2:魔女姫の世界Ⅵ
エルムの素早い運きに対して、アルは冷静に立ち振る舞う。的確に躱し、着地した瞬間を狙う。が、エルムは腰を落としたままにアルの足を払った。
「くっ」
転倒とまではいかないが、隙が生じたのはアルのほうだ。エルムは流れるような体捌きで、アルに攻撃を仕掛ける。右、左、フェイントを入れて右。伸ばした蹴りは、自身より高いアルの顔面を狙う。ただ早いだけでなく、動きに無駄がない。アルも咄嗟に顔を引いて躱すものの、顎をかすめそうになる。
たまらず跳ぶように後退するアルに向かって、エルムは何かを投擲した。鋏である。折り畳まれた鋏は、ナイフのように、真っ直ぐに刃先を向ける。狙いは腹だ。一番当てやすい箇所を狙ったのだろう。アルも無理矢理に体を捻って鋏を避けるが、その隙に素早いエルムが空いた距離を再び詰める。
「くっ」
接近戦では分が悪い。そう判断したアルは、何とか距離を置こうとする。がしかし、エルムのスピードはさらに速くなる。多少手を抜いていたようだ。再び間を詰めた競り合いが行われる。フェイントを織り交ぜた蹴り技に、アルも対処が難しくなる。さらに撃ち抜く拳には、いつの間にか鋏を握っており、殺傷性も間合いも格段に上がっていた。
「さぁどうする?」
鋏の刃がアルの頬を掠める。追い詰められたアルが何を以って対応するのか。エルムは楽しみでならないと、その表情で訴える。事実、「一応魔法が使える」と口にしたアルが、どんな魔法を使うのか興味があると言い換えても良いと見えた。と言っても、私もアルがどんな魔法を使うのかいまいち分かっていない。
アルが腕を伸ばす。以前に見せたのと同じ、エルムはアルに迫る折、急に体を沈ませた。
「んっくっ、なるほど。そういう魔法ね」
「動けないだろ。降参したらどうだ?」
「まさか」
ニッと笑ってみせると、エルムは消え失せる。それが、途轍もないスピードによるものだと分かる頃には、エルムはアルの懐に潜っていた。
「っ……」
伸ばしていた腕より内に入られたのは痛手だ。アルは足を動かし、左手で牽制するも躱される。無防備となった右腕は既に絡み取られていた。掴まれた右腕を引っ張られ、エルムの何も持たない右手はアルの顔を掴む。そのままアルは地面へと叩き伏せられて上を取られた。
不意を突かれたアルの眼には、エルムの右手に握られた銀色の鋏が映る。真っ直ぐに突き立てるよう、刃先を向けた鋏という凶器だ。あとはもう、振り下ろせばそれば終いだろう。
「どう? これならあんたの魔法は意味を成さないよね?」
「あぁ。確かにそうだな」
絶対絶命の状態で、アルは僅かに苦笑いを浮かべた。言葉通り、アルの魔法ではこの状況を打破することは出来ないのか。
「待っ……」
何も抵抗出来ない様子のアル。たまらず私も制止の声を発するけど、とてもじゃないけど間に合わない。エルムは鋏を握る手に力を込める、今にも振り下ろすであろうその瞬間、何処からか、ぐぅぅぅと腹の虫が鳴った。
「あ、しまった。さ、最後の力が……」
優勢だったエルムは、その言葉を最後にぱたっと倒れてしまう。驚いたのは私だけでなく、アルも同様だった。
「え?」
と間の抜けた声を上げて顔を見合わせてしまう。助かったということなんだろうけど、どうすればいいのか。
私がそばに駆け寄ると、這い出たアルが気を失っているエルムを確認する。
「ど、どうしたの?」
「多分空腹過ぎて倒れたんだと思う」
「どうするの?」
私が尋ねると、アルは顔に手をやり「前途多難だ」と嘆く。多少思案した後、アルは渋々ながら決めたようだ。
「仕方ない」
そう言って、アルはエルムを肩に担ごうとする。その様子を見て、私は言葉を挟む。
「助けるの? さっき殺られそうになった相手なのに」
「確かに彩芽が言うのも一理あるけど。このままだとの垂れ死ぬかもしれないからね。俺はそこまで非情にはなりきれないよ」
優しい声色で、アルははっきりと答えた。まだ会って少ししか経ってないが、少しだけアルの人となりが分かった気がする。多分、私とは大違いだ。自分の損得て動く私とはまさに正反対で、多分だけど損をするタイプなんだと思えた。
「それに、多分あの人ならそうするはずだから」
付け加えるようにアルは呟いた。いったい誰のことだろう。気にはなったが、尋ねようとは思わなかった。私と違って、綺麗な人間のことを聞きたいとは思わない。聞こえるか聞こえないか。そんな声量だったこともあって、私は聞こえないフリをしてアルのあとをただ付いて行った。
アルは意外に力があるらしく、軽々とエルムを担いでしまう。アルは、凹凸のない平坦な草むらにてエルムを横たわらせた。
そしてすぐに、アルは腰に付けた、ポーチのような鞄を探る。ゴソゴソと取り出したのは銀紙に巻かれた何か棒状のようなもの。まさかカロリーメイトだろうか。
「それは?」
「携帯非常食だよ」
原料を色々言われたけどよく分からなかった。多分何かの肉だろう。ソーセージみたいなもんだと思うことにした。
空腹で倒れたというのなら何かを食べさせればいい。問題はどうやっていしきのない人間に食べさせるか。けどこの問題はあっさり解決しそうだ。
何せ、アルが取り出してわりとすぐに、エルムはすぐに飛び起きたのである。
「た、食べ物の匂い!」
敏感な嗅覚で起きたエルムは、反射的にアルの持つ非常食を奪い取りばくばくと食べ始めた。
一心不乱に食べ切ったエルムは、呆気に取られる私達にようやく気付いたのだろう。顔を赤くさせ、照れた様子で訊いてきた。
「あ、あの……おかわり。ある?」
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