第92話 俺、今、女子作戦遂行中
さて、女帝——生田緑の見合い相手のイケメンをドン引きさせるぞ! と一気果敢に突入したコミケ会場であったが……。
——うん。
どうにも。
……。
結果は、だいぶ想定と違うものになってしまっていた。
渋沢家御曹司は、今日はコミケ二日目なので十八歳以上男性向けが多い日ではないが、それでも結構散見されるあきらかにエロ系と思える同人誌の前を通ってもまるで動じず、
「……表現の自由は守られるべきなんですよね」
「はい?」
俺=生田緑に話しかけるのであった。
「こういうのを規制しろっていう政治家とかいるでしょ」
「……はい?」
なんだか随分と真面目な顔になった御曹司だった。周りは、そんなシリアス顔のイケメンに似合わない肌色成分多めの区画だけど。真面目に語る人を茶化すようなことは俺にはできない。ただじっと、彼の言う話を聞くのだが、
「そういう人って感覚でしか判断できなくて、頭悪いんだと思います」
「?」
何やら不穏な発言であった。
御曹司はその不穏当な発言をさらに続ける。
「もしくは過去から学べないのか……それも頭が悪いの一種ですよね。表現の自由の規制される意味をわかっていない」
頭が悪い? 政治家が?
「もちろん表現の自由で何もかもが許されるわけじゃないですよ。自由の結果は裁かれるべきです。ならばその表現は世に出すことはできないでしょう。そういう意味ではできない表現はあります」
ん? 結局規制されるの?
「でも表現の自由が規制されている訳ではないのです。表現が自由なことと、人としてやってはいけないことは別に考えないといけないんです。すべての表現、思想の自由は、少なくとも可能性として非現実……あ非実在とかいうんでしたかねこの頃……であるうちは規制はされるべきではありません」
つまり表現の可能性は規制すべきではない? それが世に出てくるのは規制すべき?
「表現の自由があるならば人を殺す自由がなぜないかと言った少年の話を聞いたことがありますが、それは表現の自由というものを取り違えてますね。今、チャイルドポルノの製作はもちろん所持とか重罰を受けますが、これも表現の自由を規制しているとは僕は思いません。表現の自由ではなく、殺人や、チャイルドポルノが取り締まれているんです。いくら表現の自由を擁護する人でも、それに異議を唱える人は極少数でしょう。その表現の結果はあってはならないものだからです。じゃあ……」
御曹司はちらりとエロ系同人のブースを眺めながら言う。
「こういうのが……規制されるべきかですが。答えは
「……はい」
俺は、理屈はわからないものの、俺もそう思うのでかすかに頷く。
「もちろん万人がこういう同人誌のようなものを支持するわけではないと思います。こう言うのが嫌いな人も、許せない人もいるでしょう。人それぞれの好きずきもあれば、各自が自分自身の人生で築いてきた価値観もあるでしょう。そんなちょっとした理屈もない好みや選択の積み重ねが『自分』というものであれば、それ無下に否定することはその人そのものを否定することになってしまいます……」
御曹司は俺に向かってニッコリと笑いながら、でも強いを決意を目の光の中に宿しながら言った。
「人が——自分も含めて——なにか偏見をもって生きるのを完全に無くすこともできないでしょう。でも、僕は、少なくとも、偏見で人をさばくような者にはなりたくないのです。そんなことをしたらかつての思想を取り締まった暗黒の政治の再来です。僕はそんな日本にはしたくない。そんな日本とはならないような
俺と御曹司は、高校生の俺=生田緑がいるのだから、もちろんアダルトなのには立ち寄らない。だが、エロじゃなければ不穏でないということではない。
俺は、コミケが始まる前に下調べをしておいた、見合いを破談させるべく、なるべくパンピーがドン引きしそうなブースを選んで周り、そこにいる同士と様々な会話をしていった。
「へへ、この重力からまるで自由な胸の曲線……それでいて圧倒的なリアリティ! 絵師は相当の手だれですね」
「ぐふふ。お客さん。よくお分かりで、重力なんてのはこの世界の理屈で、我々の作る世界はそんなものには縛られていないのですよ」
春アニメのキャラを次から次へと、ひたすら巨乳化させている、ある意味わかりやすいコンセプトの同人誌を手に、俺は万有乳力について語り合う。
リンゴが落ちたのを見て引き合う力を発見したニュートン。彼のその理論は、当時、科学ではなく魔術の復活という批判もあったそうである。引力という謎の遠隔力を仮定する。それは事実を実験で積み重ねていく近代科学からすれば、乗り越えたはずの魔法を再び取り込もうとしたように見えたという。
まあ実際、ニュートンは錬金術なども研究していて、最後の魔術師といった風情の人でもあったらしいが……問題はそこではなくてリンゴがおちて引力が発見されるなら、乳が揺れて乳力も発見されるのではないかということだ。
重力を超えた力。世の中の根本にあるという四つの力、電磁力、強い力、弱い力、重力の統合がそこでなされる。少なくとも同人誌の中でなら!
……とかとか、バカな話をしながらそのブースを離れると、今度はヴォーカロイドのCDを売っているブースへ。
「おお、これは……確か”恋のパリティエラー”」
視聴しながら、百合ちゃんの事件でおかしくなっていたクラスの雰囲気を変えるために多摩川の河原でやった踊って見たのイベントの時に、
「プロデューサーさんでしたか——!」
なんか感動して目の前の人と握手する俺。
この曲好きなんだよね。他にも、
「新曲の、”愛のクラッシュダンプ”も最高ですね!」
というと、そのリミックス版だとか言う限定のCDを出してくれてサインももらってとっても良い気分。
次に行くぞと、歩いていたら目についたビルマニアの人の作っている、高層ビルの擬人化恋愛マンガを絶賛していたら、横のブースの橋マニアの擬人化本も勧められたり、アラブの石油王や自宅警備隊の人たちが颯爽と通り過ぎてるのについて行ったらいつのまにかコスプレエリアにいて、カメコの群の向こうから人気レイヤーがポーズをとるのを眺めたり。
また会場に戻って、今回の斎藤フラメンコの同人誌のライバルになりそうな艦娘ものブースの状況を見たり、フィギュアやバッジなどの物販系も物色したり……。
あれ? 気づけば俺、ただ単にコミケを楽しんでいるだけじゃないの?
夢中になってあちこちを見て、没頭して。
——そういえば、御曹司は?
「……!」
横でニコニコと笑いながら、近くの中年のコミケ参加者と話しているイケメン。
彼は、多分オタク文化をほとんど知らないし、今日まで興味もなかったかと思うし、これからもはまることもないと思うが、——そんな自分を隠さずに、そして自分が興味がもてないことでも相手を尊敬して話しているのがわかるその姿。
それは、未来の施政者に見えた。もし、この人が本当に政治家になったなら、俺はこの人に投票するね。と思った。
自分の、ためにでなく民のために動く政治家。そう言う人がいるのならこの人だと俺は思ったのだった。
いやもちろん、オタクに好意的に接してるくらいで、コロッと騙されている。俺が、そんな風にチョロいだけだかもしれない。
でも、……違うな。
——俺は確信を持ってそう思った。
この人は、何事も一生懸命で、そして自分も偏見を持つ弱い人間だと知っていてそこを直視するからこそ、
「うん。コミケの歴史にすごく詳しいおじさんでした。そしてこのイベントの意義も、意味も随分と聞かせてもらいました。正直僕がこう言う文化を今後もしっかり、本当の意味で理解することは難しかもしれないけれど、……人々のこのエネルギーと創造性。この文化を失ってはいけないと思いました」
誰をも惹きつけるのだった。
ああ、正直、俺もこの人の惹かれてしまっていた。
*
おっと、惹かれているといっても、恋とか肉欲的なもののことじゃないからね。念の為。人としてすごいなと感心して、その魅力に素直に感心してたんだからね。
——勘違いしないようにな!
と、何回もこれ言ってるとかえってそっちの気を必死に隠していると疑われるかもしれないから、もうやめるけど……。
気づけば、コミケもいつまにか終了時間が迫る頃。
俺=生田緑のコミケ巡回にもまるで引くこともないどころか、むしろ楽しそうにずっとついてきていた御曹司を撃退する最後のチャンスと連れてきたのは、
午前の早いうちにさっさと完売となった斎藤フラメンコのブースであるが、俺が最後にイケメン連れてくるから撃退してと頼んでおいたので、終了間際の撤収のためもあって全員が勢ぞろいである。
黙っていれば色っぽい女子大生に見える代々木さん。こちらも黙っていれば爽やかスポーツお姉さんに見える赤坂さん。そして、黙っていたらそこにいるのも忘れてしまいそうなほど、相変わらず存在感がなく、毒にも薬にもならなさそうに見える下北沢花奈。
色物の集うコミケ会場においてかなりまともそうに見える(人から見えることがない)面々であった。しかし、仮にも壁サークルにまでなりあがった彼女らのオタク魂をなめてはいけない。
「へえ、あなたが緑さんに懸想しているお坊ちゃんかしら」
「一見良い人そうに見えるけど……あたしらの目はごまかせるかしら……」
「イケメン……リア充……アブナイ……コロス……ギギギ……」
最後の、お前の方が危ないだろうと女子高生天才マンガ家をため息ながらに見つめる俺であったが、なるほど味方にしたら不安だが敵にしたら逃げたくなるような三人が一斉に早口で、時々高笑いしながら話し始める姿を見て、これならイケる!
俺ができなかった、おぼっちゃん撃退をこの人たちならやってくれるだろうと、俺は確信するのだった。
が……。
「緑さん……ここは早まらない方が良いよ。この人ふったらもったいないよ」
「そうだよ。少なくともキープしといたら。別に今すぐ結婚するわけじゃないんでしょ。まずはもうちょっと付き合って見てから……」
「ギギギ……ヒトノナクキモチガワカッタ、ボクハナクコトハデキナイケレド……」
慣れないイケメンリア充対応でバグったか、なぜかサムズアップしながら意味不明のことを言う天才マンガ家はおいといて、——あっさりと御曹司にころっといってしまった残りのお姉様方二人であった。
うん、最初は敵対心丸出しのお姉様方の話を、なんだかわからずにキョトンとしていた御曹司だったが、話を真摯にきいて、本気で対応していくうちに、どんどんと軟化する相手の二人。最後には、学生生活の悩み相談などもしながら、十年来の友達のような雰囲気になって、目もなんだかとローンとした感じになってきて、下手したらこのままこのイケメンに惚れてしまうのではとさえ思えたお姉さまがたであった。
しかし、そろそろブースの片付けを本気でしないといけない時間になって作業を始めるので中断した会話。その時、後ろでじっと見つめていた俺=生田緑の視線に気づき、慌てて取り繕うように、小声で言う斎藤フラメンコの面々であった。
「……緑さんの良縁に割り込もうとなんて思ってないから」
「ほんと、——でも緑さんの縁談の話を聞いてなかったら少しヤバかったかも」
「ギギギ……ダイサンジセカイタイセンダ……」
まあ、最後のバグったステルス女子はおいといて、やっぱそうだよな。と俺は自分の思いが間違ってなかったことを確信するのだった。
この御曹司との縁談の話って、終わらせるにはもったいないんじゃないか?
俺が思ったことを、やっぱり、他の人も思うのを見て、俺は改めてまた確信するのであった。
もちろん、このまま生田緑として生きて、このイケメンと結婚するとかいう人生を俺がおくるのはよしてほしいいのだが、生田緑——女帝をもう一度説得して……。
俺は、今日のコミケでの御曹司撃退失敗を、悔やむどころか、むしろホッとしたくらいに思いながら、どうすればこの良縁を女帝に認識させられるかとかの方をもう考え始めていたのだっが、
「でも、私は緑の気持ちわかるな」
俺の後ろで小声で呟く
そこにいたのは、いろいろ考えて葛藤しているらしき、なんとも難しげな顔をした魔法少女(の女装コスプレ)であった。
それはなんとも、格好と表情が不釣合いで間抜けな感じさえ漂わせていたが……。
ああ、これ茶化せない奴だな。
俺は、そう思って言いかけた軽口をぐっと喉の奥に飲み込むのであった。
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