第85話 俺、今、女子反省中

 俺が生田緑として見合いしたイケメンと、その後も会ってみることにしたら、予想外に激昂した二人。

 当事者じゃない喜多見美亜あいつにまで、結構な勢いで罵倒された。

 そりゃあの見合いは、軽い気持ちで適当な返事なんかしちゃいけないものであったのを知らなかった俺も悪かったが……。

 でも、なぜお前がなんでそんな怒るのか?

 と思いながら、正座してじっと下を向き護岸のコンクリートを見つめている俺であったが、

「乙女の夢を踏みにじって!」

 とのことであった。

 素敵な理想の男性と出会って恋愛して結婚して子供を育てて孫を見守りながら静かにこの世から去っていく。そんな趣旨のことをあいつに一気にまくし立てられた。

「そうよね緑!」

「え……」

 若干、生田緑の方はあまりに典型的な夢を語られて戸惑っている模様だが、

「そうよね!」

「……うん」

 勢いにおされて首肯する。

 生田緑は親に負わされた宿命にあらがうつもりはあっても小市民的調和に満足する気はなさそうな感じであるが、とてもそんなことを喜多見美亜あいつに指摘する軽口を叩くような雰囲気ではなく、

「とにかく、起きてしまったことは仕方ないけど……」

 すぐに気を取り直した女帝は、どの体にいても厳しい眼光で、まるで死刑宣告の言葉ででもあるかのように重々しく冷たい口調で俺に言う。

「責任はとってもらうわ」


 責任をとる。男がそういうふうに言われて普通に連想するのは結婚するということであるが、ここで言われたのもまさにそれだ。

 ——俺は結婚して責任をとれというのだった。

 あのイケメンと。

 つまり、俺が生田緑の体のなかにそのままでいて、生田家の跡取りとしてあのお坊ちゃんと結婚するということ。このままの状況ならば、生田緑は自分の体に戻る気はないということだった。

「私がこのままずっと美亜の体の中にいるのは悪いので……なんとか入れ替わってあげたいと思うけど、すると向ヶ丘くんの体に入らなきゃならないってことね」

 とはいえ、そのことが自分にもたらす未来に関しては少々難有りと思わないでもないようだったが、

「まあ、しょうがないか……どうせ他人の生涯だと割りきって自堕落でろくでもない人生歩ませてやろうかしら」

 酷薄な笑みを浮かべる女帝に、俺は背筋がさっと寒くなるのを感じる。

 自分が向ヶ丘勇、自分をこんな境遇にした男自身になったのなら、懲罰が自らに振りかかるのなんて構わずに俺を貶めてやろう。むしろ、かたき自身になって、自由自在に貶めることができる絶好の機会を得られた、——ということを彼女は考えている?

 しかし、

「でも、こいつはもともと自堕落でろくでもない人生となる予定の男だったのだから、緑みたいなきちんとした人がやる自堕落なんかじゃ、むしろ人生の改善になってしまうかもよ」

 喜多見美亜あいつの言葉に、

「あっ」

 それもそうかなと言う顔の女帝。

 確かに、あんな修行僧みたいな生活させられている彼女の言う自堕落なんて、俺の基準からすれば、むしろ規律正しい生活になるのかもしれない。

 このしっかりした女子が思いつきそうな自堕落……朝寝坊したら仮病で学校休むとか、食っちゃ寝でブクブク太るとか、テストは一夜漬けしかしないとか、人とづきあいは最小にして周りの評判など気にしないでやりたいように行動するとか……それが俺への懲罰なのだとすると、俺は体が入れ替わる前、もともと罰を受けていたことになるのだが、

「だから、緑だめよ。こいつにはちょっとやそっとじゃ罰にならない」

「確かに……単にダメ男になるのが罰にならないのなら、裸で街中走り回るとか、幼女に声かけ事案を連発するとか警察につかまってニュースになるくらいまで行かないとだめかもしれないけど……それが自分のことになるのかと思うと躊躇するわ」

 さすがにそこまではということらしい。

 でも、

「なら、もっとよいことがあるわよ」

 喜多見美亜あいつがニヤリと口元を綻ばせながら言う。

「何?」

 それは、


「ハードディスク」


「……!」


「わかってるわね?」


もちろんですイグザクトリイ!」


 俺は、土下座からさっと立ち上がると、直立不動で、そうこたえるのであった。


   *


 ハードディスク。

 魔法の言葉。

 それを言われると、俺は喜多見美亜あいつに何でも従わざるをえない状態となる。

 最初、喜多見美亜あいつと入れ替わってしまった時のことだ。

 学校の廊下でぶつかって入れ替わって、そのまま戻る気配もなく、とりあえずしょうがないのでそれぞれの家に帰ったその日の夜。

 この後いったいどうしたらよいのだろうと、ただぼんやりと無為に過ごした俺とは違い、あいつは俺のパソコンのハードディスクをまるごとコピーするという暴挙に出ていたのだった。あと、スマホにも場所サーチサービスを入れてから俺に返してたな。

 ともかく、まだ俺の人となりも知らない時、どんな奴と入れ替わったのかもわからない。そんな不確定な状態で、相手との関係を少しでも有利にしようと、俺の急所を的確に喜多見美亜あいつは掴んだのだった。

 その後、喜多見美亜あいつは、ことあるごとにハードディスクの件で俺を脅す。

 中身を見てよいのか?

 いっそのことネットに中身を流出させちゃおうか?

 とか言ってくるのだ。


 ——ひどくね?


 もちろんやましいところのないハードディスクなどいくら見られてもかまわない。

 ——というわけにもいかないわけはない。

 わけないでもないかもなというか……。

 ——許してください!

 な俺は、いざという時に伝家の宝刀の如く抜かれる言葉の刃にいつもずたずたにされてしまうのだったが、

「今回は……生田さんですか。すごい人と入れ替わってしまいましたね」

 二人と朝の多摩川で別れ、一度生田家に戻ったあとに、もう一度出かけた昼時、そんな傷ついた心を癒やす女神、麻生百合あそうゆりちゃんに、俺は今あっているところだった。

 場所はいつも喜多見美亜あいつとあっている山の上の神社の境内。

 体の入れ替わりが起きた当初、リア充のトップグループの喜多見美亜とオタクボッチの向ヶ丘勇がふたりきりであっているのはおかしかろうと、学校の連中がまずここには来ない場所として見つけた急坂の上のこじんまりとした神社。絶好の隠れ家であった。

 今となっては、喜多見美亜あいつが中に入っている向ヶ丘勇は、いつの間にか垢抜けて、生田緑や和泉珠琴なんかのリア充グループとも交流が出始めて、もうなんかクラスの連中も俺とあいつ(中身は逆だが)が一緒にいてもそんな不思議に思わなくなってきているかもしれないので、簡単な相談ならわざわざここまでこないことも多くなったが……。

 でも麻生百合と生田緑が一緒にいると何が起きているのだとクラスの連中の余計な詮索を呼びそう。だから今日は百合ちゃんの家から少し遠いけど、ここまでわざわざ来てもらったのだった。

 百合ちゃんも、朝連絡したら、今日なら大丈夫とのことであった。お母さんがだいぶ前に亡くなってしまっている麻生家で、母親がわりに家事を取り仕切っている百合ちゃんであったが、弟の柿生くんとお父さんが学校の用事とかででかけているので、食事の用意は夜だけで良いから、昼は結構時間があるとのことだった。

 ならば、これからどうしようと途方にくれていた俺は、彼女の善意に甘えて、今の自分の身の上と今日の失敗について相談するためこの場所まで来てもらうことにしたのだった。

 夏の神社の境内。鎮守の森の木陰で、真夏の太陽に照らされながら坂を登り汗だくになってしまった体を心地よい涼しい風に吹かれながら乾かしていると……。

 同じように汗だくになりながらも、不快な様子などお首にも出さずに、天使のような笑顔であらわれたのは本物の天使。

 麻生百合。

 俺が二番目に入れ替わった、ある事件のせいで、クラスでいないものアンタッチャブル扱いとなっていた少女であった。

 今思い出しても腹が立つ。沙月というクソ女にはめられて、無実の罪で中学時代にのけものとなった百合ちゃん。そのまま高校に入っても、誰とも話すこともなく、石ころのように無視されて、クラスの中で孤立していた美少女。

 俺は、別の中学出身だったし、クラスの連中ともろくに話さない孤高の存在であったので、そんな百合ちゃんの事情などつゆ知らず、喜多見美亜あいつと入れかわったのをこれ幸いと、女同士のウフフキャハハの仲良い関係を構築しようとしたのだが……。

 まあ、紆余曲折、いろいろあって、なんか完全にすっきりとはしない中途半端な状態ではあるものの、落ち着くところにおちついている今。百合ちゃんは、相変わらず、俺が異性としてもっとも惹かれている素敵な女性なのであると同時に、一番の相談相手であるのだった。

「いや、ほんと、女帝その人もすごいと常々思っていたのだけれど、家庭環境もものすごいすごいものだったよ」

 俺は今日までの二、三日の出来事を一気に話す。

 すると、

「すごい……ですか」

 すごいにこめた様々な意味を理解してくれている模様で、俺の状況をおもんばかってく眉間に少しシワをよせて、そうこたえる百合ちゃんであった。その表情は俺を心配して優しく慈愛に富む、聖女か菩薩かというものであったが、

「大変な状態なので向ケ丘くんも動転しているとおもいますが……そんなすごいご家庭で見合いをさせられて、うっかり相手のかたとお付き合いをする返事をしてしまったと……」

「う……」

 あ、やっぱり見合いの話になると、百合ちゃんも随分と目が厳しくなっている。

 俺は、やっぱり、女子的にとんでもないことしでかしてしまったのだろうか?

 そう思うと、

「……う、うん」

 小声で返事をして、首肯したまま下を向く俺であった。

「なるほど」

 百合ちゃんは、穏やかではあるが厳しく芯の通った口調で言った。

「それは、やっぱり向ヶ丘くんの失敗だと思います。たとえ、生田さんによかれと思ってしたことでも」

「でも……」

 あのリア充二人にはわからなくても、百合ちゃんにはわかってほしい。そんな気持で抗弁しようとするが、

「人生を左右するような決断なのです」

 百合ちゃんはその言葉を言わせない。

「今は体が入れ替わっているとしても、向ケ丘くんの人生ではないんです。それが、もしかして後から見れば最良の選択だったとしても……人に選ばれた人生って、人生って言えるでしょうか?」


 しばしの沈黙の後、俺は首を横にふった。

 百合ちゃんの言う通り。

 俺は、人の人生の中に入って、その人の人生を消し去ろうとしていた。

 そもそも生田緑が必死になって取り戻そうとしてた——自分の人生。

 人に選ばれるのではなく、自分が選ぶ。

 それこそが人生セ・ラヴィ

 ロクでもなくても、失敗ばかりでも、俺も自分が自分であることを望む——人生!

 そうなのだ。

 生田緑が失いそうでっあった自分の人生。家の都合で、人を選択されて決まったレールの上を進むしかない人生。それをよしとしない、自分の人生は自分で決めてこその人生。

 その「人生」を俺は奪ってしまったのだった。

 正直、彼女だって、いくらごつい家と家での見合いであったにしても、女子高生が少し相手に興味がありそうな返事をしたことで結婚へまっしぐらだと思っていないだろう。

 実際、その場の雰囲気も、これで決定しろではなく、両家にとって良い出会いを求めてはいるが、まずはきっかけと言う感じだった。そう言うものであることは、今までなんどもそんな場面に遭遇した彼女ならわかっているだろう。

 それに、彼女は、良い男なら少し様子を見てキープしてみるかくらいのしたたかさもあるはずだ。俺が、相手の人となりや外見を話している時に、顔が興味深そうになるのを隠せなかった。もし自分が、その場にいたのなら、同じようにしていたかもしれない。女帝はそう思っているかもしれなかった。

 しかし、それは生田緑が決定することだ。

 俺が、彼女が必死になって取り戻そうとしてた自分の人生——それを奪うような行動をしてしまったから……あんなにも女帝は怒っていたのだった。


「……ありがとう。頭がスッキリした」

 俺の頭をスッキリさせてくれた百合ちゃんに俺は例を言う。

「いえ、向ケ丘くん、ちょと厳しい言い方になってごめんなさい」

 いやいや喜多見美亜あいつの罵倒に慣れている俺からしたら全然だ。

 俺は、相談に乗ってくれたお礼を言うと返ってきた、天使の笑みに送られながら、百合ちゃんとは別方向の道で山を降りる。

 実は、俺が今踊るべき生田緑の家は百合ちゃんの家と同じ方向なのだが……俺は今日、そっちにはこのまま戻らない。

 行くところがあるのだった。

 いや、行くことにしたのだった。

 ——ちょうど良い!

 俺はそう思った。

 朝、あの後、生田緑に命令された今回の一件の落とし所。

 あのイケメンとの付き合いを一旦破断させること。

 それを俺が成し遂げたなら、彼女は自分の体に戻っても良いと約束してくれた。

 ——どんな手を使っても。

 と彼女は言った。

 ならば——良い手がある。

 俺は、今日、元々会う約束をしていた、二つ前の入れ替わり相手、下北沢花奈しもきたざわはなとのコミケ参加の打ち合わせに向かって、最寄りのJR駅へ歩いて行くのであった。

 ああ、待ってろよイケメン。

 俺はお前の理想の女には……絶対ならない自身がある!

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