1:この世界は面白くないⅩ

「ちょっと、そっちは……」


 私は危機を感じて訴える。わざわざ危険なほうへ近付くなんて馬鹿なことはしたくない。私の予見は当たっていたようで、兎と私の姿を確認した連中は、一斉に走り出す。


「来たな神條」


 その中に、首を九十度近く傾けながら迫る海野を見つける。もはや人間離れした風格に、私は一瞬恐怖に駆られてしまう。

しかし兎の手を振り払うことは叶わず、兎自身もただ平然と歩むだけだ。


「少し邪魔ですね」


 ぼそっと呟く。同じように腕を前に差し出すと、走り来る人たちは皆、どしゃとしゃがみ込んでしまう。


「ぐ、くぅ……」


 凄いと思った。人数なんか関係ない。一瞬で、腕の動きだけで複数の相手を掌握してしまっているのだ。だが、ただ一人だけ。兎の言う魔法から逃れる者がいた。海野である。


「ああ、くそ。お前がアルフレッドか」

「そういう貴方は何者です?」

「予測くらいついてるだろう? シャドウが一人、ゾニス・クレムトンだ」


 海野が、全く別の名前を名乗る。その瞬間、海野もふらっと倒れて崩れ落ちた。そこには、夢にも見た黒い影が現れる。影は少しずつ鮮明さを表す。黒い服を来た目つきの悪い男が映し出された。紫色の髪をオールバックにしている。右眼は普通に黒っぽいのに対し、片方の左眼だけが金色であるのも特徴的だ。服装も、腰に包帯のような布を何重も巻いていたりと、何処の国の文化の人なのか見当がつかない。まるでゲームキャラのようだ。


「あぁ、やっぱ自分の体がしっくり来るわな。他人の体は動きにくいったらありゃしなかったわ」


 ゾニスと名乗った男は、首を鳴らして伸びをする。よっぽど凝っていたのか、腕もぐるぐると動かす始末である。


「な、何なの。あいつ」

「ああ? ちゃんと名乗ったろうが。神條彩芽。だいたいお前がちょこまか逃げるから体があちこち痛ぇんだよ」


 男は私に視線を変える。その途端、何か言い様のないプレッシャーを感じた。不良の睨みなんか目じゃない圧倒的な重圧である。


「彩芽。安心して。俺がいるから」

「え?」


 一刻も早くこの場を立ち去りたい。あの男のいない所へ逃げ出したい。身体を震わせる私に、兎はこれまでにない優しい声色で語り掛ける。


「少し離れてて。でも、この場からは離れないで」


 相変わらず表情は見えない。それでも、無機質な兎の被り物の奥に、優しく微笑む表情が見えた気がした。私はと言えば、ついこくっと首肯して従ってしまう。現状の事態にまだついて行けてないのが大きな理由だけど、それでもこの兎を、敵ではないかもと思ってしまったからだ。



「やる気か?」

「それは貴方のほうでしょう」

「……まぁな。元々女を攫うなんて真似、俺に向いてねぇんだよ。アホみたいに戦うほうがまだ向いてる。それも、相手がうざってぇ国の狗……いや兎だって言うなら尚更ってとこだな」


 兎が腕を向ける。指を伸ばし、掌を僅かに開く。そのまま何か出てきそうな手付きだったが、そんな非現実的なことは起きないだろう。そう思った矢先、私の目の前で男が移動する。それこそ、何かを躱したような動きだった。


「お前の魔法は割れてるぜ。兎野郎」


 そのまま男は駆け抜ける。真っ直ぐに兎の元へと向かった。


「そうか。けど、俺の魔法を知ってる割には浅いな」

「何っ?」

「遅い」


 兎も駆ける。一瞬消えたように感じるほど兎の動きは常識を超えていた。ゾニスと名乗った男もまさか向かってくると思わなかったのか。もしくは私と同じように兎のスピードに虚を突かれたのか。驚愕した表情を浮かべる。


「ちっ」


 兎が拳を構える。勢いのまま腕を振るうが、その場からゾニスが飛び退く。上から振り下ろした拳は地に刺さる。大きな衝撃を生み、グラウンドの砂が飛び散る。ゾニスは腕を交差させて怯んだ。

 その隙に、兎はさらに距離を詰めた。


「んな細腕のくせしてパワー級か?」

「いや、ただの魔法だ」

「ったく、嫌味な野郎だ」


 今度はゾニスが仕掛ける。向かい来る兎に狙いを定める。足に力を込めて手は何やら光を発していた。


「何だ。それは」

「なぁに、ただの魔法だ」


 兎の問いに、ゾニスは皮肉っぽく返す。あの光は何だろう。私には到底理解出来るものではない。何かを掴むように、指を曲げるゾニスの手は、紫色の何かが存在していた。ゆらゆらと存在が危うい。だが、兎が間合いの内だと認めると、それは爆発的に膨れ上がる。


「獣は炎が苦手って言うが、テメェはどうだろうな。兎野郎」

「っ……」


 あれがまさか炎だと言うのか。いや、でも確か炎って色んな色に変わるんだっけ。確か紫色は、カリウムだっただろうか。

 兎の反応は確かに速い。即座に仕切り直そうと体を捻る。ゾニスが伸ばす腕を躱して見せるが、もう片方の腕に捕まってしまう。


「誰が遅いか、もういっぺん言ってみろ」


 紫の炎が大きく膨れ上がる。兎の体は炎に呑まれてしまう。一瞬で焼き尽くす豪炎だった。炎が止んだ後は、何も残っていない。残滓さえ存在しなかった。


「消し飛んだか……いやこいつは」

「だから言ったんだ。遅いって」

「なっ……」


 上から攻める兎。ゾニスは上空を見上げてその存在を認めるものの、対処するには間に合わない。加速する兎の攻撃。衝突した瞬間砂煙が起きると何も見えなくなってしまう。僅かな時間で視界が晴れると、倒れるゾニス。その横で見下ろす兎が私の眼に映っていた。

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