幼女の回答を待つ俺に、
「……このマンションにセナの
「へ?」
な、都合良い話があるか! と、一瞬、世界に向かって叫びたい衝動にとらわれた俺の様子は無視の、
「あ、救急車来たよ。サクアお願いね」
セナの言葉で、あまりにタイミング良く、近づくサイレン——マンションの前に止まった救急車に、
というか、美貌だけじゃなく体力の人間場慣れしてそうなんだけどあの人。
いったい、何がなんだか……。
と、事態の把握に頭が追いつかず、呆然と立ちすくむ俺の手を握りながらセナが言う。
「あれで、あの男は明日の午前くらいまで病院だから、安心して……今晩はセナの
どうやら、結局、俺はお持ち帰りされてしまうらしい——幼女の部屋へ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます