1:この世界は面白くないⅨ
「ハァ、ハァ」
階段を飛び降りて一気に加速する。どういう状況なのか全く分からないけど、何か良くない事が起こっているのは間違いない。突拍子も無い話だが、集団催眠に掛けられているとでも思ったほうがしっくり来る。
昇降口を曲がり、靴を最速で履き替える。顔を上げると、校門に人集りが出来ているのが見えた。
今は授業中の筈。それなのにこの光景は何だ。その中に、海野の姿も認められる。もしかしてあれ全部がそうなのだろうか。冗談じゃない。あんな中を抜けるなんて魔法でも使わないと無理だ。
見つかる前に何処からか抜け出そう。別のルートを見つけようと、私は外を迂回した。
だが出口は全部封鎖されていた。裏口も、中庭も、体育館裏も、フェンスを登れるようなところも。一体私が何をやったというのか。何故こんな事になっているのか意味が分からないけど、学校なんて碌なもんじゃないと、痛感出来る要素がまた増えたと思えばいい。
中庭の木陰に隠れて少し休む。状況も確認したいが、そんな暇はなさそうだ。
「プールのほうに行ってみようか」
この調子だと、何処も同じ気はする。とはいえ、もしかしたらの可能性はある。他にもう思い付かないし、其処に賭けるしかないと思った。
「……っ!?」
呼吸を整え、一気に駆け抜けようとタイミングを計る。飛び出た瞬間に見つかるなんて間抜けなことはしたくない。が、私は背後の気配に気付かなかった。
いきなり腕を取られ、声を上げないように手で口を覆われてしまう。
「んんぅ、んうぅ……」
「しーっ!」
やばい。そう思って暴れて抵抗を試みる。その時目にしたのは、夢に見た長い耳。忘れるはずもない兎の頭だった。
「んんっ……」
「落ち着いて。私は敵じゃありません」
声を絶対に出さないで。そう言って兎頭はゆっくりと私の口を覆った手を離す。突然の来訪者。夢に見た闖入者。私は戸惑い声を出す方法を一瞬忘れてしまう。その間に、兎はゆっくりと喋り出した。
「思っていたよりも派手なやり方で来たようですね。少々厄介です」
「……あ、あんた何者? あれは夢じゃなかったの?」
「ただの兎ですよ」
作り物の兎頭は当然無表情だ。けど、その中で笑っているのが分かる。
ただの兎?
そんな訳ないだろう。
「この状況、もしかしてあんたの仕業?」
「いいえ。私ではありません。ただ全く関係がないわけでもないですね」
「どういう事?」
私は緩んだ拘束から抜け出ると、兎と相対するように体を捻る。得体の知れない兎頭。とんでもない状況なだけに、こいつが味方の保証は何処にもない。むしろ怪しさから、こいつも敵ではないのかと体が警戒した。そんな私の目の前で、何と兎頭は礼儀正しく頭を下げる。手を前にして夢と同じ、優雅な身体運びだった。
「アリス、貴方を迎えに来ました」
「……!?」
そして兎は口にした。頭を下げながら、口元を決して見せず、穏やかな物言いではっきりと、夢と同じ言葉を口にしたのである。
「そ、それ夢でも言ってた……」
「ええ。夢でもお会いしましたからね」
夢に見た人間が再度現実にも現れたというのか。そんなこと信じられるわけがない。こいつもやはり得体が知れない。出方を見る私に、兎はふっと笑ったようだ。
「なるほど。私をまだ信用していないと見える」
「あ、当たり前でしょ。大体、そんな被り物してる相手を信用しろってほうが無理に決まってるし」
「……それもそうです。貴方が素顔を見せれば信用出来るというのなら、こんなものいくらでも外します。ただ、それはもう少しだけ待って頂きたい。今は先にこの場を切り抜けるほうが先でしょうから」
「何を言って……」
顔を隠しているわりに素顔を見せても良いと言う。実にあっさりとしたものだが、どうもこの兎の言い様は要領を得ない。その時、戸惑う私の耳には男子生徒の声が響く。
「此処にいたぞ」
「くっ……」
何故私が、よく知らない男子生徒にも追われているのか分からない。その者も海野と同じく、正常とはかけ離れた形相で睨んでいた。兎に角早く逃げないと。踏み込む私の前に兎が一歩踏み出した。男子生徒の行く手を阻むように。
「任せてください」
兎はそう言って腕を前に伸ばす。その先には男子生徒が位置する。そして、突如男子生徒が苦しみながら腰を落としたのだ。
「ぐっ、く……、こ、これは……」
「今のうちに行きますよ」
「え?」
まるで、上から押し潰されそうになっているように呻く。その横を、私は兎に腕を引かれて通り過ぎることになる。何か変な力が働いているようだが、間違いなく、これはさっき取り囲まれた時と同じ現象が起きていた。
「今の何? あんたがやったの?」
「……あぁ、この世界にはないんでしたね。今のが魔法って奴ですよ」
無機質な兎頭が、振り向いて得意気に語る。魔法。よりによって魔法とか、ふざけているのだろうか。けど、このおかしな事態も、夢で会ったという事実も、むしろその方が納得出来そうな自分がいた。……やっぱり勉強しなさすぎたかも。
兎は私を引いてあまりに堂々と歩く。跪いたまま身動き出来ない生徒を背に、中庭の木陰から出てしまう。そしてそのまま、何と、明らかに校門の方へと向かい始めたのである。
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