第86話 俺、今、女子打ち合わせ中

 俺は、今、下北沢花奈しもきたざわはなと会っていた。前の前に入れ替わった、学校や街では全く目立たないステルス女子。しかしその正体は、最近業界でもっとも注目されていると言っても過言ではない同人マンガ家であった。

 普段は、なんとも地味で特徴なく人との付き合いも最小限。かと言って、俺みたいに、孤高を貫いて悪目立ちするようなこともなく、いつでもどこでもさっと背景に溶け込んで、いるかいないかもわからないくらいになる。それはもはや神業級。

 そんな彼女が同人会では、今、もっとも将来を嘱望される若手作家として……。

 ——とんでもなく目立っている!

 そして俺が入れ替わった時のあれやこれの事件を通して彼女なりに一皮むけた今、自分の才能を自覚して真の大物として生まれ変わった! そのニュー花奈が俺の目の前にいて、

「……僕はいったい何を……」

「つまりあんたは緑のままでコミケに参加するということなのね」

「そうだ」

 喜多見美亜あいつに話に割り込まれる。

「……ぼ」

「それをあのオボッチャマに見せる」

「そのとおり」

「……僕」

「実は生田家の令嬢はガチオタだった! というので関係を破談に持ち込もうってこと?」

 俺は重々しく首肯する。

「無論だ。ここぞとばかりにドン引きさせてやるよ。俺のキモく猛々たけだけしい全力を見せてやるよ」

「……僕は」

「まあ、あんたが全力出したらキモくて近寄れないレベルなのはその通りだけど……いいの?」

「いいのって何がだ」

 何も問題はない。

「……僕は」

「緑がキモオタだって思われるってことでしょ? 相手の人、聞いた限りでは簡単に言いふらしたりはしなさそうな人となりだし、狩りに友達とかに喋ったにしても、そんなハイソな人と私たちの友達とかなかなかつながらないかと思うけど——嫌じゃないの?」

 ああ、そんなことか。

「女帝にはもうこの作戦は話したよ。でも即決だった。『問題ない。何でもいいから早く渋川さんを断って』ってね」

 もちろん、根回し済みだ。

「……僕はいったい」

「でも、知らない人たちにだって自分がキモオタって思われるのはいやじゃないの?」

「やっぱ、お前は甘いな。あの女帝に比べると甘々だ。女帝は言ったよ」

 それは、

「……いったい」

「何をよ」

「こうだよ。『私は生田緑。それはどんな行動をとっても、世界がどんなに変わっても私は私。生田緑よ。たかだか下賤な趣味を持つと誤解されるくらいでゆらぐものではないわ』と」

 すごい迫力でね。なんか、俺は怒られているみたいでちょとビビったのは秘密だ。

「……僕はなにを」

「——それかっこいいい」

「ともかく、キモオタに思われてでも何でも良いからさっさと相手に断らせろって」

「……」

「でもそんな面倒くさいことしないで自分から断るのではダメなの? 気が変わったとか言えばいいんじゃない?」

「ダメみたいだ。一度付き合うのを承諾したのに合わないうちから断るのはおかしいだろ」

「……あの」

「じゃあそうしたらいいじゃない。少し付き合って『性格の不一致』とか言えば良いじゃない」

「ダメみたいだ。断るにも理由がいるけど、だって相手は完璧超人だ。断る理由がない。断れないのならば、会えば会うほどどんどん相手を受け入れていることになる——逃げれなくなる。ならば、なるべく早く断らせないと行けない。だそうだ」

「……」

「ううん。……そういうことね」

「そういうことだ」

「……あの」

「……なるほど大変ね」

「……そうだ」

「……あの……あの」

「……でも、こまったわね」

「……ああ、こまった」

「……あの」

「……ううん」

「……んん」

「……あの」

 考え込む喜多見美亜あいつと俺。

「……」

「……」

「……あの」

 考えこんでも答えは一つ。

「……」

「……」

「……あの」

 まずはできる限り早く、やれることをするしかない。

 キモオタ作戦でもなんでもやって!

「……!」

「……!」 

「……?」

 ん?

「……?」

「……?」

「……?」

 なんか視線を感じるような?

「……?」

「……?」

「……?」

 一斉に振り向く、喜多見美亜あいつと俺。

 あっ!

「……!」

「……!」 

「……あの、僕は……」

 俺は、あいつとの会話に夢中になっているうちに、すっかり横にいるのを忘れていた大物同人作家の存在を思い出す。


「あの、僕は、コミケで、君たちのために何をすればよいのかな」


一皮向けても、ほんと目立たないなこの子。


   *


 ほんと、びっくりする程の存在感のなさだ。

 下北沢花奈。

 直前までその存在を意識していても、ふと気づくと背景に溶けこんでしまう。

 世が世なら不世出の女忍者として戦国の闇を駆け抜けたのではと思うような特殊能力だ。

 彼女は隠れているのではない。目の前にいる。それはわかっているのに脳が彼女の存在を認識できない。この子からなら、死んだのに気づかないまま殺される自信があるな。

「でも、僕が向ヶ丘くんを殺す? 何のために? そんなことありえないよ」

 いやいや、もちろん、もののたとえというか、言葉のあやというか、下北沢花奈の存在感のなさを表現するのに言っただけだが、

「向ヶ丘くんは僕ら斎藤フラメンコの恩人なんだから、どんなことがあっても殺すなんてすることないよ。まあ向ヶ丘くんのために殺すことならあるかもしれないけど」

 おいおい、冗談にしても物騒なこと言うなよ……まあ俺が言い出したたとえだが。

 まあ、あんまりよいたとえではないので、殺すどうこうの話は一旦やめにするか。

 そんなの平凡な一般人であると俺らには一生縁がな話だし……。

 と思いきや、

「そうだね。まあ切ったはったはゲームの中だけにしておくよ」

 この下北沢花奈の言葉が文字通りの死亡フラグであるとは知るよしもなし。


 ……ともかく。


 まあ、殺すだなんだと不穏な話は置いといて、——話を元に戻して、斎藤フラメンコである。

 それは、下北沢花奈のペンネームであると言っても大きく間違いではないのだが、もし彼女にそんなことを言ったら烈火のごとく怒りだすだろう。いや、劣化のごとく怒りだしても感情があまり表に出ないので、外見からはちょっとわかりにくいかもしれないが、下北沢花奈の中にいた俺は断言できる。

 斎藤フラメンコは、下北沢花奈だけでなく、代々木公子よよぎきみこ赤坂律あかさかりつの二人のお姉様との共同ペンネーム。三人そろってこその斎藤フラメンコなんだと。

 一度は崩壊しかけた斎藤フラメンコが結束を取り戻すまでのあれやこれ。俺が入れ替わったあいだの様々な事件。

 今は、そんなことを語っている時間はないけれど、生まれ変わった下北沢花奈同様に、崩壊の危機、困難に鍛えられて結束も強く生まれ変わった斎藤フラメンコ、その初お披露目の場が今回の夏コミなのであった。

 そこで、

「……まあ、僕は何もしなくて良いのはわかったよ」

「何もしないというか斎藤フラメンコとして全力を尽くしていてほしい。その横で俺はある男を撃退する」

「イケメンの完璧超人だね。わかったよ。女の敵だね」

 まあ、悪い人では絶対ないのだが、

「そうだ」

 女(生田緑)にとっては今最大の敵だ。

「まかせといてよ。そう言うの得意だよ。つまり僕の本性を見せれば良いっていうことでしょ……ひひひ」

「さすが先生わかっていらっしゃる……ぐふふ」

「越後屋おまえもな……存分にいつものキモさを発揮するといいよ。ひっひっひっ」

「ぐへへへへへ」

「ひゅひゅひゅ」

「へへへへへ」

「っひゅゅゅゅゅゅゅゅ」

「……」

「はは」

「ははははは」

「ははははははは」

「はははははははははは」

「ははははははははははははははははは」

「……」


「「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」


「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」


 喜多見美亜あいつばかりか、周りのメイドさんたちもかなり引き気味のテンションでもりがる、下北沢花奈と俺。ここは秋葉原。自分のホームグラウンドならやっぱり気持ちもドンとおおきくなるってもんだ。

 この調子なら——・

 同じように、コミケでなら、……あんたには負けないよおぼっちゃま。

 俺はそう思いながら、少しビビりながら俺らのテーブルにやってきたメイドさんに頼むオムライスの文字に、『打倒イケメン!』と書いてもらいながら週末のコミケでの大勝利を確信するのであった。

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