1:この世界は面白くないⅩⅠ
「……し、死んだの?」
あんな常識外れの戦いを見せられてはそう思ってしまっても仕方ないと思う。陥没したグラウンドで、大の字に倒れているゾニスという男はピクリとも動かなかった。
「いえ。ちゃんと生きていますよ」
淡々とした物言いに戻った兎は、ただただ不気味だった。感情が乗っておらず、表情も読めない。元々そういう性格であればまだ理解出来るところはある。しかしもう、この兎がそういう人間ではないことを私は知っていた。……そもそもこの兎は人間なのかと未だ疑問だけど。
「今のうちに行きますよ」
そんなことを言いながら、兎は私の元へと戻って来る。先程兎が敵ではないと感じたのは、明らかに自分の味方でないゾニスがいたせいなのか。改めて思うと、得体の知れない兎には違いなく、私のなかでまだ抵抗はあった。
「ちょ、ちょっと待って。行くって何処に行くつもり? まずは説明して」
先程の戦いはあまりにも現実離れしていた。私の力で、この兎から逃げられるとは到底思えない。だからこそ抵抗した。今出来る。説明を求めるという精一杯の抵抗である。
まずはこの状況。何故私が狙われるようなことになっているのか。殆ど顔も覚えてないけど、学校の連中はどうなったのか。
そして何者なのか。兎自身。倒れたゾニスという男。軽々しく「魔法」などと口にして、今の普通じゃない動きは何だったのか。
「いちからゆっくり説明するのは構わないですが、残念ながら今そんな暇はないのです。だから、少々乱暴な手を使わせてもらいます」
「え?」
数メートルは先にいた兎が消え失せる。そして、いきなり私のそばに現れたかと思うと、突如私を抱えてしまった。不覚にも、城二兄と同じ扱いだった。
「な、ちょ、離せ!」
バタバタと暴れるけど、兎はそんな抵抗をものともしなかった。さらに驚くべきは、兎は大きく跳躍した。高く高く、空にでも届きそうなくらいに飛び上がったのである。
「え、嘘!?」
倒れている人間が、学校が、街が小さく見える。もし今兎に離されたら。そう思うと、暴れることを止めて大人しくするしかない。いや、そんな余裕すらなかった。
私は兎に聞こえないような小さな悲鳴を上げる。声を上げる気はなかったけど、つい出てしまった。兎は空を飛べるわけではないらしく、高く跳躍するとそのまま重力に従い落下し始めた。着地点は学校のグラウンドではなく、近隣住宅の屋根である。めちゃくちゃな動きだが、着地出来たのは有難い。けれど兎は即座に再び跳び上がる。
空を飛んでいるような錯覚を覚えながら、私は兎に何処かへと連れられてしまう。一体何処まで行くのか。疑問に思ってからすぐに目的地に到着したようだ。何てことはない。近くの河原だった。
「着きましたよ」
「此処?」
兎はそう言って、あっさりと解放してくれた。茶色い土が見える大きな河原。そこに降ろされてしまう。
「ええ。此処です」
兎は片手を動かす。一体何をしているのか。「魔法」という奴なのだろうか。夢で見たように文字を描いているように思えたけど、そうじゃないんだと思い直す。
兎が何かを描いただろう手元の空間。そこに黒い渦が生まれた。最初は小さく、徐々にそれは大きくなる。人一人が入れるくらいの穴が広がっていた。中は色濃く紫色をしていただけで、どうなっているのか分からず不気味さを漂わせていた。
「これで向こうの世界に来て頂きたい」
「これに入れってこと? こ、断るって言ったら?」
正直なところ無理だ。いきなりこんな訳の分からないことに、はいと返事出来る訳がない。
「気持ちは察します。けれどそれは認められないんです。彩芽じゃないと、向こうの世界は救えない」
「そ、その辺が分からない。何で私? 私に世界を救うなんてこと……」
「出来ます」
兎は遮るようにはっきりと告げた。疑う余念など全くない。信じているとか、そんなレベルじゃない気がした。少なくとも、兎は確信しているように思えた。
「……何で、そう言えるの?」
「貴方がアリスとして選定されたからです」
再び告げられるアリスという言葉。アリスとして選ばれたから。選ばれた私だから、世界を救うと確信しているのか。
まだ、説明としては足りない。それだけで、そんな説明だけでその穴を潜るわけにはいかない。その穴の向こうはどうなっているのか。安全なのか。今いるこの世界での私の生活はどうなるのか。
……そこまで考えて、少し可笑しくなった。こんな世界に嫌気が指していた筈の自分が、そんなことを考えてしまうなんて。
「私は……」
「彩芽!」
その時、私は何を言おうとしたのだろう。そんな折、目の前の兎が突如動き出す。それだけ確認出来ると、私は衝撃に押されて倒れてしまう。再び目を開けると、兎が背中越しに直立していた。
「トドメ刺さずに行っちまうなんてつれねぇな。甘すぎるんじゃねぇのか。兎野郎」
そしていつの間に来たのか。ゾニスが対面していた。負傷していたゾニスが、再び紫色の炎を纏う。
「もう起きたのか」
「あんなんで終わるなんてつまんねぇじゃねぇか。おら、本気で来いよ」
「待て。今は……」
「来ねぇならこっちからいってやんよ」
ゾニスの炎が大きく膨れ上がる。丸く大きな炎の塊。直径三十メートルはあろうかという大きな火球が、目の前に迫る。
「何考えて……」
兎は焦りの声と共に背後の私を見やる。
「彩芽。済まない」
「え?」
兎は先程と同じように私を抱えると、黒い渦の穴に押し込まれてしまう。まだ理解も追いつかないまま、私は異世界というところに飛んでしまったのである。
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