1:この世界は面白くないⅤ

「全部ってお前……今からそんなんじゃやっていけねぇだろ。将来どうすんだ」


 出た。たかだか十五年程しか生きていない私でも、何回耳にした言葉だろう。結局、城二兄も同じような言葉を吐くんだと、何処か落胆した気持ちになる。


「それに、昔のお前はそうじゃなかっただろ。アイツだって……」

「……っ」


 目の前にあった机に向かって、ハンマーのように拳を振り下ろす。大きな音を立てて、城二兄の言葉を私は遮った。ぎりっと歯を食いしばる。昔の事なんか知らない。顔を上げて城二兄を睨み付ける。

 城二兄はほんの一瞬、悲しい顔を見せた。


「今のは、悪かった」


 すまんと言って、大きな頭を下げる。私だって頭では分かってる。城二兄は悪くない。でも、納得出来るかと言えば、そうもいかない。


「……もう帰る」


 私は頭を下げたままの城二兄を横目に立ち上がる。鞄を肩に下げて、迷うことなくドアへと向かった。ノブに手を掛けた時、私の背中に呼び声が掛かる。


「彩芽、約束はしたんだからな。今日の事は不問だ。ちゃんと学校には行け」


 何か返すべきなのかもしれない。そう思ったけど、気の利いた言葉も思い付かない。そのうち返すのも面倒になった私は、無言でその部屋を出た。



 これ以上面倒なことに遭遇しないよう、さっさと家に帰ることに決める。とはいえ、帰っても面倒なのは一緒か。

 カン、カンと錆びた不安定な階段を上る。ボロくさいアパートだった。築何十年だろうか。二階までしかなく、古臭い木造建築だ。ガタガタと揺れる様は、近々潰れるんじゃないかと思う。隙間風が流れ冬は寒いし、夏も別に涼しいわけもなく、むしろ虫が入ってくるから最悪だ。雨漏りがいまだにないのが、逆に意外だった。

 家の扉の前に来て少しだけ躊躇する。けど、それも一瞬のこと。躊躇うことのほうが馬鹿馬鹿しいと思い直す。鍵が閉まっていることが珍しいくらいの家だ。一応鍵くらい持ってはいるが、ここ数年取り出した覚えすらない。直接ドアノブに手を伸ばしたところ、ぎぎぃと軋みながら扉が勝手に開いた。


「あれ? 何だもう帰ってきたの」


 こんな建物に自動で開く機能があるわけもない。家にいた住人が開けただけの話だ。その住人、真昼間から妙にめかし込んでいた。


「そうだけど」


 小さい扉ではあるが、私は無理矢理体を通そうと足を踏み入れる。言葉にするのも億劫だったのだが、住人は別に気にする素振りもない。ただ別件で呆れていた。


「どーせサボりでしょうが。やる気ないならもう行くの辞めな。金がかかってしょうがない。その分働いてくれた方がまだマシ」

「……はいはい」


 何回か既に聞いた小言の繰り返しだ。学校に行く気がないのは言われた通りだ。私自身隠そうともしてないしバレバレだ。ただだからといって、何をしたいとかもないので働く気はさらにない。くっだらない大人にあれこれ指示されたり、遅くまで時間を取られたり……うん、絶対無理。

 最近流行ってるニートになりたいわけじゃないと思う。多分。ちゃんと一人でやっていけるようにならないとなとは思っているから。

 ただまあ、やりたくもない仕事をやるのは凄い馬鹿らしいし、そもそも仕事なんてやると毎日毎日馬鹿な奴らに遭遇することになってしまう。


「今日は帰らないから、冷蔵庫にあるもの適当に食べてよね」

「……んー」


 小さな玄関口ですれ違いになった住人は、馬鹿みたいに高いヒール靴を履き終えたようだ。ピンクゴールドのハイヒールで派手だが、それ以上に服装は露出が高い。特に黒いミニスカは女の私から見てもやりすぎじゃなかと思う。そこまでファッションに興味はないけど。

 まぁ一番どうなんだと思うのは、歳を考えない派手な茶髪ではある。


 一応戸籍上では母親に当たる人だが、思うところあっても別に私は何も言わない。言ったところで無駄だし、言う必要もない。


「それじゃあ、行ってくるから。戸締りだけやっといて。じゃ」

「……ん」


 最低限の返事だけする。他のところがどうかは知らないけど、うちでは通常通りの会話が済まされる。今日はむしろ、多いくらいかもしれない。

 私も、向こうも互いに興味などなかった。服装から察するに、どーせ男のところに行ったのだろうし。ほんとくだらない。


 自分の部屋などなかった。わずか六畳間ほどの部屋に、鞄を投げるようにして手放す。


 どうしようか。帰ってきたものの、家でもやることはない。私は自分の身すらも、投げ捨てるように崩す。着替えるのも忘れて、私はそのまま眠りに落ちていた。


 だだっ広い空間。何もない白い場所に、私は立っていた。何だ夢か。不思議なことに、自分で夢だと自覚出来た。初めてのことかもしれない。


「ここ何処?」


 夢だと自覚しても起きることはなく、全く知らない場所に戸惑うだけだ。夢だったら知らない場所もあり得るだろうけど。


「ようやく会えた」


 男の声が聞こえた。若く比較的高い声。周りに浸透するように響き渡る。何処にいるのか分からなかった。


「はじめまして」

「……っ」


 突然背後に気配を感じた。びっくりして飛び退く。ちょっと声を上げそうになって恥ずかしくなった。けどまずは急に現れたこいつが何者なのかが問題だ。夢だから何をされるとかはないだろうけど。

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