1:この世界は面白くないⅥ
そいつを眼に留めてまた驚く。はっきり言って気味が悪い。テールコート(燕尾服)を着て姿勢よく直立するのは執事を思わせる。ここまでは問題ない。ただ顔が分からない。奇妙な兎の頭を被っていて、それだけが異質さを放っている。明らかに大きすぎる頭は、体とつり合いが取れておらず、多少傾いていた。
「……誰?」
夢だと自覚出来たのが有難い。こんな怪しい奴。現実だと即トンズラしていたと思う。今は何とか疑問をぶつける余裕はあった。
「失礼。私(わたくし)アルフレッド・グラデミスと申します」
「外人の人?」
名前からそうなのかなと思う。確かに背は私より高いけど、譲二兄よりは低い。それに兎の頭を被っているから顔なんか分からなかった。日本語も流暢に話すから、ますます外国人という印象は薄い。顔が分からず、手袋を嵌めている為、肌の色からどの辺の人なのかすら見当が付かなかった。
「そうですね。遠い国になりますね」
夢の国の住人にしては、随分と意味深な言い方をする。でもまぁ私の夢だと言えばそれまでなのかもしれない。
「私のことよりもアリスのことを聞かせてほしい」
「?」
少し戸惑う。アリスって誰だろう。混乱する私を他所に、アルフレッドとかいう兎は続けた。
「アリス?」
「貴方のことですよ」
どうやら私のことらしい。そんな不思議な国に行きそうな名前で、呼ばれたことなど一度もない。人違いじゃないかと思う。
「誰かと間違えてるんじゃない?」
「いいえ、間違いなく貴方です。なので、貴方の名前を教えてほしい」
「……」
名前も知らないのに、人をアリスとかいうものと断定していたのか。意味が分からない。夢だとあり得るのかもしれないけど、夢にまでこんな面倒なのが出てきたのはうんざりする。少し答えるのが億劫に感じたが、夢の中のせいか、その面倒も今はまぁいいかと思えてしまう。
「神條彩芽」
夢の中で自己紹介をすることになるとは思わない。名乗ってから自分が滑稽に感じてしまう。
「やはりこっちとは違う名前か。ようやくだな」
「え?」
「いえ、何でもありませんよ」
気のせいならいい。一瞬、兎の雰囲気が変わった気がした。気を赦したとかならまだいいが、不穏な空気に変わったような気がする。
「ちなみにそれはどう書くのでしょう?」
「それは……」
何か書くものがあれば別だが今はない。正直口頭で文字の説明など、面倒なことこの上ない。
「あぁ、こんな感じで書けますよ」
兎はそう言って何もない空にて指先を動かす。自分の人差し指をペンに見立て、まるで空に文字を書いているようだ。けれど普通、そんなことをしたところで伝わらない。画数が多いとが精々だと思う。けど、信じられないことが起きる。まぁさすが夢だということか。何と兎這わせた指先の後に、水色の淡い光が生まれていた。まるでペンのインクのようで、兎はすらすらと当たり前のように文字を空に書いてしまった。
ただ何て書いてあるのか分からない。日本語ではないし、英語でもない。漢字どころか、そもそもアルファベットでもないので、 マイナーな何処かの辺境の国の人かと思った。
「貴方もどうぞ」
兎に促される。私にもそんなことが出来るとは思えないけど。疑う気持ちで真似てみれば、私の指を辿る光が生まれた。色はピンク色で違いはあるが、インクのように文字が書ける。ぐにゃぐにゃと少し試したあと、自分の名前を描いた。
「なるほど。……難しいですね」
表情は見えないが、この兎が戸惑っているのが分かる。日本語は通じているのに、夢の住人とは文字を共有していないようだ。
「では彩芽と呼ばせてもらいます」
得体の知れない兎だったけど、いきなり人を呼び捨てにするあたり、意外にキザな奴なのかもしれない。とはいえ、いきなりかと思うだけで、私はそれ以上何も思わない。肯定も否定もしないでいると、兎はさらに続けた。
「実は、貴方を迎えに来ました」
「は?」
兎は手を胸の前に添える。実にそれらしい動きは、マナーのある紳士のようだ。頭の兎だけが全てを台無しにしている。私はと言うと、思いっきり声を張り上げた。
「意味が分かんないんだけど」
「失礼。突拍子もない話ですが、貴方に我々の世界に来て頂きたい。そして我々の世界を救って頂きたいのです」
ますます以て意味が分からない。夢の中でヘンテコな兎に世界を救ってくれと言われる。暇つぶしとはいえ、ゲームをやりすぎてしまったのか。それともまともに勉強をしなかったからなのか。ここまで自分の頭がめでたいことになってるとは思わなかった。少し自己嫌悪に陥ってしまう。文字通り頭を抱えていると、兎はまたも続けた。
「どうやら混乱しているようだ。けれど、これは事実なのです。私が貴方の夢の中に入り込んでいるだけで、現実の話ですよ」
「そんなの信じろってほうが無理なんだけど」
兎の表情は相変わらず読めないが、少しだけ声の調子に感情が乗ったように感じる。私が一向に信じないことに、焦っているようだ。
「それは仕方ないかもしれません。けれど、とにかく来て頂きたい。選定は既に終わっています。このままでは貴方は……」
気味悪い兎の頭が近付く。さすがに夢の中とはいえ、本能的に体が警戒しろと訴える。私も一歩後退して、とりあえずこいつから逃げようと足に力を込める。その時、何処からか爆発音が響く。
「何?」
「まさか、ここまで来たのかっ」
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