第93話 俺、今、女子呆然中

 コミケも終わり、というかお盆に入れば夏休みも後半。と言うかもう残り少ない感がぐっとでてきて、——このままではいけない!

 何がいけないのか若干自分でもよくわからないが、やるべきことがあるだろ! 夏だぞ ! 休みだぞ!

 とまあ、終わりゆく夏休みヘブンを認めたくないがごとく、無意味にテンションが上がっていく俺——いつもの夏休みならであるが……。

「はあ……」

 今年はそういう気分にさえなれない。

 気だるいお昼過ぎ。

 飲みきったアイスカフェラテのカップの氷が次第にとけるのにまかせ、かんかん照りの外の様子をガラス越しから眺めながらただぼんやりと過ごす。

 何も考えたくない。

 考えられない。

 それしかできない俺であった。

 ——逃避であった。

 何をしたらよいかわからないから、とりあえず何にも考えないことしかできないのであった。

 ましてや夏であった。

 おあつらえむきであった。

 お盆を過ぎても太陽の勢いはまったく衰えない、夏のまっさかりであった。 

 難しことは何も考えられなくなるようなぐだぐだの暑さの中、俺はその灼熱に逆らうことなくただ無為を過ごすことを選ぶ。

 冷房の効いたカフェの中で、駅からここまで来る間にぐっしょりとかいた汗が引くのを待ちながら、道を通り過ぎる人たちを眺める。

 お盆でちょっと人通りが少ないのかな? いや、今俺がいる場所は麻布。こんなとこ俺はめったに来ない——もしかして始めてかも ——な場所なので、今日の人出が少ないのかもともとこんなもんなのかは俺にはよくわからないけれど。

 なんか、やっぱり閑散とした感じはするよね。

 学生がとっくに休みなのに加えて社会人も結構な割合で休みに入るこの時期、街中はどことなくだるい雰囲気が漂っている。

 そんな様子を見て、


 ——ああ、ぜんぶ夏のせいさ。


 そんな、意味があるようなないような言葉を言うと少し気分がよくなるような気がするから不思議だ。

 太陽が眩しかったら何してもよいような不条理が世の中に満ちているのなら素敵。

 人は歴史に囚われるのでなく分断の中に生きるなら無敵。

 未来が過去によらないのならば今に俺はなんの責任もなく、女帝——生田緑に一切反論できないでなじられ続けた今朝の多摩川の河原の記憶も自分とは何にも関係ない、……とはいかないよな。

「いくら夏の日でも……」

「……?」

「あ、なんでもなくて……」

 俺は、いつの間にかじっと見つめていた店の外の歩道のガードレールから視線を元に戻して向かいに座る喜多見美亜あいつの顔を見る。

「……? まあいいけど」

 ちょっとモヤっとした表情だが、まあ俺の考えていることなんてお見通しだろうな。というかどうして良いかわからずに、思考放棄でただぼうっとしていたのだが。

「で、どうする気なのよ? 自信満々のコミケ作戦も失敗に終わって。渋沢家の御曹司との縁談は依然進行中よね。まったく……なんで見合いの時断らなかったのかしらね」

 あいつは、俺の逃避に気づいているのだろう、多分覇気のない俺の顔を見て、呆れ半分憐憫半分の嘆息をしながら言う。

「夏の暑さにまけて出来心でやったって言ったってどうにもならないわよ」

 はい、その通りでございます。

 反論の言葉もございません。

「相手の御曹司が実は良い人だったと言うのは私も認めるけど、緑本人がいやだと言ってるんだから、あんたが無理強いはできないでしょ」

 はい、まさしくその通り。

 断ってこいと言う女帝の命令を俺が勝手に返事をしたのは軽率の極みであったと存じます。

 しかしな……。

「でも、今回は少しはあんあたに同情しないでもないわね」

「……!」

 ブンブンと首を降る俺。

「確かにあのイケメン相当のもんよね。人たらしというか、いやたらそうって作為がなさそうなのがさらにタチ悪いというか……人を惹きつける力すごいわよね。あんなのがこの後に政治家になるとしたら、すごい大物になるのかもしれないわね。親も有力政治家だって言うし、その地盤も継げるんでしょ。政治家としての一族の存続が緑にかかっている生田家としても願ってもない相手なんでしょうね」

 そう、そうなんだよ。あの御曹司は、顔も性格も良い上に、両親が事故で死んでしまって、生田緑に一族の存亡がすべてかかってしまっているあの家にとっても最適な出会いとしか思えなかった。生田緑と入れ替わった俺が、簡単に断ってしまっても良い相手とは思えなかった。

 いや、もちろん俺の一存で縁談を決めてしまっても良かったとは思わないけど。

「……どうするか相談するべきだったわね。緑に。迷ったなら」

「…………」

 あまりにその通りで、何も言えないで黙り込む俺。

 そして、

「外に出ましょうか。このままここで考えていても何も進まなそうでしょ」

 そんな煮詰まった俺に気分転換を提案する喜多見美亜あいつであった。


   *


 もう八月も半ばすぎでも、まだまだ弱まることのない暑さの東京だった。ましてや、その地獄のごとき夏の勢いも最高潮な昼過ぎの時間。カフェのエアコンの風を浴びて、いつの間にか結構冷えていた体でも、あっという間にゆだってくるような灼熱の太陽がまだ空のてっぺんにある。

「公園でも行きましょうか」

 このまま日の光に照らされながら外を歩いてたら、何も考えることができないだろうな。それもまあ、何も考えない言い訳ができていいのだけど、

「木陰に入れば耐えられないような暑さでもないでしょ」

 喜多見美亜あいつは、今日、俺にそんな逃避を許す気はないようだ。

 カフェの前から移動して、途中陽気な外国人の集団と狭い歩道をすれちがったりしながら、1、2分も歩いて信号を渡れば有栖川公園。中央に池があり、周りを林に囲まれたまさしく都会のオアシスといった感じの公園の中に俺たちは入る。

 池から小川を遡り、斜面を登って、図書館らしき建物が見える広場、そこのたまたま空いていたベンチに腰掛ける。そして、あいつはなんだか難しい顔。


「……」

「……!」


「…………」

「…………!!」


「………………」

「………………!!!」


「んん……!」

「……?」


「んんんん……!」

「……??」


「んんんんんんんんんんん……!」

「……?????」


「ぬうううううううあああああああああああ!」


「す、すみません!」


「……え?」


 突然怒ったような奇声をあげた喜多見美亜あいつに俺は反射的に謝ってしまうが、

「あ、ごめん。あんたに怒ったわけでなくて……」

「へ?」

「自分にというか、世の中にというか……」

 昨日のコミケ作戦が失敗してから、落ち込んでいる俺は、何でもかんでも全部自分が責められていると思い込んでしまっていたのだが、あいつの怒りは自らに向けてのもののようだった。なんで?

「やっぱり人間って、どうしようもないことってあるんだなって、思うと、自分の無力とか、そんな世の中に腹が立って叫んじゃった」

 黙りこんだと思ったら何か考え込んでいたらしい。

「……?」

 でも、何を? 流れからして御曹司関連の話かとは思うけど、

「うん、知ってしまったら、どうしようもないってことってあるよね。確かに緑の意思が大事だけど、ほんとあの人、緑にぴったりな感じがして……。会うまでは私も嫌がっているんだから断ればいいじゃないっておもってたけれど、本当何が良いかってちゃんと考えると混乱しちゃって……」

 昨日会ってからも女帝の意思をずっと尊重してた喜多見美亜あいつも、やっぱり葛藤してたんだとわかってすこしほっとする俺。なんというか、こいつと意見がずれると、すごい間違ってる気がしてしまうんだよね俺。この頃。

「さっきも言ったけど、あのイケメンおボッチャン絶対悪い人じゃないよね。それに正直、あれってきっと緑にあうと思う。というか、緑の理想のタイプはああいう人なんじゃないかと思う。もちろん、人の心の中なんてわからないけれど、彼女とは随分いろいろと話してた仲だし、そんなに外れてない自信があるわ」

 首肯する俺。全く同意見だ。育ちも境遇も重なるところが殆ど無い俺と女帝なれど、体入れ替わりが起きてからのこの数カ月の付き合いだけでも確信を持って言い切れる。なぜって生田緑は生田緑だからだ。

 いつでもどこでもブレのないその生き様。ただそこに立つだけで、ドヤッ、っていう効果音が聞こえてきそうな、唯我独尊、自分は自分でしかない、そしてそれを一片も疑問に思うことのないその姿。

 逆に、生田緑のことのことを色眼鏡で見ていたのは、過去の俺の方かもしれない。リア充カーストトップのいけ好かない女王様。何か直接にそんな言動や行為に触れたわけでもなく、ただ思い込みでそんな風に思ってしまっていた。

 実態は、そんなやっかみ半分の思い込みとは違い、まあ親しくなれる相手かというとそうではないが、高校生にして揺るぎない自己と目的を持つ、尊敬できる、尊敬するしかない同級生達なのであった。

 そんな彼女と、あれやこれの流れもあって、身近で触れ合うようになり、おまけに体も入れ替わった後に自分が思った生田緑がその体にすっぽりとハマるのを体感して、

「だから、会いたくない……なのだろうな」

 俺は彼女の気持ちそのままがそう言っているのを確信しながら言うのであった。

「うん、私もそう思う。昨日も言ったけど彼女の気持ちもわかる。あんな完璧な人に会ったら、自分の人生決まっちゃうって思わない?」

「思う」

 俺は答えた。

 会ったら逃げれない、そんな運命。それにこんな高校生のうちから飛び込んでしまってよいのか? いや、いろいろと深く重々しい囚われているのが生田緑で、その中でも生田緑は生田緑であったのだが、その彼女をして怖れるのは、

「運命か……」

 喜多見美亜あいつはつぶやくように小声で言うのだった。

「それがもしかしたら彼女の最善なんだったにしても、それが目の前に来たら私も逃げ出したくなるかもしれない」

 俺もそうだ。それが「自分」であったのなら。

 しかし、俺は自らのものではない人の運命ならば、軽く受け入れてしまったのだった。それは今考えればあまりに軽率な行為であったのだが、

「ともかく、会ってしまったのはあんたなんだし、返事をしてしまったのもあんたなんだから、まずは責任を取らないといけないってことなんでしょうね……多分、緑は、自分でもこうなっちゃうこと半ば予想してあんたと入れ替わったんでしょうから……今回はちょっとずるい感じもするのだけれど」

 うん。俺も今回の件はなんかずるいというか、女帝らしくない気はするけれど、彼女も人間だ。

「……でも、今更何か言ってもしょうがない……やるよ」

 ならば、俺はやるしかないと言う気持ちになってそういうのだが、

「……やる?」

「断るよ」

「誰を?」

 不安そうな顔のあいつ。

「誰ってあの御曹司を。決まってるだろ? 縁談はなかったことにしてくれって言う」

「どうやって?」

「どうやってって? 断るだけだよ」

「だからどうやって断るっていうのよ」

「?」

「まさか、ただ断る気? 『気が変わった』とか……」

「え……」

 それじゃダメなの?

「相手がそれで納得するならいいけど、きっと『なんで気が変わった』って聞かれるわよ。そしたらなんて答えるのよ?」

 ううん、考えてなかった。あの完璧超人の御曹司断る理由が何も思い浮かばない。アドリブじゃダメかな?

「あんた、アドリブ苦手ででしょ? まあ、追い込まれると異常な力発揮することもあるけど……」

 はい。心の中を読んだかのような喜多見美亜あいつの言葉にしゅんとなってうなだれる俺。

 すると、そんな俺を見ながら、それならといった様子の顔になり、

「でも……なら……それしかないか……でも……どうかなそれ……さすがにね……ちょっといやだというか……なんというか……」

「——?」

 なんだか勝手に俺の体をモジモジとさせるあいつだが、なんだ? なにか言いにくいことなのか? でも、すぐに決心したような顔になり、

「でも、これしかないでしょ! まあ、ことが終わっちゃえばもう御曹司と会うこともないのだろうから、あとは野となれ山となれ。緑もどんな手でも良いって言ったわよね……」

「言ったわよ」

「そうだよね。だからこんな手も良いわよね」

「どんな手よ」

「お見合い断る時の定番って決まってるわよね」

「何よ?」

「決まってるじゃない。『息子には心に決めた人がいまして。断りきれずに見合いをして、その後も言い出せないでおりましたがやっぱり思いを捨てることはできずに……』って」

「私は息子じゃないわ。あんたも母親じゃないけど」

「別に、娘でも良いわよって……緑!」

 慌てて振り向き、後ろにたつ生田緑(喜多見美亜の体)を見て驚くあいつ。

 俺はとっくに気づいてたけど言い出せなかったんだよね。

「いいから続けて」

 話を聞いてた女帝の無言の圧力に言葉をつまらせてしまっていた。正直こええよ。たぶんこのあと喜多見美亜あいつが言いだすことが想像がつくからなおさらに。

「……その、もちろん緑が良ければだけど、見合いを断るのに普通は嘘でもなんでもよいから、実は心に決めた人がとかって、相手が魅力がないとか、気に入らなかったとか言わずに穏便に済ますって聞いたことがあって……」

「まあ、そう言うのはいいけど、するとその心に決めた男を連れてこいってなるわよね。うちのおじいさんは確実にそう言うに違いないわ」

「そ……それは、まだ会わせるのは恥ずかしいとか、まだ早いとか言ってごまかしたら?」

「そんな言い訳が通る老人ではないわね。おじいさんは」

 うん。心の中で深く首肯して同意する俺。あのじいさんを口先だけで説得なんて、少なくとも俺にはできない芸当だ。たぶん高田純次でも誤魔化すのが無理なくらい頑固者だぞあのじいさん。

「ええ……もちろんそうだろうかなって考えていたわ……だから」

「だから?」

「実際にその男が現れれば良いんじゃないかなって……」

「男? そんなのがどこにいるのよ?」

 確かに俺も思い浮かばないな、女帝——生田緑の横にたつのにふさわしい男。

 散々やっている合コンの相手の中には、随分といろんな奴がいたけれど、あの渋沢家のイケメン御曹司と比べるまでもなく、生田緑と付き合っているって言ってリアリティがある男なんて……、

「私よ!」


「「はあ!」」


 俺と女帝は顔を見合わせて驚きの声をあげると、


「私が——向ヶ丘勇——緑の思いびとになるのよ!」


 喜多見美亜あいつはそんなとんでもないことをあっさりと言いのけたのであった。

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