act.1襲来

  今日も毎度変わらない、学校のチャイムが鳴り響く。昼食の時間だと知らせていた。その音に合わせて、教室から学生たちが溢れるように流れ出ていく。購買や学食へと足を運んでいるのが大半だろう。


「あ~、腹減ったな」


 誰かが必ず口にするであろう台詞を彼、八神輝(やがみあきら)が呟いた。短く切りそろえた髪は刺々しい。遺伝によるものか。髪の色彩は深みのある緑がかった黒である。まるで針葉樹林のようだった。

 特徴的であるが、本人はさほど気にしている様子はなかった。注意深く見なければ黒に近い。そもそも指摘されることもほとんどないのである。

 あとは平々凡々。身長は百七十に届きそうなところ。最低限筋トレはしていて、その成果はようやく現れてきたようだ。成績は平均以下である。


「右に同じく」


 直ぐ様空腹に同意したのは輝の友人、中嶋柾(なかじままさき)である。輝と柾は小学校低学年の頃からの付き合いだった。幼馴染みというよりは腐れ縁という言葉のほうがしっくりくる。

 柾はモテるべく、頭を黄土色に近い茶色に脱色していて、ワックスでビシッと決めていた。一見、着崩した風体は不良っぽいが全くそんなことはなく、むしろビビりに近い。運動も成績も輝と良い勝負であり、ライバルと言ってもいい間柄である。 


 二人は揃って、学食へと赴いていた。周りとは逆に、特に慌てることもなく廊下を歩いていると、柾がさっきのことを持ち出す。眉をひそめて、呆れている感情が声にも混じっていた。


「お前さ、よりによって板先(いたせん)の授業で寝るなよ」

「気付いたら寝てたんだよ。いや、寝るつもりはもちろんなかったけど」

「バーカ。そこは耐えろ。耐え抜け。板先の恐ろしさをまだ分かっちゃいねぇな」

「いや今日で十分思い知ったよ。まさか寝てただけで英語プリント十枚はないよなぁ」


 輝は顔をしかめる。明日までの期限つきなんてやってられないといった風だ。しかし柾は、溜め息混じりで輝の前言を撤回させようとする。


「だからお前は分っちゃいない。それくらいまだまだ序の口だぞ。酷いときはどこから持ってきたのか、いやたぶん図書室だろうけど、英語で書かれた本を何十ぺージと訳せと言われたらしいぞ」

「うわ、それ本当かよ……」


 地獄。瞬時に輝の頭にはその二文字が浮かんだ。 彼は英語が一番苦手である。他の教科も苦手ではあるが。


 そのままたどり着いた食堂は既に賑わっていて座る場所を見付けるのは困難だった。


「まずったな」

「そだな」


 二人してどうしようか戸惑っていると、そんな呆然と佇む姿を呼ぶ声が響いた。


「輝、柾! こっちこっち!」


 高く澄んだ声。すぐに女子の声だと認識する。そして、二人を呼ぶような女子はそう数多くない。名前による呼称だとすると、もはや一人に限られた。


 もう一人の腐れ縁仲間。西城瑠璃(さいじょうるり)であった。見れば、既にテーブル席へと着いている。紫がかった黒い髪。セミロングと呼ばれる髪型を振りまくように、自分の存在を手振りで主張していた。

 女子であるとはいえ、成績、運動能力は腐れ縁仲間と良い勝負であった。


「遅いよ。二人とも」

「瑠璃ってばいつの間に」


 彼女は輝や柾とも同じクラスである。それはつまり授業の終わりも同じであり、なぜ一人だけ風の如くいるのか、輝の疑問は当然のものであった。


「もちろん、授業が終わって即来たに決まってるじゃない」


 それ以外に何がある?

 と、そのあとに続きそうだった。しかも、どこまで早いというのか。彼女は、既に会計を済ませたであろうラーメンを煤(すす)りながらだった。


「いやそれはそうだろうけど、いくら何でも速すぎだろ?」


 輝が詳細を求める。


「ショートカット使ったからね」

「は!? んなもんあんの! ずっりぃな、教えろよ」


 いち早く反応したのは柾だ。座ることもせずに、僅かに前のめりになりながら食いつく。しかし、瑠璃は手をヒラヒラさせ、拒絶の意思を伝える。


「ダメダメ。とっておきなんだから。教えられないわ」

「お前だけそんなんありかよ。せっけーな!!」


 柾は声を荒げて不平不満を口にする。その声に反応して、周りの視線を浴びることになってしまう。


「うるさいですよ? 恥ずかしいからやめてくれませんか?」

「ぐはっ。なんでいきなし敬語なんだよ。そんなに今の俺は距離を於きたかったか?」

「うん」


 即答で返す瑠璃。横では輝が苦笑いを浮かべていた。


「はぁ……輝。とりあえず昼飯買ってこうぜ」


 渋々引き下がる柾は輝を促す。


「おっけ。あ、瑠璃。ゆっくり食べるんだぞ」

「うん、もちろん」


 自分たちを待つように。そんな輝の危惧するところに、瑠璃はナルトをかじりながら承認した。




 実にありふれた日常の光景である。

 だが、まさかそれが、あっさり崩れ去ることになろうとは、この時誰も思わなかったのである。 

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