3:荒んだ町Ⅵ
「いいよ。払おう」
「……!」
私もエルムも払うつもりはない。こっちに非はないのだから。けど、エルムの反論を挫くタイミングで、パン屋の要求を呑んだのはアルだった。
「何だ。こっちの兄ちゃんは物分りがいいな」
思わぬところから了承を得たのはパン屋も同じだ。とはいえ、払ってくれるなら何でもいいのだろう。鬼のような形相は、ふっと霧散していた。
「いや、よくない。こっちが払う義理なんてないはずだ。そこんとこはきっちり……」
「いいから。俺が払うから抑えてくれ」
決して納得はしていないが、アルに強く制止されてしまう。
先程の金貨を渡したあと、アルは行こうと立ち去ることを促した。
「さっき、何で払ったんだ?」
場を離れると、一呼吸措く間もないくらいで、エルムがアルに追求する。一時は引っ込めた感情が、やはり出てきてしまったようだ。そして少なからず、私にも同じ気持ちがある。
「言ったろ。目立つ行為は控えてくれって。あれぐらいのことで、魔女姫に勘付かれるわけにはいかないんだ」
「じゃあもしかして、さっきの子供も?」
「もちろん。気付いてたよ」
てっきりアルは、スられたことに気付いていなかったと思っていた。まさかスられたことを分かっていて放置していたなんて。アルが持っていた金貨は、多分この世界だと貴重なお金だ。仮に少額だったとしても、盗られても構わないなんて思わない。アルの優先順位が、価値観が酷く逸している。それだけ魔女姫に気取られるわけにはいかないということなのか。いや、あるいはそれだけ魔女姫を討つことに……。
何処か儚げに笑みを浮かべるアル。スリに盗られるくらい、非がなくても弁償くらい。そう思ったのだろうか。
そこまでの考えに至ると同時に、私は思考を止めた。自分には関係ないはずだと言い聞かせる。
けど、それでも納得がいってないところが私とエルムとの違いのようだ。
「あれぐらい……か。金貨二枚も払ってやったことがあれぐらいなのかよ」
「エルム?」
少しだけ彼女の表情に影が刺さる。ただ納得がいかないにしては引っかかる物言いだった。
「今やその金貨を取り合って、争いが絶えないって言うのにさ」
「言いたいことは分かる。俺は無理矢理穏便に済ませただけだ。ベストな解決方法だとは思っていない。けど、いつも正しいことが正しいとは限らない。それは君も分かっているだろ?」
「……」
エルムは答えない。それは無言の肯定だった。
「気に食わないというなら、離脱してもらっても構わない。別に仲良く旅をすることが目的じゃないんだ」
「……ははっ、厳しいな」
遅れてエルムが口を開く。
「止めないよ。ただ、少しだけ頭を冷やしてくる。適当なところでまた合流するよ」
エルムはそう言って踵を返す。
「ここで一晩休んで明日発つ予定だ」
背中越しのエルムに、アルが声を張って伝える。エルムは了解とばかりに、右手をひらひらさせて応えた。
「いいの?」
「何がだい?」
ただ傍観に徹した私だが、ことの展開に意外だという思いがある。あのままエルムは合流しない可能性もあると思う。他に何も言わなくていいのかという意味で、アルに尋ねた。
「いや、その……。エルムだけど。あのままでいいのかって……」
「俺が見てるのは魔女姫だけだよ。それには君が必要ということだけだ。確かに気にならないと言えば嘘だが、エルムも何か思うところはあるだろう。十六で一人放浪してるなんてそうそうないからね。見た目は子供でも、自分の意思はちゃんと持ってる。このまま別れるというのなら、それも彼女がちゃんと考えた上での意思だよ」
アルはそう言うと穂を進める。私と違い、何でもないことのように落ち着いた様子だ。少しだけエルムの背中を見守る。とはいえ、何かできることもなく私はアルの後を辿った。
開けていた大通りの道から外れて、少し陰る小道へとアルは入り込む。仲間のところへ向かうと言ったが、こんなところにいるのかという疑念が起きる。
最初にいた通りは比較的マシなほうだった。家々の間を通り抜ける形だけど、そういった小道では、脇に
必ずと言っていいほど人が寝そべっていた。ボロボロの服を着て、そこに住んでいるのかと思われる人もいた。ツギハギだらけの布を頭から被っているので、ただ人がいるということしか分からない。そばを通る時、小さく「お願いします、お願いします」と零すおじいさんもいた。
「何かされることとかはないから安心していいよ」
「う、うん……」
俗に言うホームレスという奴だろうか。元の世界でも聞いてはいたものの、目にするのは初めてだった。
何となく足早になり、アルを追い掛ける。その折、仲間のところへ行くのではなかったのか。アルは途中差し掛かった小さなお店へと足を運んでしまう。
先に何かを買うためなのか。何を取り扱っているのか見ると、ガラス細工の店らしい。
綺麗に彩られた小物類が店内を明るくさせていた。アクセサリー類から、カップや小物入れ、鳥の置物などが木造の机で並んでいた。けど、人が全くいなくて寂しいものだった。客だけでなく店の人もいなかった。
入ってからようやく、私は何故この店に用があるのか尋ねた。
「何か買うの?」
「いや。別に」
アルはあっさりとしたものだ。そのうち、奥から店の人が出てくる。くたびれた作業衣を着て、頭にバンダナを巻いている。びっしりと髭を生やしたおじさんだった。
「いらっしゃい。何でもいいから買ってくれるとありがたいね」
そして、咥えた煙草をふぅぅと吹かす。客商売としてやる気があるとは思えない対応ではある。
「探し物をしている」
「……へぇ、何をお探しで?」
「ガラス靴」
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