3:荒んだ町Ⅴ
「な、何のつもりだよ!」
子供は吠えた。アルは取り出した金貨を子供に握らせたのだ。盗んだ相手にお金を渡そうとしている。アルの行動に私たちも戸惑ってしまう。
「それが欲しかったんだろ。あげるよ。さすがに全部は難しいけど」
「なっ! お前、何言って……」
子供が驚く。と同時に、エルムも口を挟んだ。
「そうだよ何でわざわざ。その金貨一枚があれば一月は暮らせるのに」
その金貨の価値を知っているエルムが、アルを叱責する。しかし、今のアルにはどこ吹く風だった。
「いいんだ。これで好きなものでも買うといい」
アルはしゃがんで子供に目線を合わせている。私からは、アルの丸まった背中しか見えない。どういう思いでそんなことを言ってるんだろう。私には分からなかった。表情が見えないことも相まって、アルの心象は測れなかった。
「こんなもん!」
対して、アルの表情が窺えただろう子供は、弾けたように声を荒げる。握らされた金貨を地面へと叩きつけたのだ。
「なんだお前。せっかく……」
「うるせぇ!」
子供の反抗的な態度をエルムが叱りつけるが、子供は怯むことなく吠え上げた。
「同情なんかすんじゃねぇよ。施しなんか受けねぇ! 俺は、俺は他の奴とは違うんだ!」
子供はそう叫んだあと、一心不乱に駆け出して行った。
「何だったんだ?」
エルムがそう零してしまうのも無理はない。私にもよく分からなかった。ただ一つ分かるのは、アルが良かれと思った行為は、あの子供にとっては良くなかったということだ。
「アル?」
「……何でもないよ。行こう」
何故金貨を無償で渡そうとしたのか。何故、あの子が去るのをじっと眺めていたのか。問いを投げる前に、アルには何でもないと言われてしまう。私にしては珍しく、追求することを憚られてしまった。
エルムも特に言及することはなく、少し有耶無耶になってしまったように思った。
「おい待てこらあ!」
そんな折、劈つんざくような怒声が響いた。見れば先程エルムが覗いていたパン屋だった。だだだっとひょろっとした男が駆けるのが見えた。商品のパンを抱えていたのを見ると、万引きしたようだ。それを、パン屋が必死に追い掛ける。
「おい」
「あぁ」
逃げた男は足が速かったようだ。パン屋も逃すまいと追い縋る。だが、屋台として展開するパン屋は一人しか店番がいない。誰もいなくなったのを良いことに他の人間が、ここぞとばかりにパンを盗んでいく。
「はいストップ」
多少食い荒らしながら、パン泥棒の二人は、持てるだけ持ち逃げする腹積もりだったらしい。エルムがパン泥棒の腕を掴んだ。
「な、なんだガキ」
「コソ泥にガキなんて言われる覚えはないよ。ちゃんと金払うんだろうな?」
「うるせー。店員がいないのに払うわけねぇだろ」
「邪魔すんな」
エルムは無下に振り払われてしまう。けど、それで大人しく引っ込む性格じゃないのは、もう何となく分かっていた。
少し頭に来たらしいエルムは、再びパンに手を伸ばす腕を掴むとねじり上げた。
「いで、でででっ……」
この小さい体の何処にそんなパワーがあるのか不思議だけど、泥棒の右腕を後ろに回して跪かせてしまう。そして、何処からか瞬時に出した銀色の鋏が、男の首元に添えられた。
「私これでもハンターやってっからさ。あんまり調子乗ってるとお縄についてもらうよ」
「ぐっ……」
かなわないと思ったのか。泥棒二人はそれ以上の悪行を中断させて、そそくさと逃げていった。持ち逃げするのは諦めたようだが、屋台の売り場としては、ぐちゃぐちゃに荒らされた後だ。とても商売ができる状態じゃない。
そんな光景を目にしていると、パン屋が戻って来た。一人だけ。ということは、万引きにはまんまと逃げられたようだ。苦渋に満ちた顔からも、その結果はうかがえる。だが戻ってきたところで、パン屋にとっては一難去ってまた一難である。
「あ、な、これは……」
当然ながら驚いていた。少し目を離した隙に食い散らかされたような状態なのだ。
「お前らか。こんなにしたのは」
「は? 違うし。これはさっき二人組が盗もうとしてたから、それを止めたんだし」
「そんなの信じられるか。弁償しろ」
「はあ?」
現場を見ていないのも分かるが、まさか弁償を請求されるとは予想外だ。エルムは当たり前だが憤慨する。せっかく被害を抑えたのに、恩を仇で返された心境だろう。
「ふざけるなよ。何で私が弁償しなきゃいけないんだ。だいたい店を離れたあんたが悪いだろ?」
「盗もうとしたのか知らんが、目を離した隙にやった奴が悪いに決まっている。これじゃあ商売ができん。何としても払ってもらう」
あ、やばい。しばらく傍観してたけど、このままではエルムが爆発しそうだ。でも気持ちは分かる。どうせ説明しても信じてはもらえないし、逃げる選択肢でいいのでないかと思えた。
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